一目、二目、三目と四目、一目鎖編みを入れて、また一目、二目、三目と四目。
「相変わらず、器用なこって」
作業机に肘を突いた轟木が、呆けたような顔でぼんやり呟く。随分と心ここにあらずだ。
多分返事は必要とされてないだろう。僕は特に相槌も打たないまま、またかぎ針を進めた。
「それ、何作ってるん?」
どうやら今日の轟木は話したいテンションらしい。ちらと顔を上げると、相変わらず鋭い目が僕の手元をじっと見つめていた。
「ブーケブランケット、って分かる? こう、縁に花のついたブランケットなんだけど、折り畳むと花束みたいになる奴」
「何それ、知らん」
「ちょっと前にSNSで話題になって……見栄えも良いから、文化祭の展示にしようかと思って」
「へぇ、薫ちゃんもSNSとかやるんだ」
聞いて来た割には僕の作っているものに関心はないらしく、アカウント教えてよ水臭い、などと軽口を叩く。これは取り合わなくても良い奴だ。いい加減学んだ僕は、無言で手元を動かした。
あれ以来、轟木は時折、被服室を訪れるようになっていた。手芸部の活動日と被らない、きまって僕が一人部屋の隅で編み物をしている、放課後。
廊下から上履きの踵を潰した足音がしたかと思えば、無遠慮に扉を開けて入って来る轟木は、いつも大概だらだらとスマホを眺めるか、どうでも良いような話題をダベるかして、適当に時間を潰して大体五時前には帰って行く。
『舞凛の奴が偏食でよー。俺だけならカップ麺でも何でもいいのに、作んなきゃなんねーからすげぇ面倒い』
ぶつぶつ文句を垂れる轟木の家庭環境について、確認をしたことはない。母親はどうやら仕事で忙しくしているらしく、家に余り帰っては来ないようだ。寂しがる舞凛が轟木を頼るのは分かるし、轟木がそれを煩わしく思うのも当然だろう。
くるくると白い輪を広げて行く。黙々と手を動かす被服室に、静かな雨音が響く。六月に入り、ここ数日は細い雨が続いていた。つい先日関東も梅雨入りが発表され、日頃自転車通学をしている僕にはダルいことこの上ない。
「舞凛の奴が、また薫ちゃんにシュシュ作って欲しいんだとよ」
僕が碌な返答をしないことも構わず、轟木が続ける。いい加減僕の性分にも慣れて来たらしい。
「それ作り終わったらでいいから、また頼めるか? 礼は出す、当然」
「ああ……うん。ちょっと時間は掛かるけど」
「ありがてぇ。七月に舞凛の誕生日なんだけど、丁度夏休み入りたてだから、学校の友達に祝って貰えないかも、って拗ねててよ」
なるほど、長期休みの誕生日問題は稀に聞くことがある。友達のいない僕には元より関係のない話だが。
「誕生日プレゼント、か」
相変わらず女子の、というより女児の好む雰囲気など分かりようもない。シュシュ自体は簡単に出来るが、一応轟木に相談しながら作った方が良いかも知れない。ブランケットは家でも出来るし、明日から余り糸を持って来て試してみようか。とはいえ雨だから大荷物になるのは少し、面倒臭い。
「そういや、薫ちゃんは誕生日いつなん?」
ちな俺は九月、轟木に顔を覗き込まれ、僕は言葉を詰まらせる。しとしと、しとしと、雨音が響く。窓の外の曇り空が、部屋を薄暗く染めていた。
返答のない僕に、焦れたように轟木がスマホを揺らした。
「で、いつ?」
「あ…………した、です」
「……あ?」
言い難い話題の時には、どうも未だに口ごもり気味になってしまう。誤魔化すように僕は謎の敬語で告げた。
「明日、です」
「明日ぁ?! おま、そーゆーことはもっと早く言えよ!?」
いつになく馬鹿でかい轟木の声が耳にキンキン響く。そんなに大きな声を出さなくても良いだろうに。知らず渋面になる僕に、轟木が大きく舌打ちした。
「ったく、薫ちゃんは本当、そういうとこだぞ。明日、十時に待ち合わせな」
「……え?」
「とりあえず薫ちゃんちの最寄り駅で。行きたいとこ、考えとけよ」
僕は手を止め、まじまじと轟木の顔を眺めた。目つきの悪い瞳がじいとこちらを見返して来る。
「……予定、入ってた?」
何処か自信なさそうに聞かれ、僕は驚きのままに首を横に振る。そらよかった、ほっとしたように轟木の目元が緩んだ。
そうなのだろうか。そういうものなのだろうか。困惑に包まれ、僕は瞬く。誕生日を誰かと祝ったことなどない。いつも親に飯は何がいいか聞かれて、初めて自覚するくらいだった。
明日、土曜日、誕生日。昼飯はいらないなどと言ったら、度肝を抜かれた母が卒倒しやしないだろうか。
戸惑う僕の前で、轟木が満足げに口の端を上げていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僕が手に取った毛糸の塊を見て、轟木が頬をひきつらせた。
「え……やば。量もやばいし値段もやばくね?」
「大玉だから……200gあるから、それはそれなりの値段もするよ」
「いや量分からんて」
「でもこれは比較的お値打ちな奴だから、……ほら、あっちの奴とか」
「っげ、高っっか!!」
轟木の無遠慮な声が、店内に響き渡る。隣で毛糸を手に取っていたマダムが、嫌そうに眉を顰めた。
休日の手芸屋に、轟木の姿はいかにも不似合いだった。緩やかにウェーブした茶髪に、英字の書かれた黒のパーカー、首と指にシルバアクセサリーをじゃらじゃらと引っ提げ、鋭い目つきで売場を眺める轟木の姿は、余りにも浮いている。
とはいえ僕も、余り人のことは言えた義理ではない。母親に選んで貰ったようなネルシャツにチノパン――実際、服に興味のない僕は、駅前のスーパー二階のファッションエリアで『これどう?』と母に言われたものを『それでいいよ』と適当に身につけているだけだ。
長めの前髪に隠れた冴えない顔も、ひょろりとした体躯も、余りにも陰鬱で、カラフルな色彩に溢れた手芸屋に似つかわしいとは言い難かった。
いつもは学校の何某かの用事で来ているんですよ、という体を装うべく、制服のまま訪れる手芸屋だが、こうして休日に来店するのは初めてのことだ。
僕の家の最寄り駅から地下鉄で十分足らずの所にあるターミナル駅。直結した百貨店の最上階フロアにある手芸店は、多くの客で賑わっていた。その大半が女性客であり、場違いな僕はいつもよりも多い人並みにきゅうと身を縮めている。
『こーゆーとこ初めて来たわ』
そんなことを言っていたのに、僕よりも浮いている轟木の方が寧ろ堂々と、物珍しげに店内を闊歩しているのが些か釈然としなかった。
「それ、買うん?」
「んー、色味見たかっただけだから。あんまり無目的に買うと……母親に怒られる」
「怒られるんか」
「これ以上ショール増やしてどうすんの! って」
轟木が爆笑する。場にそぐわないドカ笑いが売場に響き、何事かと振り返る客たちの視線が痛い。見た目の厳つさに反して、轟木は結構、笑い上戸だ。
「あ、これ……舞凛ちゃん好きそうかな、って思ったんだけど、好きな色知らないから」
ご婦人方の視線が居たたまれず、轟木のパーカーの裾を引っ張って僕は棚を移動する。小振りでカラフルなグラデーション毛糸の山を見ると、お、と轟木が声を上げた。
「確かに好きそーだわ、こーゆーパステルカラー的なやつ」
的な、というよりは正にパステルカラーだと思うが。オレンジ、ピンク、ペールブルー、ラベンダー、連続した色とりどりのグラデーション毛糸は、この手芸屋のオリジナルのもので、一玉ワンコインとお財布にも優しい。
「どれがいいと思う?」
「んー、このオレンジっぽいのと、ピンク系のはどっちも好きそうだけど」
「じゃあ、この二つで。あ、これは僕から舞凛ちゃんへのプレゼント、ってことにしても良いかな? だから、僕が買う、って意味だけど……」
「ちょい待ち」
二つ拾いあげた毛糸をカゴに入れると、轟木が制止の声を上げる。このくらいなら懐も傷まないし、舞凛は僕を友達にすると言い張っていたことだし、だから僕が買った毛糸で僕が作ったシュシュをあげても、前に轟木の言っていたヤリガイサクシュには当たらないと思うのだけれど。
また何か文句でも言われるだろうか。見返す先で、轟木が呆れたように眉を吊り上げた。
「あんさあ、薫ちゃん、今日誕生日だろ?」
「そう、ですけど」
「だから敬語! ったく、誕生日に行きたいとこ、って舞凛の誕生日のこと考えてんじゃねーよ、自分の買い物しろよ」
「それは、そうなのかも知れない……けど」
「けど?」
「……僕にとっては、編むことが目的、だからさ」
「……あ?」
どうやら轟木は僕が編み物を好きだと思っている節があるようだ。そうではない。僕の編み物は、趣味などと呼べるような高尚な代物ではないのに。
「えっと、編みたいから編む、というより、編まないといけないから編んでいるだけであって、編んだ後の成果物は寧ろ副産物でしかないというか。家の中ももう、編み物で溢れているし、それこそもうショールは沢山だっていう母さんの文句も最もだなって思うし、……だから、今回はシュシュだけど、そうやって編むものを頼まれるのは寧ろ嬉しいというか、好都合というか……」
「え、待て待て分からん」
また立て板に水のようにまくし立てる僕に、混乱したように轟木が眉間の皺を深くする。
「編まないといけないから、がマジで分からん。何、家族を人質にでも取られてんのか?」
「いや、そうじゃない。母さんも父さんも、別に命を握られてる訳じゃないよ」
「んなこた分かってんだよ、比喩だよ、比喩。で、編まないとけいない、って何」
ジト目の轟木に、僕は困って手元の毛糸玉を無意味に弄る。そこを追求されるとは思っていなかったから、どう説明すれば良いか分からない。
おずおずと見上げる先の轟木は、急かすでもなくじっと僕の返答を待っている。短気そうに見えて、轟木は案外、辛抱強い。
「ゆ、指先を……動かしてないと、気持ちが悪くて」
辿々しく説明を始める僕に、轟木は黙って静かな目を向けていた。促されるように、僕は辿々しく言葉を紡ぐ。
「……昔から、体どっか動かしてないと、落ち着かなくて……かといって別に、運動だとか体操だとか、得意な訳じゃないんだけど、母さんはやらせたがってたけど僕にはハマらなくて、だからかぎ針編みはずっと指動かしてられて、頭空っぽになるし、幼稚園の時は指編みだったんだけど、かぎ針使えるようになってからはそれで……」
支離滅裂な僕の話を、轟木は少し首を傾げながら聞いていた。
「良く分かんねーけど、編む為に編みたいけど編んだもんが邪魔だから誰かにあげられあらラッキー、ってこと?」
「邪魔、とまでは、……でも、大体そう」
「あっそ。なら、良かった」
あっさりと。轟木は言い放った。
「やっぱ金払うって言っても、作ったりすんの頼むって、時間も奪うから悪いんじゃねーかと思ってたけど。薫ちゃん金も出させてくんねーし」
「……いや、それは……」
「だから、お前が編みたくて、編んだもの人にあげられてありがたいってんなら、Win-Winってことでオッケ?」
「お、オッケー……」
「そ? なら、いんじゃね」
そうなのだろうか。そんなに簡単なことなのだろうか。戸惑う僕の前で、轟木はにかっと口の端を上げる。
「何だよ、薫ちゃんにプレゼントやろうと思ったのに、そういう理由じゃ毛糸は微妙かー」
「ぷ、プレゼントとかは……そんなの、いいのに」
「良くねーって。ま、いいや。じゃあ物より消えもの、ってことで、飯でも食い行こうぜ。奢るわ」
「いや、そんな……」
誕生日に人と出かける、ご飯はいらないかも知れない、と告げると、案の定、母は度肝を抜かれ、歓喜し、そして臨時の小遣いを出してくれた。昼飯代ということだろうが、だから奢られる必要は正直ない。
とはいえ、轟木の好意を無碍にするのも悪い。でも、その、ともごもご言う僕の肩を、轟木は呆れたように叩いた。
「気になんなら、俺の誕生日に奢り返してくれりゃいいよ」
あんま意味ねーけど、からから笑う轟木に、僕は心底戸惑いながらも、おずおずと頷いた。轟木の誕生日は確か九月と言っていたか。その時に、また轟木と出かけられるという、これは確約だろうか。
肩に触れた轟木の手のひらが熱い。轟木の体温が、与えられた言葉とともに、ことりと胸の奥に、落ちた。
「相変わらず、器用なこって」
作業机に肘を突いた轟木が、呆けたような顔でぼんやり呟く。随分と心ここにあらずだ。
多分返事は必要とされてないだろう。僕は特に相槌も打たないまま、またかぎ針を進めた。
「それ、何作ってるん?」
どうやら今日の轟木は話したいテンションらしい。ちらと顔を上げると、相変わらず鋭い目が僕の手元をじっと見つめていた。
「ブーケブランケット、って分かる? こう、縁に花のついたブランケットなんだけど、折り畳むと花束みたいになる奴」
「何それ、知らん」
「ちょっと前にSNSで話題になって……見栄えも良いから、文化祭の展示にしようかと思って」
「へぇ、薫ちゃんもSNSとかやるんだ」
聞いて来た割には僕の作っているものに関心はないらしく、アカウント教えてよ水臭い、などと軽口を叩く。これは取り合わなくても良い奴だ。いい加減学んだ僕は、無言で手元を動かした。
あれ以来、轟木は時折、被服室を訪れるようになっていた。手芸部の活動日と被らない、きまって僕が一人部屋の隅で編み物をしている、放課後。
廊下から上履きの踵を潰した足音がしたかと思えば、無遠慮に扉を開けて入って来る轟木は、いつも大概だらだらとスマホを眺めるか、どうでも良いような話題をダベるかして、適当に時間を潰して大体五時前には帰って行く。
『舞凛の奴が偏食でよー。俺だけならカップ麺でも何でもいいのに、作んなきゃなんねーからすげぇ面倒い』
ぶつぶつ文句を垂れる轟木の家庭環境について、確認をしたことはない。母親はどうやら仕事で忙しくしているらしく、家に余り帰っては来ないようだ。寂しがる舞凛が轟木を頼るのは分かるし、轟木がそれを煩わしく思うのも当然だろう。
くるくると白い輪を広げて行く。黙々と手を動かす被服室に、静かな雨音が響く。六月に入り、ここ数日は細い雨が続いていた。つい先日関東も梅雨入りが発表され、日頃自転車通学をしている僕にはダルいことこの上ない。
「舞凛の奴が、また薫ちゃんにシュシュ作って欲しいんだとよ」
僕が碌な返答をしないことも構わず、轟木が続ける。いい加減僕の性分にも慣れて来たらしい。
「それ作り終わったらでいいから、また頼めるか? 礼は出す、当然」
「ああ……うん。ちょっと時間は掛かるけど」
「ありがてぇ。七月に舞凛の誕生日なんだけど、丁度夏休み入りたてだから、学校の友達に祝って貰えないかも、って拗ねててよ」
なるほど、長期休みの誕生日問題は稀に聞くことがある。友達のいない僕には元より関係のない話だが。
「誕生日プレゼント、か」
相変わらず女子の、というより女児の好む雰囲気など分かりようもない。シュシュ自体は簡単に出来るが、一応轟木に相談しながら作った方が良いかも知れない。ブランケットは家でも出来るし、明日から余り糸を持って来て試してみようか。とはいえ雨だから大荷物になるのは少し、面倒臭い。
「そういや、薫ちゃんは誕生日いつなん?」
ちな俺は九月、轟木に顔を覗き込まれ、僕は言葉を詰まらせる。しとしと、しとしと、雨音が響く。窓の外の曇り空が、部屋を薄暗く染めていた。
返答のない僕に、焦れたように轟木がスマホを揺らした。
「で、いつ?」
「あ…………した、です」
「……あ?」
言い難い話題の時には、どうも未だに口ごもり気味になってしまう。誤魔化すように僕は謎の敬語で告げた。
「明日、です」
「明日ぁ?! おま、そーゆーことはもっと早く言えよ!?」
いつになく馬鹿でかい轟木の声が耳にキンキン響く。そんなに大きな声を出さなくても良いだろうに。知らず渋面になる僕に、轟木が大きく舌打ちした。
「ったく、薫ちゃんは本当、そういうとこだぞ。明日、十時に待ち合わせな」
「……え?」
「とりあえず薫ちゃんちの最寄り駅で。行きたいとこ、考えとけよ」
僕は手を止め、まじまじと轟木の顔を眺めた。目つきの悪い瞳がじいとこちらを見返して来る。
「……予定、入ってた?」
何処か自信なさそうに聞かれ、僕は驚きのままに首を横に振る。そらよかった、ほっとしたように轟木の目元が緩んだ。
そうなのだろうか。そういうものなのだろうか。困惑に包まれ、僕は瞬く。誕生日を誰かと祝ったことなどない。いつも親に飯は何がいいか聞かれて、初めて自覚するくらいだった。
明日、土曜日、誕生日。昼飯はいらないなどと言ったら、度肝を抜かれた母が卒倒しやしないだろうか。
戸惑う僕の前で、轟木が満足げに口の端を上げていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僕が手に取った毛糸の塊を見て、轟木が頬をひきつらせた。
「え……やば。量もやばいし値段もやばくね?」
「大玉だから……200gあるから、それはそれなりの値段もするよ」
「いや量分からんて」
「でもこれは比較的お値打ちな奴だから、……ほら、あっちの奴とか」
「っげ、高っっか!!」
轟木の無遠慮な声が、店内に響き渡る。隣で毛糸を手に取っていたマダムが、嫌そうに眉を顰めた。
休日の手芸屋に、轟木の姿はいかにも不似合いだった。緩やかにウェーブした茶髪に、英字の書かれた黒のパーカー、首と指にシルバアクセサリーをじゃらじゃらと引っ提げ、鋭い目つきで売場を眺める轟木の姿は、余りにも浮いている。
とはいえ僕も、余り人のことは言えた義理ではない。母親に選んで貰ったようなネルシャツにチノパン――実際、服に興味のない僕は、駅前のスーパー二階のファッションエリアで『これどう?』と母に言われたものを『それでいいよ』と適当に身につけているだけだ。
長めの前髪に隠れた冴えない顔も、ひょろりとした体躯も、余りにも陰鬱で、カラフルな色彩に溢れた手芸屋に似つかわしいとは言い難かった。
いつもは学校の何某かの用事で来ているんですよ、という体を装うべく、制服のまま訪れる手芸屋だが、こうして休日に来店するのは初めてのことだ。
僕の家の最寄り駅から地下鉄で十分足らずの所にあるターミナル駅。直結した百貨店の最上階フロアにある手芸店は、多くの客で賑わっていた。その大半が女性客であり、場違いな僕はいつもよりも多い人並みにきゅうと身を縮めている。
『こーゆーとこ初めて来たわ』
そんなことを言っていたのに、僕よりも浮いている轟木の方が寧ろ堂々と、物珍しげに店内を闊歩しているのが些か釈然としなかった。
「それ、買うん?」
「んー、色味見たかっただけだから。あんまり無目的に買うと……母親に怒られる」
「怒られるんか」
「これ以上ショール増やしてどうすんの! って」
轟木が爆笑する。場にそぐわないドカ笑いが売場に響き、何事かと振り返る客たちの視線が痛い。見た目の厳つさに反して、轟木は結構、笑い上戸だ。
「あ、これ……舞凛ちゃん好きそうかな、って思ったんだけど、好きな色知らないから」
ご婦人方の視線が居たたまれず、轟木のパーカーの裾を引っ張って僕は棚を移動する。小振りでカラフルなグラデーション毛糸の山を見ると、お、と轟木が声を上げた。
「確かに好きそーだわ、こーゆーパステルカラー的なやつ」
的な、というよりは正にパステルカラーだと思うが。オレンジ、ピンク、ペールブルー、ラベンダー、連続した色とりどりのグラデーション毛糸は、この手芸屋のオリジナルのもので、一玉ワンコインとお財布にも優しい。
「どれがいいと思う?」
「んー、このオレンジっぽいのと、ピンク系のはどっちも好きそうだけど」
「じゃあ、この二つで。あ、これは僕から舞凛ちゃんへのプレゼント、ってことにしても良いかな? だから、僕が買う、って意味だけど……」
「ちょい待ち」
二つ拾いあげた毛糸をカゴに入れると、轟木が制止の声を上げる。このくらいなら懐も傷まないし、舞凛は僕を友達にすると言い張っていたことだし、だから僕が買った毛糸で僕が作ったシュシュをあげても、前に轟木の言っていたヤリガイサクシュには当たらないと思うのだけれど。
また何か文句でも言われるだろうか。見返す先で、轟木が呆れたように眉を吊り上げた。
「あんさあ、薫ちゃん、今日誕生日だろ?」
「そう、ですけど」
「だから敬語! ったく、誕生日に行きたいとこ、って舞凛の誕生日のこと考えてんじゃねーよ、自分の買い物しろよ」
「それは、そうなのかも知れない……けど」
「けど?」
「……僕にとっては、編むことが目的、だからさ」
「……あ?」
どうやら轟木は僕が編み物を好きだと思っている節があるようだ。そうではない。僕の編み物は、趣味などと呼べるような高尚な代物ではないのに。
「えっと、編みたいから編む、というより、編まないといけないから編んでいるだけであって、編んだ後の成果物は寧ろ副産物でしかないというか。家の中ももう、編み物で溢れているし、それこそもうショールは沢山だっていう母さんの文句も最もだなって思うし、……だから、今回はシュシュだけど、そうやって編むものを頼まれるのは寧ろ嬉しいというか、好都合というか……」
「え、待て待て分からん」
また立て板に水のようにまくし立てる僕に、混乱したように轟木が眉間の皺を深くする。
「編まないといけないから、がマジで分からん。何、家族を人質にでも取られてんのか?」
「いや、そうじゃない。母さんも父さんも、別に命を握られてる訳じゃないよ」
「んなこた分かってんだよ、比喩だよ、比喩。で、編まないとけいない、って何」
ジト目の轟木に、僕は困って手元の毛糸玉を無意味に弄る。そこを追求されるとは思っていなかったから、どう説明すれば良いか分からない。
おずおずと見上げる先の轟木は、急かすでもなくじっと僕の返答を待っている。短気そうに見えて、轟木は案外、辛抱強い。
「ゆ、指先を……動かしてないと、気持ちが悪くて」
辿々しく説明を始める僕に、轟木は黙って静かな目を向けていた。促されるように、僕は辿々しく言葉を紡ぐ。
「……昔から、体どっか動かしてないと、落ち着かなくて……かといって別に、運動だとか体操だとか、得意な訳じゃないんだけど、母さんはやらせたがってたけど僕にはハマらなくて、だからかぎ針編みはずっと指動かしてられて、頭空っぽになるし、幼稚園の時は指編みだったんだけど、かぎ針使えるようになってからはそれで……」
支離滅裂な僕の話を、轟木は少し首を傾げながら聞いていた。
「良く分かんねーけど、編む為に編みたいけど編んだもんが邪魔だから誰かにあげられあらラッキー、ってこと?」
「邪魔、とまでは、……でも、大体そう」
「あっそ。なら、良かった」
あっさりと。轟木は言い放った。
「やっぱ金払うって言っても、作ったりすんの頼むって、時間も奪うから悪いんじゃねーかと思ってたけど。薫ちゃん金も出させてくんねーし」
「……いや、それは……」
「だから、お前が編みたくて、編んだもの人にあげられてありがたいってんなら、Win-Winってことでオッケ?」
「お、オッケー……」
「そ? なら、いんじゃね」
そうなのだろうか。そんなに簡単なことなのだろうか。戸惑う僕の前で、轟木はにかっと口の端を上げる。
「何だよ、薫ちゃんにプレゼントやろうと思ったのに、そういう理由じゃ毛糸は微妙かー」
「ぷ、プレゼントとかは……そんなの、いいのに」
「良くねーって。ま、いいや。じゃあ物より消えもの、ってことで、飯でも食い行こうぜ。奢るわ」
「いや、そんな……」
誕生日に人と出かける、ご飯はいらないかも知れない、と告げると、案の定、母は度肝を抜かれ、歓喜し、そして臨時の小遣いを出してくれた。昼飯代ということだろうが、だから奢られる必要は正直ない。
とはいえ、轟木の好意を無碍にするのも悪い。でも、その、ともごもご言う僕の肩を、轟木は呆れたように叩いた。
「気になんなら、俺の誕生日に奢り返してくれりゃいいよ」
あんま意味ねーけど、からから笑う轟木に、僕は心底戸惑いながらも、おずおずと頷いた。轟木の誕生日は確か九月と言っていたか。その時に、また轟木と出かけられるという、これは確約だろうか。
肩に触れた轟木の手のひらが熱い。轟木の体温が、与えられた言葉とともに、ことりと胸の奥に、落ちた。
