君を編む

 夏休みが明けると、学校内は文化祭に向けて俄に忙しくなる。
 我らが手芸部も例外ではなく、出店、展示に向けての作品作りだけでなく、装飾やらシフト組みやらで、やることは山盛りだった。

『早瀬君、クラス活動の方忙しいよね? 確か劇やるんでしょ? 当日のシフト組みたいんだけど、空いてる時間とか……』
『全日空いてます』
『……え?』
『一日中、空いてます。劇、出ないんで。事前に小道具作ったりは、したので、それ以上は、係り、ないです』
『……あ、そうなの。そう、じゃあ、他の子との兼ね合いで、結構入って貰うかも知れないけど……』
『大丈夫です。何時でも、何時間でも』

 僕の返答に、手芸部部長たる黒沢先輩は思い切り引いた顔をした。何部長を困らせてんだよ、と部長の隣に座る会計の松村先輩が僕を睨む。
 僕のクラスである二年二組は、陽の気を持つ一軍生徒たちの尽力により、見事体育館舞台の出演権を勝ち取った。ロミオとジュリエットを現代風にアレンジした劇をやるのだと、演劇部と文芸部の部員を交えてクラスは一丸となって盛り上がり――そして当然のように、僕はその輪から弾かれていた。
 小学校の演劇ではないので、クラス全員が舞台に立つ訳ではない。殊に目立つのも、人前に立つのも苦手な僕があえて演者に立候補する筈もなく、ましてや脚本や演出に関わる訳もない。おずおずと無難な小道具に手を挙げたものの、当然のように周りとコミュニケーションも取れず、申し訳程度に放課後の小道具作成作業を手伝って、それで終わりだった。
 それ以上は手が出しようがない。当日もすることのない僕は、だから、一日中手芸部の方に詰めることも可能だった。
 文化祭での手芸部の仕事はといえば、被服室に並べた展示物を監視しつつ、販売品のレジ打ちをするだけだ。消費税はなく、端数もないので、電卓を打ち間違えなければことは済む。おまけに現金オンリーだから複雑なクレカやバーコード決済もやる必要はない。

 こうして考えてみると、コンビニのレジ打ちなどというものはとても正気の沙汰とは思えない。多岐に渡る決済方法、呪文のような煙草の銘柄、宅配便の受付や公共料金の支払い、フードドリンクの販売補充……考えただけで眩暈がする。
 僕がレジに立ったら慌てふためいて真っ白になって仕事になりやしないだろう。コンビニでカウンターの内側にいる学生や外国人店員を見ると、僕の胸には無限の敬意とエールが沸き起こるのではある。
 聡明な黒沢部長は思考の飛んでいる僕に、じゃあ遠慮なくお願いしちゃおうかな、と優しく笑いながら、容赦なくシフトに組み込んでいった。
 金銭を扱うので、基本的にシフトは二人構成だ。それでもどうしても、人が足りなくて、一時間だけ僕一人になるという。
 単調作業ならば特段問題はない。イレギュラーさえ起きなければ大丈夫だと、心配そうな部長に、僕は大きく頷いて見せた。

 大丈夫な筈だった。イレギュラーさえ、起きなければ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「ってかさー、ありえなくない? うちら、やっと舞台終わって来たってのにさー」

 手芸部販売の会計は、被服室の後方扉の前に設置されていた。長机が一つ、椅子が二つ、その内の一つに僕が座り、もう一つは今は空だ。机上には現金トレーと電卓、メモ帳、値段表のかかれた段ボールの衝立の裏に、100均で買ったようなプラスチックのキャッシュケースの中に売り上げとお釣り用の小銭を仕舞えるようになっている。
 昨年から値札毎に色を変えて会計時のトラブルをなくす試みがされている。発案者は当然、黒沢部長だ。赤が100円、緑が300円、青が500円、黄色が1000円。一番多く捌けるのは赤や緑だが、黄色値札であるレジンのアクセ類も午前中の早い時間に捌けて、作成の中心を担っていた黒沢部長が喜んでいた。 
 値札を見て、電卓を叩いて、現金のやり取りをする。単調で簡単な作業。昼食時以外、僕はほぼほぼ会計を任されていて、無愛想だと松村会計に何度も怒られていた。

 今、その会計前には、僕と同じ二年二組女子が仁王立ちになっている。前野さん、小清水さん、桃園さん。文化祭の劇を押し進めていた中心人物であり、桃園さんは現代版ジュリエットを演じていた主演でもある。
 クラスの出し物に大して貢献出来ていない僕には頭が上がらない。いや元々頭数として組み込まれてすらいなかったのだから、僕が罪悪感を抱く必要もないのかも知れないが。

 六つの険しい視線に晒され、僕はひたすら体を縮めていた。折しも被服室には他に客はいない。16時の文化祭閉幕を前にした一時間、来場も締め切りイベントも終わり、丁度閑散とする時間帯。他の部員たちは締め作業の為にそれぞれのクラスに顔を出していて、クラスに馴染めない僕は一人、がらんとした被服室に鎮座していた。
 売り上げの確認も何度も繰り返し、そろそろ売れ残りの品を片付け始めようとした矢先、姦しい不作法な乱入者たちは残った品々を見て、不平不満の捌け口を僕に見定めたらしかった。

「全然残ってないんだけどー、もー、ちょー最悪!」
「うちらさっきまでずっと舞台やってたから、そーゆー人に対する配慮はないんですかー?」
「てか早瀬君、クラスの方全然来なかったんだしさあ」

 目の前で口々に責め立てられ、萎縮した僕はきゅっと膝の上で拳を握る。どうやら桃園さんの目当てだったレジン細工のネックレスが売り切れてしまっていたらしく、三人官女はお冠のようだ。

「あ、その……ごめん」
「いやいや、別に早瀬君が謝ることでもないけどさー」
「そうそ、何かうちらがイジメてるみたくなるじゃん」
「てかさー、早瀬君手芸部だったんだー。意外ー」

 口々に降り注ぐ棘のある言葉に、針の筵となった僕は只々縮こまるばかりだ。
 早く誰か来てくれないか。出来れば黒沢部長、或いはズバズバものを言う松村会計に、ちょっとあなたたち邪魔なんだけど、などと言っては貰えないものか。他力本願な僕の視線はちらと机上に落ちる。机の端にあるアナログ時計の長針は、未だ5の辺りを指していた。他の部員たちが戻って来るまではまだまだ30分近く掛かりそうだ。
 絶望する僕の視線の移動が気に食わなかったのか、苛立ったように桃園さんが叩きつけるように机上に手を置く。ぎょっとして身を引く僕に構わず、ずいと顔を突き出して来た。

「買うもん何もないとかあり得ないから! ねー、早瀬君何とかしてよ、手芸部なんでしょー?」
「いや、そ……何とかと、言われましても……」
「だからー、部員の人にお願いすれば作って貰えるでしょ、アクセとかシュシュとか。」
「まー、去年から人気だったからねえ。行列出来るくらいだったし」
「そーそー、だから特別にさ、ね?」

 ね、と言われましても。困って僕は室内を見回す。被服室には展示で作った大物――刺繍のタペストリーや巨大なぬいぐるみや、販売品とは別の展示物はあるけれども、売れ残りの品は本当に数数える程しか残っていない。使用用途に悩みそうな半端な大きさの巾着や、好みの分かれそうなデザインのフェルトのブローチや、そして僕が余り糸で作った色の取り合わせの悪いシュシュや。

「あ、の……その、シュシュは」
「えー、やだダサい」
「趣味悪い」
「色選び最悪じゃね? 作った人のセンス疑うよね」
「あ……すいません」

 散々な言われようである。益々小さくなる僕に、桃園さんの後ろにいる小清水さんがすっと目を細めた。

「何、それ、早瀬君が作ったってこと?」
「え? マジ? 何で??」
「だって今、謝ったから」
「やば、名探偵コッシーじゃん」

 何が楽しいのかきゃはきゃは笑う女子たちの前で、僕は返答に詰まり、小さく頷いた。

「え、嘘嘘、だって去年とかめっちゃ可愛いとかでめっちゃ並んでて売り切れになってたじゃん!」
「あれ早瀬君の作った奴だった訳?」
「あ、そう……です」
「えー、じゃあさあ、」

 その後に続く言葉は聞くまでもなく分かっている。脳裏にちらと轟木の姿が浮かんだ。

「うちらの為に作ってよ、シュシュ」

 ヤリガイサクシュ。脳内の轟木の唇が、   を形作っていた。

 どうしようか、どうするべきか。
 きらきらと期待、というよりは圧力、断ったらどうなるか分かってるよねと言わんばかりのプレッシャーを与えて来る六つの目を前に、僕は頬をひきつらせた。
 以前の僕だったら、きっと有無を言わさぬ迫力を前に、抵抗もせずにこくこくと頷いていたことだろう。だってその方が面倒がない。頼まれごとを断るのはとても勇気が要る。労力も要る。その後の面倒を考えると、頷いてしまう方が遙かに楽だった。
 けれど今は、頭の中に轟木がいる。対価は貰え、搾取はされるな、と語気を荒くした轟木の言葉が、僕の中に根付いている。

「それ、は、ちょっと……出来ない、です」

 僕に断られるとは思っていなかったのだろう。おずおずと、僕の口にした否定の言葉に、桃園さんは眉を吊り上げた。

「はあ? 何でよ、お願いしてるじゃん!」
「そーそー、ちゃんと買い取るしー」
「てか早瀬、クラス貢献してないんだから、そのくらいしてくれてもいいでしょー?」

 それとこれとは話が別じゃないか。僕はぎゅっと膝の上の手を強く握った。
 轟木にも同じように頼まれた。その時とは違う。轟木と彼女たちとは何もかもが違う。

「……じゃ、ないので」
「何? 聞こえないんだけど?」
「友達じゃ、ないので。桃園さんたちとは、だから、作れません。そこにある奴だったら売るけど、それは手芸部の売り物としてだから。僕が作ったり、他の部員に頼んだり、そういうのは出来ない」

 きっぱりと僕が言い切ると、沈黙が落ちた。きっと僕が断るとは思っていなかったのだろう。女子たちの表情に、困惑、戸惑い、それが治まると次第に怒りが浮かぶのが真向かいにいる僕にはありありと分かった。

 不思議と恐怖はなかった。以前の僕ならびくびくと顔色を窺っていたことだろうが、今は妙に清々しい。言ってやった、というよりは、良く言えた、という気持ちの方が強い。
 嫌なことは嫌と言っていい、やりたくないことはやりたくないと言った方がいい、多分轟木ならそうする。多分轟木なら、そういう僕の方が――気に入ってくれるだろうから。

 目を吊り上げた桃園さんが、大きく息を吸い込む。その口から吐き出される罵詈雑言に耐えるべくぎゅっと身を竦める僕に、しかし掛けられたのは、酷く温かな声音だった。

「なーんだ、薫ちゃん、ちゃんと自分で断れてんじゃねーか」

 聞き慣れた声に、どきりと心臓が跳ね上がる。ぱっと顔を上げると、ぎょっとしたような女子たちの後ろから、轟木が顔を覗かせていた。

「と、っと、どろ、き……君」
「君はいらねーっての。それより、どーよこの格好。全く、今時メイドとか執事とか、古ぃよなあ? 流行んねーだろ、とか思ってたのにめっちゃ人来るし。全然抜けらんなくて参った」

 ずいと桃園さんを押し退けた轟木が、僕の前に立つ。見上げる僕はまじまじと轟木の顔を見つめた。
 轟木のクラス、二年一組はメイド&執事喫茶というベタベタな飲食店を出店していたようだが、これがどうして中々にウケたらしい。
 轟木は裏方を希望していたようだが、クラス一同たっての希望で、執事として接客をすることになったそうだ。ドンキで買ったようなコスプレ用の執事服だが、いつも制服だとだるそうに緩めたネクタイをきっちりと締め、緩い茶髪をオールバックに固めた轟木の姿は、なるほど、女子たちがキャーキャー言うのも納得出来た。
 有り体に言えば、格好良い。

「えー、轟木君、やばめっちゃかっこいー!」
「喫茶店行きたかったなー、接客して欲しかったー」
「てか一緒写真撮ろーよ、記念にさあ?」

 さざめく女子たちの言葉を、轟木はまるっきり無視した。どうよ、とじっと僕の方にだけ注がれる視線に、背筋が熱くなる。

「え、あ、……似合ってる、と思い、ます」
「だから敬語。本当慣れねーな、薫ちゃんは」
「……多分、一生、慣れないと思う」
「一生かよ」

 ぎゃはは、と高らかに笑う轟木に、女子たちが些か臆したように身を引いた。クールな一匹狼といった印象の強い轟木の、妙に懐っこい笑い方は、きっと彼女たちには見慣れないものだろう。
 一生見なくてよかったのに。思ってから、自分の言葉の重さに気付く。一生。一生は流石に重かったかも知れない。まるで僕が、一生轟木といたいのだと言っているようではないか。
 脳内で百面相をしていると、ざわざわと人の入ってくる気配がした。

「ただいま、早瀬君店番ありがとう……って、えっと、どういう状況? かな?」

 黒沢部長を始めとした手芸部の面々が、入り口付近から困惑したように僕らを見比べている。端から見れば轟木を初めとしたヤンキーやらギャルやらにたかられいてる陰キャ、に見えなくもないだろう。黒沢部長は僕と轟木の交流を知っているから誤解はしないだろうが、松村会計などは胡乱な目を轟木に向けている。

 周囲の動揺を余所に、轟木は僕の方を向いて、にやりと口の端を持ち上げた。

「ぶちょーさん、何かこいつらが手芸部の販売方法についてのご意見あるみたいなんで、話聞いてやってくださいよ」
「え? ちょ、」
「んで、人来たしこいつ、ちょっと借りてもいいスかね?」

 許可を求める体で、それは断言に近い。轟木の手が、ぐいと僕の二の腕を掴んで持ち上げた。まんまと立ち上がった僕は目を白黒させながら黒沢部長を見る。僕と轟木を見比べた部長は、まあ大丈夫だろうと判断したのか、いいけど後夜祭までには戻してあげてね、と保護者の体で告げた。

「あ……とどろ、き……」

 抵抗をしようと思えば出来た筈なのに、僕は轟木に二の腕を捕まれたまま会計の机を迂回し、ずかずか歩く轟木に連れられ被服室から出る。
 後方の扉をくぐる瞬間の、女子たちの目は、余りにも恐ろしくて、直視出来そうになかった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 執事服のベストというものは、どうしてこんなにも腰がきゅっと絞まっているのだろうか。
 いつもより細身に感じられる轟木の腰を、僕はじっと見上げていた。轟木は何処に行くとも何をするとも言わず、校舎奥の階段へと向かった。屋上へと続く階段だ。一歩一歩、気だるそうに階段を上る轟木の後ろ姿をじっと見つめていると、不意に轟木が振り返った。

「すげー熱視線」
「え、あ、いや……」
「いーけど。何、薫ちゃんこーゆーの好き? 執事とか、コスプレとか?」
「ち、ちが! 違う、けど……」

 事実無根ではあるものの、じっと見てしまっていたのは事実なので、僕は階段の中程であわあわと視線を彷徨わせる。執事だからではない。コスプレが好きな訳でもない。轟木だから見ていた、だなんて、一層性質が悪いことは、言える訳がない。

「あんだよ、好きなら偶にはこーゆー格好もしてやろうかと思ったのに」

 揶揄うように言いながら、轟木は階段を上る。窮屈だけどな、ぼやきながら首元のネクタイに指を掛け、緩める仕草が後ろからでも分かった。
 文化祭も終わるし、もう脱いでしまうのだろうか。勿体ない。そんな感想が頭を巡って、いや勿体ないって何だよと自分で突っ込んで、訳が分からなくなって後ろからぐいとベストの裾を掴んだ。

「おわっ、何だよ、あぶねーだろ」
「あ、や、ごめ……」

 階段の途中で、体ごと振り返る轟木の身はいつもより高い位置にある。顔に触れようと思ったら普段より更に背伸びをしなければならない、などと莫迦な考えが頭に浮かび、一人勝手に赤面する。
 僕の考えを読んだ訳でもないだろうが、轟木はくっと喉を鳴らすと、ゆっくり持ち上げた指を自らの頬に当てた。とんとん、と左頬をゆっくり叩く。口元の、小さなほくろ。

「どーよ、ちゃんと、意識したか?」

 かっと頬に熱が上り、わ、あ、や、その、と言葉にならない無意味な言葉が口から零れる。頬に触れた唇の感触、その温もりも、湿り気も、ありありと脳裏に浮かんで、沸騰しそうになる。
 たかが頬に唇が当たった程度で。なら、他の場所だったらどうなってしまうのか、そんなことを考えて、また頭が沸騰しそうになった。
 期待している。望んでいる。それを認めるのは酷くおそろしい。でもきっと、僕が望まなければ轟木は何もなかったことにするだろう。轟木は、優しいから。
 僕が望み、僕が期待している。そうでなければならない。そうでなければ何も掴めない。
 遠く生徒たちのざわめきが聞こえる。一つ下の階でバタバタ走る上履きの音にも、今はびくつかない。

「…………………………た」
「ん?」
「意識、した。してた。ずっと、轟木のこと」

 轟木のベストの裾を、今度は前から掴む。軽く引くと、轟木の鋭い目つきがふっと和らいだ。

「本当、性質悪ぃな、お前」

 そこがいいんだけど、小さく掛けられる声は、自然と僕の唇に吸い込まれていった。
 少し屈んだ轟木の、唇が僕の唇に重なる。
 忙しない僕の指先は、轟木の手のひらにしっかりと、握られている。