君の1番で居たいから

暇だ。
少し開いた窓から入ってくる風がカーテンを揺らす。
春は暑すぎないし、寒すぎない。丁度いい。
学校の授業は退屈だ。予習が必須だと言うのは先生たちなのに、予習と全く同じ授業をされて聞くなんて馬鹿げてる。
問題の解説だって、テキストに付いている回答解説を見ればわかる。
授業は、先生が教科書やテキストを読み上げる時間だ。
初めの方は真面目にノートを取っていたが、後で見返すわけでもないので、途中で辞めた。
ぼーっと窓の外を眺める。
一個下の学年が外で体力テストをしているらしい。体育教師のホイッスルの音が微かに聞こえてくる。
校庭にある一本の桜の木は葉桜に変わりつつある。まだ4月だけど。
俺は机の中に教科書を入れる。
テキスト演習用ノートを開いてテキトーに数式を書く。
数学は似たようなことの繰り返しだし、努力しないと身につかないから苦手だ。
俺の教科書は付箋だらけで、書き込みも多い。これだけ見たら、努力しているように見えるかもしれないが、実際はそんなことはない。
学校以外で勉強なんてしたくない。
中学生の時は、そこそこ勉強が好きだったし、得意でもあった。
だから、調子に乗って県内で一番頭の良い高校を受けて、見事合格してしまった。
高校に入ってから徐々に成績は落ち、高校3年の春である現時点において、当初の俺の進路希望は通らない。当然だ。
このまま社会の波に呑まれて流されるのも悪くないのかもしれない。
俺の未来に希望はない。
なんとなく部活を引退して、なんとなく進路を決めていくんだろう。
窓の外から黒板に視線を移すと、数学教師は消えていて、授業は終わっていた。
「卓ー、次も移動だよー」
同じクラスの友達に呼ばれて、「はいはい。」と適当に返事をして、立ち上がる。机の中に入れた教科書を取り出して、すぐに教室を出た。


「はぁ…」
俺はため息をつく。
この時期には少し暑く感じられるブレザーは、重いリュックのせいでシワが寄っている。
日が落ち、暗くなり始めた道を歩いていると目の前に他校のカップルが見える。さっきから、たっくんだの、ゆいな〜だの、お互いの名前を呼び合っては笑っている。楽しそうでなりよりだ。
俺は、付き合うという経験自体したことがないから想像なんてつかない。
親は結婚結婚うるさいタイプだけど。
まずは大学に受かるかどうかを心配しろよ…と思うこともあるが、ある意味、楽観的で良いのかもしれない。
でも、流石に数学の学年順位最下位はどうにかしないとな…。
家に帰ったら教科書でも見直そうか。
俺は上り始めた月を見て、少し早足で家へ向かった。

家に着いて、リビングにカバンを放る。キッチンの水道で手を洗ってカバンを拾い上げ、自分の部屋に入り、着ていたブレザーを脱いでハンガーに掛ける。これを無意識でやる度に、親の教育のすごさを感じる。小さい頃再三言われたのも今では良い思い出だ、多分。
教科書でも見てみるか。
リュックの中を漁り、数学の教科書を見つける。復習なんて初めてだな…。
今日は積分だったからこの辺か、とページをめくる。数字と文字が並んだ紙を見つめる。
ん?俺こんなにこのページ綺麗だったけ?
他のページもめくってみる。驚くほど綺麗な教科書だ。書き込みも、マーカーも一つもない。
「俺の…じゃない?」
どこで?誰の教科書なんだろう。
どこかに名前がないか探す。すると、教科書の裏に丁寧に名前が書かれていた。
「わかみや…かな…た?」
考えるより先に声に出ていた。
演奏の奏に多数の多で、奏多。知らないな…。
それにしても、どこで取り違えたんだろう。
とりあえず、明日学校に行った時に返すか。
運良く明日は金曜だし。
とりあえず、暁斗に聞いてみるか。俺の友達である深山暁斗(ふかやまあきと)は、社交的で明るいから、顔が広い。
俺は暁斗と3年間一緒のクラスで、まあまあ仲良くさせてもらってる方だと思う。
メッセージアプリを開き、暁斗とのチャットを探す。
とりあえず、"若宮奏多って知ってる?"と聞く。
「卓ー!ご飯よ〜!」
母の声が2階にある俺の部屋に届く。
俺はすぐに返事をして、スマホを机に置き、部屋を出た。


ご飯を食べ終わり、風呂から上がった頃には21時を回っていた。
自室の机上のスマホを見ると、暁斗からの返信が返ってきていた。
"天才だろ?有名だよな。こないだの春休み明けテスト学年一位の。"
全然知らなかった。でも学年一位か。俺も人生で一回はとってみたかったな〜。
中学も勉強は得意だったが一位になったことはない。高校では学年の下の方をずっと彷徨ってるから、一位とは天と地の差だ。
てか、めっちゃ頭いい人の教科書って本当に何も書いてないんだ…。
暁斗に"ありがと"と送り、スマホの電源を落とす。スマホは誘惑の塊だから自分の目が届かないリックの中に放り込む。
英単語帳を開く。見ているだけでは寝落ちしそうなので声に出して読み上げる。
「career 、職業。ocuppation、職業。unemployment 、失業。future、将来…」
俺も未来のこと考えないといけないとな。
ま、このままの成績だとお先真っ暗だけど。
俺はそっと単語帳を閉じて、部屋の電気を消した。

「若宮っていますか?」
うちの学校は上位50位までの人は廊下に順位が掲示される。
春休み明けテストの順位表の一番上には、暁斗が昨日教えてくれたように、若宮奏多の名前があった。名前の右隣にクラスが書いてあって助かった。俺は順位表を見てすぐ、朝のうちに謝ろうと思って若宮のクラスである3年3組に向かった。
そして今に至る。
「若宮くん?あー、あそこ。窓側の一番後ろの席。」
いかにもクラスの中心にいそうなロングヘアの女子に言われる。
「ありがと。」
俺はその女子にお礼を言って、若宮の席へ行く。
ここの席、俺が昨日数学で座ってた席じゃん。
「若宮奏多…だよね?」
なんか感じ悪かったかも。
若宮はノートの上を走らせていたシャーペンを止めて、こちらを見る。
「…はい。」
不思議そうな目。でも、すごく綺麗な顔に釘付けになった。
「あ、えっと。俺が間違えて若宮の教科書持っていちゃったみたいで。ごめん。」
俺は手に持っていた教科書を両手で差し出す。
若宮は少し驚いたような様子で、
「そ、そうなんですね。でも、そんな謝らなくても…大丈夫です。」
とこたえる。
「あ、俺名乗ってなかったよね。隣の4組の吉岡卓(よしおかたく)です。てか、敬語じゃなくていいよ。俺が100%悪いから。ほんとごめん。」
若宮は何かに気づいたのか、机の中を手で探り出す。
「じゃ、じゃあタメで。えっと…もしかして、昨日の移動教室でこの席に座った?」
若宮が机の中を覗き込みながら俺に聞く。
「うん。5限の数学。」
なんかあったけ?
「…うーん…あ!あった!」
若宮が机の上に二冊の数学の教科書を表紙を上にして並べる。
「こっちが今、吉岡が持ってきた教科書。こっちが俺の机の中に入ってた教科書。同じ数Ⅲの教科書。」
あれ?俺…昨日どうしたっけ?
「あ〜!!無意識に机の中に入れてたかも。」
「裏面を見ると…ほら!こっちが俺の教科書で、使い込んでそうな方に吉岡の名前がある。…どうゆう間違いしたら、こんなことに?ふっ…あはっ…」
若宮は並んだ二つの教科書を見て、笑い出す。
俺もつられて笑ってしまう。
「たしかに。無意識って…ははっ…ほんと、バカだわ。」
お互い初対面なのに、すっかり打ち解けた。
朝のホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴って教室に戻るのが惜しいと感じたくらいには。

若宮は俺の数学の教科書を見て、「すごいね。」と何度も褒めた。
俺はそれでも数学が一番苦手だと言うと、若宮は「じゃあ、わからないところあったら俺に質問しにきなよ。」と提案してくれた。学年一位に教われる機会なんて多分これから先ないだろう。これも何かの縁だと思って頼ってみようと思った。
連絡先も知らないので、放課後に3組の教室の前で若宮を待つ。
真剣にホームルームを聞く若宮が見える。
目がバチっと合って、俺は口元が緩む。暁斗とはなんとなく一緒にいるだけで話が合う友達は俺にはいない。
同じ部活の同級生もいるが、友達ってよりチームメイトだから、練習や試合以外で話すことはない。俺だけかもしれないけど。
朝、若宮と話して、なんとなくだけど気が合いそうだと思った。考えてることとか感性が似てて一緒に話してて楽しい。
友達になりたい、と思った。一人の方が楽で良いなんて考えてた中学生の自分が信じられない。

3組の帰りのホームルームが終わって、みんなどんどん教室から出ていく。
人の波が落ち着いたところで、若宮を見つける。
「若宮!」
ほぼ反射で名前を呼んでいた。若宮はこちらを見る。
「吉岡じゃん。もしかして、俺に用?」
辺りをキョロキョロ見渡しながら聞く。
「うん。他の用事あったら全然良いんだけど…」
「むしろ暇かな。もしかして、質問?」
「あ、うん。廊下じゃやりづらいからどっか移動する?」
俺の提案に若宮は頷く。
「下駄箱の近くの机でいい?空いてればだけど。」
「うん。どこでも吉岡がやりやすいところで。」
若宮は優しい。

下駄箱の目の前にロビーがあって、丸い机が二つだけ並んでいる。うちの学校はそこそこ進学校だから、放課後そこで勉強している人も多い。
廊下の窓から差す光が茜色だ。俺たち3年生の教室は4階建ての校舎の3階にあって、玄関がある1階は遠い。
いつもは遠いと感じるけど、今日は若宮と話しながら歩いていたから一瞬だった。
頭がいい人は話も面白いんだな…。どんどん引き込まれてしまう。
「机空いてるね。ラッキー。」
若宮が机のそばにリュックを下ろすと、ゴトっと音がした。
「リュック重そうだな…俺なんて、プリントとノートしか入ってないよ。」
今日は部活がないから着替えなども持っていない。
「教科書とか、テキスト持ってないと落ち着かなくて。あと、行き帰りの電車も長いし。」
「学校から若宮の家までどのくらいかかるの?あ、言いたくなかったら全然いいんだけど…」
若宮は少し考えてから、
「2時間くらいかな。」
俺の何倍だろう…。
計算していると若宮に「吉岡は?」と聞かれる。
「俺は…1時間くらい。」
実際はもっと近いかもしれない。
「遠いね。朝何時起き?」
「5時。でも若宮の方が遠くない?」
「うーん…まあ確かに。」
1時間も違うのに、誤差だった時の反応みたいだ。
「でも、お互い大変だな。」
「うん。そうだね。あ、質問だったよね?どの問題?」
俺も本題を思い出して、リュックの中からテキストを取り出す。
「数学の確率の問題なんだけど…」
「うんうん。」
若宮は俺の拙い言葉を拾い上げ、わかりやすく解説してくれる。
「ありがと。超わかりやすい。もう一回解いてみる。」
という俺のお礼に対して、
「どいたしまして。」
と若宮が丁寧にこたえる。
頭がいいだけじゃなくて、礼儀正しいし、優しい。
もっと話してみたい。