暴君様の台所役は、毒見役を兼ねている

その夜、呼び出された。

 場所は、台所ではない。

 屋敷の奥。
 普段は立ち入ることのない部屋。

 重い襖の前で、私は一度立ち止まる。

 ――ここから先は、違う。

 そんな感覚があった。

「入れ」

 中から、当主の声。

「失礼いたします」

 静かに襖を開ける。

 室内は簡素だった。

 無駄な装飾はない。
 机と、灯りだけ。

 その奥に、当主が座っている。

「座れ」

「いえ、このままで」

「そうか」

 興味なさそうに言う。

 だが、すぐに本題に入った。

「お前が言った通りだ」

 低く言う。

「まだ終わっていない」

「はい」

 私は頷く。

「そして」

 彼は、わずかに目を細める。

「そろそろ知っておけ」

 その言葉に、空気が変わる。

「この屋敷はな」

 静かに語り始める。

「表向きは、ただの旧家だ」

 確かに、そう見える。

 だが。

「実際は違う」

 短く言い切る。

「人が集まる」

「……人、ですか」

「ああ」

 頷く。

「金を持つ者。権力を持つ者」

 淡々とした口調。

 だが、その内容は重い。

「そして」

 わずかに間を置く。

「敵も、来る」

 沈黙。

 私は何も言わず、続きを待つ。

「この家の食卓はな」

 彼は続ける。

「ただの食事の場ではない」

「……」

「交渉の場だ」

 その一言で、すべてが繋がる。

 だから、狙われる。

 だから、毒が入る。

「料理は」

 彼は言う。

「信頼そのものだ」

 私は、静かに息を吸う。

「だから、壊される」

「はい」

 短く答える。

 納得していた。

「そして」

 彼は、こちらを見る。

「俺は、その中心にいる」

 つまり。

 この人を崩せば、すべてが崩れる。

「……だから」

 私は言う。

「狙われるのですね」

「ああ」

 あっさりと頷く。

「珍しくもない」

 その言い方が、すべてを物語っていた。

 ――これが、日常。

「だが」

 彼は、少しだけ声音を変える。

「最近は違う」

「違う、とは」

「雑になった」

 短く言う。

「これまでは、もっと確実だった」

「……」

「一度で終わらせる」

 それが普通だった。

 だが、今は違う。

「繰り返している」

 試すように。

 選ぶように。

 ――あの感覚。

「……選別ですね」

 私が言うと、彼はわずかに目を細めた。

「お前もそう思うか」

「はい」

 頷く。

「これは、排除ではありません」

「なら」

「“選んでいる”」

 静かに言う。

「誰を残すか」

 沈黙。

 そして。

「……面倒だな」

 当主が低く呟く。

 だが、その目は鋭い。

「誰が、そんなことをする」

「分かりません」

 私は首を振る。

「ですが」

 一歩、踏み込む。

「この屋敷の内部です」

「理由は」

「外部なら、もっと直接的です」

 わざわざ“試す”必要はない。

「内部だからこそ」

 私は続ける。

「“選ぶ必要がある”」

 沈黙。

 重い沈黙。

「紺野」

「はい」

「怖いか」

 不意に、そう聞かれた。

 私は一瞬、考える。

 そして。

「いいえ」

 答えた。

「なぜだ」

「やることは、変わりません」

 料理を作る。

 見抜く。

 守る。

 それだけだ。

 当主は、しばらくこちらを見ていた。

 やがて。

「……変わったやつだな」

 ぽつりと呟く。

「よく言われます」

「だろうな」

 わずかに、口元が歪む。

 ほんの一瞬だけ。

 それは、笑みに近かった。

「紺野」

「はい」

「この先は」

 低く言う。

「今までより危険になる」

「承知しております」

「それでもやるか」

「はい」

 迷いはない。

 すると。

「いいだろう」

 短く言う。

「なら、任せる」

 その一言は、重かった。

 命を預ける、という意味で。

 部屋を出る。

 廊下は静かだ。

 だが。

 もう、分かっている。

 この屋敷は。

 ただの家ではない。

 そして。

 この食卓は。

 ただの食事の場ではない。

 ――戦場だ。

 私は、ゆっくりと息を吐く。

 ならば。

 やることは一つ。

 この戦場で。

 すべてを、見抜く。