選ばれた歌姫

十月も中旬の終わりになる。
「おーい、朝だぞ」
「ん〜、まだ寝る」
「ダメだ、起きろ」
「ん〜、もう少し寝たい」
今回ははなのお話をお楽しみください。
今日はステージも仕事もない平穏な日。
お互い休みということでどこか行こうと思っていた律《りつ》と、家で一日ゴロゴロベットで寝ていたいというはなの思いが全く合わずに夜が明け朝になったので律《りつ》が少し強引でありながらも、布団を綱引きのように力いっぱい引っ張り、はなもそれに負けずにシーツの中に包まって動こうとしない。
「わたしは律《りつ》とベッドでゴロゴロしたいだけ! それのなにがいけないの!」
「いや、外に出て気分転換する方が後悔しないぞ!」
「それは律《りつ》が勝手にそう思ってるだけだよ。たまにはわたしのわがままも聞いてよ!」
「わがままならいつも聞いているだろ! 毎日君の好きな物を作って食べさせて疲れた時には肩を揉んであげて…でも、おれだってわがままを言いたくなる時だってあるんだ。今日くらいおれの言うことを聞いてくれ!」
そう言って、とうとう律《りつ》が布団をバサッと大根のように引っこ抜いたら、はなが寝巻きのワンピースの中で体を縮めて固まっていた。
「…はな? なにをして」
「分かった」
「え?」
「今日は君の言う通りにする。でも、今日が終わったら明日からわたしのわがままを聞いてもらうよ」
なんという条件なのだろうか?
律《りつ》のわがままを聞く代わりに、明日から今まで通り自分のわがままを聞いてもらう…なんともずるい考えだ。
だが。
「ははっ、ありがとう。それでこそ、おれのはなだな」
満面の笑みで心から納得してはなを抱きしめる律《りつ》は本当に妻のはなを愛しているのがよく分かる光景。
「じゃあ着替えて行こうか」
「どこに行くの?」
「隣町だ」
「え、なんで?」
「そこに定食屋があるんだ。それもこの時期めっちゃ流行っているんだって、なあ、行きたいだろ?」
幼い少年みたいに興味津々で瞳をキラキラと輝かせる律《りつ》に、はなは一瞬若返ったように見えて腹が立ちそうになったが、こんなに楽しそうな夫の姿を見て少し嬉しそうに頷いた。
「う、うん。行こう」
そうと決まれば、二人は着替えや朝ご飯を食べて準備を終えてから家を出て電車で三駅目の場所で降りた先には。
「いらっしゃいませ!…って、はな様と王子様じゃないっすか!」
そう、ここは響《ひびき》のバイト先であった。
まだ十時ということで朝定食を終えてからまだそんなに時間が経っていないのでお客はそこまで多くはない。
律《りつ》と響《ひびき》は今日が初対面。
はなは何度が会場見に行ったことがあるので特に驚いていない響《ひびき》。
いつも通りニコニコっと楽しそうに両手を広げてはなを抱きしめようとしたら
「触るな」
と、大切な妻を取られることに腹を立てた夫がその両手の中にある全ての血流を止めるほどに力強く握りしめて妻を自分の腕の中に引き寄せる。
「なにをするんですか?」
ポイッとゴミを捨てるように適当に手を離された響《ひびき》は本当に血流が止められるのではないかと思って一瞬息が消えかけたが、よしよしと自分の両手を抱きしめ、ゆっくり深呼吸をしてまたニコッと笑って両手を挙げて負けを認める。
「ニッヒヒ! はいはい負けましたよ〜…っていうか、ただの冗談にそこまで警戒するのはどうかと思いますよ?」
その笑いに、律《りつ》は少しずつ力を抜いて一旦はなを離して頭を下げてこう言った。
「すみませんでした。おれはあまり冗談が分からないので、怪我していませんか?」
震える瞳で心から心配してくれる律《りつ》に、響《ひびき》はゆっくり歩いて歩いて心から嬉しそうに笑って律《りつ》の頭を撫でた。
「大丈夫っすよ! これでも二十七歳なんで、筋肉もあるし食欲もバリバリあるんで心配しないでくださいっす!」
その言葉に、律《りつ》とはなは驚いて口がカクッと開いたままこう思った。
「この人、本当に大人なのか?」
そう、誰もが聞けば驚く響《ひびき》の年齢。
だが、今はそんなことよりも。
「どうでもいい、早く中に入ろう。お腹空いた」
空腹の限界に達したはなが朝のお返しなのか? 綱引きのようにグッーと律《りつ》の服の袖を引っ張りながら強引にお店の中に入る二人の姿を見た響《ひびき》はこう思った。
「ボクも音陽《ねひ》と一緒にああいう幸せな家族になりたい」
それは叶うことのない願いでも、願うことだけでも許されるなら天声《あまごえ》も目を瞑ってくれるはず。
「さあ、なににしますか?」
接客に入った響《ひびき》がはなと律《りつ》を窓側の席に案内しメニューをテーブルに広げてまだ決まってもいないのに注文を取りに来ている。
けれど?
「わたし、このハンバーグがいい」
表紙にドーンと大きくイラストで描かれた手のひらサイズの三倍は軽く超えるほどの巨大ハンバーグに魅力を感じたはなが右手で指さすと響《ひびき》は
「はーい!」
と、元気良く笑顔でメモに書き次は律《りつ》の番だと笑顔でじっと見ている響《ひびき》。
「この店はどれも美味いっす! ハズレなんでありませんからなんでも頼んでくださいっす!」
そう言われてメニューを一秒ごとに何度も開いて見返してやっと決まったのは。
「この特盛唐揚げ定食をください」
まだまだ食欲は学生の頃と変わらず特盛なんて余裕で食べられる律《りつ》の完璧すぎる王子様スタイルの爽やかな笑顔を見た響《ひびき》はイケメンすぎて一瞬言葉を失い固まったが、気を取り直してニコッと笑って頷いた。
「はーい、ハンバーグと唐揚げですね! 少々お待ちください!」
メモに注文を書き厨房へ歩く響《ひびき》はとても楽しそうにグイッと両手を挙げてこう言った。
「ボクも負けていられないっす!」
律《りつ》と響《ひびき》は少し似ている。
食欲も歌姫に対する想いや夢。
この二人はきっと時間が経てば経つほど仲が深まるに違いない。
と、私はそう思いますよ。
さあ、どうなることやら?
「はな、お昼にこんなにたくさん食べるのはいいけど、ちゃんと夜も食べるんだぞ?」
「大丈夫。わたし結構大食いだからちゃんと食べれる。心配しないで」
「そうか。じゃあ今日はうどんにしよう。昼もも高カロリーな物を食べたら栄養が足りないからな。もちろん、デザートもある」
「なににするの?」
「ん〜、そうだな。梨のゼリーはどうだ?」
「梨…そうだね。今の季節にピッタリだよ、それがいい!」
「よし、じゃあ今日の夜はその二つで決まりだな」
「はぁ~、今日のことは忘れないよ」
「え? 急にどうした?」
「わたしの思い出に追加した。夫婦の思い出だからね」
「はな…ああ、そうだな。おれも今日のことは忘れない、永遠に」
「うん」
夫婦になったこと。
「わたしの人生に光をくれた君には感謝しかないよ」
可愛らしい花のように、今のはなの笑顔を作ったのは他でもない律《りつ》。
「…ん」



わたしの人生は最悪だった。
二歳の頃に両親だったクズに山に置いて行かれて、わたしは十八歳まで一人で生きてた。
「はな」っていう名前はわたしを捨てたクズが捨てた。
理由は今でも分からない。
食べ物は自分で用意しないと生きられない。
主に食べていたのは虫と獣と花。
最初はめちゃくちゃ抵抗があった。
だって、普通は食べない物を食べるなんて恐怖でしかなかった…なかったけど、生きるためにはこれしかなかった。
水は泥水で体は川で洗って寝床は洞窟の中。
服は獣毛皮で編んで作った物。
伸びた髪は枝を刃物みたいに鋭く尖らせてバラバラに切ってた。
「ふっ」
全然女の子らしくなかった。
当然お金がなかったから学校なんて行けなかった、行ってもイジメられるだけだって思ってたから行かなくて正解だった。
でも、ある時わたしに人生で初めてのプレゼントが降って来た。
まるで神様がわたしに一人で頑張って生きたご褒美をくれたんだって、あの時は本気でそう思った。
可愛い薔薇とキラキラな宝石が輝くわたしだけのティアラ。
こんなに素敵なプレゼントを初めてくれたわたしは最初噛んでしまった。
丈夫か気になって噛んだら崩れることも傷もつかずにただ輝きを増すだけ。
そして一緒についてた手紙があったけど、わたしは文字の読み書きができなかったからなんのためらいもなく食べた。
当然味なんてない。
ないけど、金平糖みたいに甘くておいしく感じた。
その次の日、わたしのところにある男がやって来た。
『あなたがおれの歌姫ですね。やっと会えました』
そう、この男こそ、わたしの王子様…律《りつ》だった。
この時のわたしはすごく警戒してた。
久しぶりに人間を見たこと、こいつもわたしを捨てるんじゃないかっていう恐怖。
『くっ!』
わたしは言葉が出てこなかった。
もう十年以上言葉を言うことができなかった。
だから、律《りつ》の腕に噛みついた。
でも、律《りつ》はわたしを受け入れてくれた。
『帰りましょう』
そう言われたわたしは律《りつ》の家に帰った。
だけど…。
『なによこの化け物!』
『これは人間じゃない!』
『早く元の場所に置いて行って!』
律《りつ》の家族はわたしを化け物扱いで本とか食器とか色々投げて警戒してわたしを追い出そうとしたけど。
『おれはこの人と結ばれたんだ! 絶対に手放さない!』
律《りつ》は家族に立ち向かってわたしを抱きしめて、それからわたしたちは離れの家で二人暮らしを始めた。
わたしのためにご飯を作って髪を整えて新しい服を買って文字の読み書きを教えてくれた。
『あ、あ、あ…り、律《りつ》、わ、わ、わわたしを見つけて、く、れて、一緒に、いて、くれてあ、あ、ありがと、う』
こんなぎこちない言葉でも、律《りつ》は喜んでこう言った。
『ああ、おれも君と一緒にいられて世界で一番幸せ者だ。はな、左手を出して』
『う、うん』
律《りつ》がくれた物はわたしの宝物。
この時つけてくれた結婚指輪はなによりもわたしの一番の宝物になった。
『おれと結婚してください!』
『は、はい。よ、よろしく、お願い、し、ます』
こうしてわたしたちは家族の反対を押し切り、夫婦になって今がとても幸せだよ。


「お待たせしました!」
響《ひびき》が歯を見せる豪快な笑顔でそれぞれ片手にはなと律《りつ》が注文したハンバーグと特盛唐揚げ定食を持ってきてくれた。
目の前に置かれた巨大なハンバーグにはなは瞳をキラキラと輝かせなにもためらうことなく素手でハンバーグを手に取り食べてしまった!?
「ん! 律《りつ》、これすっごくおいしいよ!」
あの頃の野生に戻ってしまったはなに、律《りつ》はやれやれとため息を漏らしながらおしぼりで口元についたケチャップを拭いてあげる。
「はな、いつも言っているだろ。外では素手で食べるのをやめなさいと?」
その言葉を聞いたはなは近くにいる響《ひびき》のちょっと気まずそうに目を逸らされたことで落ち込み、汚れた手をおしぼりで拭いて下を向く…と?
「ニッヒヒ!」
響《ひびき》が笑顔でお箸を取り、食べやすい用に一口サイズにハンバーグを切ってあげた。
「大丈夫っすよ! 食べ方なんて人それぞれ。確かに他のお客様が見たら引かれてしまうけど、この店はほぼ個室なんで、遠慮しないで好きに食べてくださいっす!」
なんとも陽気で明るいその笑顔と対応がはなにとっては新しくできた友達のように気分良く切ってくれたハンバーグを今度はお箸を持ってまた一口食べて可愛らしく花が咲くような優しい笑顔を見せる。
「とってもおいしい!」
こんなに楽しそうに食事を楽しんでくれているはなの姿をずっと見守っってきた律《りつ》にとって、響《ひびき》の存在は大きく高く友達のように仲良くなりたいと思ったのかもしれない。
だって、三人で楽しそうに会話を楽しんでいるならこれも「友達」の証になっただろう。
「響《ひびき》さん、ありがとうございます! はなを笑顔にしてくれて!」
その言葉に、響《ひびき》は笑顔を崩さず、グシャグシャと頭を撫でる。
「もう〜、王子様同士さん付けなんでいりませんよ?」
「そうですね。これからは呼び捨てにさせてもらいます」
不思議だ。
この人は人を包み込む力を持っている。
おれもはなをもっと幸せにしないとな。
「ふっ、さあ、帰ろうか」
食べ終わったはなが席から立ち上がり、律《りつ》も立ち上がってお会計を済まして二人でお店から出る。
「また来るよ」
「また来ます」
「はーい、いつでも待ってますよ!」
大きく手を振る響《ひびき》に見送られながらはなと律《りつ》は仲良く手を繋ぎながら帰り道を歩いて行く。
夫婦として。
「律《りつ》、大好きだよ!」
「ああ、おれも大好きだ!」
これからも、永遠の幸せが続きますように。