軽いノックが重厚な扉を鳴らす。たったそれだけに、エトワールは大きく肩を震わせてしまった。
「は、は、はい……!!」
部屋から探し出した手鏡を両手で握りしめて答えるエトワール。
プラータやカロン、ハリスのような鮮やかな戦闘は出来ないが、武器が何もないのも不安すぎる。はやる心臓に盾をかざすように、手に力がこもった。
「エトワール、俺だよ。レイだ。」
「レイ……!?」
だが、向こうから聞こえた声に彼女の身体からホッと力が抜けていく。あれほどびくともしなかった扉が、するりと開いた。
「やあ。よく眠れたかい?」
「うん……。でも、あの、ここは……?」
まるで毎朝の挨拶だ。流れるように返事をしてしまってから、エトワールは慌てて彼に問いかけた。
するとレイは、カフェと変わらない穏やかさで応える。
「俺の屋敷だ。大きいから、君が迷子になってはいけないと思って鍵をかけてしまっていた。すまない、驚かせたね。」
「そう、なの……?」
戸惑う彼女の視界に映る、扉から続いている長い廊下。その道幅は故郷の村の舗装道より広そうだ。
確かに、例え扉が開いていたとしても、彼女が1人で出ていくのは勇気が要る。
「君の待っていた友人からは、もう少し時間がかかると聞いたよ。彼らの用事が終わったら、ここに迎えに来てくれる。安心して?」
「プゥが……?」
「あぁ。」
彼の言葉に、エトワールの表情に影が差した。思った以上に長いショッピングだ。
放っておかれる寂しさの中に混ざる、安心。迎えが待ち遠しいような、来てほしくないような……。
「エト」
「……!」
柔らかい声に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。するとレイはそっと、彼女の手をとった。
「疲れただろう?待ちぼうけの間に寝てしまうほどだ。ゆっくりシャワーでも浴びてくつろいでから……一緒に、夕食でもいかがかな?」
魅力的な誘い。プラータ達もいずれここに来ると言うのなら、きっと今晩はレイのお屋敷に泊まるのだろう。それなら、先に彼の言葉に甘えても問題はない。
エトワールはそう判断し、笑みを作った。
「うん……そうしようかな。ありがとう、レイ。」
彼女は完全に、レイ——レイブン・ド・ファントルノを信用しきっていた。
ーーー
迷うといけないから。レイのその言葉の通りだった。いったいこのお屋敷は、ユーリの家の何倍なのだろう。
温かい湯でのお風呂は、旅の中では久しぶりだった。そのうえ肌触りのいい寝間着を借りてしまい、逆に落ち着かない。
通された広間には、豪華な料理がずらりと並ぶ大きなテーブル。レイと二人だけで囲むには贅沢すぎて、エトワールは落ち着かなかった。
「レイも……貴族、様……なんだね……」
「ん?あぁ、そうだよ。」
身体を小さくしながら、味のしない料理を口に運ぶ。無音に耐えきれずに尋ねれば、当然のような返事が返ってきた。
聞かなくても分かることだ。それ故、会話終了。
美味しいはずの食事をもそもそとしていると、レイの優しい声がした。
「エトは、プゥが好きなのかな?」
「んぐ…!?」
声音に見合わぬ衝撃の言葉。エトはお肉を喉に詰まらせそうになってしまった。どうにか、水で飲み込んでいく。
「……れ、レイは……あの、プゥとこと、えっと……」
どこまで知っているのだろう。一応、プラータはお忍びの身だ。カロンもそばにいない以上、彼女の口からどこまで話していいのかわからない。
しどろもどろしていると、レイは柔らかく微笑んだ。
「安心していいよ。新聞や噂からだが、追放の件は知っている。彼がプラータ殿下だろう?」
「……うん……」
ほっ、と胸をなで下ろす。同時に浮かんだのは、とある疑問。
「貴族様たちは……プゥのこと、見ただけで王子様って分かるの?」
「そうだね。」
即答。そして何でもないことのように、レイは言葉を続ける。
「特に白銀の髪は、王家の者の特徴だ。貴族でなくても、見ただけで分かる者は沢山いる。」
「そう……なんだ……」
その事実に、エトの手が止まる。脳裏に浮かんだのは、初めて会った時のプラータの姿。
彼が頭巾を深く被っていたのは、王子の証を隠すためだったのだ。
自分は田舎者だと、改めて胸に突き刺さる。
彼のダイヤのような髪で王子と分かるだなんて、彼女は思ってもいなかったのだから。
「……君の憂いは、」
「……?」
コポポ、と優雅に彼の手から注がれるぶどう酒。
「王子様との身分差……」
「っ……!」
きゅ、とビンから滴る一滴。核心をつくひと言に、エトは表情を曇らせるしかない。
ワインのしずくはまるで血のように真っ白な布に染み込んでいく。
「痛いところをついてしまったかな?すまない。」
「う、ううん……」
気遣うような笑みのレイ。草原のように優しい緑の瞳が細められ、彼は囁いた。
「……エトは、プゥのどんなところが好きなんだい?」
「え?」
とくんとくんと、心臓が駆け足になる。レイの瞳から逃げられなくて、彼女は口籠りながら答えていく。
長くてさらさらな髪。誰にでも優しいところ。女性みたいに綺麗なのに、戦っている時は男性らしい頼もしさがあるところ。
まだたった数ヶ月の旅。けれど山の中の村しか知らなかったエトにとって、そのどれもが輝いていた。プゥが手を引いてくれたから出会った景色と、出会った人々。
プゥが、エトの世界を広げてくれた。
そんな想いを言葉にすると、彼女の心にじわりと広がる甘さ。
その甘味に豊潤な香りをまとわせるように、先程のレイの言葉がすとんと胸に落ちた。
(あぁ、私……プゥのこと、好きなんだ……)
強く手を握りしめる。やっと気づいた恋は、同時に砂のように崩れていく。
(私……お姫様じゃない、のに……)
レイは本当に、エトの心に言葉を添えるのが上手かった。
「たっぷり寝たから、きっと今夜は眠れないだろう?」
「……?」
そこへ、ワイングラスを傾けた貴族様が歌うように口を開く。その囁きにエトが首を傾げると、レイはニヤリと怪しく笑った。
「少し夜更かしをして、俺と共に、待ちぼうけの仕返しをしないか?」
「仕返し?」
「そう。花のように愛らしいエトを、こんなに長い間放っておくんだ。彼らにちょっとイタズラをするくらい、当然許されると俺は思うぞ。」
そして彼は、エトの手をとり指先にキスをする。
「俺が悪役を演じてあげよう。……プゥの本音を、聞きたいだろう?」
蝶を誘うような甘い香りのする言葉。そこに含まれる毒に気付かないまま、エトワールは彼からの誘惑に頷いていた。
to be continued...
「は、は、はい……!!」
部屋から探し出した手鏡を両手で握りしめて答えるエトワール。
プラータやカロン、ハリスのような鮮やかな戦闘は出来ないが、武器が何もないのも不安すぎる。はやる心臓に盾をかざすように、手に力がこもった。
「エトワール、俺だよ。レイだ。」
「レイ……!?」
だが、向こうから聞こえた声に彼女の身体からホッと力が抜けていく。あれほどびくともしなかった扉が、するりと開いた。
「やあ。よく眠れたかい?」
「うん……。でも、あの、ここは……?」
まるで毎朝の挨拶だ。流れるように返事をしてしまってから、エトワールは慌てて彼に問いかけた。
するとレイは、カフェと変わらない穏やかさで応える。
「俺の屋敷だ。大きいから、君が迷子になってはいけないと思って鍵をかけてしまっていた。すまない、驚かせたね。」
「そう、なの……?」
戸惑う彼女の視界に映る、扉から続いている長い廊下。その道幅は故郷の村の舗装道より広そうだ。
確かに、例え扉が開いていたとしても、彼女が1人で出ていくのは勇気が要る。
「君の待っていた友人からは、もう少し時間がかかると聞いたよ。彼らの用事が終わったら、ここに迎えに来てくれる。安心して?」
「プゥが……?」
「あぁ。」
彼の言葉に、エトワールの表情に影が差した。思った以上に長いショッピングだ。
放っておかれる寂しさの中に混ざる、安心。迎えが待ち遠しいような、来てほしくないような……。
「エト」
「……!」
柔らかい声に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。するとレイはそっと、彼女の手をとった。
「疲れただろう?待ちぼうけの間に寝てしまうほどだ。ゆっくりシャワーでも浴びてくつろいでから……一緒に、夕食でもいかがかな?」
魅力的な誘い。プラータ達もいずれここに来ると言うのなら、きっと今晩はレイのお屋敷に泊まるのだろう。それなら、先に彼の言葉に甘えても問題はない。
エトワールはそう判断し、笑みを作った。
「うん……そうしようかな。ありがとう、レイ。」
彼女は完全に、レイ——レイブン・ド・ファントルノを信用しきっていた。
ーーー
迷うといけないから。レイのその言葉の通りだった。いったいこのお屋敷は、ユーリの家の何倍なのだろう。
温かい湯でのお風呂は、旅の中では久しぶりだった。そのうえ肌触りのいい寝間着を借りてしまい、逆に落ち着かない。
通された広間には、豪華な料理がずらりと並ぶ大きなテーブル。レイと二人だけで囲むには贅沢すぎて、エトワールは落ち着かなかった。
「レイも……貴族、様……なんだね……」
「ん?あぁ、そうだよ。」
身体を小さくしながら、味のしない料理を口に運ぶ。無音に耐えきれずに尋ねれば、当然のような返事が返ってきた。
聞かなくても分かることだ。それ故、会話終了。
美味しいはずの食事をもそもそとしていると、レイの優しい声がした。
「エトは、プゥが好きなのかな?」
「んぐ…!?」
声音に見合わぬ衝撃の言葉。エトはお肉を喉に詰まらせそうになってしまった。どうにか、水で飲み込んでいく。
「……れ、レイは……あの、プゥとこと、えっと……」
どこまで知っているのだろう。一応、プラータはお忍びの身だ。カロンもそばにいない以上、彼女の口からどこまで話していいのかわからない。
しどろもどろしていると、レイは柔らかく微笑んだ。
「安心していいよ。新聞や噂からだが、追放の件は知っている。彼がプラータ殿下だろう?」
「……うん……」
ほっ、と胸をなで下ろす。同時に浮かんだのは、とある疑問。
「貴族様たちは……プゥのこと、見ただけで王子様って分かるの?」
「そうだね。」
即答。そして何でもないことのように、レイは言葉を続ける。
「特に白銀の髪は、王家の者の特徴だ。貴族でなくても、見ただけで分かる者は沢山いる。」
「そう……なんだ……」
その事実に、エトの手が止まる。脳裏に浮かんだのは、初めて会った時のプラータの姿。
彼が頭巾を深く被っていたのは、王子の証を隠すためだったのだ。
自分は田舎者だと、改めて胸に突き刺さる。
彼のダイヤのような髪で王子と分かるだなんて、彼女は思ってもいなかったのだから。
「……君の憂いは、」
「……?」
コポポ、と優雅に彼の手から注がれるぶどう酒。
「王子様との身分差……」
「っ……!」
きゅ、とビンから滴る一滴。核心をつくひと言に、エトは表情を曇らせるしかない。
ワインのしずくはまるで血のように真っ白な布に染み込んでいく。
「痛いところをついてしまったかな?すまない。」
「う、ううん……」
気遣うような笑みのレイ。草原のように優しい緑の瞳が細められ、彼は囁いた。
「……エトは、プゥのどんなところが好きなんだい?」
「え?」
とくんとくんと、心臓が駆け足になる。レイの瞳から逃げられなくて、彼女は口籠りながら答えていく。
長くてさらさらな髪。誰にでも優しいところ。女性みたいに綺麗なのに、戦っている時は男性らしい頼もしさがあるところ。
まだたった数ヶ月の旅。けれど山の中の村しか知らなかったエトにとって、そのどれもが輝いていた。プゥが手を引いてくれたから出会った景色と、出会った人々。
プゥが、エトの世界を広げてくれた。
そんな想いを言葉にすると、彼女の心にじわりと広がる甘さ。
その甘味に豊潤な香りをまとわせるように、先程のレイの言葉がすとんと胸に落ちた。
(あぁ、私……プゥのこと、好きなんだ……)
強く手を握りしめる。やっと気づいた恋は、同時に砂のように崩れていく。
(私……お姫様じゃない、のに……)
レイは本当に、エトの心に言葉を添えるのが上手かった。
「たっぷり寝たから、きっと今夜は眠れないだろう?」
「……?」
そこへ、ワイングラスを傾けた貴族様が歌うように口を開く。その囁きにエトが首を傾げると、レイはニヤリと怪しく笑った。
「少し夜更かしをして、俺と共に、待ちぼうけの仕返しをしないか?」
「仕返し?」
「そう。花のように愛らしいエトを、こんなに長い間放っておくんだ。彼らにちょっとイタズラをするくらい、当然許されると俺は思うぞ。」
そして彼は、エトの手をとり指先にキスをする。
「俺が悪役を演じてあげよう。……プゥの本音を、聞きたいだろう?」
蝶を誘うような甘い香りのする言葉。そこに含まれる毒に気付かないまま、エトワールは彼からの誘惑に頷いていた。
to be continued...



