選ばれた歌姫

「音陽《ねひ》もこのお店に興味があったんだね」
どうしてここにあなたが来たの?
「…まあ、そうだね」
どうして君がここにいるの?
二人共目を合わせずお互いの王子様を見比べては羨ましそうに瞳を左右に揺らしている。
「…ん」
「は…」
もう会話することがないと思っていたのに、まさか同じ目的でこのお店に来ていたことがまさに偶然か奇跡なのか?
どちらにしても、今の音羽《おとは》と音陽《ねひ》はお互い顔を合わせたことに気まずさを感じてついになにも言わずに音陽《ねひ》が響《ひびき》を連れて奥の窓際の席に行き、音羽《おとは》も何事もなかったかのように笑顔でドーナツをパクっと食べる。
「奏《かなで》、このドーナツとってもおいしいよ!」
小さな口で手の平をちょっと超える大きなドーナツを手に持ち偽りだらけの笑顔で食べる音羽《おとは》に、奏《かなで》はなにを言えば分からず遠くに行った音陽《ねひ》のことを気にしながらも、今は音羽《おとは》の会話に合わせてただ頷くしかない。
「うん、おいしいね」
音羽《おとは》ちゃん、君のその笑顔は僕は好きじゃない。
でも、今の君にはその笑顔しかできないなら僕はそれに合わせるしかない。
なにもできなくてごめんね。
歌姫の音羽《おとは》を気遣ってなにもしないのも王子様の奏《かなで》だけができること。
今の音羽《おとは》と音陽《ねひ》の関係を元に戻すことなど二度と叶うことはない。
それが二人の「運命」でもあるから。
一方、音陽《ねひ》と響《ひびき》は。
「わぁー、見てくださいっす。ふわふわモチモチのドーナツがあるっすよ。どれにします?」
響《ひびき》はこういう可愛らしいお店に来たことが一度もないらしく、メニューを一人占めにするほどお気に入りになったようだ。
だが、音陽《ねひ》は全く楽しむどころか笑えずにゆっくり立ち上がる。
「君の好きな物を買って持って帰ろう」
もうここにはいたくない。
音陽《ねひ》が複雑な感情に縛られてまた泣きそうな苦しそうな姿を見た響《ひびき》も立ち上がって店員さんに二つのドーナツを注文して支払いをしてまた手を繋ぎお店を出た。
「ごめん」
「なんで謝るんすか? 今日は調子が悪いだけっすからなにも気にしないでくださいっす」
あなたのその顔を見るのはボクも辛いっすからね。
今のあなたにはボクが必要なのはよく分かったっす。
ボクのバイト先に来るほど調子が悪くなったなら、もう一層。
「ボクのところに来ますか?」
今の音陽《ねひ》の状態を心から心配してとうとう自分の居場所に誘う響《ひびき》は苦笑いを浮かべて自分でもなにを言っているのかよく分かっていない様子にも見える。
「ボクは今のあなたを変えたい。元に戻るなんてそんなの簡単じゃないっすよね。分かるっすよ、ボクも仲が良かった友達を裏切って勝手縁を切って…でもまた友達になりたいと思ってたらその友達は事故で死んで、もう間に合わなかったことを今でも後悔してるっす。けど、あなたは違う。あなたは元に戻ることも変えるチャンスはいくらでもある。ボクはずっとあなたのそばにいる、助けてほしい時は一番に助ける。もうあなたは一人にならなくていいんすよ」
その
「一人にならなくていい」
という言葉を聞いた音陽《ねひ》は今一番聞きたかった言葉でまた涙を流してしゃがみ込んだ。
「く、うっ、ああ。そうだね、う、私は一人になったと思ってた。大切な人を捨てて、く、一人ぼっちで寂しくなってきみのところに行った…あ、う、でも、まだ羽音《はおん》と元の関係には戻れない。私は最後まで羽音《はおん》の場所にはいけない」
涙は溢れるばかりで手で拭っても拭ってもどんどん止まらなくてついには響《ひびき》のズボンで涙を拭き始めた音陽《ねひ》。
「私はひどいことを言った。もう二度と取り消すことができないひどいことを言った。こんな私には誰もそばにいてくれな」
「ボクがいるじゃないっすか」
ゆっくりしゃがんで同じ目線でハンカチで涙を拭う響《ひびき》は明るく素直な笑顔を見せてくれる。
その姿に音陽《ねひ》は安心したの、自然と涙が止まった。
「君は最後まで私のそばにいてくれる? 私を捨てないでくれる?」
右手で響《ひびき》の左手をギュッと力を込めずに掴む音陽《ねひ》は期待しているように瞳をキラキラと輝かせ、響《ひびき》はそれに応えるように笑顔で頭を撫でて頷いてくれた。
「はい! ボクはあなたの物っす。いつでも好きな時に使ってくださいっす。王子様としてじゃなく、一人の男として見てもらえたらめっっっちゃ嬉しいっす!」
いつの間にか夕方になって夕日に照らされた響《ひびき》の眩しすぎる笑顔を音陽《ねひ》も陽だまりに包まれた温かな笑顔で応えた。
「うん、頼りにしてるよ」
私は君を離さない。
覚悟してよね。
二人の仲はこの一日で大地が天へと軽くトランポリンで弾き飛ぶように深まった。
「じゃあ、ボクのところには行かないっすね?」
「うん、気が向いたら行くよ」
「ニッヒヒ、今日は家に帰ってゆっくり考えてまたバイト先に来てくださいっす」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、駅まで送ります」
「うん」
まだ手を繋ぐことはないが、きっとここからさらに仲が深まったら恋人になる日も近いだろう。
その時が来るまでゆっくり待ちましょう。


家に帰った。
手を洗いうがいをして部屋に行くと疲れて眠っている音羽《おとは》がベッドで横になっている。
その姿を見た音陽《ねひ》は一瞬手を伸ばしたがすぐに下ろして自分のスペースに入って手紙を書く。
「この手紙を読む時は私の覚悟が叶った日だよ」
手紙の内容は音陽《ねひ》の思う全てのこと。
きっとこれは音羽《おとは》が悲しむことを分かった上での別れの手紙。
一体どんな内容になるのか?
「私は君だけを大切に思っていたよ」


翌日。
「いらっしゃいませって…また来てくれたんすね!」
「うん、ここの朝定食おいしかったから」
「ニヒッ、その言葉、めちゃくちゃ嬉しいっす!」
また早朝から家を出て電車に乗って響《ひびき》のアルバイト先に来たのはちょっと恥ずかしそうに体をモジモジと左右に揺らす音陽《ねひ》だ。
響《ひびき》は二日連続で音陽《ねひ》が来てくれたことが嬉しすぎて両手をバーンと高く天井に届きそうなくらいに上げて喜んだのはいいが、恥ずかしがり屋の店長がバシッと背中を叩かれたことで響《ひびき》は今仕事中であることを思い出し、丁寧に音陽《ねひ》を昨日と同じ壁に囲まれた奥の席に案内する。
「お決まりでしたらお呼びください」
メニューを渡してササッと厨房に逃げるように小走りで行った響《ひびき》に音陽《ねひ》は首を傾げて違和感を感じつつもメニューを開く。
「わあっ、色々とあって迷っちゃう」
朝とランチと夜と三十以上の豊富なメニューの中で音陽《ねひ》が選んだのは。
「目玉焼き定食をお願いします」
昨日は卵焼きで今日は目玉焼き。
きっと大好きなお菓子の中に入っているから自然と卵を選んでいるのだろう。
「お待たせしました!」
ゆっくり丁寧に置いてくれた響《ひびき》はそのまま向かい合わせの席に座った。
「ゆっくり食べてくださいっす」
「いいの? 今は仕事中なのに」
「大丈夫っす。今は休憩時間っすから」
「そう、ならいいけど」
見られながら食べるの恥ずかしい。
まあ、もう響《ひびき》と一緒にいるのに慣れたからいいよね。
最初の頃、音陽《ねひ》は響《ひびき》を嫌っていた。
口調も性格も全く自分に合わないことが嫌で嫌でずっと距離を置いていた。
でも今は、本音を話せるほどに成長して笑ったり泣いたり、感情表現ができるようになったことも大きな一歩だ。
「おいしい」
塩コショウがバランスよくかかっていてなにもかけずに食べるのもアリかもしれない。
おいしそうに箸を止めずに目玉焼きにサラダにソーセージにご飯に味噌汁。
口に入る全ての物が音陽《ねひ》の今にとってどれだけ救いとなったのか。
陽だまりのような優しく笑う音陽《ねひ》に、響《ひびき》はただ満面の笑みで見守るだけ。
「ニッヒヒ」
あなたが喜んでくれることがボクにとっては宝石よりも価値が高いっす。
姉さんと仲を取り戻すことはまだまだ難しそうっすけど、あなたの歩幅で変えていけばいいんすよ。
キラキラと輝く宝石よりも価値が高いと思う響《ひびき》の優しさもそれ以上の価値があるのは間違いないだろう。
だって、今の二人はお互いを思いやり支え合い理解し合うことがなによりも綺麗なのだから。
「ごちそうさまでした」
「おっ、今日も完食したっすね」
「もちろん、全部おいしかったからね」
明るく素直な気持ちがそのまま笑顔で表現されて音陽《ねひ》はまた響《ひびき》に心を開いた…と思っていたら。
「あっ!」
「なに? 急に大声出さないで」
「いやいや、今日は月曜日っすよ!」
「…それがなに?」
「いやいや、今日から学校なんすからこんなところにいないで早く学校に」
「しばらく行かない」
「は?」
「学校には行かない」
「なんでなんすか?」
響《ひびき》が音陽《ねひ》を学校に行かせようと両手で腕を掴んで立たせたが、音陽《ねひ》はまるで感情がない人形みたいに固まって動かず無表情でこう言う。
「私は羽音《はおん》と同じ場所に行きたくない」
もう
「お姉ちゃん」
と言わずに歌姫の名前を言うようになった音陽《ねひ》は鎖で胸が締め付けられたように心から苦しそうに涙を瞳の中で溜め込んでいる。
「…うぅ」
私は羽音《はおん》と合わせる顔がない。
もう今までの記憶も思い出も全て捨てたんだから、羽音《はおん》に会わなくていいの!
これは自分との戦い。
だから、音陽《ねひ》は席に座りその硬い意思を曲げない姿を見た響《ひびき》も座って手を握ってこう言う。
「分かったっす。あなたがその気なら、ボクに付き合ってもらうっす…初デートに」
「は…?」
今、なんて言った?
急展開すぎる言葉。
響《ひびき》は全く恥ずかしく思うことなさそうに普段と変わらずニコニコっと笑っている。
「デート、ボクと焼肉に行くっすよ」
そう言って、響《ひびき》が仕事を終えたのは午前八時。
そこからバスに乗り、約一時間で降りたのはここは南区。
南区の中でも最も賑わっている街にたどり着いた二人。
日中は特に他の街と変わらないが、夜になると色彩豊かな灯籠や飲み屋にお店の熱気が目立つある意味子供には危ない場所とも言える。
が、響《ひびき》は二十歳を超えているのでここに来ているのも悪くはないけれど?
「ほらほら、行くっすよ!」
少し強引に手を音陽《ねひ》の右手を握りササッと走ってとても楽しそうに満面の笑みで焼肉屋に向かう響《ひびき》の姿に、音陽《ねひ》はクスッと同じように楽しく笑って黙ってついて行く。
そして着いたのは
「焼肉屋だ!!」
と、めちゃくちゃシンプルかつ熱が込もりすぎている看板に音陽《ねひ》は
「おぉ〜」
と、瞳をキラキラと輝かせて興味津々。
「ここ、すごい」
「っす。さあ、早く中に入るっす」
今度は優しく手を握り直した二人はお店の中に入り、入ってすぐの窓際の席に案内されて火がつき、メニューから選んだお肉が次々と到着した。
「これ、二人で食べきれる?」
「大丈夫っす。ボクはこう見えて大食いなんで残しはしないで安心してくださいっす」
響《ひびき》は身長百五十センチちょうどで小柄で体も十三歳の音陽《ねひ》と同じような細さだが、ご飯は軽く十杯食べるほど食欲があるのでなにも問題はなさそう。
「ニヒッ、初デートには最高っすよね?」
「いや、初デートならもうちょっと雰囲気がある場所がいいと思うけど」
「まあまあ、そう言わず、ボクたちはボクたちの関係を大切にしてるっすから、なにも当たり前の常識にとらわれる必要なんてないっすよ」
「うん、確かにそうだね」
たまにはいいことを言うね。
音陽《ねひ》は響《ひびき》の優しさにちょっとずつ甘えるようになったと思う。
今までと比べたら大きな一歩だ。
「はい、焼けたっす」
「あ、ありがとう」
お皿に乗せてくれた熱々の鶏肉をふう〜と冷ましながら食べたら
「こ、これ、おいしい」
ついついおいしさのあまりクスクスっと両手を頬に当てるほど嬉しそうに食べている姿に、響《ひびき》も喜んでくれたのが嬉しくて笑顔で頷いた。
「そうっすよね。もっと食べてくださいっす」
良かった。
あなたが笑ってくれるならそれでいい。
「もうステージに立たなくてもいいんすよ」
その言葉を聞いた音陽《ねひ》は箸を置いて深くゆっくり頷いた。
「うん、私は十人目の陽音《ひね》。十回ステージに立てば私は死ぬ…」
そう、これは陽の歌姫に選ばれた使命でもあった。