選ばれた歌姫

「ふう〜、おいしかったすね」
「うん、たまには焼肉もいいかもしれない」
「おっ、じゃあまた行きましょう」
「うん」
焼肉屋で一時間ほど二人で食べて食べてお店を出てまたバスで一時間かけて北区に戻り定食屋の前で何気ない会話をしていた音陽《ねひ》と響《ひびき》。
もう今は午後十六時過ぎ。
夕日も出始める時間が来たのに音陽《ねひ》は響《ひびき》の服の裾を掴んで全く帰る気がなさそう。
「あの〜、そろそろ離してもらっていいっすか? ボクももう帰って家事をやらないといけないんで」
「ダメ」
「いや、それもう二十回は聞いたっすよ!」
音陽《ねひ》は心から家に帰りたくなさそうに地面を見つめて唇を噛んでなにか悔しそうに瞳を揺らしている。
その姿に響《ひびき》はどうすればいいか分からずため息を吐きながらも頭を撫でて心を落ち着かせて…いるつもり。
「はぁ~」
困ったっすね。
ボクのところに行く気がないなら素直に家に帰ればいいのに…もうこの人の考えてることは全く分からないっす。
でも、今は。
なにか覚悟を決めて響《ひびき》が珍しく真剣に真っ直ぐに音陽《ねひ》を見つめてこう言う。
「毎日定食屋に来てもいいんで、毎日十七時には家に帰ってくださいっす」
今の音陽《ねひ》に言えることはこれしかないと思った響《ひびき》の真剣さと思いやりの言葉が音陽《ねひ》の心に暖かな黄色の花が咲いたように嬉しくて笑顔で頷き納得した。
「分かった、そうする」
そう言って、音陽《ねひ》は軽く左手を振って家に帰って行った。
響《ひびき》は安心して力が抜けて背伸びをした。
「ん〜、明日からどうなるか分かんないけど、ボクにできることは全部やるっすよ!」
明日の二人がどうなるのか…楽しみですね。


翌日、火曜日。
「音羽《おとは》、おはよう」
「今日も一人なんだね」
「音陽《ねひ》がいないと寂しいなー」
今日も音陽《ねひ》は学校に来ていない。
もう完全に不登校になるみたいだ。
音羽《おとは》だけではない、クラスメイトも音陽《ねひ》が学校に来ないことを心配している。
「なあ、音羽《おとは》。なにも聞いてないのか?」
「家にはちゃんと帰ってるんだよね?」
「なにか話聞いてない?」
クラスメイトの繰り返される質問に、音羽《おとは》は毎回こう答える。
「ううん、おれはなにも知らない」
もう音陽《ねひ》はわたしの妹には戻らないみたい。
でも、寂しくないよ。
それがあなたが選んだことなら、わたしはなにも言ったりしない。
苦笑いで本音を隠して次の授業の教科書を机に並べている音羽《おとは》の姿もクラスメイトは心配してあえてこれ以上のことは聞かないようにしている。
音羽《おとは》と音陽《ねひ》は二つの分かれ道をそれぞれ別の方に選びその道を進んでいる途中。
音羽《おとは》は学校に行き、音陽《ねひ》はサボって響《ひびき》のバイト先の定食屋に通う。
もう二人はお互いの想いを忘れて捨てて別々の人生を送る覚悟があるようだ。
「おれはもう十分楽しかったよ」
何気ない一言でも、周りは音羽《おとは》の感情が少しずつパンの欠片を鳩にあげるようにボロボロに崩れていくことを心から気にかけて心配するしかないのかもしれない。


一方、音陽《ねひ》は?
「音陽《ねひ》さん、今日は唐揚げにしたんすね。おいしいっすか?」
「うん、すごくおいしい」
「ニッヒヒ! それは良かったっす…まあ、ボクが作ったんじゃないんでボクの自慢ではないんすけど」
「別にいいよ。君の仕事は接客でしょ、与えられた仕事をちゃんとできているんだから、それを自慢すればいいのに?」
「音陽《ねひ》さん…そうっすね! ありがとうございます!」
朝七時に定食屋に来るのがルーティン化した音陽《ねひ》は毎日違う定食を食べて瞳をキラキラと輝かせておいしそうに食べれば時間が立つとドヨッと曇った天気みたいに気分が落ちての繰り返し。
その度に響《ひびき》が励ましてくれるが…本当にこれでいいのだろうか?
「今日は何時に終わるの?」
「ああ、今日はお昼までっす。どこか行きますか?」
「うん、お昼に終わるならどこか公園に行きたい。今は秋だから紅葉が綺麗でしよ?」
「ほ〜、紅葉…もう何年も見てなかったっす」
「ねえ、行こう?」
甘え上手なのは相変わらず変わることなく可愛らしく瞳に星が宿ったように眩しくキラキラと見つめることで納得しない者はどこにもいない。
もちろん、響《ひびき》でさえも。
ついつい頭を撫でるほどにニコニコっと笑って頷く。
「はいはい、分かったっす。行きましょう」
こうして響《ひびき》の仕事が終わるのをスマホをイジって時間を潰す音陽《ねひ》。
「はぁ~」
もう、今までの写真全部消そう。
これからの私には必要ない。
さよなら、音羽《おとは》。
ポチッと全て音羽《おとは》と二人で撮った写真を消してしまった。
お菓子も誕生日も記念日もなにもかも。



それは音羽《おとは》も同じみたいで。
お昼休みになり、一人で裏庭で母親手作りのサンドウィッチを一口も食べずにスマホの写真フォルダーを眺めては懐かしみか後悔なのか? 涙を必死に瞳中に閉じ込めてゆっくり瞬きをして
「今までありがとう」
と言って全ての写真を消した。
これで、双子の兄妹をお互いの存在を忘れ捨てて別々の人生を歩んでいく。
「大丈夫、わたしは一人じゃない」
音陽《ねひ》とは関わらない。
わたしたちの絆はもう元に戻らない。
だから、もういいの。
音羽《おとは》は一度覚悟を決めたら止めることも辞めることもない。
意思の強い子。
「よし、食べて教室に戻ろう」
覚悟が決まったところでようやくサンドウィッチを口に入れて食べ終わったら教室に戻り、午後の授業を全て受け終えたら放課後の教室に夕日が差し込みクラスメイトに手を振り靴を履いていたら。
「姉さん!」
当然意味の分からない言葉を言ってきたのは…どこの誰かと同じようにフードを被って可愛い子を見つけたらヨダレを垂らして興奮する…ほどまではいかないが周りの視線など一切気にすることなくどこから走ってきたのか分からないほど大量の汗を流すのは間違いなく響《ひびき》だ。
なんの根拠もないけれど、きっと音羽《おとは》もそう思ったに違いないだろう。
ええ、そうですよね!?
「…あっ」
姉さんって、わたしのこと、だよね?
この人は確かこの前ドーナツ店で音陽《ねひ》と一緒にいた人…つまり王子様!
響《ひびき》の正体に気づいた音羽《おとは》は一瞬動揺して後ろに一歩下がり瞳が激しく揺れ動いた…が。
この人も王子様なら歌姫を守ってくれる。
だから、陽音《ひね》のそばにいてくれる。
じゃあ、悪い人じゃない。
そう、王子様は歌姫を支え守ってくれる存在。
音羽《おとは》は少しホッとして深呼吸をして手を差し伸べて、響《ひびき》は自分の存在を理解してくれたことに感謝して満面の笑みでその手を握った。
「ふふっ、陽音《ひね》のそばにいてくれてありがとうございます」
「いえいえー、ボクたちは王子様なんで当たり前っす」
「はい、わたしも感謝しています」
「ボクの方こそ、陽音《ひね》の王子様に選ばれて良かったっす…そして、今から来てくれませんか?」
「え、どこに?」
「陽音《ひね》の二回目のステージっす」
そう言った響《ひびき》がどこか悲しそうに涙をグッと唇を強く噛み締めるほど抑え込んで一生懸命堪えている姿に、音羽《おとは》は優しく頬を撫でて頷いた。
「はい、あなたがそう言うなら行きます」
まるで本物の天使を見たように錯覚を起こした響《ひびき》も首がもげる寸前まで大きく頷き、手を握ったまま二人は会場に走って向かって行った。
今回のステージテーマは「さよなら」。
陽音《ひね》の今の感情を表した最高の時となる。
「ふうー、大丈夫。私ならできる…違う、できて当然。それだけ」
ドレスの主体となる色は黄色と決まっている。
黄色に合う物はたくさんある。
だが、全てを包み込むのも黄色。
デビューステージの時と同じ風船が刺繍で縫われた暖かなドレス。
ティアラは陽だまりをイメージした小さな風船が飾られた金色。
この世界で一番価値のある代物。
さあ、ステージの幕が上がる。
「は、はあ、あ〜、お待たせしましたっす」
着替え終わった陽音《ひね》の元にきた響《ひびき》は音羽《おとは》を観客席に案内してそれからすぐに別の楽屋でタキシードに着替えたが?
「君、常に私のそばにいるべきなのに、なんで今日は離れたの?」
もう響《ひびき》と離れることに抵抗を感じて体全身を震わす陽音《ひね》は本当に寂しそう。
「君まで私から離れたら嫌…お願い、分かって」
心からの叫びをその震えた体と瞳で改めて知った響《ひびき》はゆっくり一歩一歩歩いていつもみたいにニコニコっと笑って頭を撫でてギューッと抱きしめた。
「大丈夫っす。ボクは絶対にあなたから離れません。だってボクたちは永遠に一緒にいるために選ばれたんすから」
たまにはいいことを言う響《ひびき》。
いや、これは響《ひびき》の覚悟でもあるのだろう。
「さっ、今回のステージもあなたの思うままにしてくださいっす。あなたの命が尽きても尽きた後もそばにいますからね」
その言葉と初めて耳元で甘く囁かれたことが嬉しかった陽音《ひね》も笑顔で頷き二人仲良く手を繋ぎステージへと歩いて行く。
「ねえ、私もう頑張らなくていいかな?」
「そうっすね。もう今まで誰よりも頑張ったんすから、これからはゆっくり休みましょう」
「ふふっ、そうだね」
あれから二年経った。
私、もう十分頑張ったから楽になっていいよね。
お互いの努力や想いを理解し合えることで、陽音《ひね》は心から響《ひびき》を信頼するまで成長した。
本当に、人はいつか必ず変われる。
「じゃあ、入るっす」
生と死の間を通り抜ければそこはもうステージ。
陽音《ひね》は知らない。
ここに音羽《おとは》がいることを。
知っていたらステージに立っているはずがない。
ゆっくり目を閉じて開いたら黄色の瞳が星みたいに眩く輝く。
「さよならは私の一歩。その想いは絶対に裏切らない」
合図と共に天声《あまごえ》からピンクの羽が手に贈られることで曲がかかる。
息を吸っただけでその口から黄色の花が咲き、次は手に中から手品みたいにどんどん溢れては消えてまた次には天井が夜空に変わって流れ星が流れる。
そこでようやく歌い始める。
「さよなら私の大切な人。もう会うことはないけど、あなたと出会えたこと、一緒にいたこと、喧嘩したこと…全部が私の大切な思い出」
声は低くなく高いとも言えない曖昧な歌声は普段の音陽《ねひ》と同じように感じた。
「陽音《ひね》、あなたは音陽《ねひ》には戻らないの? それとも、戻ることが分からないの?」
そう、音羽《おとは》はなんとなく気づいていた。
音陽《ねひ》と陽音《ひね》は別人。
同じようで同じではない。
言葉も瞳もなにもかもが音陽《ねひ》ではなかった。
陽だまりのような暖かな微笑み。
これはどちらもできること。
ただ、音陽《ねひ》は少し違う。
陽だまりの中に大きな優しさが込められている。
音羽《おとは》に向けるその優しい笑顔が陽音《ひね》にはできていない。
それに気づいた音羽|《おとは》だが。
「わたしは陽音《ひね》を音陽《ねひ》とは認めない」
違う道を選んだとしても、音羽《おとは》は陽音《ひね》を音陽《ねひ》を認めないことを決めた。
だって今も大粒の涙涙を流すほどに心から音陽《ねひ》がもう一度あの笑顔を向けてほしいと望んでいるのだから。
「さあ、私を忘れて、私もあなたを忘れる。それがお互いにとって一番幸せになれることだから」
この歌詞は仲の良かった友達と喧嘩し友達を辞めて別れる…という物だが、違う意味で捉えたらこれは今の音羽《おとは》と音陽《ねひ》の感情その物を表していると思えるのは私だけですかね?
「今までありがとう。さよなら」
最後は雨から晴れに変わり、黄色の風船が空を泳ぐように飛び立つことで曲が終わった。
「はあっ」
これで二回目のステージが終わった。
後悔はしてないよ。
あと八回ステージに立ったら私は死ぬからね…。
陽音《ひね》のステージが見られるのはあと八回。
それまでの道のりはもう長くない。
「音羽《おとは》、君はもう私のことなんて忘れて君の人生を歩んで。私も君のことは忘れる。それが一番いいから…」
陽音《ひね》の覚悟をよーく知った羽音《はおん》も覚悟を決めた。
「わたしのステージを魅せてあげる」
一体なにをするのか…次のお話をお楽しみに!