君を編む

 家で何をするでもなく、ソファに寝そべること数日。
 夏休み、余りにも自堕落な生活を送る僕を見かねて、母は僕を家から叩き出した。

 『別に家で楽しく過ごしてくれてくれる分には引きこもってても構わないけど……そんな辛気くさい顔されたら鬱陶しいことこの上ないのよね』

 家を放り出されて、僕は途方に暮れた。外で時間を潰す、というのは僕には苦手分野だった。精々が図書館くらいしか思い浮かばない。
 カラオケやらゲーセンやら、ファミレスやら喫茶店やら、思いつく場所は幾らでもあるが行きたい場所は一つもない。
 何となしに繁華街に出て、うろうろ彷徨い歩き、結局僕が辿り着いたのは百貨店の上の行き慣れた手芸屋だった。
 以前はどこか居心地の悪さを感じていた店内も、あの余りにも似つかわしくないのに大手を振っていた轟木の姿を思い起こせば、いつしか引け目は消えていた。
 売場を目的もなく歩く。棚に並ぶカラフルな品物も値札も、頭を上滑っていった。夏休みに入ってから、僕はさっぱり編み物をしていなかった。余りにも珍しい事態に、母親などは僕の発熱やら体調不良やらを疑ったくらいだ。
 どうにも意欲が沸かず、僕の指先はいつになく動きが鈍かった。何となく惰性でかぎ針を動かしてみても、何だか全然しっくり来なくて、中途半端な編みかけが部屋に溜まっていた。こんなことは今までにはなかった。これまでは、落ち着かなかったり気分が鬱いだ時は、兎に角編み物をして精神の安定を図っていた。それなのに今はその真逆で、落ち着かないからこそかぎ針を動かす手が止まってしまう。初めての経験に、僕は戸惑うばかりだ。

「あれー、かおるくん?」

 何となしに手に取ったヤーンホルダーを買う訳でもないのにぼんやり眺めていた僕の背に、子供特有の甲高い声が掛けられる。

「あら本当、薫ちゃんじゃーん!」
「え、何、ママもかおるくんの友達?」
「いや友達ではないけど、猛の友達っしょ?」
「だから知ってるのかー」

 驚いて勢いよく振り返る僕の目に、轟木舞凛と、そして、リナの姿があった。
 相変わらずギャルギャルしい、裾の長いTシャツに短いデニムのズボン。緩やかに波打つ金と茶の混じった長い髪の毛を頭の上で無造作に束ね、見覚えのある紫のシュシュをつけていた。
 細い指先は、傍らの舞凛としっかり繋がれている。この間のようなじゃらじゃらしたアクセサリーの類は見当たらない。化粧も、どちらかといえば薄めに見えた。

(………………ママ?)

 驚きに空回りする思考が何とかその単語を抽出する。ママ。舞凛は今、ママと呼んだのか。推定、轟木の彼女、と思っていた、リナのことを。

――ほら、ご両親が離婚されてから、大分荒れてたみたいだし
――年の離れた兄弟もいるらしいから

 手芸部の部長の言葉が今になって脳内をリフレインする。
 轟木の彼女、舞凛のママ、年の離れた兄弟、或いは、姉弟。

「あ、どうも……あの、リナさんって……」
「ん? どした?」
「轟木、……猛、君の、お姉さん……ですか?」
「そーだよー、たけるくんのおねーさんで、あたしのママ!」

 僕をやきもきさせていた返答は、あっさりと、傍らの舞凛から寄越された。
 つまり、轟木の姉がリナで、その娘が舞凛で、轟木にとっては舞凛は――

「……姪っ子?」
「そーゆーこと!」

 何故か勝ち誇る舞凛の横で、あれ言ってなかったっけー、とリナが呑気に、瞬いた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 テーブルの上に置かれた期間限定桃のパフェは、あからさまにメニューに描かれていたものよりもトッピングが少なく見えた。
 有り体に言えば、しょぼい。しかし子供にとってそんなことは些細なことのようで、歓声を上げながらパフェグラスを自分の元に引き寄せた。
 無邪気な子供の声に混じって、きゃははは、とけたたましく対面の女性が笑声を上げた。

「えー、あたしが猛のカノジョとか! おっかしー!」
「理奈ママは舞凛のママなのに! ねー!」

 リナというのは理奈と書くらしい。百貨店を出て、駅近のファミレスに僕は何故か、理奈と舞凛の母子と一緒に来ていた。
 向かいのソファに腰掛けた舞凛が、ご満悦の表情で長いスプーンを生クリームに突き立てている。
 ドリンクバーで取ってきたウーロン茶を、僕はずずっとストローで啜った。ファミレスに来たのは幼少期、家族でおでかけの際に寄っていた頃の記憶しかなく、ドリンクバーの前で戸惑っている僕に、使い方を教えてくれたのは舞凛だった。

『かおるくん、本当に何も知らないんだからー! 舞凛がぜーんぶ、教えてあげる! 見てて!』

 自信ありげな言葉通りに、舞凛は母親の付き添いもなく、プラスチックのコップを手に取ると、背伸びしてドリンクサーバーのボタンを押し、どぎつい緑色の液体をコップに注いだ。

『家だと甘いもんばっか飲むなってたけるくんがうるさいからー、こーゆー時に飲みだめしとくの!』

 あからさまに体に良くはなさそうなメロンソーダを並々と注いだ舞凛は、慎重に、慎重に、忍び足で母の待つ席へと戻る。大人用のグラスを手にした僕は、舞凛の真似をしてサーバーのボタンを押した。無難に、ウーロン茶。しかしウーロン茶を押した筈が、茶色と水のような液体が入り交じってグラスに注がれていくのに度肝を抜かれる。一体これは何に何を混ぜているのだ。お茶と水を混ぜて何になるんだ。
 疑問に思った僕は機械が止まってからもまじまじとグラスの中を見つめ続け、背後から咳払いが聞こえるまで、その場で固まっていた。

『あのね、こーゆーとこの飲み物は、すっっごい濃くなってて、それを薄めて出してるんだって!』

 なるほど舞凛は実にファミレスに慣れている。おまけに博識だ。席に戻った僕は、舞凛の解説を受け、感心するやら自分が情けなくなるやらで、母子の向かいで黙ってウーロン茶を啜るしか出来ない。
 気もそぞろな僕は、だから、『最近、猛が元気ないんだけど、薫ちゃん何か知ってる?』という質問に、僕の勘違いによる轟木とのすれ違い事情を、無意識の内に洗いざらい白状してしまったという訳だ。

「まー、でもそれは、ちゃんと姉だって紹介しなかった、猛が悪いね」
「そーそー、たけるくんがわるーい!」
「舞凛、茶化さないの。ほら、ほっぺにクリームついてるって」

 苦笑しながら理奈は舞凛の頬を紙ナプキンで拭った。そうしていると、疑いようもなく母子の姿に見える。並ぶと一層、勝ち気そうな瞳や形の良い眉などがそっくりだ。
 益々恥じ入って、僕はストローの先端を無意味にぐにぐにした。轟木の年の離れた妹たる舞凛は、大人しく母に口元を拭われていた。そこはかとなく嬉しそうなのは僕の気の所為でもないだろう。
 轟木の話では、平日は仕事で家を空けることが多そうな口振りだった。舞凛も平気そうにしているけれど、矢張り寂しさはあるのかも知れない。
 こうして見ればどう考えても轟木の彼女というのは酷い勘違いだ。それなのに、勝手に思い込んで、避けて、轟木に失礼な態度を取ったのは完全に僕の落ち度だ。 

「いや、その……勝手に勘違いしてたのは、僕、なので……何か、初めて会話した時に、轟木が電話してて……その相手が彼女なのかなって、思い込んでて」
「ああ、そうそう! あたしそん時薫ちゃんの名前聞いてたんだよねー。丁度、舞凛の様子見て欲しかったのに全然家帰ってくんなくてさー」

 僕はストローの先を噛み潰しながら下を向いた。どうやら発端すらも盛大な勘違いのようで、恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。なければ掘って埋まりたい心地すら、した。
 顔から火が出る思いで押し黙る僕に、理奈がふっと口の端を上げた。そうした表情は、流石の姉弟といった所か、とても轟木に似ていた。

「ま、あいつ頼って子育てしてんのも、悪いとは思ってんだけどさー。……薫ちゃんは、うちの両親が離婚してることは知ってるっけ?」

 理奈に問われ、僕は無言のまま頷いた。轟木から直接は聞いていない。だが黒沢部長がそのようなことを仄めかしていたし、轟木の家庭環境を見ると大凡の察しはつく。
 理奈はちらと舞凛に目を向けた。パフェを食べ終わった舞凛は、おかわりしてこよー、とコップを手に、またドリンクバーの方へとてくてく歩いていく。
 手元のコーヒーにさらさらとスティックシュガーを注ぎながら、理奈は苦笑しながら口を開いた。

「うちの両親は、猛が中学ん時に離婚してるんだけど……まあ、親父が最低の奴でさ。酒に煙草に女、ギャンブルに暴力……まさに昭和かよって感じで」
「……はあ 」
「母親も母親で、耐えて忍んで父親の言うことは絶対、みたいな。本当いつの時代の人間だよねー。そんなんで、ずーっと離婚すりゃいいとは思ってたんだけど」

 理奈はぼやきながら、くるくるとコーヒーをかき混ぜる。スプーンが渦を描く。ぐるぐる、ぐるぐる。思考のように巡る渦巻きを見つめる僕の耳に、理奈の唇から爆弾が落とされる。

「離婚したらしたで、母親も男作ってさっさと出てっちゃってさー」
「……男、ですか」
「そ。あんなに夫の顔立てて、半歩後ろを歩くみたいな良妻賢母……賢母ではなかったかもだけど。とにかく、地味ーな主婦がさ、一瞬でケバくなって遊び歩いて、男作ってどっか消えてさ」
「……それは……だって、お父さんもいなくなった訳です、よね?」
「そー、一応の養育費と、母親からは生活費? たまーに電話あって、元気してるか、なんて。で、気まぐれみたいなお金だけ寄越してさあ……ま、当然、猛もあたしも荒れたよね」

 それはそうだろう。返答をしあぐねて、僕は理奈のコーヒーを混ぜる指先を見つめた。化け物じみた爪先のネイルは外され、今日は綺麗に形の整った弧を描いている。母親の手だ。

「でも、まあ……あたしがちょっとポカして……有り体に言えば、避妊失敗して、舞凛が出来ちゃった訳なんだけど」
「……そ、れは……」
「まー、バカだったよね。結局男に逃げて、母親と同じじゃん、って。しかも相手は認知するのしないの……結局一人で育てることになってさー」

 あっけらかんと理奈は言うが、話の内容は凄惨だ。舞凛を遠ざけたのも分かる。聡明な舞凛はドリンクに悩んでいる振りで、ぶらぶらとサーバーの前で時間を潰しているようだ。

「それで、猛を頼ることになったんだから、世話ないよね。反抗期も中途半端に潰されて、赤ちゃんの面倒まで押しつけられて……まあ、押しつけてた張本人が言うなって話だけど」
「……はあ」
「…………薫ちゃんはさ、怒らないんだ」

 理奈の瞳がきゅっと細くなる。吊り目がちな瞼を縁取る化け物じみたつけ睫毛は、今日は見当たらない。

「……怒る、とは」
「この話するとさー、大抵の人は怒るか、責めるか、呆れるか、すんだよねー。薫ちゃんは妙に平然としてるから」

 僕は机の上で所在のない指先で、ストローの空き袋をくるりと輪にした。まあ、正直、どうかと思うところはあれども、それは僕にどうこう言える話ではない。轟木の家には轟木の家の事情があるのだろうし、それを他人がとやかく言うのはお門違いだ。
 いつもの僕なら、はあそうですね、と生返事をして終わっていたことだろう。それなのに何故か、胸の奥に引っかかるものがあった。きっと理奈を怒ったり、責めたりした人は、理奈のことが大事だったのだ。僕は違う。理奈が何をしようが、理奈たちの両親がどんな屑だろうが、僕にはどうでも良い。
 轟木のことを思った。親がいなくなって、寄る辺もなくて、荒んでどうしようもなくなって、それなのに姉の子の面倒を見なければならなくなった、轟木を思う。放課後、他に行く宛もなくて、被服室でだらだら時間を過ごした轟木の、目つきの悪い瞳や、皮肉げに持ち上げられた口の端や――時折柔らかくなる眼差しや、少し幼くなる笑顔を、思った。轟木を、思った。

「……轟木が、舞凛ちゃんにプレゼントを上げたいって」
「へ?」
「あの、あの、誕生日って聞いて……相談されて……」
「ああ、確か前にシュシュくれたんだっけ。その説はありがとーね」

 僕の脈絡のない話に、理奈は頷きながらも怪訝な表情だ。それはそうだろう。舵取りの出来ない思考は僕自身でも何処へ流れ着くか分からない。それでも制御の利かない言葉を、止める気はなかった。

「……轟木が、うざいとか面倒くさいとか言いながら、でも誕生日にプレゼント用意したりとか……そういうの、凄く、自然に家族なんだなって……思い、ました」

 知ったようなことを言うなと思われるだろうか。しかし理奈は、きょとんと目を見開いた。鋭い目つきが、次第に三日月を描いていく。

「薫ちゃんってさー……本当、面白いね。変わってる、って言ったら、怒る?」
「はあ、別に……僕は多分、『大抵の人』じゃないと思うので」

 理奈の爆笑が響く。なになにママなに笑ってんのねえかおるくんなんの話ー、賑やかに戻って来た舞凛と、腹を抱えて笑い転げる理奈を見ていると、無性に、どうしようもなく轟木に合いたくなった。