君を編む

「……あれ、猛?」

 レジの長蛇の列に並んで、だらだらとダベったりスマホをみたりしていた僕らの横手から、声が掛けられた。
 聞き慣れない女性の声だ。訝しんでレジ待ちの列を区切るロープの向こうに目をやる僕の横、轟木が、げぇっ、と蛙の潰れたような声を上げた。

「……何でこんなとこいんだよ」

 どうやら知り合いらしい。僕はぽかんと口を開けて、轟木を見つめる女性を見つめた。
 年の頃は二十歳そこそこといった所だろうか。女の人の年齢なんて僕には測りようもない。もしかしたらもっと若いのかも知れないし、逆にもっと行っているのかも知れなかった。少なくとも服装は若々しい。
 ゆったりとした半袖ニットの裾の長い服に、デニムのショートパンツ、茶色のブーツは細い太股まで覆っている。
 ギャル。ギャルだ。僕の貧困な語彙力ではそうとしか形容しようがない。金とも茶ともつかない派手な髪を、頭の片側で高く結わえている。
 そして――髪を結ぶ、紫のシュシュ。
 見覚えがあるそのシュシュに僕が気を取られる内に、じゃらじゃらと金色の輪っかを付けた手首を挙げ、女性は無遠慮に轟木を指さした。人のものとも思えない、長い爪先に、ぎらぎらとラメが光る。
「ちょ、猛こんなとこで何やってんの? マジうけんだけど」
「っるっせ、はしゃいでんじゃねーよ、ババァ!」
 手芸屋に不似合いな甲高い笑い声と、柄の悪い怒鳴り声が響き、周囲の視線が余りにも痛かった。

「どーも、リナでーす!」
「……早瀬薫……です」
「へー、いい名前だね。よろしく、薫ちゃん」
「…………はあ」

 どうも、と僕はもごもごと口ごもる。只でさえ人との関わりに難のある僕のことだ。完全なる陽の気を纏ったギャルなど手に負える代物ではない。
 レジで会計を終えた僕らを、リナと名乗ったギャルはまじまじと見つめた。

「てか、あんた本当、何してんの?」
「お前に関係ないだろ」
「あ、ひっどーい! 関係ないはヒドくない、ねぇ薫ちゃん?」
「お前が薫ちゃんって言うな」

 それはもう本当その通りだし、何なら轟木に薫ちゃんなどと呼ばれる筋合いもないとも言える。

「そういうお前は何してんだよ」
「あたし? レジン買いに来ただけだけど」
「はあ?! まーた客に乗せられて何か新しいこと始めようってか? 飽き性の癖によーやるわ」
「何よ、そんな言い方しなくてもいいでしょ、ねー薫ちゃん?」
「あんだよ、何でもかんでも手出すお前が悪ぃんだろ、なあ薫ちゃん?」

 頼むから僕を巻き込まないで欲しい。店の端で喧々囂々言い合いを始める二人に、僕はうんざりと買ったばかりのレジ袋の持ち手を弄った。
 轟木の知り合いの女性――恐らくは、轟木の彼女なのだろう。僕には何の関わりもない人間だ。
 リナと名乗る女性も、そして元より轟木も、僕に縁のあるような相手ではない。言い合う二人から一歩退く。僕の退け腰に気付いたらしい轟木が、鋭く舌打ちをした。

「何よ、態度悪ぅ! ってか本当、あんた何でここにいんのよ、手芸って柄じゃないでしょ?」
「いや、それは……」

 轟木は途端に勢いを失った。ちらと僕を横目で見やる。どうやら僕に気を使ってくれているらしい。確かに男で編み物を嗜んでいるというのは令和の世でもメジャーな方ではないだろうが、かといって希少種という程でもない。第一、僕にしてみればもっと色々と気にしなければならないことが多すぎて、そんなものは些細な問題だ。

「あの、僕の用事で……」
「へー、薫ちゃん編み物するんだ、趣味いいね! あたしはさあ、お店のお客さんにレジン薦められてさあ。動画見てみたら何かやれそうな気がして、とりま100均で素材でも揃えようかと思ったんだけど、やっぱやるなら本格的なもの揃えた方がいいじゃん?」
「そう言って今までどんだけのもん無駄にして来たんだよ」
「無駄じゃないですーいつか使えば問題ないんですー」
「どうだか」

 苦笑する轟木の顔に、今まで見たことのない柔らかさが浮かんでいた。それが親しみと名のつくものであると、理解するのと同時に猛烈な反発が胸に沸き起こった。その感情を噛み砕くより先に、僕の口からは言葉の奔流が流れ出す。

「いや、確かに100均は安かろう悪かろうと思われがちだけれど、最近は手芸用品もかなり力を入れているから、初心者としての第一歩は寧ろ悪くないというか……」

 急に早口になる僕に、リナとやらは驚いように睫毛バチバチの目を見開く。態々手芸店に来た相手に、100均の良さを説くのは悪手だろう。僕の脳内の思考は目まぐるしく回転し、しかし上手い筋道を立てられず右往左往、あらぬ方向へと空転する。

「でも、道具は初心者こそ専門のものを買った方が良いという通説があって、というのも100均のものだとスケールがずれてたり、滑らかさが足りなかったり――いやこれはかぎ針の話ではあるんだけれども、例えばレジンだったらUVライトだけは本格的なものを揃えた方がいいかも知れなくて――」

 取り留めのない思考は制御が利かない。冷や汗を掻きながら矢継ぎ早に口から言葉を吐き出す僕に、リナ驚いたように瞬きを繰り返した。

「えっとー、あたしネイルやってるからUVライトは持っててー、お客さんもそれだからあたしにレジン薦めてくれたとこあんだけどね? でも、材料はそっか、まずは100均で試してみんのもありなんだねー。教えてくれてありがとー!」

 朗らかに応じるリナに、僕の言葉は途端に勢いを失っていった。こちらを気遣う当たり障りのない態度に、部長を思い出した。手芸部の部長、黒沢部長。女性に縁がなく、ぎこちない僕にも優しく接してくれる、リナはその部長を思い起こさせた。
 部長、リナ、そうした優しい女性の態度は、遙か昔を思い出させる。幼稚園の先生だ。
 思い当たると同時に、急速な羞恥心が沸いて、僕はこれまで以上に狼狽した。恥ずかしい、浅ましい、消えたい、今すぐ、ここから。

「あ、そう、だったんですね。そうですよね、はは。じゃ、僕はそろそろ帰るんで……」
「は? あんでだよ」
「あれ、ちょっと待ってよ、薫ちゃん?」

 二人の声を聞きながら、くるりと踵を返した僕は、一目散に売場を後にする。
 百貨店の最上階、手芸店の広いフロアを足早に通り過ぎる僕の姿は、さぞや異様だろう。毛糸、刺繍糸、レジン、ビーズ。種々様々に並ぶフロアを抜け、奥にある階段を駆け下り、中二階に下りた僕は、漸く足を止めた。いつの間にか息を詰めていたらしく、ほう、と大きく息を吐くと、心臓がばくばくと激しく脈打っているのが分かった。
 動揺を隠すように手元に持っていたビニール袋を握り締め――ようとして、ふと、自分が空手であることに気付く。どうやら慌て過ぎて取り落としてしまったらしい。
 困って僕は立ち尽くした。今からあの場に戻るのは心情的に難しい。しかし今日買った毛糸がないと、頼まれごとのシュシュを作れない。作れない訳ではないけれど、希望通りのものにならない。それはどうにも収まりが悪い。気持ちが悪い。

「……て、待てって、薫ちゃん!」

 階段の上から掛けられた声に、僕はびくりと身を竦ませた。恐る恐る、階段の上を見上げる。中二階の踊り場の先、息を切らせた轟木が、ぷらぷらとビニール袋を揺らしていた。

「わ・す・れ・も・の」
「あ……あり、がとう……ございます」
「何で敬語」

 くつくつと笑う轟木が、一段、一段、近付いて来る。相変わらず目つきは悪いが、それでも何処か困ったように眉尻が下がっている。それを、目を逸らすことも出来ず、見つめていた。

「……悪かったな」
「…………え?」

 僕の目前に立った轟木が、ぽつりと呟く。中二階の脇にある手洗いから出て来た客が、迷惑そうに僕らを睨むのも構わず、まじまじと轟木を見返した。
 差し出されたビニール袋を受け取る。轟木の手首で、じゃらりとシルバーのブレスレットが揺れた。

「急にやかましいのが話しかけて来て、ビビったろ」

 リナのことを言っているのだ。僕はぱちぱちと瞬きをした。

「あいつも遠慮を知らねぇからなあ、薫ちゃんも迷惑なら迷惑って言った方がいいぜ……って、知らん相手にそれもムズいよな。俺が止めるべきだったわ、悪い」

 真摯に告げられ、どう反応すれば良いのか分からず、僕は立ち尽くす。自分でも自分の感情が分からないのに、轟木が分かっているかのように話す。それは別段不快という訳ではなく、どちらかといえば自分の至らなさが恥ずかしかった。恥ずかしい、不甲斐ない。でも、先程のような消えたいような羞恥心とは違う。
 戸惑い、混乱し、ぎゅっとビニール袋を握り締め固まる僕に、轟木は柔らかく笑んだ。部長や、リナたちとは違う。幼稚園の先生とも違う。自分の感情も理解出来ないのに、轟木の考えていることなんて分かりようもない。

「あ、その、……別に、迷惑とかじゃなくて、あ、だから……」
「落ち着けって、……ちゃんと聞いてるから」

 轟木の声音に促されるように、僕の口からすっと気持ちが飛び出した。

「迷惑じゃないんだけど、あんまりにも迫力があるもんだから…………その、……テンパっちゃって」

 おずおずと告げる。轟木の哄笑が、中二階に弾けた。