教室の空気は相変わらす静かだ。ページを捲る音、シャーペンの芯が紙に擦れ合う音が、一定のリズムで刻まれている。でも、その中に異物が紛れ込んだのはいつからだろうか。
「ここ、さっきと同じミスしてる。」
彼の声。その音の近さに、思わず肩が跳ねる。
「え、どこ?また?」
「また。」
式の一点を指しながら、彼は短く言い切る。少しだけ、むっとしてみる。
「ちゃんと見てるつもりなのに。」
「見てるだけじゃなくて、注意しないと。」
淡々とそう言い切った。でも、どこか少しだけ楽しそうで。顔を上げてみると、彼は、ほんの少しだけ笑っていた。目が合う。
「…何だよ?」
「別に何も…」
そう言って私はすぐにノートに視線を戻す。こっちを向いたくせに、彼のペン先はノートの上をなぞっている。
「ここ、こう。」
「あ、そっか!」
さっきまで分からなかった式が、あっさり解ける。彼は数式の魔法使いなのかもしれない、心の中でそう思った。
「ありがとう。」
「…別に、いいけど。」
相変わらず素っ気なく、そっぽを向く。でも、少しだけ、その言葉が柔らかく聞こえたような気がした。気のせいかもしれないけど。
「あ、そうだ。」
ふと思い出して、声をかける。
「この前のやつ、読んだよ。」
「ん?」
「紹介してくれた、ミステリー作品。」
「ああ、読みやすいミステリー紹介した時のやつか。」
彼は少しだけ顔を上げる。
「どうだった?」
「普通に面白かったと思う。」
「普通かよ。」
私の言葉に突っ込みながら、彼は微笑む。思わず目を逸らす。
「いや、でも最後ちょっとびっくりした。」
「だろ。」
「最後のシーンのトリックがさ、よく思いつくよねって感じで。」
「あれ、正直俺も驚いた。あのトリックは、作者が〜」
ほんの少しだけ得意そうな顔。それが何だかおかしくて、思わず笑ってしまう。
「何だよ。」
「いや、なんでも。」
そう言うと、彼は少しだけ眉を寄せた後、何も言わなかった。でも、その沈黙が前よりも気まずくないことに、後から気がついた。気づかないうちに、少しだけ変わっていく。
靴を履き替えながら、ふと外を見る。少しだけ重たそうな雲が、いつもより少しだけ早く流れている。
「降るかな?」
何気なく呟く。
「さあ、…降らないんじゃね?」
何の根拠もなさそうに、彼はそう言う。
「そっか。」
私もそれ以上は気にしなかった。そのまま一緒に外に出て、少しだけ並んで歩く。特別なことは、何もない。だた、いつもより少しだけ会話が続く。沈黙が少しだけ長くなっても、気まずさは、もうなくて。ゆっくりとした時間。ただ、それだけの時間。でも、それだけで十分だった。
その時の私は、知らなかったのだから。
こんな風に過ごす時間が、どれだけ簡単に、なくなってしまうのか。
この時の私は、知らない。
晴れた空から、いつの間にか雨が降り出していたことも。
「ここ、さっきと同じミスしてる。」
彼の声。その音の近さに、思わず肩が跳ねる。
「え、どこ?また?」
「また。」
式の一点を指しながら、彼は短く言い切る。少しだけ、むっとしてみる。
「ちゃんと見てるつもりなのに。」
「見てるだけじゃなくて、注意しないと。」
淡々とそう言い切った。でも、どこか少しだけ楽しそうで。顔を上げてみると、彼は、ほんの少しだけ笑っていた。目が合う。
「…何だよ?」
「別に何も…」
そう言って私はすぐにノートに視線を戻す。こっちを向いたくせに、彼のペン先はノートの上をなぞっている。
「ここ、こう。」
「あ、そっか!」
さっきまで分からなかった式が、あっさり解ける。彼は数式の魔法使いなのかもしれない、心の中でそう思った。
「ありがとう。」
「…別に、いいけど。」
相変わらず素っ気なく、そっぽを向く。でも、少しだけ、その言葉が柔らかく聞こえたような気がした。気のせいかもしれないけど。
「あ、そうだ。」
ふと思い出して、声をかける。
「この前のやつ、読んだよ。」
「ん?」
「紹介してくれた、ミステリー作品。」
「ああ、読みやすいミステリー紹介した時のやつか。」
彼は少しだけ顔を上げる。
「どうだった?」
「普通に面白かったと思う。」
「普通かよ。」
私の言葉に突っ込みながら、彼は微笑む。思わず目を逸らす。
「いや、でも最後ちょっとびっくりした。」
「だろ。」
「最後のシーンのトリックがさ、よく思いつくよねって感じで。」
「あれ、正直俺も驚いた。あのトリックは、作者が〜」
ほんの少しだけ得意そうな顔。それが何だかおかしくて、思わず笑ってしまう。
「何だよ。」
「いや、なんでも。」
そう言うと、彼は少しだけ眉を寄せた後、何も言わなかった。でも、その沈黙が前よりも気まずくないことに、後から気がついた。気づかないうちに、少しだけ変わっていく。
靴を履き替えながら、ふと外を見る。少しだけ重たそうな雲が、いつもより少しだけ早く流れている。
「降るかな?」
何気なく呟く。
「さあ、…降らないんじゃね?」
何の根拠もなさそうに、彼はそう言う。
「そっか。」
私もそれ以上は気にしなかった。そのまま一緒に外に出て、少しだけ並んで歩く。特別なことは、何もない。だた、いつもより少しだけ会話が続く。沈黙が少しだけ長くなっても、気まずさは、もうなくて。ゆっくりとした時間。ただ、それだけの時間。でも、それだけで十分だった。
その時の私は、知らなかったのだから。
こんな風に過ごす時間が、どれだけ簡単に、なくなってしまうのか。
この時の私は、知らない。
晴れた空から、いつの間にか雨が降り出していたことも。



