選ばれた歌姫

『お前は長男なんだ。もっと頑張れ』
『あなたは私達の大切な息子よ』
『あんたがいないと寂しいから』
幼い頃から何度も言われていたどうでもいい言葉。
おれのことをなにも分からないのに、理想論だけで事を進める家族がおれは大嫌いだった。
一度もおれの気持ちなんて考えていなかった。
「息子」とか「長男」とかなんなんだよ!
そんなどうでもいいことでおれを縛るな!
おれに自由をくれ!
優秀になれば褒められる。
失敗したら成功するまで体中に叩き込まれる。
本当はおれのことなんてどうでもいいんだろ?
姉さんがモデルだからおれもなにか有名になればいいのかと思ったけど、そんなの絶対嫌だった。
おれはただ静かに普通に生きたいと…心の底からずっと願っていた。
今回は律《りつ》の心の葛藤をご覧ください。
今から五年前、律《りつ》が中学三年生の頃。
『ほら、塾に通わせたから毎度一位になれたんだ。もっと自信を持って次も頑張れ』
『ええ、あなたならなんでもできるのよ』
『いつか私と同じ道を歩むといいわ』
毎日毎日褒め言葉なのか意地悪なのか? 理由の分からないことばかりを言われていた律《りつ》はこの頃から深夜になるとこっそり家を出てただ意味もなく歩いていた。
そしたら。
『なんだこれは?』
突然空から手紙が降ってきた。
手を伸ばして受け取り、その中には真っ赤な薔薇の飾りがついた銀色の指輪が入っていた。
『これは、おれのか?』
どういう意味だ?
でも、はめたらサイズはぴったりだ。
一体なにが起きて…ん?
手紙を見たら驚きの言葉が書かれていた。
『あなたは王子様に選ばれた。花の歌姫・はなの元に行き、その歌姫があなたの結婚相手。必ずはなはあなたの全てを受け入れる。さあ、早く会いに行きなさい…って、本当か?』
おれの全てを受け入れてくれる人がこの世界に存在する…もしこの手紙の内容が本当なら会いに行く!
思い立ったらすぐに行動するのが「人間」なのだろう。
それも自分の全てを受け入れてくれる人が一人でもいるなら尚更会いたくなる。
この頃の律《りつ》にとってその言葉がどれだけの救いだったのか。
どうでもいい言葉しか言わない家族を捨てて、律《りつ》は左手薬指にはめた指輪と手紙をギュッと握りしめて、はながいる場所に走って向かう。
手紙の地図に書いてある場所は山の奥。
獣や木々が山全体を覆い隠すような誰も寄せ付けない場所にはながいるとは思えないが、律《りつ》は枝が足に刺さって血が流れても、体が泥に溺れてもなにも気にせずたどり着いた先にははながいた。
「あなたが、はな、さん?」
穴だらけのワンピースに体全身に擦り傷や打撲の跡など…いや、そんなことはともかく、はなは十歳未満のような小さな体に律《りつ》は違和感を感じた。
この人、おれよりも年上に感じるけど、この見た目で年上なら病気なのか?
体が成長しなくても、年は取っているならなにも問題はないのか?
この時からはなはとっくに成長を終えていた。
この頃のはなは十八歳。
学校で言えば高校三年生。
だが、足まで伸びた寝癖で絡まったボサボサのピンク色の髪。
前髪で微かに見える黄緑色の瞳は突然やって来た律《りつ》を警戒し睨みつけ、四足歩行で走って律《りつ》の右腕にガブッと噛みついた!
『あああっ! 痛っ!』
噛みつかれた?
おれは王子様なのに…いや、これは怖がっているんだ。
この人は誰かに捨てられてここに何年も過ごして一人ぼっちで生きて…そうだよ、突然他人が来たら噛みつくのも納得できる。
『ごめん、おれはあなたの王子様に選ばれたけど、あなたに警戒されたら王子様じゃない。もう今のことは忘れてください』
諦めよう。
せっかくおれの全てを受け入れてくれる人に出会えたのに、やっぱりおれはあんなどうでもいい家族の元にいるしかないんだ。
出会いが別れを受け入れて、痛みの涙ではなく諦めの涙を流す律《りつ》の姿を見たはなは。
『あ、ああ、な、か、な、い、で』
ゆっくり骨が浮き出ている細い腕を伸ばして律《りつ》の涙を拭うはな。
カタコトではあるが、その言葉が律《りつ》の涙を止めたのは間違いない。
『おれ、おれは、あなたの王子様になりたい、ならせてください! おれの永遠をかけてあなたを幸せにすると約束します!』
その言葉が、はなの視線を決して離さず、自分だけを見させる律《りつ》の姿が、きっとこの時のはなも嬉しかったのだろう。
だって、こんなにも可愛らしく愛おしく笑うはなも、全てを受け入れられたと確信したのだから。


十月十日。
「はな、洗濯物はちゃんと洗面所に置きなさいといつも言っているだろ?」
「ん〜、そうだったね。でも、今は酒を飲むのに忙しいから後です」
「その言葉は一時間前から変わってないぞ」
「えっ? そうだったけ?」
「そうだ。まあ、今日はステージはないからゆっくりするのは別に構わない」
「ふっ、じゃあ、今日は三缶飲んで」
「一缶だけにしなさい」
「はーい」
この何気ない会話ができるのは二人にとってはとても大きな一歩。
はなが歌姫になるまでの道のりは決して簡単ではなかった。
言葉を話せない、書けない、読めない。
当たり前のことができなかったのは全てはなを捨てた両親のせい。
はなはなにも悪くなかった。
二歳から十八歳まで山でたった一人で生きてきたのがダメだったのは仕方ないことだが、人間に噛みつくほど人間を恐れるのは重症だ。
どれだけ希望も願いも夢も諦めてしまったのかがはなにはその小さな体に砂のように飲み込めば咳が出るほどに苦しく感じるほど辛い。
だけど、今はそんなことさえも吹き消すように、言葉もご飯も体も健康に動いている。
この成長こそがはなに一番ふさわしいと誰もが思えるだろう。
けれど、二十歳を過ぎてからはなは酒に溺れているが、歌姫としてはなにも悪いところなど考えられないほどに生き生きと頑張っている。
今日は二人の休日。
どこかへ出かける考えもあったが
「せっかくの休みなんだから、君と二人で家にいたい」
と、はなからそう誘われて律《りつ》は少し違和感を感じながらも頷いて了承したのが仇になったようで?
「こら、空き缶はゴミ箱に捨てなさい。こら、食べ終わった食器は片づけなさい。こら、お菓子は座って食べなさい」
普段と変わらず説教ばかりを繰り返して全く休まることのない律《りつ》。
「はあっ」
家にいるのはダメだ。
掃除も洗濯も食事もなにもかもがおれの仕事ではあるのは変わらない。
そう、家にいるとこうなる分かっているのに、その誘いに乗ったおれは本当にバカだ。
妻の機嫌取りを考えた末にこうなることは想定していたはずなのに、もう。
ため息ばかりが口から溢れていく。
家の中とはいえ、動き続けば汗も流れてふっと一息つこうとソファに座った律《りつ》に、はなはなにかを企んで冷蔵庫からある物を持ってきて律《りつ》の口の中に入れた。
「んっ!? はな、一体なにを入れて」
「まあまあ、噛んでみてよ」
ニヤッとめちゃくちゃ面白く笑うはなに、律《りつ》はさらに違和感を感じながらも、ゆっくり口に入った物を噛むとその味は。
「こ、これは、お餅?」
「ふふっ、そうだよ。でも、ただのお餅じゃない。その中をよーく感じてみて」
そう言われてまた噛むと、その中には。
「ん、むっ、金平糖?」
「そう、当たり!」
「なんで、金平糖が」
「ふふっ、この前音羽《おとは》ちゃんがくれたんだよ。駅前に新しくオープンしたお店に面白い物があるって」
「へえ、そうか。確かに面白い、きっと見た目も面白いんだろうな」
と言いながら箱の中を開けたらさらに驚きが生まれた。
「えっ…これって、チョコレート?」
そう、見た目は四角のチョコレート。
全くお餅に見えないが。
「ふふっ、不思議だよね。見た目も味も想像できない不思議な物。わたしもいつか、このお餅みたいに誰も想像できないステージを作りたいよ」
そう言ったはなは満面の笑みでとても楽しそうに律《りつ》に体をくっつけ、律《りつ》もまた笑顔で頷き抱き寄せる。
「ああ、そうだな。君のステージはいつも想像以上で驚いてばかりだけど、このお餅みたいに、人々の心に優しく寄り添える新しいステージを作れるように、これから一緒に考えよう」
「うん、わたしの旦那様はわたしのことをだけを考えてくれる。本当に、結婚して良かったよ」
「それはこっちのセリフだ。年下のおれと結婚してくれてありがとう。おれは君と出会ったあの瞬間から君と幸せになりたいと思っていたんだ。きっとそれが一番の夢だったと思う。だから、何度でも言わせてほしい。はな、おれは君を永遠に幸せにする。生きている間も、死んだ後もずっと…おれから離れないで、一緒にいてください」
この温かい手の温もりは律《りつ》とはな、二人の人生と生涯を結んだ永遠の糸はきっと途切れることなくいつまでも繋がっていく。
家族を捨てた者、家族に捨てられた者。
「はな、今日はなにが食べたい?」
「ん〜、君が得意な物でいいよ」
「じゃあ、オムライスにしよう」
「うん! 君のオムライスはどの高級店よりもおいしいから大好きだよ」
「ははっ、そんなに褒められると照れる」
「事実を言っただけだよ」
「うん、ありがとう。それなら、デザートはイチゴのゼリーにしよう」
「やったー。君はわたしの機嫌を取るのが昔から得意だよ」
「まあ、もう五年は一緒にいるから当然だ。今から作るから待ってて」
「はーい」
夫婦になって良かったこと。
好きな人が永遠にそばにいてくれる。
愛してくれる。
大切にしてくれる。
もっとそれ以上の言葉があるけれど、おれはもうなににも縛られない。
はながおれの全てを受け入れてくれたこのお返しは、まだまだするから受け取って。
天声《あまごえ》様、おれとはなを繋いでくれてありがとうございます。
これからもずっと、見守ってください。
愛し愛される関係。
「よし、できた」
午後十九時三十分。
夜ご飯の時間になり、テーブルに並べられたオムライスは卵がふんわりと柔らかく、ケチャップは花を描き、まるでメイド喫茶に来ている感覚になる。
「ふっ、相変わらず君の料理は手がかかっていて面白いよ」
毎日こんなにおいしいご飯を作ってくれる君がわたしは好きだよ。
わたしのために尽くすその意思は尊重する。
「律《りつ》、獣だったわたしを人間に変えて結婚までしてくれてありがとう。わたしは最初から君と出会った時から君が好きだよ。本当に、ありがとう」
可愛らしさだけではない。
愛らしさと温かみを込めた笑顔ではなは律《りつ》をギュッーと思い切り抱きしめて今までの苦労など吹き消すように抱きしめた。
何度も思っていたこと。
十八歳と十五歳で出会ったはなと律《りつ》はお互いを受け入れてそばにいて幸せになる。
こんな些細なことができただけでも人生の大きな選択肢を選び通した。
はなが感謝するように、律《りつ》もその想いに応えることで二人の関係はさらに桜のように満開になること間違いなし!
「はな、おれも君と出会えて本当に良かった。これは全て天声《あまごえ》様のおかげだ。精一杯感謝しよう」
満面の笑みで抱きしめられたこの小さな手の温もりをいつまでも忘れず頬に擦り寄り、キスをした律《りつ》は本当に幸せそう。
「さっ、冷めない内に食べよう」
「うん」
椅子に座り手を合わせて
「いただきます」
と、言って一口食べたらもう頬が溶けるように二人共満足そうにオムライスを食べて気づいたらすぐに食べ終わって二人はは手を重ね合わせて笑い合う。
「おいしかった。また作って」
「ああ、もちろんだ。ゼリーを持って来る」
そう言って、ゼリーを持って来た律《りつ》だが、はなの前に置かずに自分の前に置いてこう言った。
「今日は、おれが食べさせたい」
真っ赤な薔薇よりも赤く頬を染める律《りつ》に、はなは特になにもおかしく感じず、黙って律《りつ》の膝の上に座った。
「はい、どうぞ」
全く、甘えたいならはっきりそう言えばいいのに…もう、甘えるのが下手なんだから。
年下らしい甘え方みたいだが、はなは年上としてその甘えに応えて頭を撫でて口を開ける。
「ありがとう。はい、あーん」
「ん、むっ、うん、おいしい」
何度も食べ慣れた味でも、こうやっていつもと違うことをすれば特別になる。
「ふふっ、わたしたち、これからもずっと一緒だよ」
頬に擦り寄ってキスをするはな。
抱きしめて愛を与える律《りつ》。
この二人の幸せは永遠に続く。
「君と出会えて幸せだよ」
「おれも、君と幸せになれて嬉しい」
二人の「愛」がいつまでも繋がっていきますように。