君を編む

 幼稚園の頃、僕の指編みを大層気に入ってくれた女の子がいた。
 体操の時間に園庭の隅っこで黙々と手を動かす僕の元に、その子は態々やって来ては、『すごいねー』『ながいねー』『とってもきれい』とにこにこしながら言うのだった。
 延々と地面に伸びる蛇に対してそんなことを言ってもらえると、他人に興味のない僕としても流石に悪い気はしない。だから、『わたしにもつくってよ、ねえ』とのお願いも、それならば作ってやってもいいかと、僕は無言で頷いた。女の子は嬉しそうに笑っていた。
 その日の内に母に頼んで、女の子の好きそうな色の毛糸を買いに行き、蛇をくるりと輪にしてマフラーとも首飾りともつかないものを作り上げた。幼稚園児の作った拙いものだけれど、その時の僕にしてみれば、他人にあげるという初めての経験なので、自分なりに工夫して作ったつもりだ。
 けれど、次の日、その子は幼稚園に来なかった。次の日も、その次の日も。多分インフルか何かの流行り病だったのだろう。どうしようもないことであるが、幼い僕にはどうしても納得が出来なかった。だって頼まれたから作ったのに。渡せないものをいつまでも持っているのは気持ちが悪い。だから、渋る母に何度も何度も頼んで、その子の家に連れて行って貰った。
 すみません突然どうしても今日渡すって聞かなくて、あらどうもすみませんね態々お越し頂いて。上っ面な会話を繰り広げる母親の後ろから、顔を覗かせたその子の、ひきつった表情を覚えている。
 何であんたがここにいるの家にまで来て怖いうざい気持ち悪い――。
 その子が何を思ったか、本当の所は分からない。でもその日以来、その子が僕に話しかけて来ることはなかった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 今更そんなことを思い出すなんて、どうかしている。轟木と書かれた表札の前で、僕はあの時の女の子のようにひきつった表情で立ちすくんでいた。

 轟木の家の住所は黒沢部長に聞いた。かなり濁して迂遠な言い回しをしていたが、どうやら轟木は中学でも札付きの悪として名を馳せていたらしく、学年の違う部長も住所を知る程に問題のある家庭だったようだ。
 高校から自転車で十分ほど。最寄り駅としては、丁度高校近くの駅を挟んで僕の自宅とは路線の反対方向に位置していた。
 Googleマップを駆使して辿り着いたのは、大通りから少し外れた、入り組んだ道の果ての平屋だった。その辺りは全体的に建物が大きく、平たく、些か古めかしい。大通りの方にタワーマンションのばかすか建った開発地区からぽっかり取り残されたような、下町然とした町並みだった。

 轟木の表札の前に自転車を止め、僕は門柱の前で立ち尽くした。門扉は設置されておらず、所々欠けたコンクリートの門柱の向こう、殺風景な砂利道が続いている。
 玄関まで続く砂利道の途中に、女児がうずくまっていた。幼稚園か、小学校低学年くらいだろうか。幼い子供の年齢なんて僕に分かる訳もない。点々と敷かれた石畳の一つにうずくまった少女は、がりがりとコンクリの欠片を擦り付けていた。
 削れた破片がチョークのように白く石畳に跡を描く。耳の長い謎の生き物を描いている
 不意に少女が、顔を上げないまま口を開いた。

「これ、なーんだ?」

 沈黙が辺りを包んだ。殺風景な庭に、がりがりとコンクリを削る音だけが響く。

「ねえ……これ、何だと思う、って聞いてんだけど?」

 じれたように少女が顔を上げた。頭の上の高い位置で結んだポニーテールが揺れる。吊り目がちの瞳にひたと見据えられ、僕はたじろいだ。ひょっとして僕に話しかけているのだろうか。見ず知らずで家の前に立っていただけの、この僕に。
 恐る恐る、僕は門の内へ足を踏み入れる。じゃりじゃりと進み少女の傍らに立ち、石畳に描かれた落書きを見下ろした。

「…………うさぎ?」
「ぶっぶー」
「……じゃあ、……猫?」
「違う、全然ちがーう! もう何で分かんないの、ママも上手って言ってくれるのに!」

 頬を膨らませた少女に睨まれ、僕は困惑した。分からないものは分からないから仕方がないだろうに。他人と接するのは苦手だ。それが道理の通らない子供であるなら、尚更。

「あれだよ、あれ! ゲームしたことあるでしょ!?」

 口を尖らせた少女に詰められ、僕は何とか国民的人気のキャラクターの名前を捻り出す。うさぎなのかネズミなのか良く知らないキャラクター名を告げると、少女の顔がぱあっと輝いた。

「ピンポーン! やっと分かったの?」
「……あんまり、知らなくて」
「うそ、ゲームも? アニメも??」
「うん、やったことない、から」

 僕が呟くと、少女が信じられないものを見る目で僕を見上げた。別に、親にそうした娯楽を規制されていた訳ではない。どちらかと言えば母は僕に色んなものに興味を持たせようと、最新のゲーム機も買ってくれたし、休みの日はアニメ映画をつけてくれたりもした。単に僕がそうしたものに惹かれなかっただけだ。

 話し声が聞こえたからだろうか。石畳の先の玄関の引き戸が、がらりと開けられた。

「ねー、たけるくーん! たけるくんの友達、何か変ー!」
「そいつは変だよ。友達じゃねーけど」

 入り口から顔を覗かせた轟木猛が、呆れたように僕らを見ながら、言った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 埼玉にある祖父母の家は木造で築50年は建っている、だだっ広い日本家屋だった。日中でも薄暗く、いつでもすきま風が入り込んで来る。階段は急勾配で、子供にはいかにも危険だった。僕はいつも尻餅をつくようにして下りていた。庭に面した窓はいつも開け放たれていて、近くに住み着いている野良猫が縁側に無遠慮に入り込んで来る。獣の体臭とツナ缶が入り交じり、台所はいつも独特の臭いがしていた。
 轟木の家の玄関に入った瞬間、僕はその祖父母の家を思い出した。『もー、何にも知らないんだから! まりんが教えてあげる!』と意気込んだ少女に手を引かれ、僕は轟木家に足を踏み入れていた。

『何余計なことしてんだよ、まりん』
『いーでしょ、たけるくんの友達じゃなくても、まりんが友達になれば!』

 勝手なことを言い、まりんと呼ばれた少女はぐいぐいと僕を引っ張って家の中に招く。広い三和土でローファーを脱ぎ、上がった先の廊下で、轟木はジト目を僕に向けていた。
 スポーツブランドのロゴの入った黒いジャージの上下は部屋着なのだろうか。傷の入った柱にもたれる姿は妙に決まっている。

「……で、お前何しに来たの」
「あ、え、その……これ、渡しそこねてたから……」
「何それ、かわいい!!」

 慌てて鞄に手を突っ込むも、勢い余ってカラフルなシュシュを床にぶちまけてしまう。きらきらと目を輝かせたまりんが歓喜の声を上げた。

「これあたしに? まりんにくれるやつ?!」
「っおい、まりん!」

 舌打ちをした轟木が、鋭くまりんを制する。だが幼い子供が聞く訳もない。床に散らばったシュシュの中からもこもこのピンクのものを拾う。轟木が盛大に舌打ちした。

「お前のじゃねーっての」
「えー、まりんも欲しー!」
「ばか、さっさと放せって。お前も何持って来てんだよ」

 苛立ったように睨む轟木を、僕は困って見つめる。もたれていた柱から身を起こし、傍らに立つ轟木は僕より少し背が高い。目つきの悪い相貌をじっと見上げると、轟木は決まりが悪そうに視線を逸らした。

「いや、俺が頼んだからだよな」
「え、たけるくん作って貰ったの? まりんのため??」
「ちげーって、お前のじゃねーし」

 違うのか。黒沢部長の言っていた年の離れた妹、というのがこのまりんとやらなのだろう。その子の為にシュシュを作って欲しい、という話なのだろうと、勝手に脳内で繋げていたのだか。
 えーやだ欲しいまりんも欲しいーうるせー黙れ触んな向こう行ってろよ何でよたけるくんのケチー。目の前で繰り広げられる口論に僕は目を白黒させた。生憎僕は一人っ子なので分からないが、兄弟喧嘩というのはこうしたものなのだろうか。それにしても随分と口が悪い気がする。というより高校生にもなって幼児と言い争うのもどうなのか。

 退こうとしないまりんに、轟木はまた盛大に舌打ちをした。

「……じゃあ小遣いで払えよ」
「え、」
「え、いいの! 分かった!」

 轟木に言われ、僕が制止する間もなくまりんは脱兎の如く駆け出した。ぎっぎっと鳴り響く廊下を駆け、ものの一分も経たない内に駆け戻って来る。
 手には紙粘土で作ったネズミともうさぎともつかない生き物が握られていた。地面に描いていたのと同じキャラクターだろうか。ひっくり返すと、底の部分が蓋になっている。まりんが力一杯蓋を開けると、中からちゃりんちゃりんと音がした。工作で作った貯金箱のようだ。

「いくら?」
「あ、……いや、」
「これ、いくら? まりんねえ、ママのお手伝いしてるから、お金持ちなんだよ」

 ちゃりちゃりと自慢げに貯金箱を揺らすまりんに、途方に暮れて僕は轟木を見た。轟木は何だか険しい顔で僕を睨んでいる。どうやら轟木は、僕が無償でものを提供するのが嫌らしい。新たに毛糸を用立てたとかなら別だが、こんなものは家にあった余り糸を使っただけなのに。
 だがいつまでも轟木の不機嫌を浴びているのも面倒臭かった。僕は指を一本立てる。

「1000円? だいじょーぶ、あるある、ちょっと待ってね……」
「いや、ええと……100円でどうでしょう……?」
「100円?! いいの?! 安い!!」

 きらきらと瞳を輝かせたまりんが、いそいそと貯金箱から硬貨を取り出す。差し出された銀色の円形を、受け取るべきか否か。困ってまた窺う先の轟木が、無言で頷くので、僕は恐る恐る100円硬貨を受け取った。

「やったー! たけるくん、結んで結んで!」
「やだね」
「もー、本当ケチなんだから! いいもん、ママ帰って来たら可愛くして貰うんだから」

 ピンクのもこもこのシュシュを手首に付けたまりんは、ぷーと頬を膨らませながらも、何処か満足げにまた廊下を駆けていった。

「おい、まりん! 礼!」
「い、いや、別にそれは……」
「ばか、これはうちの躾の問題だっつーの……まりん!」

 轟木が声を荒げると、遠くからはいはいありがとねー、とおざなりなお礼が飛んで来た。

「ったく、調子いい奴」
「……はあ」
「お前もお前だっつーの、ちゃんと対価は請求しろよ」
「で、でも本当に……材料費とかは全然、100円もしないのに、いいのかな……」
「ばーか、労力が掛かってんだろうが、本当しゃーねーのな、薫ちゃん」

 く、と皮肉げに口の端を上げる轟木は、もう機嫌は悪くなさそうだった。そんなに大事なのだろうか、その対価とやらは。理解出来ないでいる僕に向けて、轟木はくいと顎を動かした。

「ま、折角来たんだし、上がってけば」

 顎先で家の内を示され、僕はまた、はあ、と力なく、返事をした。