『奏《かなで》君って、本当にかっこいいよね』
『そうそう。イケメンでなんでもできるし』
『理想の存在だよ』
何度も聞き飽きた言葉の数々。
確かに僕は顔もいいし見た目通りに生きてきた。
勉強も優秀になれば褒められる。
『また一位だね』
『お前って本当にすごい奴だな』
『友達になれて良かった』
みんな本当の僕を知らないからそんな適当なことが言えたんだ…。
今回は奏《かなで》の過去をご覧ください。
僕は空っぽだった。
家族も僕の見た目がいいからとなんでもさせた。
塾も水泳も茶道だって…大人になったらなんの使いようもないことばっかりさせられてなんの意味があった?
僕はただ言われた通りに生きてきた。
反対すれば悪い方向になるとあの時そう思い知った。
『お前、今回のテストは二位だったそうだな!』
『塾に通わせているのに、なんでそれを生かさないのよ!』
小学生の頃、実はあの時熱が出てテストに集中できなかった…なんて言おうと思ったけど、もうそれを言えないほど辛くて苦しくて最悪だった。
それから僕は両親とは縁を切っていとこの家に引っ越した。
いとこは僕の一つ年上で信頼できる人だったけど、ある日突然僕をベッドに押し倒してこう言った。
『実は俺、男が好きなんだ。だから、抱かせて』
初めて言われた告白だっけど、でも、怖かった。
このままなにかされたら後戻りできない気がしてそのまま家を飛び出して逃げた。
もうその時は高校生だったから、こっそりバイトをしていた給料でアパートを借りて一人暮らしを始めた。
『なんで、みんな、僕の見た目だけで寄ってくる? 本当の僕を知らないくせに!』
毎日イライラしていた。
でも、そんな時元妻に出会った。
『私、奏《かなで》君のこと好きになったの。お願い、私と付き合って』
その言葉は僕にとって諦めだった…けど、もうどうでも良くなって付き合うよりも結婚した。
そしたら、僕が二十歳になって毎日酒を飲んで寝転がってる姿を見た元妻は僕を人間として見ずにこう言った。
『あなたって、見た目だけで生きてきたのね。最低!』
そう言われても、僕は特になにも感じなかった。
頬を叩かれて離婚届を書いて家を出て行った元妻を追いかけることなく…なんとなく、全てから解放された気がした。
『ああ、は、うう、これが自由。僕はもう誰の物にもならない』
ここから僕は自由に生きた。
十月五日。
「なにを買おうか」
今日は木曜日。
スーパーに立ち寄って買う物は決まっている。
お酒におつまみに唐揚げ。
栄養不足の物を好んで食べる。
こんなところ、もし音羽《おとは》ちゃんに見られたらがっかりするかな?
「はぁ~、音羽《おとは》ちゃんに会いたい」
口を開けば音羽《おとは》のことしか言っていない。
王子様に選ばれて結婚の約束をして浮かれて…本当にこの男は幸せ者だ。
「ちょっとなにか足そう」
そう言って、珍しく野菜コーナーに行って一つだけりんごを手に取り、そのままレジでお会計をしてスーパーを出た奏《かなで》。
「ふー、平日休みでも、音羽《おとは》ちゃんが居ないなら意味ないよ」
子供みたいに「む〜」とちょっと機嫌悪そうに頬を膨らませる奏《かなで》は少し変わっている。
「む〜、音羽《おとは》ちゃんに会いたいよ〜」
服装はパーカーを被って顔を隠し、ズボンは所々ほつれていてだらしない。
本当に王子様なのかと疑うくらいにヤバイ奴。
「はあ、帰ろう。帰って酒飲んで寝よう」
独り言をブツブツと呟きながら右手の小指にレジ袋を持って歩き出したら。
「あっ、奏《かなで》」
聞き覚えのある声に気づいた奏《かなで》は首を思い切り左右に振って声の主を探したらそこには。
「音羽《おとは》ちゃん!?」
なんと学校帰りの、それもブレザー姿のレアな音羽《おとは》と偶然会ってしまった!?
突然すぎる出会いに奏《かなで》は何度も瞬きをしたり頬を引っ張ったりしてもこれは現実だと思い知り、ゆっくり音羽《おとは》の目の前に立って王子様スタイルの笑顔を見せる。
「嬉しい。音羽《おとは》ちゃん、僕に会いに来てくれたんですか?」
まあ、違うと思うけど…。
期待はあっさり損になることもある。
きっと奏《かなで》の思うように苦笑いで
「違います」
と、言われるかと思ったら。
「う、うん。スーパーなら、奏《かなで》も利用すると思って覗いたらいたから…わたしも会えて嬉しい」
頬を赤く染めるほど嬉しそうに手を握ってくれた音羽《おとは》を、奏《かなで》はレジ袋落とすことなど気にせず抱きしめた。
「ありがとう。君には驚いてばかりだよ。優しい言葉、温かい手。君の全てが欲しい」
「わたしの全て…」
「ダメ?」
「ううん、ダメじゃない。男の子のわたしでも、奏《かなで》は好きになってくれた。結婚する約束をしてくれた。これ以上の幸せなんてきっと奏《かなで》がもっとくれると期待しているよ」
「音羽《おとは》ちゃん…うん、君の期待に応えられるように頑張るね!」
ああっ、僕はなんて幸せ者なんだろう。
好きな人に嬉しい言葉ばかり言われて、本当に、この人を好きになれて良かった。
二十六歳と十三歳という歳の差があっても、奏《かなで》は心から音羽《おとは》を好きになった。
好きになって、結婚する夢を抱いている。
なんとも微笑ましい関係。
「ねえ、今日、奏《かなで》の家に行ってもいい?」
「えっ」
僕の家?
どうして?
急に自分の家に行きたいと言い出した音羽《おとは》は耳まで真っ赤に染まるほど恥ずかしそうではあるが、奏《かなで》は笑顔で頷いた。
「うん、いいよ」
僕の家に来てくれるのは嬉しいけど、なにもないから大したおもてなしはできない…それでも、好きな人が家に来てくれるのは喜んでいる。
本音はまだまだ話しづらい奏《かなで》が抱きしめている手を離そうとしたら
「大丈夫」
と、音羽《おとは》が天使の微笑みで抱きしめ返す。
「わたしは奏《かなで》と二人きりの時間がずっと欲しかったの。だから、なにもしなくていいよ…というか、わたしが奏《かなで》になにかしてあげたいの」
その言葉を聞いた奏《かなで》はまた笑顔で頷いて一度抱きしめていた手をそっと離して手を繋ぐ。
「じゃあ、なにか作ってほしい」
「うん。今日はなにを買ったの?」
地面に落ちたレジ袋を上から覗く音羽《おとは》に、奏《かなで》は拾って中身を見せて音羽《おとは》はりんごを手に取ってこう言った。
「アップルパイ作るね!」
そう言って、一人でスーパーに入って行き、五分後に出て来た。
「お待たせ」
「…なに買ったの?」
「ん、アップルパイの材料」
エコバッグの中身を見たら材料とついでなのか、お団子まで買っている。
「わたしね、たまにお菓子を作るの」
「えっ!?」
音羽《おとは》ちゃん…マジすごい。
ていうことは。
「そのアップルパイ、僕も食べていいの?」
一瞬そう言われた音羽《おとは》は不思議そうに首を傾げたが、また頷いて手を繋ぎ直して走り出す。
「もちろんだよ。いつもは音陽《ねひ》と食べていたけど、今日は奏《かなで》と食べられるからすごく楽しみ!」
こんなにも純粋で素直で優しい音羽《かなで》にまた心惹かれて目が離せなくなり、満面の笑みで家に帰る。
「ふー、ここが僕の家だよ」
「すごい、一軒家に住んでいるんだね」
「うん、でも、ここは離婚してから建てたから一人は寂しいけど」
「じゃあ、わたし、いつかここに住みたい」
「えっ、いいの?」
「うん。だってわたしたちは将来結婚するんだから、ずっと一緒にいたい」
この前のプロポーズ(仮)から音羽《おとは》は積極的に奏《かなで》と一緒にいたいと思うようになった。
離れたくない、そばにいたい。
こんな些細なことでも、音羽《おとは》は奏《かなで》を選び分かり合うことで二人の距離は一瞬で縮まった。
「じゃあ、入ろうか」
「うん!」
鍵を開けて家の中に入った感想は一言で。
「すごく寂しい」
家具はテレビとソファ、冷蔵庫に電子レンジだけ。
ベッドなんてどこにも見当たらず、一体どこで寝ているのかと音羽《おとは》が気になって周りを見渡す姿を見た奏《かなで》がトントンと肩を叩いてソファを指差す。
「そのソファはベッドになるからいつもそこで寝てるよ」
まあ、ベッドなんてなくてもいい。
一人で寝るならソファで十分…おっといけない。
なにかを思い出したように奏《かなで》はそのまま音羽《おとは》の肩を掴んでキッチンに案内する。
「ここでアップルパイ、作ってほしい」
自炊もなにもしないのでピカピカに光る綺麗な場所でお菓子を作れることに感動したのか? 音羽《おとは》は満面の笑みで手を洗い、エプロンをつけて早速アップルパイを作る。
「おいしいのを作るから待ってて」
「うん、楽しみにしてるね」
なんかこれって…新婚さんみたいで嬉しいな〜。
ああっ、早く音羽《おとは》ちゃんと結婚したい。
だけど、今はまだ我慢!
「僕たちの未来はまだまだこれからだね」
元妻との新婚生活よりも、今の音羽《おとは》との関係がちょうどいいのだろう。
「奏《かなで》、起きて。できたよ」
「ん…えっ、僕、寝てた?」
考えごとばかりで疲れてソファで眠っていた奏《かなで》は壁時計が午後二十一時を過ぎていることを知り、すぐに起き上がって音羽《おとは》の両手を握って頭を下げた。
「ごめんね! 僕のせいでこんな時間になっちゃって…本当にごめんな」
「大丈夫だよ」
「えっ?」
なにが?
「わたし、今日は友達の家に泊まるって家族に言っているから奏《かなで》が謝る必要はないよ。むしろ、わたしの方こそごめんなさい。急に家に来て趣味をしてしまって」
暗く反省した顔で床を見つめる音羽《おとは》を、奏《かなで》はめっちゃブルブルと犬が濡れた体を乾かすみたいに首を横に振って否定し、同時に抱きしめた。
「ううん、そんなことないよ! 僕は好きな人が僕の家に来てくれたことがなによりも嬉しい、好きな人が作る物を食べられるなんてもっと嬉しい! 来てくれてありがとう」
僕の好きな人は君だけだよ。
『そうそう。イケメンでなんでもできるし』
『理想の存在だよ』
何度も聞き飽きた言葉の数々。
確かに僕は顔もいいし見た目通りに生きてきた。
勉強も優秀になれば褒められる。
『また一位だね』
『お前って本当にすごい奴だな』
『友達になれて良かった』
みんな本当の僕を知らないからそんな適当なことが言えたんだ…。
今回は奏《かなで》の過去をご覧ください。
僕は空っぽだった。
家族も僕の見た目がいいからとなんでもさせた。
塾も水泳も茶道だって…大人になったらなんの使いようもないことばっかりさせられてなんの意味があった?
僕はただ言われた通りに生きてきた。
反対すれば悪い方向になるとあの時そう思い知った。
『お前、今回のテストは二位だったそうだな!』
『塾に通わせているのに、なんでそれを生かさないのよ!』
小学生の頃、実はあの時熱が出てテストに集中できなかった…なんて言おうと思ったけど、もうそれを言えないほど辛くて苦しくて最悪だった。
それから僕は両親とは縁を切っていとこの家に引っ越した。
いとこは僕の一つ年上で信頼できる人だったけど、ある日突然僕をベッドに押し倒してこう言った。
『実は俺、男が好きなんだ。だから、抱かせて』
初めて言われた告白だっけど、でも、怖かった。
このままなにかされたら後戻りできない気がしてそのまま家を飛び出して逃げた。
もうその時は高校生だったから、こっそりバイトをしていた給料でアパートを借りて一人暮らしを始めた。
『なんで、みんな、僕の見た目だけで寄ってくる? 本当の僕を知らないくせに!』
毎日イライラしていた。
でも、そんな時元妻に出会った。
『私、奏《かなで》君のこと好きになったの。お願い、私と付き合って』
その言葉は僕にとって諦めだった…けど、もうどうでも良くなって付き合うよりも結婚した。
そしたら、僕が二十歳になって毎日酒を飲んで寝転がってる姿を見た元妻は僕を人間として見ずにこう言った。
『あなたって、見た目だけで生きてきたのね。最低!』
そう言われても、僕は特になにも感じなかった。
頬を叩かれて離婚届を書いて家を出て行った元妻を追いかけることなく…なんとなく、全てから解放された気がした。
『ああ、は、うう、これが自由。僕はもう誰の物にもならない』
ここから僕は自由に生きた。
十月五日。
「なにを買おうか」
今日は木曜日。
スーパーに立ち寄って買う物は決まっている。
お酒におつまみに唐揚げ。
栄養不足の物を好んで食べる。
こんなところ、もし音羽《おとは》ちゃんに見られたらがっかりするかな?
「はぁ~、音羽《おとは》ちゃんに会いたい」
口を開けば音羽《おとは》のことしか言っていない。
王子様に選ばれて結婚の約束をして浮かれて…本当にこの男は幸せ者だ。
「ちょっとなにか足そう」
そう言って、珍しく野菜コーナーに行って一つだけりんごを手に取り、そのままレジでお会計をしてスーパーを出た奏《かなで》。
「ふー、平日休みでも、音羽《おとは》ちゃんが居ないなら意味ないよ」
子供みたいに「む〜」とちょっと機嫌悪そうに頬を膨らませる奏《かなで》は少し変わっている。
「む〜、音羽《おとは》ちゃんに会いたいよ〜」
服装はパーカーを被って顔を隠し、ズボンは所々ほつれていてだらしない。
本当に王子様なのかと疑うくらいにヤバイ奴。
「はあ、帰ろう。帰って酒飲んで寝よう」
独り言をブツブツと呟きながら右手の小指にレジ袋を持って歩き出したら。
「あっ、奏《かなで》」
聞き覚えのある声に気づいた奏《かなで》は首を思い切り左右に振って声の主を探したらそこには。
「音羽《おとは》ちゃん!?」
なんと学校帰りの、それもブレザー姿のレアな音羽《おとは》と偶然会ってしまった!?
突然すぎる出会いに奏《かなで》は何度も瞬きをしたり頬を引っ張ったりしてもこれは現実だと思い知り、ゆっくり音羽《おとは》の目の前に立って王子様スタイルの笑顔を見せる。
「嬉しい。音羽《おとは》ちゃん、僕に会いに来てくれたんですか?」
まあ、違うと思うけど…。
期待はあっさり損になることもある。
きっと奏《かなで》の思うように苦笑いで
「違います」
と、言われるかと思ったら。
「う、うん。スーパーなら、奏《かなで》も利用すると思って覗いたらいたから…わたしも会えて嬉しい」
頬を赤く染めるほど嬉しそうに手を握ってくれた音羽《おとは》を、奏《かなで》はレジ袋落とすことなど気にせず抱きしめた。
「ありがとう。君には驚いてばかりだよ。優しい言葉、温かい手。君の全てが欲しい」
「わたしの全て…」
「ダメ?」
「ううん、ダメじゃない。男の子のわたしでも、奏《かなで》は好きになってくれた。結婚する約束をしてくれた。これ以上の幸せなんてきっと奏《かなで》がもっとくれると期待しているよ」
「音羽《おとは》ちゃん…うん、君の期待に応えられるように頑張るね!」
ああっ、僕はなんて幸せ者なんだろう。
好きな人に嬉しい言葉ばかり言われて、本当に、この人を好きになれて良かった。
二十六歳と十三歳という歳の差があっても、奏《かなで》は心から音羽《おとは》を好きになった。
好きになって、結婚する夢を抱いている。
なんとも微笑ましい関係。
「ねえ、今日、奏《かなで》の家に行ってもいい?」
「えっ」
僕の家?
どうして?
急に自分の家に行きたいと言い出した音羽《おとは》は耳まで真っ赤に染まるほど恥ずかしそうではあるが、奏《かなで》は笑顔で頷いた。
「うん、いいよ」
僕の家に来てくれるのは嬉しいけど、なにもないから大したおもてなしはできない…それでも、好きな人が家に来てくれるのは喜んでいる。
本音はまだまだ話しづらい奏《かなで》が抱きしめている手を離そうとしたら
「大丈夫」
と、音羽《おとは》が天使の微笑みで抱きしめ返す。
「わたしは奏《かなで》と二人きりの時間がずっと欲しかったの。だから、なにもしなくていいよ…というか、わたしが奏《かなで》になにかしてあげたいの」
その言葉を聞いた奏《かなで》はまた笑顔で頷いて一度抱きしめていた手をそっと離して手を繋ぐ。
「じゃあ、なにか作ってほしい」
「うん。今日はなにを買ったの?」
地面に落ちたレジ袋を上から覗く音羽《おとは》に、奏《かなで》は拾って中身を見せて音羽《おとは》はりんごを手に取ってこう言った。
「アップルパイ作るね!」
そう言って、一人でスーパーに入って行き、五分後に出て来た。
「お待たせ」
「…なに買ったの?」
「ん、アップルパイの材料」
エコバッグの中身を見たら材料とついでなのか、お団子まで買っている。
「わたしね、たまにお菓子を作るの」
「えっ!?」
音羽《おとは》ちゃん…マジすごい。
ていうことは。
「そのアップルパイ、僕も食べていいの?」
一瞬そう言われた音羽《おとは》は不思議そうに首を傾げたが、また頷いて手を繋ぎ直して走り出す。
「もちろんだよ。いつもは音陽《ねひ》と食べていたけど、今日は奏《かなで》と食べられるからすごく楽しみ!」
こんなにも純粋で素直で優しい音羽《かなで》にまた心惹かれて目が離せなくなり、満面の笑みで家に帰る。
「ふー、ここが僕の家だよ」
「すごい、一軒家に住んでいるんだね」
「うん、でも、ここは離婚してから建てたから一人は寂しいけど」
「じゃあ、わたし、いつかここに住みたい」
「えっ、いいの?」
「うん。だってわたしたちは将来結婚するんだから、ずっと一緒にいたい」
この前のプロポーズ(仮)から音羽《おとは》は積極的に奏《かなで》と一緒にいたいと思うようになった。
離れたくない、そばにいたい。
こんな些細なことでも、音羽《おとは》は奏《かなで》を選び分かり合うことで二人の距離は一瞬で縮まった。
「じゃあ、入ろうか」
「うん!」
鍵を開けて家の中に入った感想は一言で。
「すごく寂しい」
家具はテレビとソファ、冷蔵庫に電子レンジだけ。
ベッドなんてどこにも見当たらず、一体どこで寝ているのかと音羽《おとは》が気になって周りを見渡す姿を見た奏《かなで》がトントンと肩を叩いてソファを指差す。
「そのソファはベッドになるからいつもそこで寝てるよ」
まあ、ベッドなんてなくてもいい。
一人で寝るならソファで十分…おっといけない。
なにかを思い出したように奏《かなで》はそのまま音羽《おとは》の肩を掴んでキッチンに案内する。
「ここでアップルパイ、作ってほしい」
自炊もなにもしないのでピカピカに光る綺麗な場所でお菓子を作れることに感動したのか? 音羽《おとは》は満面の笑みで手を洗い、エプロンをつけて早速アップルパイを作る。
「おいしいのを作るから待ってて」
「うん、楽しみにしてるね」
なんかこれって…新婚さんみたいで嬉しいな〜。
ああっ、早く音羽《おとは》ちゃんと結婚したい。
だけど、今はまだ我慢!
「僕たちの未来はまだまだこれからだね」
元妻との新婚生活よりも、今の音羽《おとは》との関係がちょうどいいのだろう。
「奏《かなで》、起きて。できたよ」
「ん…えっ、僕、寝てた?」
考えごとばかりで疲れてソファで眠っていた奏《かなで》は壁時計が午後二十一時を過ぎていることを知り、すぐに起き上がって音羽《おとは》の両手を握って頭を下げた。
「ごめんね! 僕のせいでこんな時間になっちゃって…本当にごめんな」
「大丈夫だよ」
「えっ?」
なにが?
「わたし、今日は友達の家に泊まるって家族に言っているから奏《かなで》が謝る必要はないよ。むしろ、わたしの方こそごめんなさい。急に家に来て趣味をしてしまって」
暗く反省した顔で床を見つめる音羽《おとは》を、奏《かなで》はめっちゃブルブルと犬が濡れた体を乾かすみたいに首を横に振って否定し、同時に抱きしめた。
「ううん、そんなことないよ! 僕は好きな人が僕の家に来てくれたことがなによりも嬉しい、好きな人が作る物を食べられるなんてもっと嬉しい! 来てくれてありがとう」
僕の好きな人は君だけだよ。


