選ばれた歌姫

金曜日。
「おはよう」
今日も朝から笑顔で学校に登校している音羽《おとは》。
教室に入ると。
「おっ、音羽《おとは》おはよう!」
「今日も頑張ろうね」
「あんまり無理するなよ」
音陽《ねひ》と一緒ではない音羽《おとは》を心配しながらもいつも通り温かく迎えてくれるクラスメイトの何気ない会話が音羽《おとは》にとって心から感謝して笑顔で頷いた。
「みんな、おはよう!」
みんなには毎日感謝しているよ。
今までのわたしは音陽《ねひ》がそばにいてくれて守ってくれていたからなにも不安なんてなかったから、今は音陽《ねひ》がそばにいてくれなくなって…わたしは一人でなんでもできるように頑張っている。
「あなたがわたしを捨ててくれたおかげだよ」
授業が始まる前に音羽《おとは》はクラスメイトに軽く手を振って自分の席に座り、午前の授業をきちんとノートに書いて当てられたら前に出て発表をしたり休み時間になったら先生やクラスメイトに質問する…なんて完璧な学校生活を送っているのでしょうか!
そして、お昼休みになった。
「はぁ~」
ちょっと疲れた。
でも、これがきっと普通の日常だよね。
今までがおかしかった。
妹がどこまでもわたしのそばにいて離れなくて自由を感じられなかった。
「わたしって本当に、音陽《ねひ》が体の一部に入っていたんだね」
まあ、もういい。
今日は父親手作りのおにぎりを二つ食べてまた教室に戻って午後の授業を全て受けて放課後になった。
「音羽《おとは》、じゃあな!」
「また来週も頑張ろうね」
「あんまり自分を責めるなよ」
いつも通りクラスメイトが手を振って挨拶をし
「うん、ありがとう」
と、音羽《おとは》も笑顔で手を振り教室を出て靴を履いて校門から出たら。
「音羽《おとは》ちゃん」
パーカーのフードをめちゃくちゃ引っ張って伸ばして顔を隠す奏《かなで》が満面の笑みで音羽《おとは》を迎えに来ていた?
「良かった。今日も頑張ったね」
奏《かなで》が両手を伸ばして、音羽《おとは》も笑顔でその腕の中にギュッと抱きついた。
「奏《かなで》、来てくれてありがとう!」
奏《かなで》の顔を見ただけで安心して涙が出そう。
「うん、僕も君の姿が見られて嬉しい…と言っても、昨日一緒にいたから久しぶりっていうわけじゃないけどね」
音羽《おとは》から抱きついてくれたことに奏《かなで》は興奮しすぎて鼻血が出てきた。
「あ、ん…ははっ、僕の歌姫は世界一美しいよ! ああ、僕は君の王子様に選ばれてマジ嬉しい!」
ここが外であることをこの男は分かっているのでしょうか?
鼻血を出すほど喜ぶのは少し距離を置きたくなるはずが。
「ふふっ、奏《かなで》は本当にわたしのことが大好きだね」
ポケットからハンカチを取り出して鼻血を拭いてあげる音羽《おとは》は少し変わっている。
いや、音羽《おとは》は普通ではないので自分のために鼻血を出してくれた奏《かなで》のことが大好きすぎて全てを受け入れてしまった。
それは大きな原因とも言える。
だからこそ。
「ありがとう。ああ、僕はなんて幸せ者なんだろう…ずっとこうしていたいところだけど、今日はちょっと来てほしい場所があって」
「ん?」
「夜に花音《はなね》様のステージがあるので律《りつ》に二人で来てほしいって誘われたんだ」
「…へえ、花音《はなね》ちゃんのステージが見られるなら嬉しい!」
「良かった。じゃあ今から行く」
「うん! 楽しみ!」


今日の主役のはなは?
「お~い、そろそろ出番だぞ?」
「ん〜待って」
「いや、待たない」
「え〜、まだ終わってない」
「いや、そんなに食べたらステージに立てなくなるだろ?」
「…だって、甘い物を食べて集中力を高めたいと思っただけなのにそんな言い方ないよ」
「はぁ~、全く」
そう、はなはステージ前約一時間前から律《りつ》が買ってくれた今流行りのメロンパンを五個全て食べている途中だった。
そしてもう一時間近く経ったので律《りつ》は自分で後悔している。
「こうなってしまったのはおれのせいだ」
たまたま通りかかった人気店を見つけてはなが
「あれ買って」
って言うからその言葉に負けて五個も買ってしまったおれは本当にはなを甘やかしすぎているかもしれない。
なんとなく自覚はあった。
でも、はなの機嫌を損ねたら絶対にはなはステージに立たない。
「もう…」
肩の力が抜けて頭を抱えている律《りつ》に、はなは最後のメロンパンを食べ終わってからよしよしと頭を撫でて黙ってドレスに着替えてティアラを頭に飾って準備完了を腕を組んで示した。
「ほら、着替えたからさっさと立って」
少し強引に手を握るはなに、律《りつ》はドレス姿を見て一瞬で後悔から喜びに変わって満面の笑みで立ち上がりギュッと抱きしめた。
「全く君は、おれのことを操るのが得意だ」
抱きしめられた律《りつ》の腕の温もりが大好きなはなも笑顔で頬を擦り寄せる。
「ふふっ、そうだよ。君はわたしの旦那様。旦那様はわたしだけの物。だからつい意地悪を言ってしまう…ごめんね」
温かい…。
そう、わたしの旦那様は律《りつ》だけ。
他の人間なんて信用できない。
信用したらわたしのプライドが傷つく。
律《りつ》がわたしを妻にしてくれたおかげでわたしは今すごく幸せ。
だからその恩返しにステージに立つ。
「ふっ、今日も頑張るか」
「おっ、やっとやる気になってくれた」
最初からこうなってくれたら良かったのに、全くもう。
歌姫と王子様という決まった関係ではなく、もはや夫婦の何気ない会話をしているはなと律《りつ》は本当に仕事とプライベートの区切りが上手くできていない。
できていなくても、お互いのことを理解し愛し助け合っている。
お互いを顔を見合わせては笑顔で頭を撫でて撫で返しての繰り返し。
「さ、行くぞ」
「はーい」
今回ステージテーマは「関係」。
主体となるドレスの色は水色。
黄色と薔薇とオレンジの薔薇が交互に並べて上から下までリボンで飾り、もう秋になったので半袖ではなくちょっと肩が透ける長袖を作った。
そして、今回のティアラの色は水色の薔薇。
「ふふっ、今回も成功させるよ!」
「おう、その意気その意気」
二人仲良く手を繋いで扉の中に入り、生と死の間を通り抜ければそこはもうステージ。
今回は三百人の観客が来ている大きな会場。
さて、今回のステージはどんな物にするのでしょうか?
「誰かと結んだ関係は良いこともあれば悪いことも起きてしまう…けれど、わたしはあなたと出会って特別な関係を築くことこそが一番の幸せだよ」
合図と共にピンクの羽がドレスに触れることで曲がかかる。
「こんな気持ち初めて。ただ声をかけただけであなたはわたしを特別な人として選んでくれた。特別な関係になりたいと言ってくれた時、わたしはすごく嬉しかったの」
ステージの下からどんどん黄色とオレンジの薔薇が上に来てクラッカーみたいに弾けて飛んで一瞬でその薔薇たちがステージに筆を置き、大空のような水色の上にその薔薇たちが綺麗に満遍なく添えることがなによりも美しく感じる。
「はっ」
この感じ、久しぶり。
なんだか夢を見ているみたい。
わたしが描いているのに、まるでわたしじゃない他の誰かが描いているような不思議な感覚。
「そう、そうなの! わたしたちの関係は永遠に続いていく。なにも怖くない、怖いはずがない。だから、いつまでもわたしと一緒にいて」
この歌詞は誰を示しているのか?
花音《はなね》自身のことか?
それとも…なのか?
どちらにしても、このステージは誰も作ることができないのも事実。
可愛さと美しさと他の上品な言葉なんて足りないくらいにこの薔薇のステージは花音《はなね》全ての想いが込められた最高傑作が誕生した。
このステージを見た音羽《おとは》は。
「すごい、わたしにはこのステージは描けない。なんて可愛らしいの、なんて幸せそうなの…羨ましい」
この前羽音《はおん》のステージで音陽《ねひ》が口にした言葉と似たようなことを言った音羽《おとは》は全くそれに気づいていない。
やはり兄妹は無意識に同じことをしているのかもしれない。
それでも。
「奏《かなで》、わたしももっとステージに立ちたい。わたしらしくわたしだけの特別なステージを描きたい…ダメかな?」
右手で奏《かなで》のパーカーをそっと握っている音羽《おとは》が瞳を左右に揺らして暗く俯いている姿に、奏《かなで》はよしよしと頭を撫でた笑顔でこう言った。
「そうだね。君のステージは誰もが心奪われる特別な物。君がステージに立ちたいなら、僕は王子様としてエスコートする」
こんな僕で良ければ。
歌姫はステージに立ち、王子様はエスコートする。
ただ決まった関係でさえもお互いを理想とし、敬うことでより良い関係を築くことができる。
そう信じて。


また夢を見ていた。
ここは灯りのない真っ暗で居心地など良くも悪くもない不思議な空間。
そこから出て来たのは。
「来てくれてありがとう」
漆黒よりも濃い黒髪に真っ黒な長袖のワンピース。
風邪を引いたようなかすれた声の主はそう。
「天声《あまごえ》ちゃん」
音羽《おとは》だけが見て触れられる大切なひと。
だが?
「うっ! く、ああああああああっ!」
当然叫び声を上げてバタッと横に倒れて呼吸が安定せず過呼吸になっている!
「うううっ!」
初めて見る天声《あまごえ》の苦しい姿に、音羽《おとは》は走って自分の肩に抱き寄せて頭を撫でて落ち着かせる。
「天声《あまごえ》ちゃん、ゆっくり息を吸って吐いて、わたしがいるから大丈夫。さあ、吸って、吐いて」
「ふー、はぁ、ふー、はぁ、ふー、はぁ…」
ゆっくりゆっくり深呼吸を繰り返してようやく呼吸が安定した天声《あまごえ》は震える両手でそっと優しく音羽《おとは》の頬を撫でてこう言った。
「どうしてわたしのところに来てくれない?」
わたしは、どうだろう?
「寂しかった、辛かった、怖かった、どうして…」
初めて大粒の涙を流す天声《あまごえ》は心が不安定で本当に辛い状況になっていたようだ。
前髪で顔が隠れて全く表情が読み取れなくても、こんなに涙を流しているなら瞳も激しく震えているに違いないと、音羽《おとは》はコソッとゆっくり気づかれないように右手で前髪を軽く上げたら。
「え…」
瞳がグルグルと渦を巻くように真っ黒で光なんて存在しない…まるで恐怖。
「見て、しまったの」
もう隠す必要なんてないと思った天声《あまごえ》は諦めてポケットからヘアピンを取り出して左に寄せて止めた。
「見てしまったならもう分かってる?」
今までずっと隠していた秘密を知られたショックはこの世界を滅ぼす悪魔のように天声《あまごえ》の背中に薔薇の棘よりもっと刺々しく心臓をグサッとたった一回で突き刺すくらいの翼が生えたことで、音羽《おとは》は恐怖のあまり足に力が入らず膝をついて体中の震えに怯えている。
「え、どうして…」
知らなかった。
これが天声《あまごえ》ちゃんの姿。
なんて怖いの?
最初からこういうひとだったの?
もう分からない…分からなすぎておかしくなってしまいそう。
「……」
なにも言わなくなった音羽《おとは》に、天声《あまごえ》は強引に音羽《おとは》の右手を自分の目元に当ててやっと笑えるようになったのか? 笑顔を見せる。
「ふふっ、わたしの瞳を見てしまったあなたはもうわたしの物。もう二度とここから出さない。わたしと永遠にここで暮らすの」
この真っ暗な空間で誰かと暮らすことをずっと望んでいた天声《あまごえ》はまたポケットから鎖で作られた首輪を音羽《おとは》の首につけて髪がグシャグシャに寝癖がつくほどの力で頭を撫でてギューッと背骨が折れそうなくらいに押さえつけて抱きしめた。
だが、もうこの瞬間から音羽《おとは》の心は壊れて意思がなくなった。
「あ…」
こんなこと誰も望んでいないのに、天声《あまごえ》はこの百年間ずっとここで一人で居続けたことに腹が立っていたのかもしれない。
なにも悪いことなどしていないのに、誰も傷つけていないはずなのに。
誰も探してくれなかった。
誰も会いに来てくれなかった。
だからこそ、ようやく見つけてくれた音羽《おとは》を心の底から気に入って一緒にいるのが楽しくて離れたくなくて。
今自分の顔を見られたことで、距離を置かれたくなくて。
「あなたはもう永遠にここからは出られない。さあ、わたしと楽しい楽しいおままごとをしましょう!」
その言葉を言ったことで、音羽《おとは》は目覚めることが不可能となった。
「あ…、ごめ、んなさい」