アンカー・チェイン

 バイト先のハンバーガー屋の賑やかな空気の中で、似つかわしくない仏頂面が二人、顔を突き合わせている。
 Mサイズのコーラをあっという間に飲みきってしまったらしく、遼我くんの咥えたストローからズズズと空気の音がした。
「なんでここなんだよ。二人とももっと静かなとこで話せよ」
「ここならロクさんいると思ったから」
「それはいいけど、俺休憩終わったら戻るからね?」
遼我くんはむくれたような顔で口を尖らせる。
「蓮華のこと、ちゃんと報告して。僕が当主だって分かってるよね?」
「ああ……悪かった」
 それから、サナギは蓮華さんとの顛末を淡々と遼我くんに説明した。遼我くんは蓮華さんの主であり、蓮華さんの逃亡の責任者でもある。その行く末を把握するのも、当主の務めなのだそうだ。本当にしっかりした子だ。正直、サナギの力がどうであれ、普通に家を運営していくことを考えたら、遼我くんの方が当主は向いていたとは思う。本人が望むことだったかは分からないけど。
「蓮華は兄貴に肩入れしすぎてて、家のみんなも扱いにくそうにしてた。そろそろ処分しようかって話も出てて、多分、本人も気づいてたんだと思う」
「処分、って……」
「祓うってこと。元が危険な怪異だから、契約を解いて自由にするなんてそもそもできないことだし。ずっとうちにいるか、祓われるかしかあり得なかったんだよ」
「そっか……」
祓われるならサナギに、と蓮華さんは最後に言っていた。サナギの願いを叶えたかったのはもちろんだけど、最後はサナギに祓われたいと願って逃げ出してきたんだろうなと、改めて思った。
 報告を終えると、遼我くんは分かったと静かに答えた。
「除霊、ありがとう。こっちの不手際で手間かけて……悪かった、です」
「謝らなくていい。蓮華のことはこれでよかった」
「……あっ、そ」
サナギの態度に、遼我くんは困惑している様子だった。つんけんしようにも、サナギが角のない態度をとるからうまく突っ張れないらしい。
「お前は、大丈夫か」
「…………なにが」
「……お前に何もかも押し付けて家を出たこと、申し訳なかったと思ってる。俺はもう戻れないが、それ以外でお前の助けになれることがあるなら連絡してくれていい」
「……!」
遼我くんが目を見開いて固まった。しばらく口をパクパクさせてから、ぷいとそっぽを向く。
「……するかよ、バーカ」
「……そうか」
「……でも。今の言葉は……受け取っとく」
「……分かった」
 賑やかな周囲の声が、二人の間の沈黙をかき消していた。この口下手な二人が大事な話をするには、このくらいがちょうどよかったのかもしれない。

 八月十六日。お盆の最終日に、俺はサナギをある場所に連れ出した。
ーー青い海。白い砂浜。波の音とまぶしい日差し。
あの日、家族で来るはずだった海水浴場だ。
「ここが、俺を連れてきたかった場所か」
「うん。事故の後一度も来れなかったんだけど……お前を連れてきたいって、ここに来たいって、初めて思えたんだ」
事故が自分のせいかもしれないと、ずっと疑ってきた。罪悪感に押し潰されないように、家族の死から目を逸らし続けてきた。
 だけど、お前と一緒なら。俺は自分が呪われた存在じゃないんだと、信じられるから。
「お前が一緒なら、俺にも家族の死を悲しむ資格があると思える気がして」
「……資格がいるのか」
「資格、というか……俺が、それを許せるかどうかってことなのかな」
……父さん。母さん。美和。
 俺、ずっと一人で……苦しかった。俺もあの日一緒に死ねたらよかったと思ったこともある。生き残ったのが俺じゃなきゃよかったと思ったことも。
 でも、今は……一人じゃないよ。
 俺は、大丈夫。これまで、心配かけてごめん。
「ロク。お前に言いたいことがある」
「え。なんだよ、怖いな」
「中国語基礎、Bだったんだ。単位、とれたぞ」
「……! マジか! やったな!!」
サナギと一緒にテスト勉強した日々が蘇る。その先でいま、俺たちはこうしてここに並んで座っている。ここに至るまで、二人で経験してきた日常も、非日常も、全部意味のあることだったんだと思えた。
 少しずつ日が傾いて、空が赤く色づき始める。夕日が水面に反射してキラキラしている。蓮華さんを除霊した時にみた光に、少しだけ似ていると思った。
「……綺麗だな」
小さく呟くと、サナギはしばらく目を閉じてじっと押し黙ってから、ふっと小さく笑った。
「そうだな」
その後、サナギが何か呟いた気がしたけど、波の音にさらわれてよく聞こえなかった。
 それから、また少しの沈黙があって、サナギがゆっくりと口を開いた。
「除霊を辞めようと思う」
「そっか。……よかったな」
以前、こいつになぜ除霊をするのか聞いたことがある。その時は「やらずに生きていく方法が分からない」と言われて、意味がわからないと思った。
 でも、少しずつサナギと日々を積み重ねて、あの言葉の意味を理解した。サナギは除霊をする以外に、人や怪異との関わり方を知らなかったんだ。だから、あれはサナギの「ライフワーク」。居場所を見つけるために、サナギには除霊が必要だった。
「もう、お前の身体を借りる必要はなくなる。……が、これからも、その……飲みに誘ってもいいか」
「そんなこといまさら聞くな」
サナギがほっとしたように微笑んだ。
 これからも、俺たちの変わらぬ学生生活は続いていく。

 お盆は現世に最も霊が集まる季節だ。そして、海というのは多くの霊が惹かれて集まる場所でもある。
「……綺麗だな」
しみじみと呟くロクにつられて、視線の先をぼんやり眺める。そこには、無数の霊が蠢いていて、肝心の海はほとんど見えなかった。
 目を閉じて、波の音に耳をすませる。すると遠くから、賑やかな人の声が聞こえてきた。家族連れやカップル、友人同士。霊だけじゃなく、ここには人も集まっていたのだと、はじめて気がついた。
 誰もが楽しそうに笑っていて、その声は明るく弾んでいた。
 思わず、笑みが溢れる。
「……そうだな」
なるほど。ここに溢れる幸せな人の営みを、俺は綺麗だと思っているらしい。
 お前と出会って、俺はこんなにも人を、世界を好きになれた。
 俺を別の世界へ連れていってくれる誰かを、ずっと探してきた。自分のあるべき居場所へ連れ出してくれるーーこの世界を、俺の居場所に変えてくれる、誰か。
「……お前のことだったんだな」
この世界の、お前の隣こそが、俺の選んだ居場所だ。