「いらっしゃいませー」
テレレ、テレレ、と日本人ならば誰でも一度は聞いた事がある音が奥で鳴った。
俺は某ハンバーガー店でバイトをしている。高校二年にも関わらず、彼女もいないし友人も一人しかいない、まあ所謂陰キャだ。知り合いに会いたくないという理由でわざわざ高校から遠いこの店を選んだほど、人と関わるのが苦手である。そんな俺は勿論出来ることなら厨房に回りたかったが、人手不足だからと店長に圧されてカウンターに。言われたら断れない俺の悪い癖である。
はぁ、今日もバイト頑張りますか。体に鞭打って表に出ると早速サラリーマンが来店した。
「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」
「えー、ビッグマッツのセットでーー」
あー、笑顔貼り付けるのきっつ。早く仕事終わんないかな。始まった途端にそんなことを考えるが、客には悟られないように「かしこまりました」と口角を持ち上げた。
注文が終わると後ろに並んでいた客が前へ出てきた。彼の顔を見て思わず「あ」と小さく声が零れる。すらりと伸びる長い足。艶やかな濡羽色の髪に切れ長の目の下にある涙ぼくろ。この店によく来るイケメン客だ。
高校に入ってからバイトを続けている為、常連の顔は大体覚えている。というかバイト仲間がなかなかインパクトのある渾名を付けるから自然と覚えてしまうのだ。
期間限定商品のピーチシェイクが出た時だけ訪れるピーチ姫とか、目付き悪く毎度キレてくるヤクザとか。この男は俺が唯一あだ名を付けた男だ。
「お待たせ致しました」
「ナゲット一つ」
はい、ナゲットですねー。そして彼は黙る。普通の客だったらこれで金払って貰って終わりだろう。だが、この男は違う。
注文を厨房に伝え、そして数分後作り終えたナゲットを彼に渡す。その後彼は近くの席でナゲットを食べ終えるともう一度こちらへ現れるのだ。
「コーラMサイズで」
あ、はい。コーラですね。再び厨房に伝え、注いだコーラを彼に渡す、etc……。
そして彼はまた現れて口を開く。
「ポテトMサイズで」
はーい、ポテト。と心の中でメモを取るが正直言いたい。
最初にまとめて言えば良くね?
こんな客はこの男しかいない。普通マッツに来たらセットで頼む人が大多数だ。というか一緒に食べるのが美味しいだろう。ポテトを食べながら時々ナゲットを摘みコーラで流す。それが美味しいと思う。まあその人なりのこだわりがあるかもしれないし下手に文句は言えないが。
その結果、普通ならば「バーガー王子」や「スマイルキラー」なんてあだ名をつけられるだろうが、彼のあだ名は「注文の多い男」に決定した。我ながらセンスが皆無なのは目を瞑って欲しい。だけど彼は本当に注文が多いのだ。
シフトが終わり、カウンターから離れて更衣室へ向かう。途中、バイト仲間が集って話しているのが目に入った。そのまま通り抜けようと思ったが、引き止められてしまった。
「あ、冴木じゃん。今日も来たな、注文の多い男」
「マジ迷惑よな」
「でもイケメンだから許す!」
「てか冴木くんの所ばっか行ってずるーい。私にも注文して欲しい」
是非お譲りします。
案の定陽キャのバイト仲間達は彼の話題を出す。金髪やマッシュの男は気に食わないようだが熊手のような前髪の女達は逆である。男からは辛いよなーと同情されるが、女からは睨まれる。
普段は空気同然のような俺だが「注文の多い男」が来るせいで、このように会話に無理矢理混ざってしまうのだ。悪い人達では無いが、アウェイ感が半端ないから空気になりたい。
「何で冴木くんのとこばっか行くんだろ」
「変な注文しても何も言わないからじゃね?」
「あーね。大人しいからね」
俺の予想では単にマッツに来る時間と俺のシフトが被ってるだけだろうと思う。だが彼等の予想も有り得る。地味野郎だから気にしなくて楽なんだろうな。
「もっと冴木くんが派手になったら近寄らないんじゃない?」
「確かに!こいつらみたいにチャラくしたらいいかも。ほら、漫画とかだったら髪型を変えたらイケメン!ってあるじゃん?」
女子の一人が俺の重たい前髪を分ける。すると、目の前の男女は皆揃って「あー……」と重い声を出した。苦笑を貼り付ける皆を前に俺は髪型を元に戻す。すると、絞り出したような声で会話は再開した。
「あー、えとあれ、ちょっとその筋トレとかしたらいいんじゃない?」
「確かに確かに。筋肉つけたら変わりそう!」
「冴木、チー牛顔ってわけじゃないし雰囲気意識したら垢抜けそうだよな」
皆が必死に俺のフォローをする。分かってる。分かってるってば。そんな漫画みたいなことあるわけないって。どうせ俺は何をしても地味ですよ。
そんな地獄のバイトを終え、就寝後。再び始まりました地獄の学校。
もう俺に普通の生活は無いのか。せめてバイトを辞めようか、と考えたりもするけれどまた他のバ先で新たに仕事を覚える要領は無い。それにお金は欲しいし。
いつも通り始業時間ギリギリに着く電車に乗る。早く着きすぎてもやることが無いからギリギリを狙うのがマイルーティンである。
そこそこ人が混み合う電車の中で窓際の壁に背中を預け、スマホを取り出す。ゆらゆらと電車に揺られながら俺はスマホの画面をぼーっと眺めた。電車の中って何見れば良いか少し悩む。ゲームとか横画面でしたらうわオタクじゃんとか思われそうだし、無心で一通も来てないLIMEを眺め続けた。
しかし、俺の少ししか無い穏やかな時間は突如ぶち壊された。
「アハハッ!!界まじウケるー」
「てか美怜も同じじゃん!」
やかましいぞ、そこの若者!なんて言ってくれるおっさんがいればいいのに。まあそれはそれで長々と説教を説き始めたら面倒だが。
チラリと視線を前へ向けると如何にもキラキラ眩しい人々が居た。全員顔面偏差値が高い。というか飛び交う名前がもう陽キャっぽい。同じ制服を着ているしバレないように空気になりきろう。俺は二酸化炭素排出器です。
「雅はどうー?」
「別に」
「もー、ノリ悪いー!」
賑やかな空気の中、一人テンションの低い男がいた。寝起きだろうか。普段は同じ学校の生徒はほとんど乗らないからこの時間を選んでいる。それなのに、ああいうThe陽キャ集団に出くわすなんて今日はついてない。なんで今日は陽キャがいるんだろうか。
「雅が寝坊したせいで遅刻しそうになったんだから、もっと私達に優しくしてよ!」
「悪い」
成程、この雅が犯人か。次から寝坊するなよ。俺はこの朝の時間だけでも静かに電車に揺られたいんだ。なんて、見知らぬ陽キャと心の中で一方的に会話をする。
だが、こいつは遅れたにも関わらず、周りは全く気にしていないようだし、余程人望があるのか。でも感じ悪そうだしかなり顔が良いのかな。
ちょっとだけならバレないだろうと顔を上げると、予想外の人物に俺は目を剥いた。
注文の多い男……。
まさかこんな所で出会うとは。いつもマッツでしか見かけない変わった客が、同じ制服を着ている。イケメンなだけあって着こなしているが、妙に新鮮で少しだけ変な気持ちになる。
というかお前やっぱり陽キャだったのか。いつも一人で店に来るから一匹狼タイプかと思っていたが、店の外では女子に囲まれていたなんて。この事実を知ればバイト先の女子たちは肩を落とすだろう。……まあ、こんな可愛い女の子が傍にいれば、見ず知らずのマッツの店員なんでどうでもいいか。
はえー、と眺めているとパチッと目が合い、俺は瞬時に目を逸らした。
ヤバい。気付かれたか?まあ気付かれても特に何も無いが、なんだか気まずい。慌ててスマホへ視線を落とすと、画面に影が掛かった。
不思議に思い見上げると「注文の多い男」が目の前にいた。気が動転した俺は、うっかりお馴染みの言葉が口からこぼれてしまった。
「いっ、いらっしゃいませっ」
しん、と車内が静まる。取り残された俺の声だけが耳の奥で反響した。まるで時が止まったようだが、吊り革は変わらず揺れている。
じわじわと頭の天辺から首元へ広がるように皮膚が熱を持つ。
はっっず!!職業病がこんな所で出るなんて最悪だ。というか、さっきまで陽キャ達騒いでただろ。何でこんな時にだけ黙るんだ。
肩を縮ませ俯く。せめて存在感を無くそうとしているが、目の前の男は無言で立ったまま。助けて。少しでいいから俺の存在を消して。穴があったら入りたいとは正にこの状況を表すだろう。ここ最近で一番の地獄だ。
一方、男は端正な唇の端を上げた。
「覚えてた?俺のこと」
ええそりゃあ俺のシフトの時間に合わせているのかと思うほど毎日来る上に、その顔面で独特な注文をするから嫌でも頭に残りますよ。
俺はバイトの時と同じように口角を上げ、震える唇を開いた。
「は、はい。すみません。さっきは変な事言ってしまって。は、ははは」
「や、全然大丈夫。さっき目逸らされたから気付かれてないのかと思ったけど良かった」
目を細めた彼を前に俺は思わず目を眇めた。イケメンの笑顔って太陽を直で見るくらい眩しい。
すると、彼はとんでもないことを言い出した。
「学校まで一緒に行かない?」
「えー、雅ってそんなにマッツ好きだったんだ」
「いがーい。そういや冴木くん下の名前何?」
「太郎です」
「太郎!?マジでいるんだ」
「天然記念物じゃーん」
はは……と乾いた笑い声を零す。
最悪だ。俺のコンプレックスである名前が陽キャ達にバレるなんて。下手なキラキラネームよりも恥ずかしい。
だが笑われるだけマシだ。入学式やクラス替えの時の軽い自己紹介では名前を言うだけなのに公開処刑のようなものだから。皆初対面だから下手に馬鹿にできないし「え……太郎?」「ほんとに?」といったクラスメイト達の少し引いた感じが伝わるのだ。
笑う陽キャたちの中で、注文の多い男だけは真面目な顔で言った。
「良い名前だね」
「へ、どこが?」
「犬みたいで可愛い」
青空の下、サラサラの黒髪を靡かせながら、まるで王子みたいに笑みを浮かべた。セリフも少女漫画のヒーローのようだが、馬鹿にされているようにしか聞こえない。
男はやけにニコニコと笑みを浮かべ至近距離まで詰めてくる。鬱陶しいし肩も当たって歩きにくい。もう少し離れてくれないか。
しかし男の圧に抗えないまま歩き続け、やっと学校へ到着した。階段の付近で陽キャたちは俺に向けて手を振ってくる。
「じゃ、ここで。またねー太郎くん」
「あ、はい。また」
注文の多い男含め美少女達は特進科のようだ。どおりで普通科の俺が見たこと無いはずだ。
美形は顔だけではなく頭脳まで恵まれているのか。そんなことを思いながら手を振り返すと、一人だけ立ち止まっていた。あの注文の多い男である。
「どうされました?」
「ん?何で敬語?」
「あ、店の癖で……」
「堅苦しいの好きじゃないからやめてよ。同い年だし。あ、それから太郎って呼んでいい?」
太郎はちょっと……とやんわりと断ると、彼は眉間に深い溝を作った。
「なんで?」
耳が凍りつくような冷たい声。鋭い視線が突き刺さる。そのあまりに怖い雰囲気に俺の口から「ピェ」と奇声が零れた。すると、彼の顔色が元に戻る。
「あ、ごめん。びっくりした?俺ちょっと集中したら怖い顔しちゃうんだ。ごめんね」
「だ、大丈夫。えと、呼ばれるのが嫌なのは俺が単に太郎って名前がちょっとコンプレックスで」
「なんで?可愛いよ」
こいつ本気で言ってるのか?太郎だぞ。ただの太郎だぞ。それこそさっき会った女の子達の名前の方が十分可愛いだろう。
普段は人に強く言われたら断れない俺だがこれだけは譲りたくない。太郎は嫌だ。太郎だけは嫌だと俺の心の中のハリー・ポ〇ターが言っている。
「いや、ダサいし……」
「でもさ、美怜には呼ばせてたじゃん。太郎くんって」
美怜って誰。あ、あの去り際に言ってきた子か。
「あれは不可抗力だから……そんなに太郎って呼びたい?」
「嫌ならやめるよ。でも冴木って特別じゃない感じだから」
呼び方に特別なんて気にしなくて良くないか。だが、何故か彼は拘りがあるのか俺あだ名を試行錯誤する。普通に冴木で呼べば良くない?呼びにくい名前でもないし。
そして彼は閃いたように目を輝かせた。
「じゃあタロって呼ぶのは?」
本格的に犬みたいな名前を出してきたな。まあ、太郎よりはマシかもしれない。
頷くと花が咲いたように笑顔になった。眩しいからその笑顔やめてくれ。俺には強すぎる。
「ありがとう。タロのクラスどこ?」
「C」
「分かった。教室まで送るよ。あ、LIME交換しよ」
そして半強制的にLIMEを交換した。あと教室はすぐ近くなので結構です。
やっと解放された。教室の扉を開けると、既に多くの生徒が集まっていた。騒がしい声が頭に響く。生徒たちをかき分けて、ようやく自分の席に着き、安堵の息を漏らした。
ただでさえバイトの時も陽キャのオーラに当てられて乾涸びそうなのに、朝から大量の陽オーラを摂取してクタクタだ。机の上で項垂れているといつもの友人が後ろから話しかけてきた。
「おはよう、冴木氏」
「あ、おはよ」
名前の後ろに氏が付いている時点でお分かりだろうが、彼は俺の友人である塩谷百太郎。所謂オタクである。「ももたろう」という俺よりも強烈なネーミングだが、全く気にしてないようで俺は彼を尊敬している。
入学式の自己紹介。クラスメイトは「太郎」という名前を聞き、え……と引いていたが、次に呼ばれた「百太郎」で爆笑していた。あのトラウマは脳裏に焼き付いている。俺だけはコイツの名前を気にせず仲良くなろうと心に決めたのだ。
塩谷はハンカチを取り出して、頬から流れる汗を拭く。
「今日も暑いですなぁ」
今日別に暑くないしもう10月なんだけど……。塩谷はまあ、かなり体がふっくらとしていて動くだけで汗が凄い。
「あっ、そういえば塩谷の好きなゲームのガチャガチャあってさ、これあげる」
「うほっこれは拙者の推しではないですか!流石ですぞ冴木氏!感謝!」
急にテンションが高くなり鼻息を荒くする塩谷。性格はちょっと変わっているが、こんな小さいキーホルダー1つで嬉しそうな反応をする塩谷を見るとこっちまで嬉しくなる。
塩谷ってなんか可愛いんだよな。最初は俺より頭一つ分デカいし、横も二倍以上大きいし、可愛いとは一つも思わなかったが、今では見ていてほのぼのする。ゆるキャラに近いものを感じる。そう感じるのは俺だけではなく、クラスの皆だ。塩谷に対して優しいくまさんのような認識を持っているようで、結構好かれている。
「桃太郎おはよー」
「朝からめっちゃ元気じゃん」
おい変換が違うぞ。
塩谷はイジられてもヘラヘラと笑ったままだ。凄いな。俺は少しでも太郎に関してイジられたら消えたくなるのに。
「冴木もおはよ」
「お、おはよう」
ついで程度に挨拶をされる。そして皆は直ぐに俺から意識を外し、もちもちだとか言いながら塩谷の体を摘む。
塩谷って何気に人気者だな。まあ優しいし受け答えもちゃんとしてるしそりゃそうか。俺は直ぐに吃ってノリ悪い奴みたいになる。同じ太郎でも差がある。もし塩谷が居なければ、俺はぼっちだったかもしれない。
「冴木氏、どうされましたか?暗い顔して」
「えっ、あ、いや、何でもない」
不思議そうに俺の顔を見る塩谷から目を逸らしながら俺は咄嗟に笑顔を作った。
塩谷がいない世界線を考えたら、中学時代を思い出し心が沈んでしまった。
中学の頃、苦い思い出がある。
『太郎って名前通りつまんねえよな。いつも浮いてるし』
友達だと思っていた奴らに、そう陰で囁かれていた。俺とは正反対の明るい幼馴染と一緒のグループにいたが、まさかみんなに陰口を言われていると思わず衝撃を受けた。自分も仲間のつもりでいたが、確かに約束を破られたり、物も盗まれたり、いつも笑い者にされていた。
本当はどこかで分かっていた。自分が浮いてる、つまらない存在だって。だけど認めたくなくて気付かないふりをしていたが、友人だけでなく幼馴染までその場にいる姿を見て、自覚した。
もうあんな経験はしない。俺はこれからも目立たず静かにいよう。浮かないように何も話さず背景になったように。そう、俺は二酸化炭素排出器だ。
しかし、この世は思い通りにいく世界では無い。俺はまた表へ無理やり出されてしまった。、
テレレ、テレレ、と日本人ならば誰でも一度は聞いた事がある音が奥で鳴った。
俺は某ハンバーガー店でバイトをしている。高校二年にも関わらず、彼女もいないし友人も一人しかいない、まあ所謂陰キャだ。知り合いに会いたくないという理由でわざわざ高校から遠いこの店を選んだほど、人と関わるのが苦手である。そんな俺は勿論出来ることなら厨房に回りたかったが、人手不足だからと店長に圧されてカウンターに。言われたら断れない俺の悪い癖である。
はぁ、今日もバイト頑張りますか。体に鞭打って表に出ると早速サラリーマンが来店した。
「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」
「えー、ビッグマッツのセットでーー」
あー、笑顔貼り付けるのきっつ。早く仕事終わんないかな。始まった途端にそんなことを考えるが、客には悟られないように「かしこまりました」と口角を持ち上げた。
注文が終わると後ろに並んでいた客が前へ出てきた。彼の顔を見て思わず「あ」と小さく声が零れる。すらりと伸びる長い足。艶やかな濡羽色の髪に切れ長の目の下にある涙ぼくろ。この店によく来るイケメン客だ。
高校に入ってからバイトを続けている為、常連の顔は大体覚えている。というかバイト仲間がなかなかインパクトのある渾名を付けるから自然と覚えてしまうのだ。
期間限定商品のピーチシェイクが出た時だけ訪れるピーチ姫とか、目付き悪く毎度キレてくるヤクザとか。この男は俺が唯一あだ名を付けた男だ。
「お待たせ致しました」
「ナゲット一つ」
はい、ナゲットですねー。そして彼は黙る。普通の客だったらこれで金払って貰って終わりだろう。だが、この男は違う。
注文を厨房に伝え、そして数分後作り終えたナゲットを彼に渡す。その後彼は近くの席でナゲットを食べ終えるともう一度こちらへ現れるのだ。
「コーラMサイズで」
あ、はい。コーラですね。再び厨房に伝え、注いだコーラを彼に渡す、etc……。
そして彼はまた現れて口を開く。
「ポテトMサイズで」
はーい、ポテト。と心の中でメモを取るが正直言いたい。
最初にまとめて言えば良くね?
こんな客はこの男しかいない。普通マッツに来たらセットで頼む人が大多数だ。というか一緒に食べるのが美味しいだろう。ポテトを食べながら時々ナゲットを摘みコーラで流す。それが美味しいと思う。まあその人なりのこだわりがあるかもしれないし下手に文句は言えないが。
その結果、普通ならば「バーガー王子」や「スマイルキラー」なんてあだ名をつけられるだろうが、彼のあだ名は「注文の多い男」に決定した。我ながらセンスが皆無なのは目を瞑って欲しい。だけど彼は本当に注文が多いのだ。
シフトが終わり、カウンターから離れて更衣室へ向かう。途中、バイト仲間が集って話しているのが目に入った。そのまま通り抜けようと思ったが、引き止められてしまった。
「あ、冴木じゃん。今日も来たな、注文の多い男」
「マジ迷惑よな」
「でもイケメンだから許す!」
「てか冴木くんの所ばっか行ってずるーい。私にも注文して欲しい」
是非お譲りします。
案の定陽キャのバイト仲間達は彼の話題を出す。金髪やマッシュの男は気に食わないようだが熊手のような前髪の女達は逆である。男からは辛いよなーと同情されるが、女からは睨まれる。
普段は空気同然のような俺だが「注文の多い男」が来るせいで、このように会話に無理矢理混ざってしまうのだ。悪い人達では無いが、アウェイ感が半端ないから空気になりたい。
「何で冴木くんのとこばっか行くんだろ」
「変な注文しても何も言わないからじゃね?」
「あーね。大人しいからね」
俺の予想では単にマッツに来る時間と俺のシフトが被ってるだけだろうと思う。だが彼等の予想も有り得る。地味野郎だから気にしなくて楽なんだろうな。
「もっと冴木くんが派手になったら近寄らないんじゃない?」
「確かに!こいつらみたいにチャラくしたらいいかも。ほら、漫画とかだったら髪型を変えたらイケメン!ってあるじゃん?」
女子の一人が俺の重たい前髪を分ける。すると、目の前の男女は皆揃って「あー……」と重い声を出した。苦笑を貼り付ける皆を前に俺は髪型を元に戻す。すると、絞り出したような声で会話は再開した。
「あー、えとあれ、ちょっとその筋トレとかしたらいいんじゃない?」
「確かに確かに。筋肉つけたら変わりそう!」
「冴木、チー牛顔ってわけじゃないし雰囲気意識したら垢抜けそうだよな」
皆が必死に俺のフォローをする。分かってる。分かってるってば。そんな漫画みたいなことあるわけないって。どうせ俺は何をしても地味ですよ。
そんな地獄のバイトを終え、就寝後。再び始まりました地獄の学校。
もう俺に普通の生活は無いのか。せめてバイトを辞めようか、と考えたりもするけれどまた他のバ先で新たに仕事を覚える要領は無い。それにお金は欲しいし。
いつも通り始業時間ギリギリに着く電車に乗る。早く着きすぎてもやることが無いからギリギリを狙うのがマイルーティンである。
そこそこ人が混み合う電車の中で窓際の壁に背中を預け、スマホを取り出す。ゆらゆらと電車に揺られながら俺はスマホの画面をぼーっと眺めた。電車の中って何見れば良いか少し悩む。ゲームとか横画面でしたらうわオタクじゃんとか思われそうだし、無心で一通も来てないLIMEを眺め続けた。
しかし、俺の少ししか無い穏やかな時間は突如ぶち壊された。
「アハハッ!!界まじウケるー」
「てか美怜も同じじゃん!」
やかましいぞ、そこの若者!なんて言ってくれるおっさんがいればいいのに。まあそれはそれで長々と説教を説き始めたら面倒だが。
チラリと視線を前へ向けると如何にもキラキラ眩しい人々が居た。全員顔面偏差値が高い。というか飛び交う名前がもう陽キャっぽい。同じ制服を着ているしバレないように空気になりきろう。俺は二酸化炭素排出器です。
「雅はどうー?」
「別に」
「もー、ノリ悪いー!」
賑やかな空気の中、一人テンションの低い男がいた。寝起きだろうか。普段は同じ学校の生徒はほとんど乗らないからこの時間を選んでいる。それなのに、ああいうThe陽キャ集団に出くわすなんて今日はついてない。なんで今日は陽キャがいるんだろうか。
「雅が寝坊したせいで遅刻しそうになったんだから、もっと私達に優しくしてよ!」
「悪い」
成程、この雅が犯人か。次から寝坊するなよ。俺はこの朝の時間だけでも静かに電車に揺られたいんだ。なんて、見知らぬ陽キャと心の中で一方的に会話をする。
だが、こいつは遅れたにも関わらず、周りは全く気にしていないようだし、余程人望があるのか。でも感じ悪そうだしかなり顔が良いのかな。
ちょっとだけならバレないだろうと顔を上げると、予想外の人物に俺は目を剥いた。
注文の多い男……。
まさかこんな所で出会うとは。いつもマッツでしか見かけない変わった客が、同じ制服を着ている。イケメンなだけあって着こなしているが、妙に新鮮で少しだけ変な気持ちになる。
というかお前やっぱり陽キャだったのか。いつも一人で店に来るから一匹狼タイプかと思っていたが、店の外では女子に囲まれていたなんて。この事実を知ればバイト先の女子たちは肩を落とすだろう。……まあ、こんな可愛い女の子が傍にいれば、見ず知らずのマッツの店員なんでどうでもいいか。
はえー、と眺めているとパチッと目が合い、俺は瞬時に目を逸らした。
ヤバい。気付かれたか?まあ気付かれても特に何も無いが、なんだか気まずい。慌ててスマホへ視線を落とすと、画面に影が掛かった。
不思議に思い見上げると「注文の多い男」が目の前にいた。気が動転した俺は、うっかりお馴染みの言葉が口からこぼれてしまった。
「いっ、いらっしゃいませっ」
しん、と車内が静まる。取り残された俺の声だけが耳の奥で反響した。まるで時が止まったようだが、吊り革は変わらず揺れている。
じわじわと頭の天辺から首元へ広がるように皮膚が熱を持つ。
はっっず!!職業病がこんな所で出るなんて最悪だ。というか、さっきまで陽キャ達騒いでただろ。何でこんな時にだけ黙るんだ。
肩を縮ませ俯く。せめて存在感を無くそうとしているが、目の前の男は無言で立ったまま。助けて。少しでいいから俺の存在を消して。穴があったら入りたいとは正にこの状況を表すだろう。ここ最近で一番の地獄だ。
一方、男は端正な唇の端を上げた。
「覚えてた?俺のこと」
ええそりゃあ俺のシフトの時間に合わせているのかと思うほど毎日来る上に、その顔面で独特な注文をするから嫌でも頭に残りますよ。
俺はバイトの時と同じように口角を上げ、震える唇を開いた。
「は、はい。すみません。さっきは変な事言ってしまって。は、ははは」
「や、全然大丈夫。さっき目逸らされたから気付かれてないのかと思ったけど良かった」
目を細めた彼を前に俺は思わず目を眇めた。イケメンの笑顔って太陽を直で見るくらい眩しい。
すると、彼はとんでもないことを言い出した。
「学校まで一緒に行かない?」
「えー、雅ってそんなにマッツ好きだったんだ」
「いがーい。そういや冴木くん下の名前何?」
「太郎です」
「太郎!?マジでいるんだ」
「天然記念物じゃーん」
はは……と乾いた笑い声を零す。
最悪だ。俺のコンプレックスである名前が陽キャ達にバレるなんて。下手なキラキラネームよりも恥ずかしい。
だが笑われるだけマシだ。入学式やクラス替えの時の軽い自己紹介では名前を言うだけなのに公開処刑のようなものだから。皆初対面だから下手に馬鹿にできないし「え……太郎?」「ほんとに?」といったクラスメイト達の少し引いた感じが伝わるのだ。
笑う陽キャたちの中で、注文の多い男だけは真面目な顔で言った。
「良い名前だね」
「へ、どこが?」
「犬みたいで可愛い」
青空の下、サラサラの黒髪を靡かせながら、まるで王子みたいに笑みを浮かべた。セリフも少女漫画のヒーローのようだが、馬鹿にされているようにしか聞こえない。
男はやけにニコニコと笑みを浮かべ至近距離まで詰めてくる。鬱陶しいし肩も当たって歩きにくい。もう少し離れてくれないか。
しかし男の圧に抗えないまま歩き続け、やっと学校へ到着した。階段の付近で陽キャたちは俺に向けて手を振ってくる。
「じゃ、ここで。またねー太郎くん」
「あ、はい。また」
注文の多い男含め美少女達は特進科のようだ。どおりで普通科の俺が見たこと無いはずだ。
美形は顔だけではなく頭脳まで恵まれているのか。そんなことを思いながら手を振り返すと、一人だけ立ち止まっていた。あの注文の多い男である。
「どうされました?」
「ん?何で敬語?」
「あ、店の癖で……」
「堅苦しいの好きじゃないからやめてよ。同い年だし。あ、それから太郎って呼んでいい?」
太郎はちょっと……とやんわりと断ると、彼は眉間に深い溝を作った。
「なんで?」
耳が凍りつくような冷たい声。鋭い視線が突き刺さる。そのあまりに怖い雰囲気に俺の口から「ピェ」と奇声が零れた。すると、彼の顔色が元に戻る。
「あ、ごめん。びっくりした?俺ちょっと集中したら怖い顔しちゃうんだ。ごめんね」
「だ、大丈夫。えと、呼ばれるのが嫌なのは俺が単に太郎って名前がちょっとコンプレックスで」
「なんで?可愛いよ」
こいつ本気で言ってるのか?太郎だぞ。ただの太郎だぞ。それこそさっき会った女の子達の名前の方が十分可愛いだろう。
普段は人に強く言われたら断れない俺だがこれだけは譲りたくない。太郎は嫌だ。太郎だけは嫌だと俺の心の中のハリー・ポ〇ターが言っている。
「いや、ダサいし……」
「でもさ、美怜には呼ばせてたじゃん。太郎くんって」
美怜って誰。あ、あの去り際に言ってきた子か。
「あれは不可抗力だから……そんなに太郎って呼びたい?」
「嫌ならやめるよ。でも冴木って特別じゃない感じだから」
呼び方に特別なんて気にしなくて良くないか。だが、何故か彼は拘りがあるのか俺あだ名を試行錯誤する。普通に冴木で呼べば良くない?呼びにくい名前でもないし。
そして彼は閃いたように目を輝かせた。
「じゃあタロって呼ぶのは?」
本格的に犬みたいな名前を出してきたな。まあ、太郎よりはマシかもしれない。
頷くと花が咲いたように笑顔になった。眩しいからその笑顔やめてくれ。俺には強すぎる。
「ありがとう。タロのクラスどこ?」
「C」
「分かった。教室まで送るよ。あ、LIME交換しよ」
そして半強制的にLIMEを交換した。あと教室はすぐ近くなので結構です。
やっと解放された。教室の扉を開けると、既に多くの生徒が集まっていた。騒がしい声が頭に響く。生徒たちをかき分けて、ようやく自分の席に着き、安堵の息を漏らした。
ただでさえバイトの時も陽キャのオーラに当てられて乾涸びそうなのに、朝から大量の陽オーラを摂取してクタクタだ。机の上で項垂れているといつもの友人が後ろから話しかけてきた。
「おはよう、冴木氏」
「あ、おはよ」
名前の後ろに氏が付いている時点でお分かりだろうが、彼は俺の友人である塩谷百太郎。所謂オタクである。「ももたろう」という俺よりも強烈なネーミングだが、全く気にしてないようで俺は彼を尊敬している。
入学式の自己紹介。クラスメイトは「太郎」という名前を聞き、え……と引いていたが、次に呼ばれた「百太郎」で爆笑していた。あのトラウマは脳裏に焼き付いている。俺だけはコイツの名前を気にせず仲良くなろうと心に決めたのだ。
塩谷はハンカチを取り出して、頬から流れる汗を拭く。
「今日も暑いですなぁ」
今日別に暑くないしもう10月なんだけど……。塩谷はまあ、かなり体がふっくらとしていて動くだけで汗が凄い。
「あっ、そういえば塩谷の好きなゲームのガチャガチャあってさ、これあげる」
「うほっこれは拙者の推しではないですか!流石ですぞ冴木氏!感謝!」
急にテンションが高くなり鼻息を荒くする塩谷。性格はちょっと変わっているが、こんな小さいキーホルダー1つで嬉しそうな反応をする塩谷を見るとこっちまで嬉しくなる。
塩谷ってなんか可愛いんだよな。最初は俺より頭一つ分デカいし、横も二倍以上大きいし、可愛いとは一つも思わなかったが、今では見ていてほのぼのする。ゆるキャラに近いものを感じる。そう感じるのは俺だけではなく、クラスの皆だ。塩谷に対して優しいくまさんのような認識を持っているようで、結構好かれている。
「桃太郎おはよー」
「朝からめっちゃ元気じゃん」
おい変換が違うぞ。
塩谷はイジられてもヘラヘラと笑ったままだ。凄いな。俺は少しでも太郎に関してイジられたら消えたくなるのに。
「冴木もおはよ」
「お、おはよう」
ついで程度に挨拶をされる。そして皆は直ぐに俺から意識を外し、もちもちだとか言いながら塩谷の体を摘む。
塩谷って何気に人気者だな。まあ優しいし受け答えもちゃんとしてるしそりゃそうか。俺は直ぐに吃ってノリ悪い奴みたいになる。同じ太郎でも差がある。もし塩谷が居なければ、俺はぼっちだったかもしれない。
「冴木氏、どうされましたか?暗い顔して」
「えっ、あ、いや、何でもない」
不思議そうに俺の顔を見る塩谷から目を逸らしながら俺は咄嗟に笑顔を作った。
塩谷がいない世界線を考えたら、中学時代を思い出し心が沈んでしまった。
中学の頃、苦い思い出がある。
『太郎って名前通りつまんねえよな。いつも浮いてるし』
友達だと思っていた奴らに、そう陰で囁かれていた。俺とは正反対の明るい幼馴染と一緒のグループにいたが、まさかみんなに陰口を言われていると思わず衝撃を受けた。自分も仲間のつもりでいたが、確かに約束を破られたり、物も盗まれたり、いつも笑い者にされていた。
本当はどこかで分かっていた。自分が浮いてる、つまらない存在だって。だけど認めたくなくて気付かないふりをしていたが、友人だけでなく幼馴染までその場にいる姿を見て、自覚した。
もうあんな経験はしない。俺はこれからも目立たず静かにいよう。浮かないように何も話さず背景になったように。そう、俺は二酸化炭素排出器だ。
しかし、この世は思い通りにいく世界では無い。俺はまた表へ無理やり出されてしまった。、
