選ばれた歌姫

土曜日。
「ふふふふふっ! ほら、ご飯が食べたいならジャンプして!」
夜が明けても音羽《おとは》は目覚めない。
いや、もう目覚めることはない。
天声《あまごえ》と夜から今の朝までずっとくだらないおままごとをしている。
首輪をつけられた音羽《おとは》は四つん這いになって寝るのを禁止させられ、口も閉じることを禁止されて上手く呼吸ができない時間がもう五時間以上経ってしまっている。
朝になったということで、どこから買ってきたのか分からない塩むすびと味のない素朴なパンを紐で縛って吊るしてまるで「パン食い競争」を再現しているようだ。
「ほーら、あと一分で取らないと食べられないよ?」
一応「五分」という制限時間を作っているが、その高さは百七十センチ。
音羽《おとは》の身長は百五十センチ。
二十センチの差があるのに届くわけがない…と分かっている。
そう、天声《あまごえ》は分かった上で無理をさせている。
「ん…あっ」
必死にジャンプしても一切届くことなく、ただ体力を消耗して時間と体の期限が過ぎていくだけ。
「ふふふふふふふっ! 楽しい、こんなに楽しいおままごとは初めて!」
灯りもなく暗闇の中でおままごとをする異常時間。
音羽《おとは》の瞳も輝きを全て失い、人形みたいに瞬きも少なく生きているようには全く見えない。
「…あっ、あああ」
何度も何度もジャンプしても塩むすびとパンに齧りつくことができないままとうとう最後の一秒を切って音羽《おとは》は力尽きて倒れた。
「は、あ、あ、ううっ」
五分間無駄な体力を消耗したことが音羽《おとは》に全ての人間から見捨てられたかのような絶望的なダメージを食らって涙を流していたら。
「はぁ~、仕方ない。今回は制限時間いっぱい頑張ってくれたから、一口ずつあげる。ほら、さっさと食べて」
そう言って、天声《あまごえ》は袋を開けてそれぞれ一口ずつ千切って、ゴミを捨てるかのようにポイッと音羽《おとは》に投げて、そのまま食べた。
「ん、む、あ」
どちらも味は薄くおいしいとも言いづらいが、今の状況で言えばこれは高級レストランで出てくる一つ三万円するであろうステーキと同じ価値のあるご褒美だと、音羽《おとは》はきっとどこかでそう思ったはず。
「ふふふっ、あっ、そうだ! 次はドレスを選んであげる。わたしが今までデザイしたドレスを特別にあなたに着せてあげる。そして髪も切ってあげる」
天声《あまごえ》の不気味に今まで口元しか見えていなかったため、今こうして目が合うとゾンビのようですね。
怖〜い。


一方、午後になっても目を覚まさないことに両親は心配して医者を呼んだが
「特に異常はありません」
と、さっさと帰ってしまった。
特に苦しそうにもうなされているようにも見えていないので、両親は少し離れてリビングで目覚めのを待っている。
「ん〜、一体どうなっているんだ?」
「ええ、音陽《ねひ》はもう出かけているし、お医者様はなにもしてくれない…本当にこのまま音羽《おとは》が目覚めなかったら私ううっ!」
ショックで椅子からバタっ崩れ落ちて涙を流す母親に、父親も泣きながら抱きしめた。
「う、大丈夫だ。きっと目覚める、そう信じるしかない」
「ん、あ。ええ、そうね。音羽《おとは》は絶対に帰ってくる。信じましょう」
大切な家族に心配かけていることを音羽《おとは》は知らない、分からない。
もう誰にもどうすることもできないと思っていた時。
ピンポーンとベルが鳴り、父親が玄関の扉を開けると。
「初めまして、僕は奏《かなで》と言います。音羽《おとは》様はいらっしゃいますか?」
スーツ姿の完璧な王子様を演じている奏《かなで》がタイミング良く? 現れた。
初めて会う奏《かなで》を、父親はなんとなく察して
「どうぞ」
と、満面の笑みで歓迎する。
早速音羽《おとは》の姿を見た奏《かなで》は一瞬両親と同じように泣き崩れそうに涙を流す手前で右手で目元を拭って完璧な王子様スタイルの笑顔で父親にこう言った。
「音羽《おとは》様が目覚めるにはティアラが必要です」
何故そう言ったのか?
まず父親は母親も同じく音羽《おとは》と音陽《ねひ》が歌姫であることを知らない。
二人が別れたことも知らない。
もちろん「王子様」のことさえも知らない。
双子の兄妹は一番大切に育ててくれた両親になにも言っていなかった。
信用していないわけではない。
ただ忘れていたのか、黙っていたのか?
どちらにしても、ここに奏《かなで》が来たことで自分たちが歌姫であることを言うしかない。
そうですよ、両親に隠しごとは良くありませんからね!
「あの、音羽《おとは》はあなたとどういう関係ですか?」
その質問に、奏《かなで》は一瞬ビクッと体が震えて動揺したが、ここは正直に話すべきだと覚悟を決めてゆっくり深呼吸をして真剣に本気の眼差しを見せる。
「僕は将来音羽《おとは》様と結婚する約束をしています。王子様の僕たちは歌姫と結婚する義務があります。ですが、義務であっても、二人の意思が合わなければ結婚はしません。僕と音羽《おとは》様はお互いの意思を尊重し理解し合ったことで結婚の約束をしています。勝手なことをしている自覚はあります。反対されることも覚悟しています。もしお二人から音羽《おとは》様との縁を切ってほしいと願われたら僕はその通りにす」
「分かりました」
「え?」
「あなたが音羽《おとは》の運命の相手なら喜んで受け入れます。私たちの望みは子供たちが幸せになること…ただそれだけなんです。それが親の私たちの夢でもあるんです。来てくれてありがとうございます。これからも、音羽《おとは》のこと、よろしくお願いします」
礼儀正しく綺麗にお辞儀し、信頼して子供の音羽《おとは》を心から預けてくれる意思を感じた奏《かなで》は笑顔で頷き、握手を交わした。
「はい。必ず音羽《おとは》様を幸せにします!」
こんなに家族から愛されている音羽《おとは》ちゃんを僕がもらっていいのか分からないけど、僕は責任を持って永遠に音羽《おとは》を幸せにしてそばにいる。
だからこそ、今僕にできることをしよう。
「ティアラのクリップはどこに…あっ」
何故奏《かなで》がティアラを探しているのか?
「あった」
小学校の卒業式に撮られた卒業証書を両親に持ち、満面の笑みで写真に映る音羽《おとは》の写真立ての下にティアラのクリップが置かれていた。
その写真には音羽《おとは》だけでなく、音陽《ねひ》が映っているのだが、修正テープでその姿を一ミリも残さず消してしまっている。
奏《かなで》はその写真を見てこう思った。
「この二人はもう兄妹じゃない」
あんなに仲の良かった姉妹のようだった兄妹はお互いの存在を否定し、捨てて忘れて別々の人生を選んだ。
もう交わることのない道を今も歩いている。
「音羽《おとは》、目を覚ましてくれ」
父親の呼びがけに、奏《かなで》はクリップを手に取って音羽《おとは》の心臓の上に置いた。
「これで目を覚ますのを待ちましょう」
「これを置くことで、なにか、変わるんですか?」
「はい、このクリップは第二の心臓とも言われています」
「第二の心臓?」
「歌姫に選ばれた者はこのティアラのクリップが消えれば死に、残っていれば二つの命となる。ですので、このクリップが消えていないのであれば、音羽《おとは》様が死ぬことは絶対にありません」
あの手紙に書いてあることが正しかったらそうなるはず。
そして、約十分経ってクリップがティアラに形が変わり、自然と音羽《おとは》の頭に飾られたことである変化が起きる…それは。


「ふふふふふっ! 似合ってるよ、やっぱりあなたには黒が似合う。白なんてそんな純粋な色なんて大嫌い。今までのあなたは白ばかり着て天使みたいに人の心を包んでいたけど、ふふっ、今のあなたは悪魔のように純粋な心なんて感じない。ただのおバカさん」
渦を巻くような真っ黒な瞳こそがまさに悪魔その物。
鏡に映る音羽《おとは》はただ自分の姿だけを見て瞬きをするだけ。
なにも感じない、なにも分からない。
「あっ!」
なにを思いついた天声《あまごえ》はポケットからハサミを取り出してニコッと楽しそうに笑っているが、その笑顔はどこで間違えているのか?
「ふふっ、髪を切ったらもっと似合うからじっとしてて」
そう言って、音羽《おとは》を無理やり床にガサッと叩きつけるように座らせて、天声《あまごえ》は今まで伸ばしていた音羽《おとは》の綺麗な髪をチョキチョキっとなにも躊躇わずに切って切って、終わった時には背中まであった髪が肩よりちょっと短めに切られてしまった!
その姿を鏡で見た音羽《おとは》は意思を失っているので、なにもショックも悲しみも感じず、ただ見ているだけ。
「あ、あ、あ…ん」
足をバタバタと揺らして無意識に立ち上がろうとする音羽《おとは》を、天声《あまごえ》は自分の言うことを聞かないことに腹が立ち、頬をバシッと力強く叩き、そのまま押し倒して首輪を引っ張って両手でガシッと掴む。
「ねえ、あなたはわたしの物なんだよ。わたしの許可なしに勝手に動くなんて許さない。せっかくドレスを着せてあげたのにその態度はなんなの? ねえ、あなたはわたしを裏切らないよね? わたしを捨てないでよね!」
その怒りは真っ黒な渦が体に纏わりつくほどの痛みが天声《あまごえ》の心を蜘蛛が糸で縛るみたいに気持ち悪くなる。
「ああああああああっ! もう嫌、あなたはわたしを見つけてくれた、わたしと一緒にいてくれた。こんなに苦しくなることなんてない、一体誰がわたしを苦しめて…まさか!」
そう、そのまさかになる。



ティアラを頭に飾られたことで、音羽《おとは》の心に灯りをつけ、痛みの叫びをあげる天声《あまごえ》の声がようやく耳に聞こえた音羽《おとは》の瞳に光が差し込み、ゆっくり立ち上がって天声《あまごえ》をギューッと包み込むように抱きしめた。
「大丈夫だよ、わたしは天声《あまごえ》ちゃんとずっと一緒にいる。怖がらないでいいんだよ」
天声《あまごえ》ちゃんがわたしを独り占めにしたいっていう想いはよく分かった。
だってここは真っ暗で誰も来られない不思議な空間。
こんな場所で何年も一人ぼっちで寂しくないわけがない。
わたしも同じ立場だったら長くて一週間で限界が来てしまう…でも、天声《あまごえ》ちゃんは違う。
音羽《おとは》だけが分かってあげられること。
唯一天声《あまごえ》を見つけて羽の歌姫に選んでくれたことはなによりも誰よりも感謝している。
それがたとえ天声《あまごえ》が望んでいないことでも。
「はあ、ふ、うぅ」
叫びが涙に変わり、抱きしめられた音羽《おとは》の人間の温かい温もりに安心した天声《あまごえ》は満面の笑みで頷いて首輪を外した。
「ごめんなさい。わたしはあなたが誰かの物になることが怖い。幸せになったら二度とここに来てくれないと思ってしまったから、あなたを縛って閉じ込めてひどいことをした。許してなんて言わない。わたしはもう消え」
「それはわたしが許さない」
「え」
「簡単に消えるなんて言わないで。わたしは幸せになっても毎日ここに来ることを約束するよ。だって、こんなにわたしを好きでいてくれる人がいるんだから、わたしはその人のことを絶対に忘れない、生きている限り毎日会いに行く…もし、死んでもここに来られるなら、わたしは天声《あまごえ》ちゃんとたくさんお話したい。それなら大丈夫だよね?」
天使の微笑みのような温かな笑顔でそう問いかける音羽《おとは》に、天声《あまごえ》は心から喜んで頷き抱きしめ返す。漢字(かんじ)
「うん、うん。それでいい、わたしはもう一人じゃない。あなたが来てくれるなら毎日頑張る。だから、今日はもう帰っていいよ。そして、また明日ここに来て」
「うん、また来るよ」
「ありがとう」
そう言った天声《あまごえ》が音羽《おとは》の頬にキスをしたことで目を覚まし起きた音羽《おとは》。
「ん…」
起き上がった音羽《おとは》に、父親と奏《かなで》は大粒の涙を流しながらギューッと抱きしめた。
「おかえり、音羽《おとは》」
「待っていましたよ」
その温もりが心地良かった音羽《おとは》は抱きしめ返そうした瞬間、ベッドに夢で天声《あまごえ》から髪を切られたことを思い出し切られた髪を見て少し嬉しそうに頷いた。
「おはよう…ありがとう」
天声《あまごえ》ちゃんと一緒にいられて楽しかった。
また会いに行くから待ってて。