次の日、僕は愚かにも、律儀にも、放課後被服室へと向かった。また明日。そう言われた言葉がどうにも頭に残っていて、無視することも出来ない。
不良にたむろされないだろうか、たかられないだろうか、そんな不安を抱えるのであれば、活動日でもないのだし、そもそも被服室を開けなければ良い。そうと分かってはいたが、いつもと違うことをするのもそれはそれで落ち着かない。憂鬱な足取りを引きずって放課後職員室に寄り、顧問に鍵を借りて、僕はいつものように被服室へ向かった。
幸いにして昨日の不躾な乱入者は、まだ来ていないようだ。廊下の足音に耳をそばだてながら、僕はいつもの最後部の作業机に腰を据える。
(別に、必ず来るって決まった訳じゃないし……平常心、平常心)
思えば思う程気になってしまう。気もそぞろなまま昨日使っていたアクリル毛糸を取り出し、かぎ針を繰った。何にしようか考える前に、手が勝手に鎖編みを作り出す。
今日はどうやら僕の手は、複雑な模様を編むより、兎に角頭を空っぽにしたがっているらしかった。それはそうだろう。いつまた前の扉が開かれるのではないかと思うと、心拍数はいつもより一段階早まっている気すらしていた。
余計なことは考えない。余計なことは気にしなくて良い。自分に言い聞かせるように、鎖編みの裏山にかぎ針を通す。そこからはもう、考えることなく手が自然に動いた。
だらだらとひたすらに長編みを続けていく。特に何になるでもない長い編み目を作っていくと、指編みを繰り返していた幼児の頃を思い出した。
幼少期の僕は、酷く繊細で臆病で、敏感で泣き虫で、それはもう育て難いなんてものじゃなかった、らしい。
毎日のように幼稚園の登園を嫌がり、泣きながら逃亡しようとし、当然のように友達もいなければ先生にも懐かない。
見かねて母は、僕の協調性と社会性を育てる為、ありとあらゆる習い事を試した。幼児教室、体操、水泳、サッカー、料理教室、プログラミング――。
人見知りな僕には何一つ続かず、結局最終的に合っていたのは、幼稚園で教わって来た指編みだった。もこもこの毛糸を三本の指に絡め、くぐらせ、それを何度も何度も繰り返す。単調な作業の先に出来上がるのは何になるでもない、只々うねる蛇のような代物で、床に延々伸びる毛糸の束の数々に、母親がやめてと懇願するまで、それは続いた。
指編みがかぎ針編みに進化し、編める種類が増えたが、僕の目的は変わらない。指先を動かしていると落ち着く。編むという行為が目的であって、出来上がるものはその副産物でしかない。
確かに編み図の通りに編み上げ、ものを作り上げるのは達成感がある。けれどそれは僕にとって副次的な効果でしかない。只ひたすらに編むこと。その為だけに、僕はかぎ針を繰り続ける。
黙々と長編み続け、無意味な編み地を作り上げる。しかし被服室に夕日が射し、窓の外が暗くなっても、轟木が現れることはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(何だよ……あいつ。来ないなら来ないって、言ってくれれば良いのに)
火曜日に被服室を訪れなかった轟木は、当然のように活動日である水曜にも来ることはなかった。
木曜、いつものように一人で被服室に籠もりながら、僕はふつふつと募る憤りをぶつけるべく、猛然とかぎ針を動かしていた。
黒い髪ゴムの周りに、細く白い毛糸をぐるりと編みつけていく。段々に目を増やしていけば、くしゃくしゃとフリルの華やかなシュシュが編み上がって行った。
昨日の部活は珍しく殆どの部員が集まっていたので、少し早いが秋の文化祭の話になった。手芸部は例年、制作物の展示の他に、簡単なハンドメイド作品の販売を行う。それぞれ得意なアクセサリーやポーチを作って売り出す売店は例年盛況で、早い内に売り切れる程大人気だった。
昨年、僕はかぎ針でシュシュを作った。これが中々に好評で、『早瀬君は今年もシュシュお願いね』と部長に直々に指定される程だった。
この制作こそが、僕が手芸部に入った理由の一つでもあった。
かぎ針で本格的な編み物が出来るようになってから、僕の前に立ち塞がる問題が一つあった。
金、である。
毛糸という代物は案外高い。ずっと100均の毛糸ばかりを使っていた僕が、初めて手芸屋に行って驚いたのが、毛糸の値段だった。量にも寄るが、大体が一玉500円は下らない。お高いものだと4,5000円もするのだから驚きだ。勿論そんな高級品には手が出ないが、それでも色替えを考えたり、細かな装飾を考えると、どうしても数を揃えたくなる。小遣いが溶けるのは時間の問題だった。
そこで手芸部、である。部活であるから、当然活動には部費が出る。日頃個人で制作するものについては、各自で材料は持って来るが、こうした文化祭用の商品は部費で材料を購入出来るのだ。他にも毛糸の余りは部室の後ろの備品棚に置いてあり、誰でも使って良いようにしてある。まさに、作る為に編むのではなく、編むことが目的の僕には、うってつけの部活だった。男子部員が僕一人だけというのも気にせず、一年の春に即入部したのも自然なことだろう。
黙々と、粛々と、黒いゴムに毛糸を編み込んで行く。予算は他の部員との兼ね合いもあるから、まずは試作だけ。
(『50個くらい作りましょうか』なんて迂闊に言わなきゃ良かった……部長、凄い顔してたな)
数を用意するのは苦ではない。寧ろ何も考えず同じ作業をするのは得意だ。とはいえ、他の部員と余りにも足並みを揃えないのは考え物だ。只でさえ唯一の男子部員、同学年と三年の先輩たちはもう慣れてくれたみたいだが、新入生たちはまだ警戒する所もあるだろうし。目立つ発言は避けるべきだった。
ひきつった表情で、『他の子の制作が決まってから個数は調整しようね』と幼子を窘めるように穏やかに言う部長の顔が脳裏に浮かぶ。嫌な記憶というのは厄介で、一度頭に浮かんでしまうと何度も、何度も、繰り返し同じシーンをリピートする。まるで壊れたDVDプレーヤーのようだ。
後悔を押し殺すように黙々と、粛々と、指先を動かす僕の耳に、廊下を歩く足音が聞こえた。パタパタ軽やかな女子生徒や、どたどたと駆け抜けて行く部活動の生徒とは違う。明確な目的を持った足音だ。踵を踏んでいるのだろうか。上履きを引きずったような足音が被服室の前で止まり、がらりと乱暴に前扉が開けられる。
「お……やっぱいるじゃん、薫ちゃん」
無遠慮に被服室の戸を開けた轟木が、僕を見て歪に口の端を上げていた。
「本当ここ、人いなくていいな」
断りもなくずかずかと部屋に入って来た轟木は、躊躇なく僕の正面の椅子に座る。完全に手の止まった僕は、その目つきの悪い顔をまじまじと見た。
「……何で……」
「あ?」
「火曜日」
「……ああ?」
「また明日って言うから、火曜日、来るかと思って……」
非難をしたい訳ではない。だが事実確認はしたい。じいと見つめる僕に、轟木は眉を顰めた。
「あんだよ、俺のこと待ってた訳?」
「別に、そういう訳じゃ……ただ、明日って言ってたのに、来なかったから……」
寧ろ来ない方が嬉しいにも関わらず、その約束とも言えない約束が妙に気になって、突っかかってしまうのは僕の悪癖だ。睨むつもりもないが、じいっと轟木の顔を見つめ続ける。唇の下にある、染みともほくろとも付かない小さな小さな黒点から目を離さないでいると、轟木は呆れたように眉根を下げた。
「お前、目ぇ反らさないのな」
「え、ああ、……はい、……え?」
「只のキョドりかと思ってたけど。いや、俺目つき悪ぃから、女子とか気弱ぇ奴とか、大体目合わねぇんだよ」
「はあ……そうですか」
どうやら僕の質問に答えてくれる気はないらしい。内心むっとしながら轟木の顔を見つめ続けると、轟木がにやっと唇を歪めた。目が細くなると、ますます人相が悪くなる。
「てか何で敬語? タメじゃん」
「はあ……まあ、そう、ですけど」
「普通に話せって」
「……はあ」
その普通が一番難しい。困った僕の指先は勝手に動き出し、またゴムの周りに編み目を作り出す。長編み、鎖編み、同じ目にまた長編み。
目の前の人も忘れてするする動く僕の手を、轟木は驚いたように見た。
「え、やば……それどうやってんの」
「どう、って……普通に」
「いや普通には出来んだろそれ。てか動き早」
轟木の言葉を聞きながらも、僕の手は止まらない。返答に困り、押し黙ってかぎ針を繰る僕を見て、轟木の目が細くなる。笑っているのか、目元も口元も和らいでいた。
「それ、何作ってんの? 髪留め?」
「えっと……シュシュを……文化祭で売る用の」
「あー、去年バカ売れしてた奴な。やたら話題になってたから、流れで買っちまったけど。あれお前が作ってたのか」
流れで男がシュシュを買うものだろうか。縁に使うグラデーションの入った紫の毛糸を手に取りながら、僕は考える。自分で作っておいて何だけれど、僕だったら、自分で使わないシュシュはきっと同じ状況になっても買いやしないだろう。
前に電話をしていた彼女にでもあげる分だったのだろうか。生憎僕にはそんな相手はおらず、作った制作物はいつも母に押しつけるか、断られれば戸棚の奥にしまい込んでいる。
「今年も売るん?」
「一応、その予定……です」
「だから敬語やめろって。評判良かったんだよなあ、また買ってやるか……でもあの列並ぶのダリィわ」
明け透けに言いながら、轟木は作業机に肩肘を突く。行儀が悪い。だが、気怠げな様が妙に決まっていた。
イケメンのオーラに当てられ、妙にどぎまぎした僕は、思ってもないことを口にしてしまう。
「あの……だったら、一個、作ろう……か」
恐る恐るの提案に、ぱっと轟木が顔を上げた。やさぐれた雰囲気が、一気に華やぐ。
「マジか。え、マジでいいのか。助かるよ」
昨日まで近寄りもしなかった警戒心の強い野良猫が、突然頬を擦り寄せて来たようだ。破顔する轟木は、痩せぎすの野良猫のような目を緩め、僕の顔を覗き込んで来た。
「マジありがてぇ。どんくらいで出来んだ、それ?」
「……普通に、明日には。素材、拘らなければだけど」
「すげぇな。素材とかわかんねーから何でもいいわ」
「……色は、何がいい、とか……?」
「あー、何か淡い色が好きとか何とか……ちょっと待ってな」
いそいそとスマホを取り出した轟木が、ふと僕の方に向けた。
「てか薫ちゃんの連絡先教えてよ。LINEくらいやってんしょ」
「え、ああ……はい、」
「ふ、また敬語なってるし」
口の端を上げる轟木が示したQRコードを、慌ててポケットから出したスマホで読み込む。一応の連絡手段として入れてはいるものの、連絡先画面にあるのは家族、手芸部の部長、部のグループLINEと、酷くシンプルなものだった。別段それで不自由はしていないし、特に恥ずべきことでもないとは思っている。だが世間の人間というのは、大量の連絡先を抱え、同時に何通も何通もメッセージを交わすものらしい。
ちらと見えた轟木の画面にも、大量のアイコンが並んでいた。その内一番上にあるのは、少し前に流行った韓国初の所謂キモカワと呼ばれる類のマスコットキャラクターの写真で、恐らくはそれがシュシュを欲しがっている相手――すなわち、轟木の彼女なのだろう。
素早く片手でフリックをし出す轟木を前に、僕は連絡先の画面に目を落とす。T.Takeru――イニシャルはT.T.だな。どうでも良い感想が頭に浮かぶ。
「やっぱピンクとかそういう系がいいってさ」
「……はい」
だから何で敬語、くしゃりと目元を緩ませる轟木の前で、僕は新たに連なった連絡先に困惑しながら、また、はいとだけ答えた。
不良にたむろされないだろうか、たかられないだろうか、そんな不安を抱えるのであれば、活動日でもないのだし、そもそも被服室を開けなければ良い。そうと分かってはいたが、いつもと違うことをするのもそれはそれで落ち着かない。憂鬱な足取りを引きずって放課後職員室に寄り、顧問に鍵を借りて、僕はいつものように被服室へ向かった。
幸いにして昨日の不躾な乱入者は、まだ来ていないようだ。廊下の足音に耳をそばだてながら、僕はいつもの最後部の作業机に腰を据える。
(別に、必ず来るって決まった訳じゃないし……平常心、平常心)
思えば思う程気になってしまう。気もそぞろなまま昨日使っていたアクリル毛糸を取り出し、かぎ針を繰った。何にしようか考える前に、手が勝手に鎖編みを作り出す。
今日はどうやら僕の手は、複雑な模様を編むより、兎に角頭を空っぽにしたがっているらしかった。それはそうだろう。いつまた前の扉が開かれるのではないかと思うと、心拍数はいつもより一段階早まっている気すらしていた。
余計なことは考えない。余計なことは気にしなくて良い。自分に言い聞かせるように、鎖編みの裏山にかぎ針を通す。そこからはもう、考えることなく手が自然に動いた。
だらだらとひたすらに長編みを続けていく。特に何になるでもない長い編み目を作っていくと、指編みを繰り返していた幼児の頃を思い出した。
幼少期の僕は、酷く繊細で臆病で、敏感で泣き虫で、それはもう育て難いなんてものじゃなかった、らしい。
毎日のように幼稚園の登園を嫌がり、泣きながら逃亡しようとし、当然のように友達もいなければ先生にも懐かない。
見かねて母は、僕の協調性と社会性を育てる為、ありとあらゆる習い事を試した。幼児教室、体操、水泳、サッカー、料理教室、プログラミング――。
人見知りな僕には何一つ続かず、結局最終的に合っていたのは、幼稚園で教わって来た指編みだった。もこもこの毛糸を三本の指に絡め、くぐらせ、それを何度も何度も繰り返す。単調な作業の先に出来上がるのは何になるでもない、只々うねる蛇のような代物で、床に延々伸びる毛糸の束の数々に、母親がやめてと懇願するまで、それは続いた。
指編みがかぎ針編みに進化し、編める種類が増えたが、僕の目的は変わらない。指先を動かしていると落ち着く。編むという行為が目的であって、出来上がるものはその副産物でしかない。
確かに編み図の通りに編み上げ、ものを作り上げるのは達成感がある。けれどそれは僕にとって副次的な効果でしかない。只ひたすらに編むこと。その為だけに、僕はかぎ針を繰り続ける。
黙々と長編み続け、無意味な編み地を作り上げる。しかし被服室に夕日が射し、窓の外が暗くなっても、轟木が現れることはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(何だよ……あいつ。来ないなら来ないって、言ってくれれば良いのに)
火曜日に被服室を訪れなかった轟木は、当然のように活動日である水曜にも来ることはなかった。
木曜、いつものように一人で被服室に籠もりながら、僕はふつふつと募る憤りをぶつけるべく、猛然とかぎ針を動かしていた。
黒い髪ゴムの周りに、細く白い毛糸をぐるりと編みつけていく。段々に目を増やしていけば、くしゃくしゃとフリルの華やかなシュシュが編み上がって行った。
昨日の部活は珍しく殆どの部員が集まっていたので、少し早いが秋の文化祭の話になった。手芸部は例年、制作物の展示の他に、簡単なハンドメイド作品の販売を行う。それぞれ得意なアクセサリーやポーチを作って売り出す売店は例年盛況で、早い内に売り切れる程大人気だった。
昨年、僕はかぎ針でシュシュを作った。これが中々に好評で、『早瀬君は今年もシュシュお願いね』と部長に直々に指定される程だった。
この制作こそが、僕が手芸部に入った理由の一つでもあった。
かぎ針で本格的な編み物が出来るようになってから、僕の前に立ち塞がる問題が一つあった。
金、である。
毛糸という代物は案外高い。ずっと100均の毛糸ばかりを使っていた僕が、初めて手芸屋に行って驚いたのが、毛糸の値段だった。量にも寄るが、大体が一玉500円は下らない。お高いものだと4,5000円もするのだから驚きだ。勿論そんな高級品には手が出ないが、それでも色替えを考えたり、細かな装飾を考えると、どうしても数を揃えたくなる。小遣いが溶けるのは時間の問題だった。
そこで手芸部、である。部活であるから、当然活動には部費が出る。日頃個人で制作するものについては、各自で材料は持って来るが、こうした文化祭用の商品は部費で材料を購入出来るのだ。他にも毛糸の余りは部室の後ろの備品棚に置いてあり、誰でも使って良いようにしてある。まさに、作る為に編むのではなく、編むことが目的の僕には、うってつけの部活だった。男子部員が僕一人だけというのも気にせず、一年の春に即入部したのも自然なことだろう。
黙々と、粛々と、黒いゴムに毛糸を編み込んで行く。予算は他の部員との兼ね合いもあるから、まずは試作だけ。
(『50個くらい作りましょうか』なんて迂闊に言わなきゃ良かった……部長、凄い顔してたな)
数を用意するのは苦ではない。寧ろ何も考えず同じ作業をするのは得意だ。とはいえ、他の部員と余りにも足並みを揃えないのは考え物だ。只でさえ唯一の男子部員、同学年と三年の先輩たちはもう慣れてくれたみたいだが、新入生たちはまだ警戒する所もあるだろうし。目立つ発言は避けるべきだった。
ひきつった表情で、『他の子の制作が決まってから個数は調整しようね』と幼子を窘めるように穏やかに言う部長の顔が脳裏に浮かぶ。嫌な記憶というのは厄介で、一度頭に浮かんでしまうと何度も、何度も、繰り返し同じシーンをリピートする。まるで壊れたDVDプレーヤーのようだ。
後悔を押し殺すように黙々と、粛々と、指先を動かす僕の耳に、廊下を歩く足音が聞こえた。パタパタ軽やかな女子生徒や、どたどたと駆け抜けて行く部活動の生徒とは違う。明確な目的を持った足音だ。踵を踏んでいるのだろうか。上履きを引きずったような足音が被服室の前で止まり、がらりと乱暴に前扉が開けられる。
「お……やっぱいるじゃん、薫ちゃん」
無遠慮に被服室の戸を開けた轟木が、僕を見て歪に口の端を上げていた。
「本当ここ、人いなくていいな」
断りもなくずかずかと部屋に入って来た轟木は、躊躇なく僕の正面の椅子に座る。完全に手の止まった僕は、その目つきの悪い顔をまじまじと見た。
「……何で……」
「あ?」
「火曜日」
「……ああ?」
「また明日って言うから、火曜日、来るかと思って……」
非難をしたい訳ではない。だが事実確認はしたい。じいと見つめる僕に、轟木は眉を顰めた。
「あんだよ、俺のこと待ってた訳?」
「別に、そういう訳じゃ……ただ、明日って言ってたのに、来なかったから……」
寧ろ来ない方が嬉しいにも関わらず、その約束とも言えない約束が妙に気になって、突っかかってしまうのは僕の悪癖だ。睨むつもりもないが、じいっと轟木の顔を見つめ続ける。唇の下にある、染みともほくろとも付かない小さな小さな黒点から目を離さないでいると、轟木は呆れたように眉根を下げた。
「お前、目ぇ反らさないのな」
「え、ああ、……はい、……え?」
「只のキョドりかと思ってたけど。いや、俺目つき悪ぃから、女子とか気弱ぇ奴とか、大体目合わねぇんだよ」
「はあ……そうですか」
どうやら僕の質問に答えてくれる気はないらしい。内心むっとしながら轟木の顔を見つめ続けると、轟木がにやっと唇を歪めた。目が細くなると、ますます人相が悪くなる。
「てか何で敬語? タメじゃん」
「はあ……まあ、そう、ですけど」
「普通に話せって」
「……はあ」
その普通が一番難しい。困った僕の指先は勝手に動き出し、またゴムの周りに編み目を作り出す。長編み、鎖編み、同じ目にまた長編み。
目の前の人も忘れてするする動く僕の手を、轟木は驚いたように見た。
「え、やば……それどうやってんの」
「どう、って……普通に」
「いや普通には出来んだろそれ。てか動き早」
轟木の言葉を聞きながらも、僕の手は止まらない。返答に困り、押し黙ってかぎ針を繰る僕を見て、轟木の目が細くなる。笑っているのか、目元も口元も和らいでいた。
「それ、何作ってんの? 髪留め?」
「えっと……シュシュを……文化祭で売る用の」
「あー、去年バカ売れしてた奴な。やたら話題になってたから、流れで買っちまったけど。あれお前が作ってたのか」
流れで男がシュシュを買うものだろうか。縁に使うグラデーションの入った紫の毛糸を手に取りながら、僕は考える。自分で作っておいて何だけれど、僕だったら、自分で使わないシュシュはきっと同じ状況になっても買いやしないだろう。
前に電話をしていた彼女にでもあげる分だったのだろうか。生憎僕にはそんな相手はおらず、作った制作物はいつも母に押しつけるか、断られれば戸棚の奥にしまい込んでいる。
「今年も売るん?」
「一応、その予定……です」
「だから敬語やめろって。評判良かったんだよなあ、また買ってやるか……でもあの列並ぶのダリィわ」
明け透けに言いながら、轟木は作業机に肩肘を突く。行儀が悪い。だが、気怠げな様が妙に決まっていた。
イケメンのオーラに当てられ、妙にどぎまぎした僕は、思ってもないことを口にしてしまう。
「あの……だったら、一個、作ろう……か」
恐る恐るの提案に、ぱっと轟木が顔を上げた。やさぐれた雰囲気が、一気に華やぐ。
「マジか。え、マジでいいのか。助かるよ」
昨日まで近寄りもしなかった警戒心の強い野良猫が、突然頬を擦り寄せて来たようだ。破顔する轟木は、痩せぎすの野良猫のような目を緩め、僕の顔を覗き込んで来た。
「マジありがてぇ。どんくらいで出来んだ、それ?」
「……普通に、明日には。素材、拘らなければだけど」
「すげぇな。素材とかわかんねーから何でもいいわ」
「……色は、何がいい、とか……?」
「あー、何か淡い色が好きとか何とか……ちょっと待ってな」
いそいそとスマホを取り出した轟木が、ふと僕の方に向けた。
「てか薫ちゃんの連絡先教えてよ。LINEくらいやってんしょ」
「え、ああ……はい、」
「ふ、また敬語なってるし」
口の端を上げる轟木が示したQRコードを、慌ててポケットから出したスマホで読み込む。一応の連絡手段として入れてはいるものの、連絡先画面にあるのは家族、手芸部の部長、部のグループLINEと、酷くシンプルなものだった。別段それで不自由はしていないし、特に恥ずべきことでもないとは思っている。だが世間の人間というのは、大量の連絡先を抱え、同時に何通も何通もメッセージを交わすものらしい。
ちらと見えた轟木の画面にも、大量のアイコンが並んでいた。その内一番上にあるのは、少し前に流行った韓国初の所謂キモカワと呼ばれる類のマスコットキャラクターの写真で、恐らくはそれがシュシュを欲しがっている相手――すなわち、轟木の彼女なのだろう。
素早く片手でフリックをし出す轟木を前に、僕は連絡先の画面に目を落とす。T.Takeru――イニシャルはT.T.だな。どうでも良い感想が頭に浮かぶ。
「やっぱピンクとかそういう系がいいってさ」
「……はい」
だから何で敬語、くしゃりと目元を緩ませる轟木の前で、僕は新たに連なった連絡先に困惑しながら、また、はいとだけ答えた。
