西園生徒会長のお気に入り

 噂は電車に乗っているときから聞こえていた。
「エンゲル係数だっけ?」
「『エンゲルの旋風』だよ。ほら、おじさんにめちゃくちゃ人気の」
 学校の最寄り駅に到着するまでの間に何人もの生徒たちが乗り込んでくる。ひそひそとして聞き取りづらい声の中に『エンゲル』だの『エンオタ』などの言葉が聞こえ、最初は校内にもファンがいたのかと驚いていた。
「だから藤川のことを気に入ってたんだって」
「真穂路だからマホロ? って安直ー! でも男じゃん」
「男だけど、顔がちょっと似てるらしい」
「そんな理由かよ? 西園会長がちのオタクじゃん」
 西園が自ら吹聴した以外に考えられない。エンオタ用のSNSアカウントが特定されたとかであれば別だけど、他にバレようがないはずだ。
「おはよ、俺のマホロ」
 昇降口へ入ろうというときだった。上履きを手にした西園がいて、平然と僕に朗らかな笑みを向けてくるものだから、僕はぎくりと顔を強張らせた。
「僕は西園会長のものじゃありません」
 下駄箱の位置は迎え合わせだ。近づかなければならないというのに、さすが視線を集め慣れてる人気者は心臓の出来が違う。
「マホロオタの前に現れたのが運の尽き。ぎゅってさせて?」
 周りからの視線にびくついている僕とは違って、ガソリンまで注ぐなんて信じられないやつだ。
「嫌ですよ」
「いいじゃん、減るもんじゃないし。マホロの温もりとにおいがないと一日が始まらない」
 腕を伸ばされても僕は華麗に避け、急いで上履きを引っ掴んで校舎へ入った。追ってくるはず、と思ったのにそんな様子はついぞなかった。
 なぜなのか。噂を自ら撒いたことの延長というか、エンオタであることをアピールするためだったのだろうか。でなければ、西園の家で見せた態度との相違に説明がつかない。僕とマホロを別に見ているような口ぶりだったのに、いきなり真逆ともいえることを言い出したのだから。
 なんにせよあんな方法を取らずに西園の口から説明して欲しかった。
 少し不満を覚えつつ教室へ入ると、僕に集められた視線に変化を感じて少し戸惑った。昨日までは妬みや疑念だらけだったのに、今日は憐れみのようなものを滲ませているのだ。
「おっす、藤川。大変な目に遭ってんな」
 しかも、ろくに話したことのないクラスメイトたちが声をかけてきて、びっくりしている間に近づいてもくるではないか。
「おはよ……」
「西園会長のお気に入りってあれ、オタクの暴走だったんだな」
「あ、えっと……」
「確かにちょっと似てるかも」
 覗き込んできたのは栗林(くりばやし)という名のイケメン男子だ。横の峰口(みねぐち)も可哀想に、と目で気遣ってくれている。彼らはサッカー部に所属しているいわゆる一軍男子たちで、よほどのことがない限り僕みたいな陰キャには声をかけない。猫舌みあおライブの件が広まったときも、僕は珍しくもあちこちから声をかけられたのだけど、彼らは話しかけてこなかった。
 そんな彼らさえ心配してくれるとは、西園がオタクだったという事実はかなりのインパクトがあったようだ。
「いい迷惑だよな。オタクが周りのことなんか見えなくなるってあれ、がちだったんだな」
 彼らが同情を向けてくれたのを皮切りに、僕はクラスメイトたちから次々に肩を叩かれ、殊勝な顔つきで励まされ、なんとも不思議な気持ちにさせられた。
 他人を避けてきたのは、オタ活のほうが大事だったからだ。本当は普通に会話をしたかったのに、自ら抑圧した、その秘めた願いが叶ったような気分だった。
 僕が殻を被っていたのは西園のせいじゃない。お気に入りと揶揄されるくらいまとわりついてきたのは事実だけど、僕は自分を守るために西園を犠牲にしようとした。なのに西園は自分だけはエンオタであるとバラしながらも、僕のことは隠したままだった。
 迷惑なやつだとばかり思って苦手にしていた西園が、僕のなかで印象を大きく変え始めている。そう自覚して、西園の顔を見るのが怖いような、感じたことのない不安感が僕の胸をざわつかせていた。

 ◇◇◇

 今日は生徒会役員の仕事もなく、放課後は空いていた。帰宅したあとなんのBlu-rayを見返そうかなんて考えながら昇降口へ向かうと、帰宅部の人たちでごった返していた。
「……ひどい雨」
「夕方には晴れる予報だったのに」
 予報が外れるのはよくある話だ。ただ、教室を出たときに小雨だったはずが、数分でどしゃ降りに変わっているとは思うまい。急な変化に驚きつつ同じく傘を持ってきていなかった僕は、迷う一団に加わるしかなかった。
「俺を待っててくれたんだ?」
 ぽんっと背中を叩かれ、振り返ると西園がいた。
「待ってません」
 目を合わせられない。今日の西園は朝に顔を合わせた以来まったく僕に近寄ってこなかった。それだけでも拍子抜けしたのに、妙に意識し始めたせいでいつもどおり振る舞えそうにない。
「じゃ、なんで突っ立ってんの?」
「みんなと同じ理由ですよ」
 ほら、とガラス戸の外を指すと、西園のほうから素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「傘がないってこと?」
「はい……って、よく持ってましたね」
「持ってこないほうがおかしくない? 朝から雨雲だらけだったのに」
「でも晴れる予報でしたよ」
「あはは! ほんと信じやすいね、真穂路は」
「どういう意味ですか?」 
「意味なんてないよ。それより、一緒に入ってく?」
「えっ?」
 相合い傘ってこと? 以前に輪をかけて噂の的になっているのに?
「今日、なにか予定ある?」
「ないですけど……いったい、なんなんですか?」
「姉貴がちょうど今みあおさんと遊んでるらしくてさ、家にも寄るから打ち合わせしてもいいって」
 西園はスマホを操作して、僕に画面を見せてきた。メールアプリが起動されており、今の話どおりのやりとりが表示されている。今度ばかりは本当らしい。わざわざ見せてくれたのは、二度も騙したせいで僕が信用しないと思ったのだろう。
「今からですか?」
「ダメならいいけど」
「どこで打ち合わせなんですか?」
「九美駅ナカのマック。電車に乗っちゃえばそのまま──」
 西園が答えた直後にあたりがぴかっと光った。
「きゃあっ」
 直後にガラス戸が振動するほどの爆音が轟いて、女子たちの悲鳴がつづいた。
「びびったー」
「やばくね?」
 ざわつき始めた場に、ざーっと強くなった雨音が響く。さっきより悪化したみたいだ。
「無理ですよ……」
「なんで?」
「なんでって、見てわかるでしょう?」
「平気だよ」
 西園は気にした様子もなく、靴を履き替えるがいなや昇降口を飛び出していった。
「西園会長!」
 思わず声を上げてしまうくらい驚いた。しかも傘を差しているのに横っ風にやられて、みるみる濡れ始めている。
「おーい、真穂路ー」
 西園は数歩進んだだけで足を止め、喜色満面な笑みを向けてきた。まったく、周りからどう思われようと本気で頓着しないらしい。
「仕方がないな」
 こうなったら、追いかけないほうが気まずい。僕しか目に入らないみたいな視線を向けられては恥ずかしいし居た堪れない。ひとり残されるより噂に火をくれたほうがましだと思い、僕は西園の後に続いた。
「そこ気をつけて」
 コンクリートづくりのせいか舗道は水たまりのようになってしまっている。
「どこを歩けと?」
「濡れるのが嫌なら抱っこしてあげようか?」
「バカなこと言わないでください」
 西園は相変わらずだ。すでに服はびちょ濡れで髪も乱れているのにへらへらとして、美貌が台無し……どころか水も滴るという慣用句さながらに魅力が割増になっている。
 やっぱり顔を見るのは無理だ。
「何時なんですか?」
「時間は余裕。こんなんだと電車は空いてるんじゃね? 車で迎えに来てもらってるやつとかいそう」
「西園会長のご両親は?」
「仕事だし来るわけないって。真穂路は?」
「うちも迎えとか一度も来たことありません」
「じゃ、このまま行こう。傘があるから平気だって」
 西園は言いつつも数十メートルと行かずに傘を畳んでしまった。ずぶ濡れになるのが楽しくなってきたのか、踊りださんばかりに足取りは軽く、鼻歌まで歌っている。
「気持ちよくない?」
「……ここまでくると、気持ちいいかもです」
「だよね。アレウスの十八話で似たようなシーンあったじゃん?」
「ありましたね。うわ、ユージーンと同じことしてる?」
「そう考えるといい経験って思えない?」
 かもしれない。
 僕は呆れつつも、西園と話しながら同じように濡れて、なんだか悪くない気分になっていた。