ほどかれた糸の結び目

彼女は、未知の世界を知りたがった。

窓の外に広がる空の青さも、風の匂いも、遠くの街の灯りも、
照りつける太陽を見ることさえ、彼女にとっては幸せだった。

だけど、彼女はすべて本の中でしか触れることができない。

だから僕は、旅に出ることにした。

彼女に世界を見せるために。
彼女がもう二度と歩けない場所を、代わりに歩くために。

彼女のいない朝焼けは、思っていたよりもまぶしかった。
目を開けていられないほど、苦しかった。
けれど、その光は確かにそこにあった。

触れられなくても、見えなくても、 それでも世界はすぐそばにある。

だから、僕は旅に出て、これを描き続けなければならない。

この景色が、この言葉が、この本が、いつか誰かの光となることを願って。

ーー桜庭 晴人「ほどかれた結び目」より


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世界は、きっと綺麗なんだと思う。

本の中で見た空は、どこまでも青くて、
物語の中の風は、やさしく私の頬をなでる。

ページをめくるたびに、知らない景色が広がっていく。

だけど私は、それを知らない。

窓の外にあるはずの光も、
遠くに続いているはずの道も、
私には少し遠すぎる。

近づけば、足がすくむ。怖くなる。

触れようとすれば、思い出してしまう。

あのときの視線も、言葉も、全部。

だから私は、ここにいる。

閉じた部屋の中で、
静かにページをめくりながら。

―それでも、

もし、外の世界に触れてしまったら。
私は、どうなってしまうのだろう。

私は、この糸を結べるのだろうか。