あれ、もしかしなくても、蒼司もこの梅御殿に部屋があるのかな。
結婚する。夫婦になるってことは、待って、お布団ってもしかして──
「なにかお困りですか?」
静かな声にハッとして、俯きかけていた顔をあげると、心配そうな眼差しが向けられた。
なにもかもに困ってるわよ。そもそも、なにをどう伝えたらいいのかに困ってる。
「遠慮なさらず、お話しください」
「困りごとは……」
遠慮せずといわれても、言葉にするのは難しい。
そもそも、少し前までは大学生だったのに、いきなり将軍とか大奥、陰陽師っていわれても……江戸時代は好きだけど、そんなの全部ドラマや小説の中でのこと。現実味なんて起きないわよ。
伝える言葉を探しながら、部屋を仕切る襖へと視線をずらした。
梅御殿の名に相応しい、美しい梅の模様が描かれた襖の向こうに、私の部屋があるのか、寝室はそのさらに奥なのかもしれない。
「……急に、結婚っていわれても」
言葉を探りながら口にすると、胸の中がもやもやとしてくる。
私に行く場所なんてないんだから、外に放り出されたら困るんだから、受け入れるしかないのよね。だけど、巫女としてお勤めしろとか結婚っていわれて「わかった、やってみる!」なんて前向きになれるかは別問題なのよ。
ちらりと蒼司の様子を伺うと、少し困った顔で私を見ていた。
よくよく考えたら、彼だって急に現れた女と結婚しろといわれたのよね。不満とかないのかな。こんな大きなお屋敷の息子なら、それこそ、力のある武家のお姫様を迎える予定だったんじゃないのかな。
「……蒼司さんは、平気なんですか?」
「私は、東雲家の跡取りですから」
一瞬、返事に戸惑ったように見えた。
本心は見えないけど、もしかしたら彼にも思うところはあるのかもしれない。
「私は、蒼司さんたちが知らない場所で生きてきました。結婚だって、好きな人とすることが主流だったし」
「……好いた相手と?」
「全員がそうじゃないけど、少なくとも、私の母はそうでしたよ」
娘の前でもイチャつくくらいには夫婦仲のよかった両親を思い出し、胸にぽっかりと穴が開いたような感じがした。冷たい風が吹き抜けていくようで、思わず自分の肩を抱いて丸くなる。
お母さんの「早く彼氏を連れてきなさい」といって笑う顔、お父さんの「いつかお嫁にいっちゃうのか」と寂しそうに笑う顔──もう二度と見ることのできない二人の笑顔に胸が苦しくなる。
「家族を失い、ここで一人ぼっちになった私の気持ち……わかりますか?」
「……凛様」
「いきなりここで結婚しろ、お前の家はここだっていわれても、私にも、家族がいたんですよ」
こんなの八つ当たりだってわかっている。
だけど、いいだしてしまったら、感情を抑えられなくなった。涙があふれ、巫女装束の赤い袴に丸いしみができていく。
衣擦れの音がして、すぐ横に温かな気配を感じた。
「……すまぬ」
低い呟きとともに、膝の上で握りしめていた拳に、大きな手が重なった。ごつごつとして男の人だとわかる手は、とても温かい。
優しさが伝わってきて、涙が零れ落ちた。
唇を噛んだまま俯いていると、縁側と座敷を隔てる障子の向こうで「湯浴みの用意が整いました」と声がした。
結婚する。夫婦になるってことは、待って、お布団ってもしかして──
「なにかお困りですか?」
静かな声にハッとして、俯きかけていた顔をあげると、心配そうな眼差しが向けられた。
なにもかもに困ってるわよ。そもそも、なにをどう伝えたらいいのかに困ってる。
「遠慮なさらず、お話しください」
「困りごとは……」
遠慮せずといわれても、言葉にするのは難しい。
そもそも、少し前までは大学生だったのに、いきなり将軍とか大奥、陰陽師っていわれても……江戸時代は好きだけど、そんなの全部ドラマや小説の中でのこと。現実味なんて起きないわよ。
伝える言葉を探しながら、部屋を仕切る襖へと視線をずらした。
梅御殿の名に相応しい、美しい梅の模様が描かれた襖の向こうに、私の部屋があるのか、寝室はそのさらに奥なのかもしれない。
「……急に、結婚っていわれても」
言葉を探りながら口にすると、胸の中がもやもやとしてくる。
私に行く場所なんてないんだから、外に放り出されたら困るんだから、受け入れるしかないのよね。だけど、巫女としてお勤めしろとか結婚っていわれて「わかった、やってみる!」なんて前向きになれるかは別問題なのよ。
ちらりと蒼司の様子を伺うと、少し困った顔で私を見ていた。
よくよく考えたら、彼だって急に現れた女と結婚しろといわれたのよね。不満とかないのかな。こんな大きなお屋敷の息子なら、それこそ、力のある武家のお姫様を迎える予定だったんじゃないのかな。
「……蒼司さんは、平気なんですか?」
「私は、東雲家の跡取りですから」
一瞬、返事に戸惑ったように見えた。
本心は見えないけど、もしかしたら彼にも思うところはあるのかもしれない。
「私は、蒼司さんたちが知らない場所で生きてきました。結婚だって、好きな人とすることが主流だったし」
「……好いた相手と?」
「全員がそうじゃないけど、少なくとも、私の母はそうでしたよ」
娘の前でもイチャつくくらいには夫婦仲のよかった両親を思い出し、胸にぽっかりと穴が開いたような感じがした。冷たい風が吹き抜けていくようで、思わず自分の肩を抱いて丸くなる。
お母さんの「早く彼氏を連れてきなさい」といって笑う顔、お父さんの「いつかお嫁にいっちゃうのか」と寂しそうに笑う顔──もう二度と見ることのできない二人の笑顔に胸が苦しくなる。
「家族を失い、ここで一人ぼっちになった私の気持ち……わかりますか?」
「……凛様」
「いきなりここで結婚しろ、お前の家はここだっていわれても、私にも、家族がいたんですよ」
こんなの八つ当たりだってわかっている。
だけど、いいだしてしまったら、感情を抑えられなくなった。涙があふれ、巫女装束の赤い袴に丸いしみができていく。
衣擦れの音がして、すぐ横に温かな気配を感じた。
「……すまぬ」
低い呟きとともに、膝の上で握りしめていた拳に、大きな手が重なった。ごつごつとして男の人だとわかる手は、とても温かい。
優しさが伝わってきて、涙が零れ落ちた。
唇を噛んだまま俯いていると、縁側と座敷を隔てる障子の向こうで「湯浴みの用意が整いました」と声がした。

