選ばれた歌姫

「じゃあ、わたしは帰る」
「うん、気をつけて」
誰もが夢を抱く特別なティアラを手に入れた音羽《おとは》。
歌姫に選ばれたことで、これからの未来がどう動くのか?
それはまだ誰も知ることはない。
そう、歌姫を作る天声《あまごえ》でさえも分からないのだから。
「あっ…音陽《ねひ》のこと、忘れてた」
クリップを前髪につけて、音羽《おとは》が音陽《ねひ》を探していたら背中をポンッと叩かれて振り返った時。
「お姉ちゃん、それ…」
なにかを恐れて体中の震えと唇がガクガクと歯ぎしりのような勢いのある大きな動揺をする音陽《ねひ》。
「クククッ、どうして、お姉ちゃんまで…」
私だけで十分なのに…どうして、あの方は私たちを別れさせようとするの?
歌姫以外の者がなぜティアラが見えてしまうのか?
それはまたどこかの秋の話…。


家に着いた。
あれから兄妹は会話をせず無言のまま、せっかく遠出して楽しく服を選び合って買うはずが、音陽《ねひ》の思わぬ反応が原因で音羽《おとは》もなにも言わなかった。
最初に見つけた和菓子屋も寄らず、ただ唯一手だけは繋いでそのまま部屋に入ってそれぞれベッドに横になる。
「……」
音陽《ねひ》。
「……」
お姉ちゃん。
「…ふ」
「…は」
私(わたし)たち、このままケンカなんてしたくない。
「ん」
なんで、音陽《ねひ》はわたしのティアラが見えるの?
ううん、きっとたまたま見えただけで特に意味はないはず。
あっ、そうだ!
なにかを思い出した音羽《おとは》はバサッと勢いよく起き上がって音陽《ねひ》のベッドに移り歩いて頬を撫でた。
そして、こう言った。
「ふふっ、音陽《ねひ》聞いて。わたし、羽の歌姫に選ばれたの」
音羽《おとは》は絶対に嘘をつかない。
というか、素直すぎて色々な物から狙われやすい。
でも「羽の歌姫」という言葉を聞いた音陽《ねひ》は少しホッとして撫でられている手に擦り寄って満面の笑みで頷いた。
「うん、おめでとう。羽の歌姫なら安心だね。お姉ちゃんのデビューまでサポートさせてほしい」
落ち着いていて真剣よりもただ真っ直ぐ自分を見てくれる音陽《ねひ》の姿が愛おしくて抱き寄せて嬉しそうに可愛く微笑む音羽《おとは》。
「音陽《ねひ》、ありがとう。わたしのステージ、ちゃんと見てね」
「もちろんだよ! お姉ちゃんの祈りはきっとたくさんの人たちの心に届くよ」
歌姫は女の子だけ選ばれるはずだけど、きっとあの方はあえてその殻を壊してお姉ちゃんを選んだ…本当にひとって、ずるい生き物だよ。
歌姫の知識を密かに隠しながら勉強し尽くした音陽《ねひ》の今の顔はただ満面の笑みで誰にも気づかれないように嘘を突き通すだけ。
それがどんな結末になったとしても…兄妹の運命は変わらないだろう。
「お姉ちゃん、ドレスはなににする?」
「ドレス…」
せっかくデビューするから、あのドレスを着たい。
だけど、あのドレスは結婚式に花嫁が着るような純白の模様もないから…わたしなりにアレンジしたい。
「あっ、あの子に聞いてみよう」
天声《あまごえ》ちゃんはあのドレスをわたしにくれるみたいだから、後でまた会いに行こう。
天声《あまごえ》の居場所は誰にも分からない、知らない。
歌姫のステージにはドレスが欠かせない。
デザインは全て自由。
自分がどういうステージを描くかによってドレスのデザインを考えるのも歌姫の役目。
誰にも奪われない、奪わせない特別な存在。
「君が笑うなら、私はなにも反対しないよ。だって私は、そんな君のことが大好きだから」
「えっ? 今、なに言った?」
「ううん、なんでもない!」


眠りの夢に入った音羽《おとは》。
「天声《あまごえ》ちゃん、居るなら返事して」
昨日と同じような灯りもない真っ暗で少し空間が歪んで前も見えづらいこの場所に…。
「来てくれてありがとう。わたしはここに居るよ、ずっと」
小さく細い腕を伸ばし現れた髪が寝癖でぐちゃぐちゃに絡まったようなちょっとだらしない天声《あまごえ》の姿に音羽《おとは》は満面の笑みで両手でその手を握った。
「天声《あまごえ》ちゃん、あのねわたし、今日見たドレスをわたしにくれるって本当だよね?」
そう、天声《あまごえ》は確かに言った。
『あなたにあげる』
音羽《おとは》はその言葉を信じて食事もお風呂も全て午後八時に終わらせて眠りについた。
あの真っ白なドレス・・・本来なら結婚式で花嫁が着るような女の子の夢の形。
それを音羽《おとは》は分かっていながら自分こそが着るにふさわしいと思ってしまったのだろう。
だから、今でも。
「わたし、わたしのデビューステージにはあのドレスが必要なの。あのドレスじゃないと嫌、他のドレスなんて考えられない」
笑みも涙も一瞬で変わってしまうのは感情があるから。
音羽《おとは》の人間らしい素直な心が、天声《あまごえ》の捨てたはずの一つの感情を蘇らせる。
「ふふっ、さっきも言ったように、あのドレスはあなたにあげる。他の誰かに渡すつもりはないから安心して」
初めて出会った時とはほんの少し違うかわいらしさと嘘のない芯の強い真っ直ぐな瞳を手に戻した天声《あまごえ》の姿を見ることができた音羽《おとは》は。
「あっははは! 良かった、良かった」
少し少年のような歯を見せる豪快な笑い声を上げて安心した。
だが?
「あっでも」
「なに?」
まだなにか言いたそう。
安心したはずの音羽《おとは》がまた一瞬首を傾げて口をモゴモゴさせている姿に、天声《あまごえ》はちょっと歩いて音羽《おとは》の胸に左手でそっと触れてこう言った。
「あなたの心は楽しそうでいいこと」
「えっ?」
楽しそう?
わたしが?
なにで…あっ、そう!
言いたいことをはっきりと思い浮かばせた音羽《おとは》は両手でそっと天声《あまごえ》の肩を掴んでこう言う。
「このドレス、わたしなりにアレンジしたい!」
その言葉を聞いた天声《あまごえ》は少し下を向いた一瞬、返事よりももっと簡単に首を縦に振って頷いた。
「好きにすればいい。あのドレスはもうあなたの物なんだから」
今更止めたりしない。
あなたにあげたあのドレスはきっと、そのために残したから…多分。
全てを捨てた。
全てを捧げた。
けど、天声《あまごえ》の人生はとっくの昔に終わっている。
昔にこだわりを持っているのでなく、ただ自分の目の前にいる純粋で優しくて微笑ましい少年にある想いをかけてみようとしている?
「あのドレスがどうなってもわたしは知らない、知らなくていい」
「えっ…」
「だってあのドレスはわたしの…なんでもない」
言いたいことも叫びたいこともしない天声《あまごえ》の俯いた顔はなにかを諦めているように見えた音羽《おとは》はパッと掴んでいた両手を離してゆっくりしゃがんで右手を伸ばして天声《あまごえ》の右手を握ってキスをした。
「天声《あまごえ》ちゃん、大丈夫だよ。わたしはちゃんとあのドレスを大切にアレンジしてデビューステージに立つ」
「……」
「知らないなんてそんな悲しい言葉は言わないで。あのドレスが天声《あまごえ》ちゃんの大切な宝物なら、わたしはその宝物を人生をかけて守る」
その言葉を聞いた瞬間、天声《あまごえ》はゆっくり顔を上げてキスされた右手を見て少しだけ顔が赤く染まった。
「忘れてた。あなたは男の子。こういうことは普通する?」
「いや、これが初めて…なんか、そう言われると、わたしまで赤くなりそう」
そう言っている間にも、音羽《おとは》の頬は湯気が上がるよな真っ赤に染まってめちゃくちゃ恥ずかしそう。
「キャー、どうしよう。こんな姿、誰かに見られたら」
「大丈夫。わたしだけ見ていたら問題ない」
というか、音羽《おとは》って本当に男の子?
顔も女の子に近いし、でも、体は細いけどしっかり硬い。
声も元々の物なら…あの曲も歌えるはず。
まるで女子会のような可愛さもあり尊さもあるお菓子はないちょっと特別な空間。
「この時間が永遠に終わらなければいいのに」
きっと天声《あまごえ》はそう思っただろう。
ここに来た人間が音羽《おとは》だという事実は誰も知らない。
それこそ、知らなくていいと思っている。
だが、その時間もやがて眠りの夢から覚める音羽《おとは》との別れの時間が来る。
「あっ、もう起きちゃう。うーん、もう少しここに居たい」
めちゃくちゃ悔しそうに頬をタコみたいむうっと膨らます音羽《おとは》に、天声《あまごえ》は少し口角を上げて笑顔に近い顔でぎゅっと抱きしめる。
「ふっ、あなたっておもしろい。大丈夫、またなにかあったらわたしが今日みたいにこっそり会いに行くから、それまで我慢…できる?」
「うん、天声《あまごえ》ちゃんがわたしに会いに来てくれるならなんでも頑張る!」
「じゃあ、デビューステージを期待して見てあげる」
「うん! あのドレスは絶対に天声《あまごえ》ちゃんが納得できるようにアレンジする。楽しみにしてて」
「そうだね。待ってる、いつまでも…と言いたいところだけど、あなたのデビュー日はもう決めてある」
「えっ?」
決めてる?
待って…いつなの?
そう、歌姫を作る人である天声《あまごえ》が選んだ歌姫のデビューステージの日はティアラと一緒に送った手紙に記されているはずが…今回は直接音羽《おとは》にティアラを渡したことでデビューステージ日を伝えることをすっかり忘れていたのだ。
そして今、伝えることになったが。
「あなたのデビューステージは明日」
「えっ…あ、あああああ明日!?」
嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ?
そんなことあるのー?
突然言われた自分のデビューステージ日を知った音羽《おとは》の反応は正しい。
嘘ではないかと自分の両頬を思い切り引っ張っても、目を閉じて深呼吸しても。
これが夢であっても、そうでなくても。
歌姫に選ばれた限り、天声《あまごえ》の言うことは絶対。
なにもかも、歌姫を作る人の使命に託されているのだから。
「もうそろそろお別れ」
だが、音羽《おとは》の面白くも可愛さ十倍の反応が愛おしすぎた天声《あまごえ》は抱きしめている両手をそっと下に離してまた口角を上げて笑ったように声を変えた。
「あなたの今日の夢はここまで。明日になったら、今から教える場所に行って」
「う、うん?」
「歌姫を支えるのはいつでも王子様。あなたの王子様はあなたを迎えに来て、羽の館に連れて行く」
「ん?」
王子様ってどういう意味?
そう、お姫様を守るのは王子様の役目。
まさにおとぎ話ような夢の光景…。
それを叶えられるのも、天声《あまごえ》の考え出した答え。
だから。
「起きて行きなさい。あなたの全てをわたしに見せて」


「はっ!」
目が覚めた音羽《おとは》。
今の時刻は午前六時四十五分。
今日は日曜日。
学校が休みで昨日出かけて今日は家でのんびりするはずが、眠りの夢で見た天声《あまごえ》の不思議な数々の言葉に驚かされてつい早く目が覚めてしまった音羽《おとは》。
「んっ、全然眠くない。いつもならもっと寝たいけど、天声《あまごえ》ちゃんのおかげで眠気なんて感じない。ふふっ、本当にすごい人…あっ、そうだった。王子様が迎えに来る? んだよね」
歌姫には「王子様」という存在が必要。
家族でも友達でも恋人でさえもはるかに重要な「王子様」と呼ばれる人間はもうすぐ選ばれた歌姫の元に来る、はずなのに…。
「ダメ。音陽《ねひ》を起こすわけにはいかない」
優しい兄、思いやりの強い兄。
いつでも妹のことを大切にしてくれる兄はきっと、これからの未来でも乗り越えていけるだろう。
「わたしから会いに行けばいい」
そう言いながら、寝巻きの薄目のワンピースを脱ぎ、軽く櫛で髪を解いて後ろで一つ結びにし、緑の葉っぱが風に揺られるように描かれた黄緑色の半袖のワンピースに着替える。
鏡に映る自分の姿を見て拳を握りしめて気合い? を入れる。
「よし! 王子様がどんな人かは分からないけど、きっと悪い人じゃない」
気合い? を入れたところでピンポーンとチャイムが鳴り、音陽《ねひ》が起きる前にそそっと足音を立てずにすっとドアを開けて閉めてリビングを早歩きで通り過ぎて玄関の扉を開けたら。
「おはようございます、僕のお姫様。今日から僕があなたの王子様です」
おとぎ話から飛び出したかのような薄く毛先の細い完璧な金髪にちょっと色気の濃い紫色の瞳。
服は紺色のスーツ。
音羽《おとは》はその姿に出会ったことで、本当に自分が歌姫に選ばれたことを思い知るのだった。
「わたしがお姫様…う、嬉しい」
ふふっ、デビューステージ、楽しく頑張るから。
天声《あまごえ》ちゃん、見ててね。