西園生徒会長のお気に入り

「やばい。リアルマホロだ。本物だ」
 ユージーン……もとい西園は七転八倒の勢いで床を転げ回っている。僕は結局マホロのコスプレ衣装を着てしまった。推しが目の前にいることでも大事件なのに、頭を下げてまで頼まれてしまっては首を縦に振る以外できなかった。
「……笑うんなら、これ脱ぎます」
 目に涙を溜めて笑う西園が腹立たしいのに、きゅんとしてしまう僕はかなりの重症らしい。
「それはだめ! バカにしてるんじゃないって。ガチのマホロだから、嬉しくて」
「絶対バカにしてますよ……」
 流された自分が呪わしいけれど、着てしまったのは自業自得だ。
「ちょっと待って。なんでそんな顔すんの?」
 西園は笑うのをぴたりと止め、涙を拭いながら近づいてきた。
「やめ……来ないでください」
 そんな顔と言われても、普通にただ悔しくて泣きそうになってるだけだ。
「がちでかわいい。抱きしめていい?」
 西園はうっとりした顔でどんどん近づいてきて、僕は壁際に追い詰められてしまう。
「だめに決まってるじゃないですか!」
 今の西園に抱きつかれたらたまったものじゃない。バカにされて腹立たしいのに嬉しくも感じてしまいそうで、たぶん立ち直れなくなる。
「あー、そこまでにしな。弓弦がちで犯罪者みたい」
 お姉さんの一声で西園はぎくりと制止し、僕はなんとか助かった。
「弓弦がまたユージーンやろうって言い出したの、もしかして真穂路くんのため?」
 猫舌さんがいきなりの質問を西園に投げつけたが、西園は鼻を鳴らすだけで答えずリビングと地続きのキッチンへと向かい出した。
 らしからぬ反応を不思議に思いつつ、僕のためという言葉が引っかかる。西園はもともとユージーンのコスをしてきたはずだ。キャタンのアカウントを見た限りだけど、西園が他のキャラに扮していた覚えはない。
「どういうことですか?」
「先々週はシュートに変えるつもりって言ってて──」
「関係ないよ」
 西園が素っ気ない口調で、しかしぴしゃりと口を挟んできた。
「でもユージーンは多いし飽きてきたって、衣装探し始めてたじゃん」
「だったけど、やっぱ似てるキャラがいいかなって思い直したんだよ」
 西園にしては歯切れが悪い。もしかして、スマホを取り違えたとき中を見たんじゃないだろうか。僕のフォトファイルには西園のユージーンだけのフォルダまである。SNSのブクマまでして、データのバックアップまで取っていた。もしあれらを見られていたとしたら……死にたい。がちで消えてなくなりたい。
「僕、帰ります」
「なんで? 写真撮らなくていいの?」
 推しと同じ画面に収まるというのは、喜ぶ人もいる一方で絶対に嫌だと避ける人もいる。僕は後者だった。
「……い、いいです」
「本当に? 後悔しない?」
「後悔なんて……」
 はっきりと断れない僕に西園は歩み寄り、スマホを目の前にかざしてきた。
「これ、再現したくない?」
 エン旋のBlu-rayジャケットのスチール写真で、マホロとユージーンが並んでいるファンの中でも人気のある構図だった。
「したくありません」
 へえ、と口の端を吊り上げたまま西園は言うと、スマホを操作してまた僕に見せつけてきた。
 卑怯なやつだ。
 画面はインカメラで、目の前には僕が映っていた。
 目を逸らしたいのにできず、僕は考えを変えざるを得なくなってしまった。
 お姉さんに化粧までされた僕を鏡で見たとき、僕は驚愕するとともに不思議な感覚に陥った。西園がはしゃぐのも無理はない。というくらいにマホロそっくりだったのだ。
 幼き頃のあの日、マホロという名を誇りに感じていたのが一転し、それからは真穂路であることに複雑な気持ちを抱いていた。
 堂々とエン旋のファンだと言えばいいのに十年も孤独を選ぶはめになった、そのすべてはこの名前のせいだ。だからマホロのコスプレなんて論外だったし、重ねて見られるなんてまっぴらだった。
 そのはずが、ユージーンと並ぶ姿を想像したらそれだけでも垂涎もの、というのに目がくらんでしまった。
 恥ずかしさや悔しさ以前に、エンオタとしての血が騒いでしまった。鏡のなかの僕の姿は、それくらいの衝撃だったのだ。

 ◇◇◇

 昨日の今日でどんな顔をすればいい?
 夜は眠れず朝になっても悩み続け、散々悩んだ結果、うやむやにして誤魔化すという方法を選ぶことにした。
「すごいじゃん!」
「ベタだけど、悪くないな」
「……ステージの上ってなると見えづらいかも」
 ぼそりと的確な指摘をしてくれた片平さんはさすがだ。僕は学校に手品道具一式を持ってきて、放課後生徒会室で披露してみせていた。高原さんと笹森くんは褒めてくれたものの、片平さんの言い分はもっともで、僕も気にしていたことだった。
「もし新歓の出し物に決定したら、予算が出るかなって期待してたので……」
 トランプ、コップとコイン、ハンカチと花束。お小遣いの範囲ではこの程度が限界だった。
「うん。予算は出たと思うけど、でもやっぱ学生がやるってだけじゃ盛り上がりには欠けるかもね」
「芸人とか有名人がやるんなら面白かっただろうけど」
「お金かけてもショーとしての魅力がなきゃ意味ないしな」
 散々に言われて、僕はおとなしく手品道具を片付けた。今さら追い打ちをかけられずとも、そもそもが却下された提案だということはわかっている。
「会長には見せないの?」
「……ここまで言われて、もう一度披露する勇気はありません」
 いまここには、生徒会長の姿だけがない。今日は今朝から全力で西園から逃げ、うまいこと顔を合わせず放課後まで来ることができた。ただ役員会議の予定は動かせない。会議中はよくても前後に絡まれる可能性はある。だからと手品を披露して話題を提供し、西園以外のメンバーとの会話に花を咲かせるつもりだったのだが、急遽会議は取りやめになったのだ。
「でも楽しみにしてたんだし、持って帰らないでここに置いておけば?」
「……いえ、私物ですし」
 一度みんなに見せてしまっては、同じ手を使えない。西園に見せるとなればむしろ会話の種を蒔くことになる。だからと紙袋を通学リュックのそばに置こうとしたのを、平方さんがひょいと奪ってきた。
「置いときなよ。新歓のときじゃなくても他の機会に出番がくるかもしれないし」
「確かに。文化祭や次の役員選挙の余興にいいかも」
 結局は言いくるめられ、僕の手品道具は生徒会室の隅に収まることとなった。自宅に置いておいても使う機会はないだろうし、後輩たちが利用してくれるならアリか、と思っていたとき、ドアがいきなり開いた。
「あれ? 俺を待っててくれたの?」
 嬉しいな、と言いながら西園が満面の笑みで入ってくる。僕は一気に体温が上昇し、耳まで赤くなったのを気付かれるのが嫌で慌てて顔を逸らした。
「会長、どうしたの?」
「森川のとこ行ってただけだよ」
「じゃなくて、なにか忘れ物?」
「そうそう。下駄箱見たら、まだ靴がそのままだったから」
 声が真後ろから聞こえ、驚いて振り返ろうとしたら後ろから抱きしめられた。
「なにするんですか!」
 信じられない。高原さんたち三人もびっくりしている。僕は勢いよく振り払って立ち上がり、西園から距離を取った。
「なにって、俺と真穂路の仲じゃん?」
 怒鳴りつけようと思ったのに、まともに西園を見てしまったせいで言葉に詰まる。
「なんの仲でもないですって……」
 なんとか答えたけれど、声は弱々しく顔の熱さも冷めやらない。高原さんたちの視線にも耐えきれず、リュックを掴んで逃げるように生徒会室を出た。
「待てって」
 ついてくるな。
「朝から人の顔見ては逃げ出すし、どうしたんだよ」
 放課後で人けがないと言っても西園は目立つ。そのうえ不服なことに僕も目を引くようになっている。だから追いかけっこなんてしたくないのに、足の長い西園をまくのは容易じゃない。
「どうもありません。構わないでください」
「なんでだよ」
「構って欲しくないからです。いつもご説明してると思いますけど」
「そうだけど……昨日は普通に楽しそうだったじゃん」
「あれは…………」
 楽しそう、ではなく事実僕は楽しんでいた。自分でも驚くくらい、こんなに楽しい時間は何年ぶりかというくらいに。
「推し活ってさ、色々あるじゃん? 楽しんではい終わりってならない人がたくさんいる。二次創作するのもそうだし、コスプレもそのひとつだよ。成りきって作品の一部になったような気持ちになれる」
 体験したいまは、西園の言うことがすごくよくわかった。
 コスプレというのは、プレイと言うだけあって、中身のほうも成り切ってしまうものらしい。
 鏡を見て驚いたあと、僕は我を忘れたみたいにテンションを上げて写真を撮りまくり、言われるがままポーズを取ったりして、お酒を飲んだら酔うってのはこういうことなのかみたいな状態になっていた。
「俺の気持ちがわかっただろ?」
「……はい」
「ほんと?」
 西園は急にぎょっとしたみたいな顔をした。
「なにがおかしいんですか?」
「おかしいわけじゃないけど、そう簡単に認めてくれるとは思わなかったから」
「……エンオタですし、レイヤーの写真を見るのも好きでしたから、やってみたら意外に楽しかったんです」
「それは二重に嬉しい。じゃ、また家来なよ」
「へっ?」
「楽しかったんだろ? コスのできる公園があるから、外で撮影しよ」
「はあ? もう日が沈みますよ?」
 撮影と言われてもまったくぴんと来ないけど、公園の街路灯程度の光量じゃ安っぽくなるのではないだろうか。
 西園は踊り場で足を止め、ふいに振り返った。
「……コス自体は嫌じゃないんだ?」
 にやにやとした西園と目を合わせて、僕はぶわっと頭から足の先まで熱くなった。
「い、いいい嫌です」
「日和公園っていうんだけど、いい感じのベンチにLEDの外灯があって夜スナップでも綺麗に撮れるところなんだ」
 西園は歩き出し、僕は全身が濡れたみたいな冷や汗をかきながら後に続いた。縛られているわけでもないし、腕を掴まれてもない。ついていく必要なんてないのに、おとなしく下駄箱で靴を履き替えて、西園の隣を歩いていった。
 昨日は西園から騙されて、無理やり着させられたのだから仕方がなかった。だけどこんなやってついて行くってことは、今日は自分の意思ということになる。
 西園が僕のことをマホロだと見ていたことにショックだったのに、自らマホロになろうとするなんてちぐはぐという他ない。
「俺の真穂路に対する気持ち、って意味だよ」
 信号待ちのときに、脈絡なく西園が言った。
「……僕に対する気持ち?」
 どきりと心臓が跳ね、ばくばくと音が聞こえそうなほど脈打ち始めた。
「俺とユージーンが結びついたら、真穂路だって見る目が変わっただろ?」
 いつもの不敵な笑みを浮かべた西園は、「青だ」と言って歩き出した。
 さっきのは、コスプレをしたときの楽しさという意味じゃなかったらしい。西園がいきなり僕に目をつけて追いかけ回したことの理由だったようだ。
「……変わってません」
 西園の後を追いかけながら、僕は蚊の泣くような声でその背中につぶやいた。
 確かに態度に違いは現れていた。でも、西園に対する気持ちに大きな変化はなかった。
 苛々させられるのも、近づいて欲しくないのも元からだし、それでもエンオタ仲間であると知って親近感が湧いて、話してると楽しくて、ベタベタとくっつかれて困ることも変わらない。
 西園を前にしてどんな反応をしていいのか自分でもわからなくなるのは、前からのことだ。