「あめさんが大奥に持ち込んだ毒の試作品ですよ。蠱毒と附子を使って作り出した堕胎薬……母体を殺しはしないが、確実に体に作用する薬を作ろうとしていた……そのためには、いくらかの犠牲が必要だった」
私の肩を押し付ける手に力が込められた。怒りと戸惑いが、その指先から伝わってくるようだ。
「毒に侵されたのは、女性ではありませんでしたか? それも、身重の女性」
私の問いかけに、男は答えない。
きっと、脳裏にお母さんのことを思い出しているのだろう。
「あなたたち姉弟のお母さんのお腹にも──」
「違う! 違う……戸張様は殿のため、殿は民のために……私達のような、悲しい子どもがいない世を作るために、そのために母上は、姉上は……」
ぶつぶつと呟く男の瞳は、暗い闇のようだった。私を見てはいない。何も見えてはいない。
「お前たちは、そのように都合よく話し、姉上を騙したのか……だから、姉上は、私に戸張様から逃げろなどと言い出したのだな」
ひくひくと口角を震わせる男の、ぎょろりとした目が私を見た。
洗脳が簡単にとけるなんて思っていない。だけど、どこまでも人の話を聞く気のない態度に、苛立ちが募った。
「あめさんは、あなたを助けたいだけよ。いい加減、気付きなさいよ!」
「嘘をいうな……姉上とて、両親を陥れた東雲が憎いに決まっておる!」
「あなたのお母さんは、堕胎薬の犠牲になった。あめさんは脅され、あなたを守るために事実を隠すしかなかったのよ。二人とも、戸張に脅されてたの!」
「違う、違う、違う……!」
悲しい叫びがこだました瞬間、その全身から昏い靄があふれ出した。全身を包むそれは私の肩にも触れ、首元へと近づいてくる。
ぞわぞわと背筋が震えた。
それがなにかわからなくても、触れてはいけないと感じた。
「──離して!」
振り解こうにも、男の強い力に敵わない。昏い靄が首に巻きつき、冷たい汗が背筋を伝い落ちた。
「嫌っ……蒼司……」
助けを呼ぶにも、喉が締まるようで声が出ない。
こんなとこで負けたくない。どうにかしないと。私になにができる──必死に頭を働かせようとした時だった。
「六根清浄、急急如律令!」
静かな声が響いた直後、私たちの真下にある池が銀色の光を放った。その優しい光を嫌がるように、昏い靄は私から離れていき、男もまた手を放して後ずさった。
ずるりと欄干に寄りかかり息を深く吸うと、ひゅいっと喉が鳴った。
「凛、遅くなってすまぬ」
声がする方を振り返ると、斎服姿の蒼司が佇んでいた。彼が足を踏み出せば、男がまた一歩後ずさる。
男の意識はすっかり蒼司に向いていた。
欄干を握りしめ、今しかないと思い、震える足を踏み出した。
「──蒼司さん!」
走り寄って手を伸ばすと、蒼司は私をしっかりと受け止めた。私にだけ聞こえる声で「よく頑張った」と囁いた。
「野々宮晴真、そなたは真実を知らねばならない」
「嘘偽りで固められた東雲がなにをいう!」
「それはお前のことだ」
蒼司の指が、左目を覆う眼帯にかかる。
「言葉が通じぬなら、月の記憶を見るがいい」
「……月の、記憶?」
じりじりと後ずさる男が、赤い橋の先、池の浮き島に降り立った。すると、眼帯を外した蒼司は胸の前で手を合わせた。
「慎みて我が眼に眠りし霊神に願い奉る」
白濁とした左眼が、まるで月光のような輝きを宿した。
私の肩を押し付ける手に力が込められた。怒りと戸惑いが、その指先から伝わってくるようだ。
「毒に侵されたのは、女性ではありませんでしたか? それも、身重の女性」
私の問いかけに、男は答えない。
きっと、脳裏にお母さんのことを思い出しているのだろう。
「あなたたち姉弟のお母さんのお腹にも──」
「違う! 違う……戸張様は殿のため、殿は民のために……私達のような、悲しい子どもがいない世を作るために、そのために母上は、姉上は……」
ぶつぶつと呟く男の瞳は、暗い闇のようだった。私を見てはいない。何も見えてはいない。
「お前たちは、そのように都合よく話し、姉上を騙したのか……だから、姉上は、私に戸張様から逃げろなどと言い出したのだな」
ひくひくと口角を震わせる男の、ぎょろりとした目が私を見た。
洗脳が簡単にとけるなんて思っていない。だけど、どこまでも人の話を聞く気のない態度に、苛立ちが募った。
「あめさんは、あなたを助けたいだけよ。いい加減、気付きなさいよ!」
「嘘をいうな……姉上とて、両親を陥れた東雲が憎いに決まっておる!」
「あなたのお母さんは、堕胎薬の犠牲になった。あめさんは脅され、あなたを守るために事実を隠すしかなかったのよ。二人とも、戸張に脅されてたの!」
「違う、違う、違う……!」
悲しい叫びがこだました瞬間、その全身から昏い靄があふれ出した。全身を包むそれは私の肩にも触れ、首元へと近づいてくる。
ぞわぞわと背筋が震えた。
それがなにかわからなくても、触れてはいけないと感じた。
「──離して!」
振り解こうにも、男の強い力に敵わない。昏い靄が首に巻きつき、冷たい汗が背筋を伝い落ちた。
「嫌っ……蒼司……」
助けを呼ぶにも、喉が締まるようで声が出ない。
こんなとこで負けたくない。どうにかしないと。私になにができる──必死に頭を働かせようとした時だった。
「六根清浄、急急如律令!」
静かな声が響いた直後、私たちの真下にある池が銀色の光を放った。その優しい光を嫌がるように、昏い靄は私から離れていき、男もまた手を放して後ずさった。
ずるりと欄干に寄りかかり息を深く吸うと、ひゅいっと喉が鳴った。
「凛、遅くなってすまぬ」
声がする方を振り返ると、斎服姿の蒼司が佇んでいた。彼が足を踏み出せば、男がまた一歩後ずさる。
男の意識はすっかり蒼司に向いていた。
欄干を握りしめ、今しかないと思い、震える足を踏み出した。
「──蒼司さん!」
走り寄って手を伸ばすと、蒼司は私をしっかりと受け止めた。私にだけ聞こえる声で「よく頑張った」と囁いた。
「野々宮晴真、そなたは真実を知らねばならない」
「嘘偽りで固められた東雲がなにをいう!」
「それはお前のことだ」
蒼司の指が、左目を覆う眼帯にかかる。
「言葉が通じぬなら、月の記憶を見るがいい」
「……月の、記憶?」
じりじりと後ずさる男が、赤い橋の先、池の浮き島に降り立った。すると、眼帯を外した蒼司は胸の前で手を合わせた。
「慎みて我が眼に眠りし霊神に願い奉る」
白濁とした左眼が、まるで月光のような輝きを宿した。

