暴君様の台所役は、毒見役を兼ねている

それは、ほんのわずかな違和感だった。

 いつも通りに整えたはずの一椀。
 火加減も、出汁も、すべて確認した。

 だが。

 ――引っかかる。

 私は箸を止めた。

 舌の奥に、微かな苦み。
 これまでの“ズレ”とは違う。

 もっと、はっきりしている。

「……」

 もう一口、含む。

 確かめるように、ゆっくりと。

 そして。

 確信する。

 ――これは、毒だ。

 強くはない。
 すぐに命に関わるものではない。

 だが。

 確実に、“入っている”。

「……遅いな」

 背後から声が落ちる。

 振り返るまでもない。

「当主様」

「どうした」

 私は一瞬、迷った。

 ここでどう動くかで、すべてが変わる。

 だが。

 答えは決まっている。

「――お下がりください」

 はっきりと、言った。

 空気が凍る。

「何だと」

「この料理は、お出しできません」

「理由は」

「毒が入っています」

 その言葉が、静かに落ちる。

 一瞬の沈黙。

 そして。

「……証拠は」

 低く、問われる。

「ありません」

 私は正直に答える。

「ですが、確実です」

「お前が入れた可能性は」

 間髪入れずに来た。

 ――来ると思っていた。

 私は目を逸らさずに答える。

「否定はできません」

 周囲がざわつく。

 だが、私は続ける。

「ですが、私が毒を入れる理由はありません」

「理由など、後からいくらでも作れる」

 冷たい声音だった。

 完全に、疑っている。

 当然だ。

 ここは、そういう場所だ。

「……そうですね」

 私は小さく頷く。

「ですので」

 一歩、前に出る。

「もう一度、確認いたします」

 箸を取る。

 誰も止めない。

 止められない。

 私はそのまま、一口、口に運んだ。

 舌に広がる苦み。
 先ほどより、わずかに強い。

 喉を通る。

 ――問題ない。

 だが。

 少しずつ、くる。

 体の奥に、じわりと。

「……どうだ」

 当主が問う。

 私は息を整えながら、答える。

「やはり、入っています」

「致死量か」

「いいえ」

 首を振る。

「すぐに命に関わるものではありません」

「なら」

 彼は、淡々と言う。

「食え」

 一瞬、意味が分からなかった。

「……は?」

「問題ないのだろう」

 当然のように言う。

「なら、食える」

 周囲の空気が凍りつく。

 狂っている。

 だが、この男にとっては、これが普通だ。

「当主様」

「何だ」

「“問題がない”のではありません」

 私は静かに言う。

「“今すぐ死なない”だけです」

「同じことだ」

「違います」

 はっきりと否定する。

 空気が張り詰める。

「積み重なれば、いずれ影響が出ます」

「なら」

 彼は一歩、近づく。

「お前が先に死ぬだけだな」

 その言葉に、わずかに笑みが混じる。

 試している。

 どこまでやるか。

「……承知いたしました」

 私は頭を下げた。

 そして、もう一口。

 さらに一口。

 味を確かめるように、食べる。

 苦みが、少しずつ強くなる。

 だが、止めない。

 止める理由がない。

 すべて、飲み込む。

 やがて、箸を置いた。

「……以上です」

 静かに言う。

「毒は、確認できました」

 沈黙。

 誰も動かない。

 その中で。

「……面白いな」

 当主が、ぽつりと呟いた。

 顔を上げる。

 彼は、じっとこちらを見ていた。

「普通なら、止める」

「止めても、意味がありません」

「なぜだ」

「原因が分からない限り、繰り返されます」

 私は答える。

「なら、確認した方が早い」

 彼はしばらく黙っていた。

 やがて、ゆっくりと口を開く。

「紺野」

「はい」

「お前がやったとは思わん」

 その一言に、空気が揺れる。

 周囲がざわつく。

 だが。

 私は、何も言えなかった。

「理由は単純だ」

 彼は続ける。

「お前は、面倒なことを嫌う」

 わずかに口元を歪める。

「こんな回りくどいやり方はしない」

 それは。

 信頼というよりは、観察の結果だった。

 だが。

 それでも。

「……ありがとうございます」

 小さく、答える。

「礼はいらん」

 即座に返される。

「だが」

 彼の目が、鋭くなる。

「これで終わりではないな」

「はい」

「むしろ、ここからです」

 私ははっきりと言う。

 誰かが、意図的にやっている。

 それも、一度ではない。

 ならば。

 まだ続く。

「いいだろう」

 当主は静かに言った。

「なら、炙り出せ」

「……はい」

「その役目は、お前だ」

 逃げ場はない。

 最初から分かっていたことだ。

 私は深く息を吸い、吐いた。

 舌に残る苦みが、まだ消えない。

 だが。

 その味は、もう恐怖ではなかった。

 ――来るなら、来い。

 そう思っている自分がいる。

 この食卓で。

 すべてを、暴く。