農業祭が無事大盛況のまま幕を下ろし、数日が経った。あれからも拓三は農場を訪れた観光客を追い払い続けているらしい。ただ以前とは違い、事前に会話を交わしているのだと本人が語っていた。目の前の相手が動物に対し失礼な人ならば追い返し、そうではなさそうだと判断すれば馬を触らせてやる。それによってインターネット上で拓三と太平号はゆるやかに、しかし着実に知名度を増していった。現在は拓三が映り込んだ動画を発見した息子夫婦に勧められてSNSを始めたらしい。会うたび難しいしよくわからないと愚痴をこぼしていたが、その顔は満足げだった。
清隆は朝、学校へ向かう前にスマートフォンを取り出してお気に入り登録をした写真を見返した。外部講師として将来を担う子供たちを教えるのはこれまでと一緒だが、最近では思い出深い写真を見返すというルーティンが出勤前に組み込まれるようになっていた。
このルーティンが生まれて最初の一枚は、農業祭一日目の夜の写真であった。偶然居合わせた他の客に撮影してもらったものだ。写真の中で五名の男女が笑顔でピースサインを作っている。空いた手にはビールの入ったジョッキが握られていた。場所はあの居酒屋で、清隆と拓三、そして台湾人の夫婦が並んでテーブル席に座っている。写真の奥の方では、シャッターの押される寸前に入り込んだ禿頭の店主がいた。
あの日、最後の客として迎え入れた夫婦は沖縄を愛する台湾人だった。生き物が好きで好きでたまらなく、機会を見つけてはやんばるの森にも入ってヒメハブやアカガエル、リュウキュウヤマガメなどを探しているらしい。自然の中に生きる生き物たちの写真をいくつか拝見した清隆がどこで見つけたのかと問うと、二人は顔を見合わせてやんばるとだけ答えた。この回答に清隆はもちろん、拓三も満足したのだ(研究者や愛好家の間では、生き物を発見した場所を具体的に明かさないと言う暗黙のルールがある。たとえ仲の良い間柄でも具体的な居場所の特定につなる情報は決して出さない。その情報を悪用され、希少な生き物の密猟や乱獲を許すことになりかねないからだ)。
言語の壁がなかったのも手伝い、意気投合した四人はそのままあの居酒屋で食事をすることに決めたのだった。
実は、この台湾人夫婦は清隆が店主に依頼して農業祭に招いた存在であった。宮古馬を農業祭に引きずり出せたとしても、観光客の出入りがないのでは拓三の頑なな頭は柔軟さを欠いたままになってしまう。表へと出てきてくれたこのチャンスを確実にものにしようと、店主を頼ったのである。
清隆は朝、学校へ向かう前にスマートフォンを取り出してお気に入り登録をした写真を見返した。外部講師として将来を担う子供たちを教えるのはこれまでと一緒だが、最近では思い出深い写真を見返すというルーティンが出勤前に組み込まれるようになっていた。
このルーティンが生まれて最初の一枚は、農業祭一日目の夜の写真であった。偶然居合わせた他の客に撮影してもらったものだ。写真の中で五名の男女が笑顔でピースサインを作っている。空いた手にはビールの入ったジョッキが握られていた。場所はあの居酒屋で、清隆と拓三、そして台湾人の夫婦が並んでテーブル席に座っている。写真の奥の方では、シャッターの押される寸前に入り込んだ禿頭の店主がいた。
あの日、最後の客として迎え入れた夫婦は沖縄を愛する台湾人だった。生き物が好きで好きでたまらなく、機会を見つけてはやんばるの森にも入ってヒメハブやアカガエル、リュウキュウヤマガメなどを探しているらしい。自然の中に生きる生き物たちの写真をいくつか拝見した清隆がどこで見つけたのかと問うと、二人は顔を見合わせてやんばるとだけ答えた。この回答に清隆はもちろん、拓三も満足したのだ(研究者や愛好家の間では、生き物を発見した場所を具体的に明かさないと言う暗黙のルールがある。たとえ仲の良い間柄でも具体的な居場所の特定につなる情報は決して出さない。その情報を悪用され、希少な生き物の密猟や乱獲を許すことになりかねないからだ)。
言語の壁がなかったのも手伝い、意気投合した四人はそのままあの居酒屋で食事をすることに決めたのだった。
実は、この台湾人夫婦は清隆が店主に依頼して農業祭に招いた存在であった。宮古馬を農業祭に引きずり出せたとしても、観光客の出入りがないのでは拓三の頑なな頭は柔軟さを欠いたままになってしまう。表へと出てきてくれたこのチャンスを確実にものにしようと、店主を頼ったのである。

