傘を差せぬまま

 次の日、彼は来なかった。最初は特に何も思わなかった。たまには休むこともあるだろうし、遅れて来る可能性もあった。そう思って、いつも通りの席に座る。ノートを開いて、問題を解く。外の音が気になって仕方がなかった。数分が経っても、隣の席は空いたままだった。
「……」
落ち着かなかった。右側だけ、妙に寒い気がした。でも、気にしないようにした。授業が終わる頃には、慌てて来るかもしれないと思った。でも、最後まで彼は来なかった。その日は、久しぶりに一人で帰った。空は晴れていた。少しだけ風が強くて、空はやけに高く、遠くに見えた。
 次の日も、彼は来なかった。
「今日も休みなんだ。」
「ねえ、聞いた?彼、…」
誰かのそんな声が、どこかで聞こえたような気がした。でも、何も分からなかった。誰が言ったのかも、その続きの言葉も。先生も何も言ってくれなかった。ただ、私の右の席が一つ、空いているだけだった。
 三日目になって、違和感が強くなった。
「…もう一回、連絡、してみるか。」
スマホを取り出して、画面を開く。昨日送ったメッセージが、そのまま残っていた。既読は、ついていなかった。
「大丈夫?」
短い一文。それだけ。少し考えてから、もう一つ送る。
「今日も来ないの?」
送信ボタンを押して、すぐに画面を閉じる。返事を待つ。落ち着かなかった。でも、結局返事は来なかった。それから、何日も。席は空いたまま。メッセージも、そのまま。既読はつかない。まして、返信はない。まるで最初から存在していなかったみたいに、忽然と消えた。
「…おかしいな。」
小さく呟く。でも、その言葉は、どこにも届かなかった。
 そんな日が続いていく、ある日。塾の前を通った時だった。いつもと違う空気に少しだけ足が止まった。入り口のところに、何人か大人が集まっている。何を話しているが、ここからでは、声は聞こえなかった。でも、どこか張り詰めたような空気だけが、肺いっぱいに広がってきた。
「……」
近づこうとして、やめた。何となく、そうしてはいけない気がした。そのまま、何も知らないふりをして通り過ぎる。その時、ポケットの中のスマホが震えたような気がした。慌てて取り出す。でも、何も来ていなかった。ただの気のせいだった。
 しばらくして、席が変わった。元々指定されていた席ではなかったから、私の隣に誰が来ようと関係なかった。そう、私の隣は“彼だけの席“ではないのだ。彼が、いつも隣に座っていただけで。隣の席が埋まっても、何故か右側が寂しいと言う気持ちは埋まらなかった。彼の存在が、どんどん薄れていく。まるで、最初からなかったみたいに。
 帰り道。一人で歩く。前は、当たり前みたいに彼がいたのに。今はもう、誰もいない。空を見上げる。晴れている。雲一つない、綺麗な晴天。それなのに、胸の奥がずっと重い。理由なんてわからないまま、誰かに聞くこともできないまま、ただ。時間だけが過ぎていく。もう、本当は分かっていた。どれだけ待っても、彼は、もう、来ないんだって。