ルーナ・プルタルコスは、自身の執務室で黙々と仕事をしていた。
彼女はウスタシュ・プルタルコス宰相の娘だ。いずれ双子の王子どちらかと結婚して王妃になることを幼い頃から期待され、そうなるべく努力を積んできた才女。
文武両道、才色兼備な彼女を「社交界の華」と言って慕う者も多い。
20歳を超えてなお婚約者が決まらないとなれば、浮足立つ男がいるのも致し方ないことだろう。
そんな彼女へ、副官が声をかけてきた。
「プルタルコス大佐。ファントルノ侯爵より、通水魔術での通信です。」
「ファントルノ侯爵から?」
突然の連絡に、ルーナは首をかしげた。ファントルノ侯爵とは、北領の領主だ。三大侯爵家のひとつであり、国内の犯罪者の処刑、王家に害となる者の排除といった、日陰の仕事も統括している家。
現在の当主は、ルーナとも歳が近い。しかし、社交界以外で話したことは殆ど無い。そんな人物が、一体なんの要件だろうか。
懸念を抱きつつ、ルーナは通信を繋いだ。
浮かび上がる魔術の雫。その向こうに映るのはやはり、顔立ちがよく整った20代前半の青年。
彼が、当主のレイブンだ。
「お久しぶりです、ルーナ様。春らしくなって参りましたが、お元気でしょうか。」
そんなありきたりな挨拶をしてくるレイブンに、呆れながらルーナは答えた。
「お久しぶりね。下らない挨拶は要らないから、要件を貰えるかしら?」
「これは手厳しい。流石は大佐殿。では、僭越ながらご報告を。」
そう言って彼が映し出したのは、とある写真だ。
薄い氷板に風景を投影させた記録魔術。
そこに映っていたのは、プラータと従者のカロン。
そして、プラータと親しげに話す見知らぬ平民の女性だった。
「誰よこの女!」
ルーナは思わず、叫び声と共に椅子を倒す勢いで立ち上がってしまった。
ハッとした彼女は、咳払いをひとつ。平静を装って、レイブンへ問いかけた。
「失礼。…ファントルノ侯爵、これは何?」
余裕ありげな笑みを浮かべたまま、レイブンは答えた。
「お察しのとおり、プラータ殿下です。もう1人の青年は、恐らく従者殿でしょう。そして…一緒に居るレディは、恐れながら私も存じあげません。つまり、彼女は相当田舎の平民なのでしょう。この私がわからないのですから。」
自信満々なその言葉。ルーナは斜に構えてそれを聞いていた。
「まるで、田舎娘じゃなければわかるとでも言いたげね。」
「当然でしょう。自分の領地のご令嬢のことは身分を問わず把握していますよ。」
ルーナの皮肉に、全く臆せず返すレイブン。
彼は女好きと噂されていたと思い出して、ルーナはため息をついた。
「王子妃第一候補であるルーナ様からすれば、この平民の娘は立ち位置を弁えない泥棒猫も当然。王子に対して平民がこの態度となれば、不敬罪にも相当します。」
そう言いながらレイブンが見せる氷板には、やたらと距離の近いプラータと黒髪の平民女性の姿。
どの写真も隣り合わせ。プラータに抱きついてるものや、彼の頬に女性が触れているものまである。
見ているだけで、ルーナはムカムカとして気分が悪い。
「宰相閣下に報告したところ、彼女に関する処遇はルーナ様にお任せするとのことでした。いかがいたしましょう?」
「お父様が?」
レイブンの言葉に、ルーナは思案した。
てっきり、プラータの追放は宰相である父の指示でシルヴァラが行ったものかとルーナは思っていた。
しかし、その父があの平民女性に不敬罪の適応を考えているならば、父はプラータのことを王子と認めていることになる。だとすれば、ルーナの推測は見当外れだ。
もしそうなら、本当にあのシルヴァラがプラータを追い出したというのか。
追放から1ヶ月経ってもまだ、ルーナは納得がいかなかった。
「…そうね。」
返事のように、ルーナは呟く。そして通信の向こうのレイブンを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「その女をここに連れて来て頂戴。詳しい話は直接聞くわ。」
不敬罪かどうかはともかく。追放後のプラータに妙に近いこの平民の女なら、何かプラータ側の事情を知っているかもしれない。
そう考えたルーナは、北領の領主へ命令を下した。
「承知致しました。」
そう恭しく答えて、彼からの通信は終了した。
ーーー
ルーナは椅子へ深く腰を下ろす。
静かになった部屋の中、彼女の中には後から後から不満の闇が浮かんできた。
あんな平民女が、なぜプラータの隣にいるのか。
プラータは身分の分け隔てなく優しいから、それに漬け込んでいるに決まっている。
王立学園で、「王子」という彼の身分に群がってきた女子生徒と、どうせ一緒だ。
「…なんの努力もしてない小娘が、プゥの隣を歩いてんじゃないわよ…!」
思わず口をついた醜い嫉妬。
それに気付いたルーナは、己の浅はかさに嫌気がして溜め息をついた。
と、そこに響く軽いノックの音。
「どうぞ」
ハッと我に返ったルーナが対応すると、入ってきたのはシルヴァラだった。
「お疲れ様、ルーナ。まだ執務室だと聞いたから、顔を見に来たんだ。」
ポニーテールが彼の歩みに合わせて揺れる。
そんな彼の後ろからひょっこりと顔を覗かせたのは、可愛い義弟のテオだった。
「姉様、お疲れ様です!」
幼い頃から一緒の2人。彼らの登場で、ルーナの心にあったささくれは途端に鳴りを潜めてしまった。
「殿下!テオ!どうしてわざわざ。」
立ち上がり、彼らを迎えるルーナ。
そんな彼女に、嬉しそうに目を細めるシルヴァラが応えた。
「俺達しか居ないのだから、昔のようにシルでいいよ。それに、」
シルヴァラはルーナの手を取る。そして彼は、彼女の指先に優雅にキスをした。
「凛々しくて素敵なルーナの姿を、少しでもこの目に焼き付けたくて。」
「っ…」
お世辞ではないと伝わる視線。
プラータもシルヴァラも、女性を褒めるのが上手だ。それをつくづく痛感させられる。特にシルヴァラは、ここのところ顕著だ。
「ところで、ルーナはこの後の予定は決まってる?」
シルヴァラの問いかけに、ルーナは気軽に答えた。
「いいえ、特に決めておりませんわ。」
「それなら、夕食を一緒に食べないかい?」
シンプルなデートのお誘い。ルーナは微笑んで快諾した。
「えぇ、ぜひ。」
するとシルヴァラは、心底嬉しいというように顔を綻ばせた。
「ありがとう。キミの身支度が整った頃に迎えに行くよ。」
「それなら、2時間後にお願いできるかしら?」
「わかった。」
すましている彼だが、ルーナには、大型犬の尻尾が歓喜で勢いよく振られているのが見えるようだった。
プラータほど表情がコロコロ変わる訳では無い。しかしシルヴァラも、プラータに負けないくらい気持ちが素直に雰囲気に出るのだ。
しかしそれは、彼が身内と認めた数少ない人の前でのみ。だからこそ、彼を年下の幼馴染として可愛く感じる自分は特別な位置にいると、ルーナは感じていた。
「それじゃあテオ、プルタルコス邸までちゃんとルーナを送るんだよ。」
自身も支度をするのだろう。扉へ向かいながら、シルヴァラはテオへ声をかけた。
「言われなくとも!って、いや俺は殿下のおそばを離れる訳には…!」
お調子者だが生真面目なテオ。彼は主人の後を追おうとした。しかし、シルヴァラはテオへストップをかける。
「俺の家、つまり王宮はこの海軍本部から通路を通るだけだろ?だからテオの今日の仕事はもう終わりだよ。いいね!」
「そんな屁理屈な…。」
溜め息交じりのテオ。しかし、シルヴァラがルーナとテオのことを想ってそう言っていることを、テオだって分かっていた。
「承知しました。」
テオの返事に、満足気にするシルヴァラ。
そして彼は、執務室を後にした。
義弟と2人きりになると、ルーナはゆっくりと口を開いた。
「…ねぇ、テオ。シルの様子に変わったところは、ない?」
真剣な声音。もちろんテオはそれに気付いて、主人の様子を振り返った後に答えた。
「いや…特には、感じないです。どうかしたんですか?姉様。」
その返事に、ルーナは目を伏せて呟く。
「…いいえ。ないならいいのよ。」
シルヴァラと過ごす時間が1番多いのは、従者であるテオだ。その彼が言うのなら、変わったところなどないのだろう。
しかし、どうしても違和感を拭いきれない。
(幼い頃、プゥが行方不明になったとき、シルはとても寂しそうだった。泣きそうな顔をして、目に見えない敵と戦っていた。そんな人が、どうしてあんなにあっさりと追放なんて――。)
ルーナは考える。しかしこの疑問は、いまある情報では到底解決できそうになかった。
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彼女はウスタシュ・プルタルコス宰相の娘だ。いずれ双子の王子どちらかと結婚して王妃になることを幼い頃から期待され、そうなるべく努力を積んできた才女。
文武両道、才色兼備な彼女を「社交界の華」と言って慕う者も多い。
20歳を超えてなお婚約者が決まらないとなれば、浮足立つ男がいるのも致し方ないことだろう。
そんな彼女へ、副官が声をかけてきた。
「プルタルコス大佐。ファントルノ侯爵より、通水魔術での通信です。」
「ファントルノ侯爵から?」
突然の連絡に、ルーナは首をかしげた。ファントルノ侯爵とは、北領の領主だ。三大侯爵家のひとつであり、国内の犯罪者の処刑、王家に害となる者の排除といった、日陰の仕事も統括している家。
現在の当主は、ルーナとも歳が近い。しかし、社交界以外で話したことは殆ど無い。そんな人物が、一体なんの要件だろうか。
懸念を抱きつつ、ルーナは通信を繋いだ。
浮かび上がる魔術の雫。その向こうに映るのはやはり、顔立ちがよく整った20代前半の青年。
彼が、当主のレイブンだ。
「お久しぶりです、ルーナ様。春らしくなって参りましたが、お元気でしょうか。」
そんなありきたりな挨拶をしてくるレイブンに、呆れながらルーナは答えた。
「お久しぶりね。下らない挨拶は要らないから、要件を貰えるかしら?」
「これは手厳しい。流石は大佐殿。では、僭越ながらご報告を。」
そう言って彼が映し出したのは、とある写真だ。
薄い氷板に風景を投影させた記録魔術。
そこに映っていたのは、プラータと従者のカロン。
そして、プラータと親しげに話す見知らぬ平民の女性だった。
「誰よこの女!」
ルーナは思わず、叫び声と共に椅子を倒す勢いで立ち上がってしまった。
ハッとした彼女は、咳払いをひとつ。平静を装って、レイブンへ問いかけた。
「失礼。…ファントルノ侯爵、これは何?」
余裕ありげな笑みを浮かべたまま、レイブンは答えた。
「お察しのとおり、プラータ殿下です。もう1人の青年は、恐らく従者殿でしょう。そして…一緒に居るレディは、恐れながら私も存じあげません。つまり、彼女は相当田舎の平民なのでしょう。この私がわからないのですから。」
自信満々なその言葉。ルーナは斜に構えてそれを聞いていた。
「まるで、田舎娘じゃなければわかるとでも言いたげね。」
「当然でしょう。自分の領地のご令嬢のことは身分を問わず把握していますよ。」
ルーナの皮肉に、全く臆せず返すレイブン。
彼は女好きと噂されていたと思い出して、ルーナはため息をついた。
「王子妃第一候補であるルーナ様からすれば、この平民の娘は立ち位置を弁えない泥棒猫も当然。王子に対して平民がこの態度となれば、不敬罪にも相当します。」
そう言いながらレイブンが見せる氷板には、やたらと距離の近いプラータと黒髪の平民女性の姿。
どの写真も隣り合わせ。プラータに抱きついてるものや、彼の頬に女性が触れているものまである。
見ているだけで、ルーナはムカムカとして気分が悪い。
「宰相閣下に報告したところ、彼女に関する処遇はルーナ様にお任せするとのことでした。いかがいたしましょう?」
「お父様が?」
レイブンの言葉に、ルーナは思案した。
てっきり、プラータの追放は宰相である父の指示でシルヴァラが行ったものかとルーナは思っていた。
しかし、その父があの平民女性に不敬罪の適応を考えているならば、父はプラータのことを王子と認めていることになる。だとすれば、ルーナの推測は見当外れだ。
もしそうなら、本当にあのシルヴァラがプラータを追い出したというのか。
追放から1ヶ月経ってもまだ、ルーナは納得がいかなかった。
「…そうね。」
返事のように、ルーナは呟く。そして通信の向こうのレイブンを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「その女をここに連れて来て頂戴。詳しい話は直接聞くわ。」
不敬罪かどうかはともかく。追放後のプラータに妙に近いこの平民の女なら、何かプラータ側の事情を知っているかもしれない。
そう考えたルーナは、北領の領主へ命令を下した。
「承知致しました。」
そう恭しく答えて、彼からの通信は終了した。
ーーー
ルーナは椅子へ深く腰を下ろす。
静かになった部屋の中、彼女の中には後から後から不満の闇が浮かんできた。
あんな平民女が、なぜプラータの隣にいるのか。
プラータは身分の分け隔てなく優しいから、それに漬け込んでいるに決まっている。
王立学園で、「王子」という彼の身分に群がってきた女子生徒と、どうせ一緒だ。
「…なんの努力もしてない小娘が、プゥの隣を歩いてんじゃないわよ…!」
思わず口をついた醜い嫉妬。
それに気付いたルーナは、己の浅はかさに嫌気がして溜め息をついた。
と、そこに響く軽いノックの音。
「どうぞ」
ハッと我に返ったルーナが対応すると、入ってきたのはシルヴァラだった。
「お疲れ様、ルーナ。まだ執務室だと聞いたから、顔を見に来たんだ。」
ポニーテールが彼の歩みに合わせて揺れる。
そんな彼の後ろからひょっこりと顔を覗かせたのは、可愛い義弟のテオだった。
「姉様、お疲れ様です!」
幼い頃から一緒の2人。彼らの登場で、ルーナの心にあったささくれは途端に鳴りを潜めてしまった。
「殿下!テオ!どうしてわざわざ。」
立ち上がり、彼らを迎えるルーナ。
そんな彼女に、嬉しそうに目を細めるシルヴァラが応えた。
「俺達しか居ないのだから、昔のようにシルでいいよ。それに、」
シルヴァラはルーナの手を取る。そして彼は、彼女の指先に優雅にキスをした。
「凛々しくて素敵なルーナの姿を、少しでもこの目に焼き付けたくて。」
「っ…」
お世辞ではないと伝わる視線。
プラータもシルヴァラも、女性を褒めるのが上手だ。それをつくづく痛感させられる。特にシルヴァラは、ここのところ顕著だ。
「ところで、ルーナはこの後の予定は決まってる?」
シルヴァラの問いかけに、ルーナは気軽に答えた。
「いいえ、特に決めておりませんわ。」
「それなら、夕食を一緒に食べないかい?」
シンプルなデートのお誘い。ルーナは微笑んで快諾した。
「えぇ、ぜひ。」
するとシルヴァラは、心底嬉しいというように顔を綻ばせた。
「ありがとう。キミの身支度が整った頃に迎えに行くよ。」
「それなら、2時間後にお願いできるかしら?」
「わかった。」
すましている彼だが、ルーナには、大型犬の尻尾が歓喜で勢いよく振られているのが見えるようだった。
プラータほど表情がコロコロ変わる訳では無い。しかしシルヴァラも、プラータに負けないくらい気持ちが素直に雰囲気に出るのだ。
しかしそれは、彼が身内と認めた数少ない人の前でのみ。だからこそ、彼を年下の幼馴染として可愛く感じる自分は特別な位置にいると、ルーナは感じていた。
「それじゃあテオ、プルタルコス邸までちゃんとルーナを送るんだよ。」
自身も支度をするのだろう。扉へ向かいながら、シルヴァラはテオへ声をかけた。
「言われなくとも!って、いや俺は殿下のおそばを離れる訳には…!」
お調子者だが生真面目なテオ。彼は主人の後を追おうとした。しかし、シルヴァラはテオへストップをかける。
「俺の家、つまり王宮はこの海軍本部から通路を通るだけだろ?だからテオの今日の仕事はもう終わりだよ。いいね!」
「そんな屁理屈な…。」
溜め息交じりのテオ。しかし、シルヴァラがルーナとテオのことを想ってそう言っていることを、テオだって分かっていた。
「承知しました。」
テオの返事に、満足気にするシルヴァラ。
そして彼は、執務室を後にした。
義弟と2人きりになると、ルーナはゆっくりと口を開いた。
「…ねぇ、テオ。シルの様子に変わったところは、ない?」
真剣な声音。もちろんテオはそれに気付いて、主人の様子を振り返った後に答えた。
「いや…特には、感じないです。どうかしたんですか?姉様。」
その返事に、ルーナは目を伏せて呟く。
「…いいえ。ないならいいのよ。」
シルヴァラと過ごす時間が1番多いのは、従者であるテオだ。その彼が言うのなら、変わったところなどないのだろう。
しかし、どうしても違和感を拭いきれない。
(幼い頃、プゥが行方不明になったとき、シルはとても寂しそうだった。泣きそうな顔をして、目に見えない敵と戦っていた。そんな人が、どうしてあんなにあっさりと追放なんて――。)
ルーナは考える。しかしこの疑問は、いまある情報では到底解決できそうになかった。
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