「……母さん、こっちとこっち、どっちの色がいいと思う?」
ダイニングで書類の整頓をしていた母の手から、ばさりと紙の束が机に落ちた。保険の契約書、株の支払い通知書、学校の入学案内、必要があるのだか分からない領収書の数々――。
人のことを言えた義理ではないが、整理整頓能力は皆無だ。机に散らばった書類を目で追う僕の前で、母がでっかいファイルを取り落としながら目を白黒させた。
「あんた、何急にそんなこと聞いて……」
「いや、別に……どっちの色がいいかな、って思っただけで」
「だってそんなの今まで気にしたこともなくて、余った毛糸でトンチキな配色してても全然平気だったじゃない」
実の息子にトンチキとか言わないで欲しい。母の傍ら、僕はジト目で両手を母の目の前に差し出した。片手には白地に縁だけ濃淡のあるピンクの毛糸を編み込んだもの、もう片方の手にはピンクやオレンジや黄色や、カラフルでもこもこな毛糸で編んだもの。
驫木の推定彼女である同じ年頃の女の子の好みそうなデザインなんて知りようもない。身近な異性と言えば母しかおらず、夕飯前に質問してみたらこの反応である。心が折れそうになるのを堪えて、椅子に腰掛けた母の前にずいと両手を差し出した。
「なあに、部長さんに何か言われた? これ文化祭で売る奴でしょ? ダサいとか言われちゃった?」
随分な言い分に、僕は鼻白む。確かに僕はこれまで色味だの何だのと拘ったことはない。図書館で借りてきた本に載っている編み図を編む時は、大体が載っている毛糸で編むようにしている。只、どうしても余ってしまう毛糸の端で、手遊びに編み出すモチーフや小物は、どうしても頓珍漢な色使いになりがちだった。
「別に……学校の人に頼まれただけで」
「それって……と、友達?!」
仰天した母がガタガタと椅子から立ち上がる。そんなに過剰反応しなくても良いじゃないか。思えども、生まれてこの方十七年、友人と呼べる存在のいなかった僕が、学校で人と接しているというだけで親としては感激ものなのだろう。
「……只の、隣のクラスの人」
「あ、ああ、そうなの……」
急にトーンダウンして着席する母に、僕は酷く気まずい思いになった。幼い頃から人と付き合うことが苦手で、平気で一人でいようとする僕を、何とか社会の輪に入れようと母がどれだけ苦心して来たかを知っている。それだけに申し訳なさは年々募っていった。
きっとこの先も、僕は母の望むような知人や、友人や――ましてや恋人だなんて、一生来やしないのだろうから。
「人にあげるからって、頼まれただけだよ」
「そう……大丈夫? 無理してない?」
意気消沈した母は、気を取り直すようにこちらを伺って来る。友人ではないと知れた途端、今度は僕が強要されていないか、下手をしたら虐められていないかと、心配の方向に脳がシフトチェンジしたようだ。
心配する親の気持ちは分かる。それと同時に、どうしてもそれを煩わしく思ってしまうこちらの気持ちも分かって欲しい。
些か苛立ちながら、僕はまた母の前にシュシュを突き出した。
「……で、どっち」
「えー、そんなの相手の趣味によるでしょう? どっちも持って行って聞いたらいいじゃないの」
真顔で正論をのたまう母に、それが難しいんだよと僕は肩を落とす。『試しに色々作ってみたけど、どっちが好みー?』だなんて、フランクな会話、先日会ったばかりの相手と出来る訳がない。勿論轟木以外の人と出来る訳でもない。
辛うじて学校という名の社会には多少なりとも適合出来ている。だが、人との関わりという点においては壊滅的だ。僕がこの先、誰かと一緒に生きていく未来など、有り得ないのだ。
期待しないで欲しい、望まないで欲しい。
全くぬか喜びだとでも言いたげに、ちらかった書類を集める母には、とてもそんなことは言えない。カラフルなシュシュを握り締め、僕は憂鬱さに面を伏せた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「え、やばすっげー、すげぇな薫ちゃん」
僕が次々と作業机に並べるシュシュを前に、轟木は感嘆の声を上げた。
結局、色味もサイズ感も決めあぐねて、家にある毛糸を手当たり次第に髪ゴムに巻き付けた。
細い毛糸で作った繊細なグラデーションのシュシュ、極太なカラフル毛糸で作った大降りなシュシュ。多種多様な制作物を机上に並べながら、僕は内心冷や汗を掻く。ちょっと頼まれただけなのに、張り切っていると思われやしないだろうか。やり過ぎ、うざい、きもい、そんな誹り言葉が頭を巡り、俯きながら僕は黙々と鞄からシュシュを取り出す。
轟木の反応は素直だった。僕が机の上にシュシュを置く度に、すげー、だの、おー、だのと、声を上げてくれる。お陰で僕は心折れることなく、十個近くの髪飾りを全て机に置ききることが出来た。
「はー、これ一日で作ったのか。すげーなお前」
「いえ……別に」
「ってか気楽に頼んじまったけど、悪いな負担になったんじゃねーか?」
「それは……大丈夫、ですけど」
寧ろ適当に熱中出来るものを用意してくれてありがたい限りだ。これが試験前とかだと熱中し過ぎて止め時を見失い、惨憺たる点数になりかねないのだが。
引かれないかとの心配は杞憂に終わったようだ。轟木はしげしげと僕の作ったシュシュを眺め、その内の一つを手に取った。
「あー、これ、貰っていいのか?」
「うん……文化祭の試作を兼ねて作っただけ、だから」
「あっそ? じゃ、遠慮なく。どれ貰っていいい? てかオススメある?」
「……ぶ」
「あ?」
「全部、持ってっていい、です」
「ああ?!」
僕が言うと轟木の目つきが険しくなった。
「いや駄目だろ、それは」
「いや、いい、ですけど」
「試作っつったのおめーだろうが」
突然にむっとし出した轟木のことが分からず、僕は顰められた眉間を只見つめた。別に、全部渡すと言っているのだから貰っておけば良いのに。
「大体こんなん材料費とかあるだろ。文化祭だって一個200とか300円とかで売ってたろーが」
「あ……でもこれは、……家にあった余り糸で作った奴だから……」
「そういう問題じゃねーって」
轟木が苛立ったように吐き捨て、僕は困惑してその顔を見つめた。轟木が何に憤っているのか分からない。人の感情の機微を測ることも、それを相手に尋ねることも、僕にとっては清水の舞台から飛び降りるよりも難しい。
そういえば中学の京都修学旅行では、グループでの行動をしなければならず地獄だった。パワースポット好きの女子が音羽の滝に向かうとキャッキャしている横で、さっさと一人で見るべきものを見た僕は7y、三年坂の店先で休憩していた。一人ぽつねんと座る僕を、担任がえらく心配したものだ。
小学校の時も遠足はグループ行動だった。テレビ局を見たいからお台場に行くと言っていた班のメンバーに着いていけず、僕一人だけ博物館巡りの別行動をしていた。あれは先生も把握していたことだったろうか。記憶にないが、我がことながら担任の苦労が忍ばれる。
あっちへこっちへ勝手に移動していく思考を断ち切ったのは、被服室のドアが開けられる音だった。
「あ、早瀬君、ちょっと今いいかな――」
手芸部の部長だった。静かに戸を開けたお下げ髪の三年生は、僕と向かいに座る轟木を見てぎょっとしたように入り口に立ちすくんだ。
どういう組み合わせ? と問いたげな気配に、小さく舌打ちをした轟木が椅子を蹴り上げるように立ち上がる。手にしていたオレンジ色のシュシュを机に放り出し、乱暴な足音を立てて轟木は被服室を出て行った。
「えっと……ごめん、邪魔したかな?」
轟木と、僕と、机の上に並んだシュシュを眺める部長は、僕の母親と同じ表情を浮かべていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで、去年の売り上げ的に一番はポーチだから、今年はそっちに力入れたくて。ノウハウもあるから一年の子たちにも教えやすいし、一・二年の子たちはそっちに注力して貰うつもり。だから毛糸に割ける予算っていうのが、このくらいになるんだけど」
部長がスマホの画面を僕に向けながら、柔らかな口調で告げる。画面には几帳面なエクセルのデータが示されている。昨年の文化祭での手芸部の帳簿だ。何をどれだけ作り、材料費に幾ら掛かり、何個売れて売り上げが幾らだったのか。
我らが手芸部の黒沢部長は、とても几帳面で丁寧だ。そして人当たりも良く成績の良い優等生でもある。何かこういうの任されちゃうんだよね、などと言いながらクラス委員もこなすパワフルな女生徒だ。おまけに僕のような明らかに浮いている存在にも平等に接してくれる。とてもではないが、僕などでは頭が上がらない。
「多分、これなら、20個くらいは出来るか……とは思います、けど」
「本当? 助かる! 夏休み前には会計の松村さんと買い出し行こうと思ってるんだけど、一緒に……」
「お任せします」
「そう? 色とか種類とか……」
「お任せします」
きっぱりと返答すると、部長はきゃらきゃらと笑った。僕の性格も把握して、話題を降り適度に引いてくれる。黒沢部長の存在があってこそ、僕が男一人の手芸部でやっていけていると言っても過言ではない。
「本当、早瀬君面白い」
何がおかしいのかくすくす笑っていた部長が、ふっと顔を曇らせた。
「ごめん、聞いていいのか分からないんだけど……さっきの、二年の轟木君、だよね?」
「はい……そう、ですけど」
「本当に脅されてたりとか、しない、よね?」
「しないです」
そこだけは言い切れる。少なくとも僕は脅されたとは感じていない。頼まれただけだ。寧ろ頼まれてもいない。僕の方から言い出したことですらある。
「そっか……ごめんね、変な心配して。轟木君、中学の後輩でもあるんだけど、その頃から色々……色んな評判を聞いてたから」
多分余り良い噂ではなかったのだろう。言いよどみながらも部長は、僕の関心のなさから来る沈黙を、促しと思ったようだ。
「ほら、ご両親が離婚されてから、大分荒れてたみたいだし……って友達のこと、あんまり噂にされたくないよね。ごめん、忘れて」
「……いえ」
友達という言葉が胸に突っかかる。誰もかれも、どうして勝手に僕と轟木を友達にしたがるんだ。そう思うが、同じ生徒同士の関係なんて、他に言いようがないのかも知れない。友達という枠組みで見なければ、轟木と僕は、不良とカツアゲされるイジメられっ子にしか見えないだろうから。
「年の離れた兄弟もいるらしいから……でもきっと、早瀬君と友達でいることが、轟木君にとっても良い影響になりそうだね」
博愛主義の部長はにこりと微笑む。魅力的で可愛らしい笑みだ。学校内でも彼女のファンは多いと聞く。きっと放課後の部活動で二人きり、だなんてシチュエーションは、他の男子生徒にしてみれば垂涎ものだろう。
けれど自分のことだけでいっぱいいっぱいで色恋沙汰なんて以ての外の僕は、麗しのマドンナを前に、突然寄越された轟木の家庭事情を持て余し、はい、と小さく頷くしか出来なかった。
ダイニングで書類の整頓をしていた母の手から、ばさりと紙の束が机に落ちた。保険の契約書、株の支払い通知書、学校の入学案内、必要があるのだか分からない領収書の数々――。
人のことを言えた義理ではないが、整理整頓能力は皆無だ。机に散らばった書類を目で追う僕の前で、母がでっかいファイルを取り落としながら目を白黒させた。
「あんた、何急にそんなこと聞いて……」
「いや、別に……どっちの色がいいかな、って思っただけで」
「だってそんなの今まで気にしたこともなくて、余った毛糸でトンチキな配色してても全然平気だったじゃない」
実の息子にトンチキとか言わないで欲しい。母の傍ら、僕はジト目で両手を母の目の前に差し出した。片手には白地に縁だけ濃淡のあるピンクの毛糸を編み込んだもの、もう片方の手にはピンクやオレンジや黄色や、カラフルでもこもこな毛糸で編んだもの。
驫木の推定彼女である同じ年頃の女の子の好みそうなデザインなんて知りようもない。身近な異性と言えば母しかおらず、夕飯前に質問してみたらこの反応である。心が折れそうになるのを堪えて、椅子に腰掛けた母の前にずいと両手を差し出した。
「なあに、部長さんに何か言われた? これ文化祭で売る奴でしょ? ダサいとか言われちゃった?」
随分な言い分に、僕は鼻白む。確かに僕はこれまで色味だの何だのと拘ったことはない。図書館で借りてきた本に載っている編み図を編む時は、大体が載っている毛糸で編むようにしている。只、どうしても余ってしまう毛糸の端で、手遊びに編み出すモチーフや小物は、どうしても頓珍漢な色使いになりがちだった。
「別に……学校の人に頼まれただけで」
「それって……と、友達?!」
仰天した母がガタガタと椅子から立ち上がる。そんなに過剰反応しなくても良いじゃないか。思えども、生まれてこの方十七年、友人と呼べる存在のいなかった僕が、学校で人と接しているというだけで親としては感激ものなのだろう。
「……只の、隣のクラスの人」
「あ、ああ、そうなの……」
急にトーンダウンして着席する母に、僕は酷く気まずい思いになった。幼い頃から人と付き合うことが苦手で、平気で一人でいようとする僕を、何とか社会の輪に入れようと母がどれだけ苦心して来たかを知っている。それだけに申し訳なさは年々募っていった。
きっとこの先も、僕は母の望むような知人や、友人や――ましてや恋人だなんて、一生来やしないのだろうから。
「人にあげるからって、頼まれただけだよ」
「そう……大丈夫? 無理してない?」
意気消沈した母は、気を取り直すようにこちらを伺って来る。友人ではないと知れた途端、今度は僕が強要されていないか、下手をしたら虐められていないかと、心配の方向に脳がシフトチェンジしたようだ。
心配する親の気持ちは分かる。それと同時に、どうしてもそれを煩わしく思ってしまうこちらの気持ちも分かって欲しい。
些か苛立ちながら、僕はまた母の前にシュシュを突き出した。
「……で、どっち」
「えー、そんなの相手の趣味によるでしょう? どっちも持って行って聞いたらいいじゃないの」
真顔で正論をのたまう母に、それが難しいんだよと僕は肩を落とす。『試しに色々作ってみたけど、どっちが好みー?』だなんて、フランクな会話、先日会ったばかりの相手と出来る訳がない。勿論轟木以外の人と出来る訳でもない。
辛うじて学校という名の社会には多少なりとも適合出来ている。だが、人との関わりという点においては壊滅的だ。僕がこの先、誰かと一緒に生きていく未来など、有り得ないのだ。
期待しないで欲しい、望まないで欲しい。
全くぬか喜びだとでも言いたげに、ちらかった書類を集める母には、とてもそんなことは言えない。カラフルなシュシュを握り締め、僕は憂鬱さに面を伏せた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「え、やばすっげー、すげぇな薫ちゃん」
僕が次々と作業机に並べるシュシュを前に、轟木は感嘆の声を上げた。
結局、色味もサイズ感も決めあぐねて、家にある毛糸を手当たり次第に髪ゴムに巻き付けた。
細い毛糸で作った繊細なグラデーションのシュシュ、極太なカラフル毛糸で作った大降りなシュシュ。多種多様な制作物を机上に並べながら、僕は内心冷や汗を掻く。ちょっと頼まれただけなのに、張り切っていると思われやしないだろうか。やり過ぎ、うざい、きもい、そんな誹り言葉が頭を巡り、俯きながら僕は黙々と鞄からシュシュを取り出す。
轟木の反応は素直だった。僕が机の上にシュシュを置く度に、すげー、だの、おー、だのと、声を上げてくれる。お陰で僕は心折れることなく、十個近くの髪飾りを全て机に置ききることが出来た。
「はー、これ一日で作ったのか。すげーなお前」
「いえ……別に」
「ってか気楽に頼んじまったけど、悪いな負担になったんじゃねーか?」
「それは……大丈夫、ですけど」
寧ろ適当に熱中出来るものを用意してくれてありがたい限りだ。これが試験前とかだと熱中し過ぎて止め時を見失い、惨憺たる点数になりかねないのだが。
引かれないかとの心配は杞憂に終わったようだ。轟木はしげしげと僕の作ったシュシュを眺め、その内の一つを手に取った。
「あー、これ、貰っていいのか?」
「うん……文化祭の試作を兼ねて作っただけ、だから」
「あっそ? じゃ、遠慮なく。どれ貰っていいい? てかオススメある?」
「……ぶ」
「あ?」
「全部、持ってっていい、です」
「ああ?!」
僕が言うと轟木の目つきが険しくなった。
「いや駄目だろ、それは」
「いや、いい、ですけど」
「試作っつったのおめーだろうが」
突然にむっとし出した轟木のことが分からず、僕は顰められた眉間を只見つめた。別に、全部渡すと言っているのだから貰っておけば良いのに。
「大体こんなん材料費とかあるだろ。文化祭だって一個200とか300円とかで売ってたろーが」
「あ……でもこれは、……家にあった余り糸で作った奴だから……」
「そういう問題じゃねーって」
轟木が苛立ったように吐き捨て、僕は困惑してその顔を見つめた。轟木が何に憤っているのか分からない。人の感情の機微を測ることも、それを相手に尋ねることも、僕にとっては清水の舞台から飛び降りるよりも難しい。
そういえば中学の京都修学旅行では、グループでの行動をしなければならず地獄だった。パワースポット好きの女子が音羽の滝に向かうとキャッキャしている横で、さっさと一人で見るべきものを見た僕は7y、三年坂の店先で休憩していた。一人ぽつねんと座る僕を、担任がえらく心配したものだ。
小学校の時も遠足はグループ行動だった。テレビ局を見たいからお台場に行くと言っていた班のメンバーに着いていけず、僕一人だけ博物館巡りの別行動をしていた。あれは先生も把握していたことだったろうか。記憶にないが、我がことながら担任の苦労が忍ばれる。
あっちへこっちへ勝手に移動していく思考を断ち切ったのは、被服室のドアが開けられる音だった。
「あ、早瀬君、ちょっと今いいかな――」
手芸部の部長だった。静かに戸を開けたお下げ髪の三年生は、僕と向かいに座る轟木を見てぎょっとしたように入り口に立ちすくんだ。
どういう組み合わせ? と問いたげな気配に、小さく舌打ちをした轟木が椅子を蹴り上げるように立ち上がる。手にしていたオレンジ色のシュシュを机に放り出し、乱暴な足音を立てて轟木は被服室を出て行った。
「えっと……ごめん、邪魔したかな?」
轟木と、僕と、机の上に並んだシュシュを眺める部長は、僕の母親と同じ表情を浮かべていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで、去年の売り上げ的に一番はポーチだから、今年はそっちに力入れたくて。ノウハウもあるから一年の子たちにも教えやすいし、一・二年の子たちはそっちに注力して貰うつもり。だから毛糸に割ける予算っていうのが、このくらいになるんだけど」
部長がスマホの画面を僕に向けながら、柔らかな口調で告げる。画面には几帳面なエクセルのデータが示されている。昨年の文化祭での手芸部の帳簿だ。何をどれだけ作り、材料費に幾ら掛かり、何個売れて売り上げが幾らだったのか。
我らが手芸部の黒沢部長は、とても几帳面で丁寧だ。そして人当たりも良く成績の良い優等生でもある。何かこういうの任されちゃうんだよね、などと言いながらクラス委員もこなすパワフルな女生徒だ。おまけに僕のような明らかに浮いている存在にも平等に接してくれる。とてもではないが、僕などでは頭が上がらない。
「多分、これなら、20個くらいは出来るか……とは思います、けど」
「本当? 助かる! 夏休み前には会計の松村さんと買い出し行こうと思ってるんだけど、一緒に……」
「お任せします」
「そう? 色とか種類とか……」
「お任せします」
きっぱりと返答すると、部長はきゃらきゃらと笑った。僕の性格も把握して、話題を降り適度に引いてくれる。黒沢部長の存在があってこそ、僕が男一人の手芸部でやっていけていると言っても過言ではない。
「本当、早瀬君面白い」
何がおかしいのかくすくす笑っていた部長が、ふっと顔を曇らせた。
「ごめん、聞いていいのか分からないんだけど……さっきの、二年の轟木君、だよね?」
「はい……そう、ですけど」
「本当に脅されてたりとか、しない、よね?」
「しないです」
そこだけは言い切れる。少なくとも僕は脅されたとは感じていない。頼まれただけだ。寧ろ頼まれてもいない。僕の方から言い出したことですらある。
「そっか……ごめんね、変な心配して。轟木君、中学の後輩でもあるんだけど、その頃から色々……色んな評判を聞いてたから」
多分余り良い噂ではなかったのだろう。言いよどみながらも部長は、僕の関心のなさから来る沈黙を、促しと思ったようだ。
「ほら、ご両親が離婚されてから、大分荒れてたみたいだし……って友達のこと、あんまり噂にされたくないよね。ごめん、忘れて」
「……いえ」
友達という言葉が胸に突っかかる。誰もかれも、どうして勝手に僕と轟木を友達にしたがるんだ。そう思うが、同じ生徒同士の関係なんて、他に言いようがないのかも知れない。友達という枠組みで見なければ、轟木と僕は、不良とカツアゲされるイジメられっ子にしか見えないだろうから。
「年の離れた兄弟もいるらしいから……でもきっと、早瀬君と友達でいることが、轟木君にとっても良い影響になりそうだね」
博愛主義の部長はにこりと微笑む。魅力的で可愛らしい笑みだ。学校内でも彼女のファンは多いと聞く。きっと放課後の部活動で二人きり、だなんてシチュエーションは、他の男子生徒にしてみれば垂涎ものだろう。
けれど自分のことだけでいっぱいいっぱいで色恋沙汰なんて以ての外の僕は、麗しのマドンナを前に、突然寄越された轟木の家庭事情を持て余し、はい、と小さく頷くしか出来なかった。
