今年の運勢『最凶』につき

 貴方は「占い」を信じますか?

 家のインターホンを押してくる、見知らぬ中年のご婦人達が言いそうなセリフ。別に壺を売りつけたいわけでも集会に参加させたい訳でもない。特別占いが好きという訳ではなくとも、毎朝の星座占いを欠かさずに見たり、時々占いに行く様な人は少なくないと思う。
 だが、俺は否、だ。
 星座占いにも性格占いにも興味がない。占いに書いてあるものは大体、誰にでも当てはまる様に書かれている事を俺は知っているからだ。教室の隅で固まって占いの本を覗き見る女子達が馬鹿らしいとさえ思っていた。それなのに。
「……最……凶?」
 短冊型の白い半紙に大きく書かれた黒い筆文字。思わず声が漏れる。眉間に皺が寄り、目が見開かれた。
 大吉、中吉、吉、凶、なら聞いた事があった。辛うじて大凶、なんかも聞いた事がある。だが、「最凶」は聞いた事がない。
 普段ならどうでもいいと忘れてしまう様なおみくじ占いも、強烈なインパクトに俺の動きは止まる。
(まあ……いいか。早くそこら辺の木に括ってやろう。)
 おみくじは大抵木に括り付けて帰るものだ。近くの木に向かって歩き出そうとした時だった。
「待ちな。」
 しゃがれた声が背後から響く。そして腕を痣が出来そうなほど強い力で掴まれた。新年最初。高校に入学して初めての正月に俺―――一ノ瀬一は甲高い悲鳴を境内に響かせたのだった。


 元旦にも関わらず、神社は信じられない程閑散としていた。両親が「初詣の穴場」と言って俺を連れてきた神社。しかし、実際は穴場と言って擁護しているだけの荒れ果てた神社だった。母と父、そして俺の三人で鳥居の前で呆然としていると、最初に神社へと足を踏み入れたのは母だった。
「まあ、何これ?全く手入れされていないみたいよ、ボロボロじゃない。」
「人がいないにも程があるだろう、元旦だぞ?ほら、草も伸び切ってる。」
 続いて父が鳥居の下を潜る。そして俺の方を振り返って軽く手招きをした。
「ほら、一も早く来なさい。」
 てっきり呆れて帰るものだと思っていた俺は仕方なく父に続く。汚れて苔の繁茂した境内の前で簡易的なお参りを済ました後、両親の止まらない悪口を聞き飽きた俺は軽い散策を始めた。
(寒いなあ。父さんも母さんも、悪口を言うくらいなら早く帰ればいいのに。)
 ポケットに両手を入れて境内の周りをゆっくりと見て回る。人がいないのと、草のせいで入ることのできるエリアが少ない所為であっという間に俺は神社の中を一周してしまった。
 先に駅に行って親を待っていようか。その時、ふと俺の目に止まったのが小さなおみくじ箱だった。
「おみくじ?」
 拝殿の隅に、まるで誰か忘れ物かの様にひっそりと置かれたそれは鉄製で周りは錆び付いていた。日陰に佇み、箱の正面には「おみくじ 一回百円」と記されている。
 最初にも言った様に、俺は占いにもおみくじにも興味はない。ただ今日は暇を持て余していたのとちょっとした正月気分が俺を後押しした。気づけば、俺はコインをおみくじ箱のコイン入れに納めていた。
 チャリンと小気味いい音が鳴った後、下から小さな半紙が滑り落ちてくる。特に何も考えずに軽くノリのついた半紙を捲る。そしてそう、そこに書いてあったのが「最凶」の文字だった。そして、今に至るのである。

「悲鳴をあげなさんな。不審者じゃと思われる。」
 いや、突然人の腕を掴んでくるなんて不審者にも程があるでしょう。台詞に反してやけに冷静な口調に俺の頭は混乱する。
「だっ、誰ですか貴方!?」
 俺は素早く体を捩らせ、腕を振り回す。最初は掴まれていた腕も少し力が緩み、その隙に俺は腕を振り払う。そして後ろを振り返った時、そこに立っていたのは如何にも神主、な装束を身に纏ったお爺さんだった。
「神主さん……ですか?すみません、俺はおみくじを括ろうとしただけで……。」
「それを待ちなと言うとるんじゃ。どれ、おみくじを見せてみな。」
 後退りしていた俺に神主らしきお爺さんはずいと詰め寄る。変に揉めたくなかったので、俺は黙って左手の中にあるおみくじを突き出した。
「こ、これです……。最凶って、運が悪いですね、俺……。」
 愛想笑いをしてみるが何も面白くはない。お爺さんは俺の手からおみくじを奪い取ると何やらじっとおみくじを眺め始めた。
「ふむ……。」
 段々とお爺さんの表情が険しくなる。なんだろうと訝しげな表情を向けていると、突如としてお爺さんは顔を上げる。そして、はっきりと言った。

「お前、マジ、ヤバいぞ。」
 何がだよ、何がヤバいんだよ。
「わしは七十年ここの神社にいるが、最凶というおみくじは一度も見た事がない……。」
 お前が作ったおみくじじゃないのかよ。
「最凶はな、厄年の何倍もヤバいんじゃ。一年間不幸に見舞われ続けると言う、「最凶」のおみくじで……。」
 あれ、もしかして関わっちゃいけないタイプの人なのかな。どうしよう、早く帰りたい。
「お前、気を付けろよ。今に人生最大の災厄が降りかかるぞ。」
「そんなまさか。」
「身近な人間に油断するな。さもなければ……。」
「いや、あの、俺帰るんで!!」
 神主の言葉を声で断ち切り、俺は後ろを向いて一目散に駆け出した。同学年に比べると然程体育ができるわけではなかったが、あの神主が追い付いてくる気配はない。
 何がヤバいんだよ。俺は心の中で悪態を吐く。ヤバいのはあの神主だ。こんなところ、やっぱり来るんじゃなかった。
 初詣は人混みがあっても多少有名な場所に行こう、それか来年はもう行くのをやめよう。
 やがて両親の姿が見えてきた所で俺は速度を落とす。息を切らしている俺を見て母親は怪訝な表情を浮かべた。
「一、一体何してたの?」
「ちょっと歩いてただけ。」
「ふうん。」
 父は既に元の鳥居を潜ろうとしていた。父の後を追う様に母と俺は横に並んで歩く。どうやら俺を待っていてくれた様だった。母はどこか遠い所を見ながら俺に向かって呟いた。
「一。こんな所、利益あるかわかんないけど、お母さん、一がちゃんと医学部に受かる様に祈っておいたからね。次こそは失敗しないわよ。」
「うん、ありがとう。」
「一もちゃんとお願いした?医学部に受かります様にって。」
「うん。」
 母の言葉を適当に受け流す。それよりも今気になるのはあのおみくじと神主の事だった。
―――一年間不幸に見舞われるという「最凶」のおみくじで
―――今に人生最大の災厄が降りかかるぞ。
 妙に神主の言葉が引っ掛かる。
 けれど、怖い話を聞いて怯えている子供みたいでなんだか自分が馬鹿みたいにも思えて来た。

 その時、鳥居の向こうから父が大声で叫んだ。
「おーい!!大変だ!!家の方面の駅が大雪で、電車が完全にストップしているらしい!」
「ええ!?どうするのよ、元旦でどこもお店開いてないわよ?」
 そう言っているうちに俺の目の前を疎な雪がちらちらと舞っていく。どうやら雪雲がこちらにも近付いているらしい。母は大きな溜息を吐いた。
「全く……新年早々運が悪いわねえ。」
 まさか、ね。なんだか母の言葉が嫌に耳に残ってしまった。


***

「おはようございます……。」
「おお、一!あけましておめでとう。」
 元旦から数日が経ったものの、世間はまだ正月モードが抜けきれない。各所では未だ年始の挨拶が飛び交い、俺はその中を潜り抜けて教室の扉を掴んだ。
 高校一年生の三学期。最初に俺に挨拶を飛ばして来たのはクラス担任の松井先生ことマッチャン。真冬にも関わらず薄着で生徒のことは全員、名前を呼び捨てにする。それはクラス内で孤立していると言っても良い俺も例外ではなかった。教卓に立ちながら片手をあげ、大声で俺の名前を呼ぶ。俺はやっぱりこの先生がそんなに好きではない。大して親しくもないのに距離を詰めてくるところも、こうすればみんな喜んでくれるだろ、という自信が見え透いている所も。――ほら、教室にいるクラスメイト達が一瞬、興味がなさそうな目で俺を見る。
 昔から注目を浴びるのが大の苦手だった。注目を浴びれば浴びるほど誰かが俺のことを話題に出す。誰かが俺の事を話している、それだけで胸が鎖で縛られた様に締め付けられる。
 
 だが、今日の俺はそれどころではなかった。それどころではない理由が他にあった。
 軽く会釈をし、左右をキョロキョロと確認しながら用心深く教室の中に入る。見るからに挙動不審。黒板の前を通り過ぎようとした時、右手側にある黒板がゆらりと揺れた。
「危ない!!」
 クラスメイト誰かの声が教室中に響く。同時に女子の悲鳴が起こった。
 ぐんぐんとこちらへ向かって角度を増してくる黒板。
 まただ。やっぱりだ。
 驚きよりも冷静さが勝った。反射的に体が黒板を避けようと後ろへ傾いていく。だが、足は思った方向に動いてくれない。重い頭と共に上体だけが傾き、バランスを崩す。
(やばい、頭を打つかも。)

 その瞬間、黒板は学校中に響く轟音で教室の前方に倒れ込んだ。黒板は粉々に割れ、破片が衝撃と共に飛び散る。
「大丈夫か!?!?」
 マッチャンが大声で叫ぶ。迫り来る衝撃に耐えようと目を瞑った時――俺の背中に生暖かいものが触れた。それは、誰かの手だった。そしてそのまま、体は誰かに抱き止められ、黒板の割れる音の余韻と心臓の音だけがドクドクと響く。教室は一瞬静まり返った後、倒れ込んだ俺を見てどよめいた。
「黒板が、倒れた?」
「誰か!他の先生呼んで来て!」
 幸い、足元には破片が散らばっているだけで怪我はなかった。だが、クラスメイトの数人が不思議そうに俺を見ていた。いや、俺ではなく、俺の背後にいる人物を見ていた。
「ていうか……誰?」
「あんな綺麗な子、学校にいたっけ?」
 てんやわんやになる教室で、俺は誰かに支えてもらっていた事を思い出す。慌てて首を動かし、顔を上げた。

 思わず目を丸くする。
 少女漫画の王子様と見紛う様な綺麗な顔が至近距離で俺を見ていた。アイドルにいそうな明るい茶髪にくっきりとした二重。そして人形のように真っ白な肌。
 青年は目が合ってにっこりと微笑むと体勢の崩れていた俺の体を支え、元に戻す。手慣れた仕草に他の生徒も見惚れていた。
「大丈夫?」
 想像よりも高い声、軽快な口調で青年は俺の肩から手を離す。
「はい……ありがとうございます。」
 一年生の教室にいるという事は同学年だろうか?人付き合いの少ない俺でも見たことのない顔だった。第一、これ程までに眉目秀麗であれば先輩であっても記憶に残っていそうなもの。そこへ、マッチャンが慌てた様に駆け寄ってくる。
「一!大丈夫か!?怪我ないか!?」
「な、ないです。」
「そうか、よかった!……九十九も、怪我はないか?」
 青年はツクモ、と呼ばれた。ツクモくんは首を振り、あからさまに安堵した目で俺を見る。
「怪我はありません。……一くんが下敷きにならなくて良かった。」
 なんで、俺の名前を知ってるんだろう。あれ、先生がさっき言ってたっけ。
 なんの問題もなく会話をするマッチャンとツクモという青年に対して、俺を含めた他のクラスメイトは困惑していた。
 その様子を汲み取ったのか、ツクモくんは俺からそっと手を離し、クラス全員に顔を向けて言った。
「すみません。本当は入って来てすぐに挨拶をする予定だったんですけど。――僕、転校生なんです。神木九十九って、言います。」
 一瞬の静寂が教室を包む。そして次の瞬間には割れる様な感情が教室を包んだ。

「マジ!?転校生!?このクラス!?」
「嘘でしょ?超イケメンじゃん!!」
「なんでマッチャンずっと黙ってたんだよ!!」
「おいこらお前ら落ち着け!黒板の破片、踏むなよ!!」
 ついさっきまで、突然倒れてきた黒板に向けられていたクラスメイトの意識はすぐに、「突然現れたイケメン転校生」に釘付けになる。ツクモくんに支えられた俺は完全に会話の蚊帳の外に追いやられ、マッチャンでさえ何も言ってこない。あっという間にクラスメイトに囲まれるツクモくんが少しだけ恨めしい。
 これが、イケメンとフツメンの差、か。
 別に自分の価値を見誤っていたわけじゃないけど、うん、ちょっと傷付く。
 俺は黙って教室の隅を歩き、箒と塵取りを取り出す。

『最凶』
 小学生が考えたようなあのおみくじは、どうやら笑って誤魔化せる代物ではなかったらしい。
 俺は元旦から数多くの不運に見舞われることとなった。
 手始めに、気象庁さえ予測不可能な豪雪が俺の住んでいる地域を襲った。その結果、電車で初詣に来ていた家族は足止めを喰らい、なかなか捕まらないタクシーを数時間寒空の下で待った。その結果、俺は数年ぶりに熱を出し、数日ベッドで寝込んだ。両親に体調管理が何だと愚痴を言われている矢先、今度は俺の寝ているベッドが突然壊れた。簀子ベッドがへし折られ、結果として俺は頭痛と熱に苦しみながら固い床で数日眠った。
 それだけじゃない。貰ったお年玉に自分だけお金が入っていなかったり、突然外から子供の羽つきの羽が飛んできたり、猫に自分の宿題がビリビリに破られたり、スプリンクラーが突然作動してずぶ濡れになったり。くだらないと言われそうな事からかなり被害を被るものまでありとあらゆる不運がこの一週間で俺に襲いかかってきたのだ。

 そして、この倒れてきた黒板。
 最初に占いなんて信じないと豪語していた俺も、これ程の被害を被ればもう信じるしか無い。それにしても、ここまで命が脅かされる様な不運は流石に初めてだった。
 加えてイケメン転校生の登場。自分が蚊帳の外に追いやられている事はいつも通り、いや一種の不運なのだろう。
「九十九くん、転校初日に不運だったね?本当に怪我がなくて良かったよ。」
「一ノ瀬くんを助けた時、王子様みたいだったよ!」
 先生達が慌てて黒板の処理を行う横で、クラスメイト達はツクモくんを褒めそやす。俺は黙って破片を掃き集める。
 俺と同じクラスになってしまって、転校早々不運に巻き込まれてしまった事は申し訳ないけど、きっとあの子が俺と深く関わる事はもう無いだろう。そんな事を考えている時、左手で掴んでいた塵取りを、誰かが掴んだ。
「手伝うよ。」
 嫌な予感がした。顔を上げる。端正な顔立ちが直ぐに目に入り、俺の肩は跳ねる。
 いつの間に、クラスメイトの輪の中から抜け出してきたのだろう。顔を俯かせ、掴まれた塵取りを引き戻し、首を振った。
「いい、いいよ。」
「そんなこと言わないでよ。みんなでやった方が早いよ。」
 そういう事を言いたいんじゃ無い。君がまた不運に巻き込まれるかもしれないからなんだよ。しかし、仮にそんな事を言って信じてもらえるわけがない。
 その矢先、何かが割れる様なピシッという音が響いた。次の瞬間、二人が手に持っていた塵取りが割れ、大量のゴミが二人の足元に落ちてくる。
「うわっ!?」
 慌てて足を退けてみるも、俺の足も、ツクモくんの足も黒板のカケラや埃塗れになってしまった。
 俺も、ツクモくんも呆然とする。ドロドロになった靴下とシューズを見て、ツクモくんはクツクツと体を震わせる。そして快活な笑い声が教室を包んだ。
「あははっ!」
 子供の様な笑い声に、一瞬教室が静まり返る。
 それに倣う様に俺も黙った。何が面白いんだろう。だから近付いてほしくなかったのに。
「面白いね、一くん!なんだか、今日は凄く不運みたい。ふふっ……あははっ!」
 ツクモくんは未だ笑っている。俺は諦めて、埃を払うために外へ出て行こうとした。そこを、ツクモくんは突然、俺の肩を組んだのだ。
「一って書いて、はじめって読むの?俺は九十九って書いてつくもだよ。合わせて百。何か、相性いいと思わない?」
 思わない。良いわけないんだから俺に関わらないでくれ。
 チラリと後ろを見ると、クラスメイトの嫉妬が混じった視線を肌で感じ取る。慌てて九十九くんの体を引き離そうと腕で押してみるも、身長差のある体はびくともしなかった。
「九十九!一!足が泥だらけじゃないか!外で洗ってこい!他の皆んなは隣の教室に移動!早くしろ!」
 その時、マッチャンが教室の外から顔を覗かせる。マッチャンと俺を交互に見ると、九十九くんが高く手を挙げた。
「先生!場所がわからないです!」
「一に連れて行ってもらってくれ!ほら!お前らは教室移動だっ!」
 二度目のマッチャンの大声にクラスメイトは不満そうな視線を俺に突き刺した後、大人しく教室の外へと出ていく。九十九くんは勝ち誇った様に俺に向けてニヤリと笑った。
「だって、一くん。」
 こいつ、俺が嫌がってる事わかってるんじゃないか?最初は王子様みたいだと思ったのに、中身はただのクソガキじゃないか。
 俺の不運に巻き込まれるのは君なのに。
 俺はもう笑顔で取り繕うことも辞め、大きな溜息を吐いた。

 
 だが、この時の俺は未だ『最凶』の本当の意味を理解していなかったのだ。これから起こること、巻き込まれること――想像よりももっと早く、この世界は何かがおかしかったらしい。
 
 冬が過ぎ、春が来て、何でもない様に時間は巡る。狂わされた物語のページにしがみつく俺達を、この世界の誰も知らない。
 元旦から、九十九が転校してきたこの日から、俺の『最凶』の一年は始まった。