君を編む

「薫ちゃんよぉ……アポって言葉、知ってるか?」
「……はい……知っては、います」
「LINE教えといたろーが! 家来る前に一報入れろよな!」

 留守にしてたらどーすんだ、ぶつぶつぼやきながら轟木は首の後ろを掻いた。
 轟木家の、玄関である。僕はたたきに神妙な顔をして正座をしていた。

『今日はねー、舞凛の誕生日だから、ママと一日デートなんだよ。うらやましいでしょー』

 ファミレスを出る寸前、舞凛に告げられた衝撃の事実に、僕は度肝を抜かれた。確かに夏休み入ったら誕生日、と轟木は言っていたが、まさか今日とは。

『何とか仕事も都合付けられたからねー。これから映画見てくるんだー』

 ネイルサロンを経営しているという理奈は、自営業なだけあって中々に多忙らしく、休日も関係なく仕事が詰まっているらしい。漸く取れた今日の休みを生かすべく、朝から夜まで一日舞凛と遊び倒すそうだ。
 おめでとうの言葉しか贈れなかった僕は、そういえば頼まれていたシュシュも轟木に渡せていないことに気付いた。とっくの昔に作り上げて、でも気まずさに渡せずにいたそれを、届けるならば今しかないのではないか。
 衝動のままに訪れた轟木家で、轟木猛は冷たい目で僕を迎えていた。

「……で、何しに来た訳?」

 轟木の視線に圧されて、僕は自然と玄関に正座していた。
 轟木はどうやら昼寝でもしていたらしく、鋭い吊り目がちの瞳は些か重たげに眇められている。服装は相変わらず部屋着なのか黒のジャージで、茶色の髪の毛が寝癖かいつもより緩く跳ねているのが妙に色っぽく思えた。
 どうしよう、轟木だ。自分から家に来ておいて、僕は妙にどぎまぎして仕方がなかった。僕の変な勘違いで、ぎくしゃくしてしまっていた筈なのに。その釈明をするべきなのに、久々に直面した轟木の顔に僕はついつい見入っていた。
 まじまじと見つめる僕に、轟木はつり上がった目で鋭く見下ろした。

「もっぺん言ってみ、理奈と会って、何だって?」
「は、い……あの、今日、さっきまで理奈さんと舞凛ちゃんと会って、ファミレスで一緒してたんだけれども、……あの、理奈さんが轟木のお姉さんで、舞凛ちゃんが姪っ子だってそこで知って、いや冷静に考えればそうだよね、何でか僕、舞凛ちゃんが轟木の妹だって思い込んでて、それで勝手に理奈さんも彼女って勘違いして……勝手に気まずくなって、バカだったなあって……舞凛ちゃんの誕生日だって聞いたのに、頼まれてたシュシュも渡せてないの、良くないなって思ったから、いや良くないっていうのもそれこそ僕の勝手な……」
「あー、分かった分かった。分かったから……ちょっと一端、落ち着け?」

 僕の矢継ぎ早で取り留めのない言葉の濁流の前に、轟木は呆れたように制止した。目の前に手のひらを出すジェスチャーをされ、僕は即座に口を噤んだ。正座で轟木の反応を待つ、我ながら、飼い犬じみている。
 轟木は、はああ、と大きく溜め息を吐いた。

「……んだよ、届け物かよ」
「…………え?」
「……なんでもね、ほんで? 舞凛と理奈の奴に会ったって? てか理奈と舞凛が母子(おやこ)って言ってなかったか」
「聞いて……ませんでした」
「だから、敬語……で、理奈が俺のカノジョだあ?」

 凄まれて、僕は身を竦める。でも仕方がないじゃないか。最初にスマホの通話を聞いた時に、轟木に彼女がいると思い込んでしまったのだから。おまけに理奈より先に舞凛に会ったのも僕の勘違いを加速させた。黒沢部長から年の離れた兄弟がいると聞いて、すっかり舞凛が妹だと誤解してしまっていた。上か下かを聞いていなかったから仕方ないとはいえ、理奈が年の離れた――十歳近く上だと言う――姉だとは、これっぽっちも思わなかったのだ。
 だから何だというのだ。だから、それで、僕が轟木に対して妬いていたのは、その理由は――

「もしもーし、薫ちゃん? また飛んでる?」
「っい、いや……そんなことは、ないけれども……」
「あるだろ。ったく、薫ちゃんさあ……?」

 眇めた轟木の瞳が、僕を貫く。射竦められて、僕は脚が痛むのも構わずぎゅっと姿勢を正した。はあ、と再び大きく溜め息一つ。轟木は、呆れたように口の端を上げると、仕方なさそうに手招きした。

「ま、いいや、……んなとこいるのも何だし、上がれよ」
「あ、は……」

 顎でしゃくられ、立ち上がろうとした僕は、もんどり打ってたたきに転がった。

「うわ、どした!?」
「…………し、が……」
「は?」
「足が……痺れました」

 無様に玄関に倒れる僕の上で、いつもと同じ、爆笑する声が高らかに響いた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 オレンジ、ピンク、ペールブルー、ラベンダー。グラデーションのシュシュは、大振りでビビットカラーのビーズを編み込み、華やかな印象に。もしかしたらそれだと派手過ぎるかもしれないと思って、ビーズのないものも。轟木が選んでくれた色だけれど、もしかしたら少し子供っぽすぎるかも知れないから、白い細い毛糸でシンプルめに。そうしたらまた色味が寂しく感じられて、家にあった極太の極彩色で大振りのシュシュを――
 卓の上に並べられた山のような髪飾りを見て、轟木は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「薫ちゃんよぉ……いや皆まで言わねーけど……おかしいだろこの量は」
「はあ……そう、かも、だけど……無意識に」
「無意識に作ってたってか? まあ、舞凛の奴は喜ぶだろうけど」

 相変わらずやり過ぎだっての、ぶつぶつぼやきながら轟木は戯れにシュシュを手に取る。白いフリルの縁取りを、轟木の人差し指の先端がなぞる。存外に繊細な手つきで僕の作ったものが扱われているのを見ると、何だか背中がむずむずする。
 こそばゆい感覚に、僕はもぞもぞと身動ぎした。轟木の部屋に上がり、先程の反省を生かして、胡座で畳の上に座っていた。ちゃぶ台を破産で向かいに轟木が、どうしたものかといった顔で指先に絡めたシュシュを揺らしている。

「そ、の……轟木に頼まれて、舞凛ちゃんのお祝いは僕もしたかったし、本当大したものじゃないんだけど、この色も好きかも、こっちの方がいいかもって思ってたら止まらなくて。あ、でも、今はスランプっていうか、その後何だか何も作る気になれなくて、……編めなくて……被服室に行かなかったのもその所為っていうか、それで……」
「あー、わーった、分かったから、ステイステイ」

 苦笑しながら制され、僕は口を噤んだ。声に出せなかった言い訳がぐるぐると体を回り胃の奥に沈殿する。何処が苦く感じるのは、それが本当にどうしようもない誤魔化しに過ぎないと分かっているからだ。
 誤魔化す。何を。どうして。

「スランプって? 薫ちゃん、手癖で編んでるみたいなこと言ってなかったっけ?」
「手癖……そう、なんだけど、舞凛ちゃんの編み終わってからどうにも、手が動かなくて……」
「動かない? 無意識に編んじゃう薫ちゃんが?」

 驚いたように轟木が目を見開く。指先から離れた白いシュシュが、ぽろりと畳に転がった。
 卓の下、丁度僕と轟木の間の位置。

「……あ」

 間抜けな声を上げながら、僕は卓の下に手を伸ばす。白いフリルを掴む手の甲に、すっと伸ばされた轟木の指先が触れた。

「っっと、っど、ろき……!?」
「……驚き過ぎじゃね?」

 思わず過剰な反応が口から飛び出る。卓の下、僕の手の上には今度こそ明確な意志を持って、轟木の手のひらが重ねられていた。
 小さな卓を挟んで、向かい合った轟木の顔をまじまじと見つめる。理由も分からず跳ねた心臓が、口から飛び出て、その鼓動を知らしめようとしているかのようだった。
 僕の視線に、轟木の目元がふっと和らぐ。

「いいね、その呼び方。今後も轟木って呼べよ、君付けはサブイボが出る」
「い、や、それは……」
「ってか、薫ちゃん無自覚そうだから言うけど……」

 存外に無骨な手のひらが、そっと僕の手の甲を包んだ。

「そのスランプっての、俺とゴタゴタしてたんが原因ってこと?」
「……ゴタゴタ……いや、そう、……だとは、思う、けど」
「ほーん、で、そもそも俺と気まずくなったってのも、理奈が俺のカノジョって勘違いしてのことだろ?」
「そう……かも」

 肯定しながら、何に肯定しているかも分からないまま、僕の背を冷や汗が伝う。あわあわする僕の前で、轟木はにやりと口の端を上げた。

「それって、嫉妬ってことで、おけ?」

 かっと顔が熱くなって、それから瞬時に冷たくなった。赤面と青ざめるのを繰り返して、あわあわする僕の前で、轟木はくっと喉を鳴らした。節のある指が甲の骨をなぞる。その感触が酷く鋭敏に感じられて、息が詰まった。
 妬いていた。その自覚はある。それを轟木に知られていたことが物凄く恥ずかしく、逃げ出したいくらいなのに、繋がれた轟木の手がそれを許してくれない。

「どうなのよ、薫ちゃん?」

 轟木の目が眇められる。間近で見ないと分からない程の、口元の、小さなほくろ。
 それが、不意に、近付いた。頬に当たる、少し湿った、柔らかな感触。

「っど、っうぇ、あ、っは……!?」

 文字通り、僕は飛び上がった。慌て過ぎてちゃぶ台をひっくり返し、打ち付けた脛の痛みにもんどり打って畳を転がる。畳に散らばる色とりどりの、シュシュ、シュシュ、シュシュ――。

「だから、慌て過ぎだって」
「いや、だって、と、とどろ……き、今……」

 畳に這い蹲って見上げる轟木は、やれやれと仕方なさそうに肩を竦めてみせた。

「無自覚? それとも分かってる? どっちにしろ性質悪ぃなお前、本当」
「え、あ、ご、ごめ……」
「謝んなって。俺も、謝んねーし。……それ、忘れんなよ」

 畳に転がる僕の傍らにしゃがみ、轟木はとんとんと自らの左頬を指先で叩いた。
 かあ、と頬が熱くなる。轟木の触れた頬が。轟木の唇の、触れた左頬が。

「ちゃんと意識しとけよ、薫ちゃん?」

 挑発するように細められる轟木の目を見ながら、僕の指先が無性に、動きたがるのを感じていた。