雨宮が他の女中に視線を向けた時、彼女の髪を飾る簪が静かに揺れてきらめいた。
話を振られた女中たちは口々に「桜の方様の前で詠むのは恥ずかしい」とか「私も詠むのは不得意にございます」と恥ずかしそうに頬を染めた。
「なにも恥ずかしがることはありませんよ。心のままに言葉を綴ればよいのです」
「桜の方様、それが難しゅうございます」
「狂歌であればもっと気軽にできますが」
女中たちの話になるほどと思った。
江戸時代といえば、皮肉や風刺を楽しむ狂歌が流行ったわね。和歌のパロディともいえて庶民の間で特に賑わったのよね。
「勿論です。明日にでも来たいくらいです」
「ふふっ、あまり蒼司を一人にしたら怒られてしまうわよ」
目を細めて笑う桜の方と再会を約束して、この日は大奥を後にした。
それから、日が暮れる前に東雲家へ戻ると、出迎えてくれた蒼司がほっとした顔をした。心配して待っていてくれたみたい。
「足の指を擦りむいていないかい?」
「蒼司さんに言われた通り、お淑やかに歩いたから大丈夫です」
先日の擦り傷をからわれたことにムッとしながら、梅御殿に向かう廊下を進んでいると「それはよかった」と小さく聞こえた。
大きな背中を見つめながら歩いていると、庭で小鳥の鳴き声が響いた。
これだけ大きくて青々とした木がいくつも植えられているんだから、小鳥の巣ぐらいあるわよね。
ふと足を止めたことに気づいた蒼司も立ち止まり、私を振り返りながら「どうした?」と訊ねた。
「小鳥の声がしたから。どこにいるのかなって」
「ああ、ヒヨドリだろう」
「ヒヨドリ……」
「どうやら居心地がよいらしい。毎年この時期になると巣を作るようだ」
あの辺りだろうといって蒼司が指さすと、茂みがガサガサと少し揺れた。だけど、小鳥の姿は見えない。
「しばらくすると、ツバメが巣を作る場所もある」
「巣を取り除いたりしないの?」
「ヒヨドリの巣やツバメの巣は、縁起がいいとされるからな」
「そうなんだ。私の世界では、巣ができる前に取り除く人の方が多いのに。ここは違うのね」
そもそも、街中で見る野鳥っていったらカラスやムクドリ、ハトだ。騒音や糞害で迷惑とされていたから、巣ができたら役場に通報案件だったのよね。スズメだって数を減らしていたし、ツバメやヒヨドリを見ることは珍しかったな。
この庭だけを見ていると、異世界っていうよりも田舎に帰ってきたくらいの気分になりそうだ。
「凛の故郷では、鳥を歓迎しないのか」
「んー、というより、鳥が巣を作れる環境じゃないというか」
「なんとも寂しい話だな」
寂しい、か。
アスファルトで固められた綺麗な道に、立ち並ぶ住宅、高層ビル。あくせく歩く人々に、深夜でも走っているタクシーにトラック。光と音に溢れて騒々しい風景を思い出し、小さくため息をついた。
それでも、私は懐かしいと思ってしまう。
絢爛豪華な大奥で和歌を嗜むよりも、大学のカフェで推し作家の新刊を読む方が楽しい。
ここで暮らしていれば、そう思わなくなる日が来るのかもしれないけど、昨日今日で忘れられるものではない。
少し寂しく思いながら黙っていると「すまぬ」と声がした。
振り返ると、ふわりと優しい香りが鼻腔をくすぐった。寄り添う蒼司の着物から届くお香だ。
「凛のいた故郷を寂しいなどと、不躾であったな」
「それは……蒼司さんは知らない世界だから、仕方ないというか」
顔を曇らせる蒼司に、慌てて笑顔を向けて「いいところなんですよ」といえば、少し低い声が「そうか」と呟いた。
「できることなら、凛の過ごした故郷を見てみたいものだ」
「……少し、こことも似ているというか」
私のいた時代に興味を示してくれたことが嬉しくて、頬が少し緩んだ。
せめて、私の持っていたバッグがあったら、スマホに保存していた写真だけでも見せてあげられたのにな。遊びに行った小田原城を見せて、お城は資料館になっているって話したら、蒼司はどんな顔をしたのかな。
話を振られた女中たちは口々に「桜の方様の前で詠むのは恥ずかしい」とか「私も詠むのは不得意にございます」と恥ずかしそうに頬を染めた。
「なにも恥ずかしがることはありませんよ。心のままに言葉を綴ればよいのです」
「桜の方様、それが難しゅうございます」
「狂歌であればもっと気軽にできますが」
女中たちの話になるほどと思った。
江戸時代といえば、皮肉や風刺を楽しむ狂歌が流行ったわね。和歌のパロディともいえて庶民の間で特に賑わったのよね。
「勿論です。明日にでも来たいくらいです」
「ふふっ、あまり蒼司を一人にしたら怒られてしまうわよ」
目を細めて笑う桜の方と再会を約束して、この日は大奥を後にした。
それから、日が暮れる前に東雲家へ戻ると、出迎えてくれた蒼司がほっとした顔をした。心配して待っていてくれたみたい。
「足の指を擦りむいていないかい?」
「蒼司さんに言われた通り、お淑やかに歩いたから大丈夫です」
先日の擦り傷をからわれたことにムッとしながら、梅御殿に向かう廊下を進んでいると「それはよかった」と小さく聞こえた。
大きな背中を見つめながら歩いていると、庭で小鳥の鳴き声が響いた。
これだけ大きくて青々とした木がいくつも植えられているんだから、小鳥の巣ぐらいあるわよね。
ふと足を止めたことに気づいた蒼司も立ち止まり、私を振り返りながら「どうした?」と訊ねた。
「小鳥の声がしたから。どこにいるのかなって」
「ああ、ヒヨドリだろう」
「ヒヨドリ……」
「どうやら居心地がよいらしい。毎年この時期になると巣を作るようだ」
あの辺りだろうといって蒼司が指さすと、茂みがガサガサと少し揺れた。だけど、小鳥の姿は見えない。
「しばらくすると、ツバメが巣を作る場所もある」
「巣を取り除いたりしないの?」
「ヒヨドリの巣やツバメの巣は、縁起がいいとされるからな」
「そうなんだ。私の世界では、巣ができる前に取り除く人の方が多いのに。ここは違うのね」
そもそも、街中で見る野鳥っていったらカラスやムクドリ、ハトだ。騒音や糞害で迷惑とされていたから、巣ができたら役場に通報案件だったのよね。スズメだって数を減らしていたし、ツバメやヒヨドリを見ることは珍しかったな。
この庭だけを見ていると、異世界っていうよりも田舎に帰ってきたくらいの気分になりそうだ。
「凛の故郷では、鳥を歓迎しないのか」
「んー、というより、鳥が巣を作れる環境じゃないというか」
「なんとも寂しい話だな」
寂しい、か。
アスファルトで固められた綺麗な道に、立ち並ぶ住宅、高層ビル。あくせく歩く人々に、深夜でも走っているタクシーにトラック。光と音に溢れて騒々しい風景を思い出し、小さくため息をついた。
それでも、私は懐かしいと思ってしまう。
絢爛豪華な大奥で和歌を嗜むよりも、大学のカフェで推し作家の新刊を読む方が楽しい。
ここで暮らしていれば、そう思わなくなる日が来るのかもしれないけど、昨日今日で忘れられるものではない。
少し寂しく思いながら黙っていると「すまぬ」と声がした。
振り返ると、ふわりと優しい香りが鼻腔をくすぐった。寄り添う蒼司の着物から届くお香だ。
「凛のいた故郷を寂しいなどと、不躾であったな」
「それは……蒼司さんは知らない世界だから、仕方ないというか」
顔を曇らせる蒼司に、慌てて笑顔を向けて「いいところなんですよ」といえば、少し低い声が「そうか」と呟いた。
「できることなら、凛の過ごした故郷を見てみたいものだ」
「……少し、こことも似ているというか」
私のいた時代に興味を示してくれたことが嬉しくて、頬が少し緩んだ。
せめて、私の持っていたバッグがあったら、スマホに保存していた写真だけでも見せてあげられたのにな。遊びに行った小田原城を見せて、お城は資料館になっているって話したら、蒼司はどんな顔をしたのかな。

