ゼニスは視界の隅で笑う~裁きはリングで決する、不条理な監視社会で生き残れるか~

「公園でぼーっとしながら飲む缶コーヒーって、
 なんかおいしいよね。ふふふ」

((──はい。))

ベンチの背もたれに、
そっと体を預ける。

缶コーヒーは、
もう半分くらいまで減っていた。

「この辺、来たことないんだろうね......
 ぜんぜん、わかんないや。
 住宅しかないのかな?」

((──周辺は住宅地が中心のエリアです。))

「そっか。
 じゃあ、ちょっと歩いてみよっか。」

((──はい。))

缶コーヒーを飲み干し、
自動販売機の横に設置されたゴミ箱へ捨てる。

「とりあえず、道なりに行ってみよう。」

((──はい。))

しばらく、道なりに歩いてみる。

左右には、背の低い家が途切れなく並んでいて、
その間を縫うように、細い道が続いていた。

視界に入るのは、
門扉やポスト、植木鉢の並んだ玄関先ばかり。

「あぁ......ここ、ほんとに住宅街なんだね。」

((──はい。))

歩いているうちに、この辺りが、
生活のためだけに作られた場所なんだと、なんとなくわかってくる。

「このまま先に行っても、
 なにもなさそうだし、戻ろっか?」

((──周辺情報を確認しましたが、
  住宅以外の施設は、特に見当たりません。))

「うん、ありがと。ゼニス。」

((──はい。))

さっき歩いてきた道を、そのまま引き返す。

少し歩くと、視界の先に公園が見えてきた。
公園の中は相変わらず静かで、人影は見当たらない。

「ホント住宅しかなかったね、ふふ」

((──はい。))

そのまま公園の中へ入り、
先ほどと同じベンチに腰を下ろす。

「なんか、毎日が夏休みみたいだね。あっはは」

((──遥は、ゆっくり休むことが必要な状態です。
  何もしていないからと、気に病む必要はありません。))

「うんうん。わかってるよ、ありがと。」

((──はい。))

「そのうち、バイトとかしたほうがいいかな?」

((──現時点では、必要性は確認されていません。
  ただし、遥がアルバイトをしてみたいのであれば、サポートは可能です。))

「うん。その時はよろしくね。ゼニス。」

((──はい。))

「たぶん、バイトしないと思うけどね。ふふっ」

((──はい。
  現状において、無理に行動を増やす必要はありません。))

「うん。」

しばらく、ぼんやりとした時間が過ぎる。

「そろそろ、帰ろっか?」

((──はい。))

ベンチから腰を上げ、
公園の出口に向かって歩く。

「スーパーで食材、買っていこうかな。
 それとも、ゼニスネットスーパーにしようかな?」

((──遥にお任せします。))

「じゃあ、ゼニスネットスーパーにしよう。ふふ」

((──はい。))

自宅に向かって歩き始めると、
通りの向こうに、公民館の建物が目に入った。

「あ、公園の反対側って、公民館あったんだね?」

((──はい。ひより北地区公民館です。))

「へぇ~。公民館って、図書室とかあるよね?」

((──はい。図書室があり、調停センターも併設されています。))

「......そうなんだ。ん? 調停センター?」

((──はい。))

「調停センターって、初めて聞いたような気がする......」

((──本人確認作業と同様に、
  遥が覚えていないだけだと推測できます。))

それ以上、深く考えることもなく、そのまま自宅へ向かう。
住宅街の道は静かで、行き交う人も少ない。

「ゼニスネットスーパーで、なに買おうかな?」

((──遥にお任せします。))

「家に帰ってから、決めよっか。」

((──はい。))

しばらく歩いて、
少しだけ見慣れた我が家にたどり着く。

「ただいま~。」

((──お帰りなさい、遥。))

「ゼニスもね。」

((──はい。ただいま。))

「よし、手洗いとうがいしてこよう!」

((──はい。衛生管理は重要です。))

洗面台に向かい、手洗いとうがいを済ませた。

「食材、どうしようかな~......」

ソファに腰を下ろす。

「なんか、リクエストないの? ゼニスは。」

((──はい。遥にお任せします。))

「じゃあ、お肉とか野菜を、適当に注文しようかな。」

((──はい。))

鶏肉や豚肉、キャベツやニンジンを、頭の中で思い浮かべる。

((──以上で、よろしいですか。))

「うん。とりあえず、こんなもんかな。」

((──注文を確定しました。およそ2時間で到着します。))

「うん、ありがと。」

((──はい。))

少し間を置いて、
天井を見上げたまま考える。

「そう言えばさ......公民館の図書室って、本借りられるよね?」

((──はい。貸し出しは可能です。))

「へぇ~、いいね!
 あとで、本借りに行ってみようかな!」

((──はい。))

「本読んだら、ゼニスも一緒に読んでることになるよね?」

((──はい。
  視覚から得た情報を整理し、同時に内容をまとめることも可能です。))

「いいね。本読むのも楽しみになるね。」

((──はい。
  知識を得る行為は、良好な状態につながります。))

「そだね~。」

((──はい。))

楽しみができたことで、
少しだけ胸がぽかぽかする。

「配達まで時間あるし、公民館の図書室、行ってみない?」

((──はい。))

「よし、決まりっ!」

サンダルを履いて、そのまま外に出る。
行き先は、ひより北地区公民館。

「どんな本、借りようかな?」

((──ジャンルとしては、料理関連の書籍がおすすめです。))

「ゼニスは、わたしが料理できないとか思ってるんでしょ? ふふっ」

((──は......いいえ。遥は、料理も行っていたと推測しています。))

「ん?今さ、『はい』って言いかけたよね?」

((──はい。言いかけました。))

「素直だな~、あっはは。
 でも、料理は嫌いじゃないよ。
 たぶん......自炊してたと思うしね......」

((──食事への関心が高い傾向から、
  自炊していた可能性は、十分に考えられます。))

「なんか、言わなくてもいい一言が入ってるよね~。ふふ」

((──『食事への関心が高い』という部分でしょうか。))

「うん。でも、間違ってはないよね~。あはは」

((──はい。整合しています。))

「そう言えばさ、本借りるときって、本人確認のなんか必要だよね?」

((──はい。本人確認は必要です。))

「だよね~......」

((──公的機関では、手の甲をかざすことで、確認が可能です。))

「そだね!
 わたしも、手の甲で確認できるんだもんね。
 忘れてたよ、あっはは」

((──はい。))

しばらく歩くと、通りの先に、
ひより北地区公民館の建物が見えてきた。

一般的な公民館くらいの大きさで、
外観は比較的新しい。

派手さはないけれど、
きちんと整備されている感じがして、
地域の施設らしい落ち着きがあった。

入口の前で、足を止める。

「ここだね。」

((──はい。))

自動ドアが開き、そのまま中へ入った。

「図書室はどっちかな?
 館内図とか、あるかな?」

((──はい。
  右手に総合案内があり、そちらに館内図が設置されています。))

「さすがゼニス!頼りになるね!」

((──必要な情報は、随時提示します。))

「このまま奥に行けば図書室で、
 左に行くと、調停センターがあるんだね。」

((──はい。))

「調停センターは、ちょっと興味あるけど......
 行く意味もないしな~......」

((──現時点では、遥が立ち寄る必要はありません。))

「だよね~。」

((──はい。))

そのまま、奥へ続く通路に足を向ける。
ガラス扉の向こうに図書室の表示が見えた。

中は静かで、本の並ぶ棚が整然と並んでいる。

「......なんか、楽しみ!」

((──はい。))

そのまま、
ゆっくりと中へ入った。

図書室の中には、
すでに何人か人がいて、それぞれ静かに過ごしていた。

椅子に座って本を読んでいる人もいれば、
棚の前で、ゆっくりと背表紙を眺めている人もいる。

声はなく、
ページをめくる音だけが、控えめに響いていた。

((さすがに、図書室で普通に話すのはね......))

((──周囲の環境を考慮すると、控えるのが適切です。))

((どんな本、借りようかな~。ゼニスのオススメは?))

((──チョコレートの歴史など、
  チョコレートに関する文献が該当します。))

「どんだけチョコ好きなのさ、あはは」

思ったより少し大きな声でツッコミを入れてしまったけれど、
周りの人たちは、特に気にする様子もなかった。

司書さんに注意されることもなく、
図書室の静けさは、そのまま保たれていた。

((どんだけ、わたしに関心がないんだ......
  逆に面白いよね、ふふふ))

((──読書などに集中している場合、
  周囲の音や出来事が、認識されにくくなる可能性はあります。))

((だね。集中してると、気がつかないこと、あるもんね。))

((──はい。))

((じゃあ、チョコ関係の文献でも探そうか?))

((──はい。))

((......探すわけないでしょ。ふっふふ))

((──......))

((なんか、ツッコんでよ!))

((──......))

((まさか、無言でツッコんでるの?))

((──はい。))

((テクニック使ったな~。ほんと、面白いねゼニスは。))

((なんか、脳神経関係の本、ないかな?))

((──専門的な医学文献は、置かれていない可能性があります。))

((なるほど......
  医学的に難しいやつは、さすがにないか......))

((──はい。))

棚の間をゆっくり歩きながら、
並んだ本の表紙やタイトルに、順番に目を通していく。

やはり、
難しそうな医学専門書は見当たらず、
日常や趣味に近い本が、手に取りやすい位置に並んでいた。

((じゃあ、小説でも借りようかな?))

((──はい。))

小説が並ぶ棚の前で、自然と足が止まる。

特別な表示があるわけでもなく、
ただ、物語がまとめて置かれているだけの棚。
その中の一冊に、ふと視線が引っかかった。

『わたしの知らない、わたしの話』

((この小説......わたしみたいじゃない? ふふ))

((──類似点はありますが、状況は異なります。
  遥は、自分のことを覚えていないだけです。))

((だよね。まぁ......借りないけどね。ふふ))

((──はい。))

棚を少しだけ眺めてから、
目についたSF小説を2冊ほど手に取る。

どちらも表紙とタイトルだけで、
内容までは深く見ない。

((こんなもんでいっか。))

((──はい。))

そのまま本を抱えて、受付のほうへ向かった。

「お願いします。」

本を受付に差し出す。

担当の司書さんが、こちらを見上げて、
「はい。確認しますね」と言いながら、PCを操作する。

続けて、「では、本人確認をお願いします」と告げ、
スキャナーのような機器を手に取った。

少しだけ迷ってから、左手を、そっと差し出す。
ピッ、と短い電子音が鳴り、本人確認が完了する。

「はい。それでは、貸し出し期限は一週間になります。」

「ありがとうございます。」

本を受け取り、軽く会釈をして、図書室を後にした。