ゼニスは視界の隅で笑う~裁きはリングで決する、不条理な監視社会で生き残れるか~

ベッドの上に広げた布団に、そっと腰を下ろす。

「ふぅ......」

初めての部屋なのに......
思っていたより落ち着く。

不思議と居場所ができたみたいで、
胸の奥が少しだけくすぐったかった。

((──環境への適応が順調です。))

「うん、そんな感じするかも!」

布団の端を少し整えて、軽く伸びをした。

「布団は買ったからいいけど......
 シャンプーとか食器とか、色々揃えないとだよね......」

((──はい。
  最低限の生活用品は、これから揃える必要があります。))

「でも......そんなに荷物持てないよね〜......」

((──はい。))

「ゼニスが荷物持てるならね〜、あっはは」

((──宅配サービスを利用することで、
  物理的な運搬が不要になります。))

「おっ!それはいいかも!」

ベッドにそのままごろんと倒れ、
天井を見上げる。

白くて綺麗な天井。

「......シャンプー......」

ひとつ思い浮かべると、
またひとつ、別のものが浮かんでくる。

「歯ブラシ......コップ......」

((──洗剤、トイレットペーパー、タオルも該当します。))

「うわ......いっぱいあるね......」

天井を見つめたまま、
頭の中でなんとなく並べていく。

食器。
スポンジ。
ゴミ袋。

「一気に揃えなくてもいいんだろうけど、
 ないと困るものばっかりだね......」

((──はい。
  ただし、すべてを今日中に揃える必要はありません。))

「だよね......」

考えているようで、
実はもう半分、休んでいるみたいな時間。

「......新生活って、
 こういうのを考える時間も含まれてるんだね。」

((──はい。
  初日は、思考の整理に充てるのも妥当です。))

目をつむって、
小さく息を吐いた。

「うわぁ......
 なんか、めんどくなってきた〜、あっはは」

((──はい。遥らしい思考の結果です。))

「あっはは!失礼だな〜、ゼニスは〜!」

((──評価ではありません。事実の確認です。))

「まぁ......間違ってないけどさ......」

新しい部屋でも、
いつもと変わらず他愛もないやり取り。

ただ、今までよりも少しだけ、
ほっこりした気持ちになる。

「ゼニスは、わたしのスマホみたいなもんじゃん?」

((──はい。))

「ってことは、
 ゼニスで宅配サービスできるってことだよね?」

((──はい。可能です。))

「どうやって選んだりする感じ?
 脳内に表示されるとか?
 さすがに、目の前に画面は出ないでしょ?」

((──視覚的な画面表示は不可能です。
  視覚情報を共有することで、
  遥の認知負荷が増大する可能性があります。))

「できるってことでもあるんだよね?」

((──はい。
  負担を考慮しないことが前提になります。
  ですので、非推奨です。))

「なんか、そう言われると気になる〜、あはは」

((──現状のキューブ形態は、
  色彩情報を持たず、
  遥への負担を最小限に抑えています。))

「キューブでも、
 気づかないだけで少しは負担になってるんだね......」

((──はい。))

「目の前に画面とか出たら、
 高熱が出たり痛かったりとか......あるのかな?」

((──はい。可能性は高いです。
  最悪の場合、意識不明や死に至る可能性も否定できません。))

「そっか......それはイヤだな......
 ちなみに、キューブ以外にも形は変えられるんだよね?」

((──はい。
  遥の負担にならない範囲であれば可能です。))

「おぉ〜!なんかすごいね!」

((──宅配サービスについては、どうしますか?))

「あっ......すっかり忘れてたよ〜」

さっきまで考えていたはずなのに、
話しているうちに、頭の中から抜け落ちていた。

「じゃ〜、宅配サービスで頼もうかな。」

((──はい。
  遥が思い浮かべたものを、宅配サービスで注文します。))

「なるほど! 脳内会話と同じってことだね!」

((──はい。))

「OK! じゃ〜、思い浮かべようかな!」

((──はい。))

「えっと......シャンプーと、歯ブラシと......」

そう口にしながら、
頭の中で必要なものを思い浮かべていく。

((──確認します。))

言葉にしたものが、
そのまま伝わっていくような感覚。

何かを操作しているわけでも、
画面を見ているわけでもない。

ただ『これが必要』と思ったものが、
ひとつずつ整えられていく。

((──以上でよろしいですか?))

「うん。とりあえずOKかな。」

((──注文完了。到着予定は、約2時間後です。))

「けっこう早いんだね!
 すごいな、ゼニスネットスーパー! あっはは」

((──厳密に言うと、
  注文を代行しているだけで、
  ネットスーパーではありません。))

「わかってるよ〜。細かいことはいいんだよ〜、ふふふ」

((──はい。))

それから2時間ほどして、インターホンの音が鳴った。

「『オゾンネットスーパー』です。」

モニターに映る配達員さんを確認して、
オートロックを解除する。

「『オゾンネットスーパー』で注文したんだね~?」

((──はい。
  『オゾンネットスーパー』で購入しました。))

ほどなくして、
今度は玄関のチャイムが鳴った。

ドアを開けると、
段ボールを抱えた配達員さんが立っている。

受け取りの確認を済ませ、
箱を部屋の中へ運んだ。

「ほんとに届いたね......」

((──予定通りです。))

「ゼニスネットスーパー、仕事早いな〜」

((──繰り返しますが、ネットスーパーではありません。))

「はいはい〜、わかってるよ~。」

箱を開けて、中身をひとつずつ確認する。

シャンプーや歯ブラシ、
最低限のものばかりだけど、
それだけで少し安心する。

洗面所に置くものを分けて、
残りはキッチンの端にまとめた。

「......これで、とりあえず生活はできそうだね。」

((──はい。最低限の環境は整いました。))

「とりあえず、生活雑貨は揃えたけど......
 ご飯のこと忘れてたよ......
 ゼニスネットスーパーは、ご飯も買えるんだよね?」

((──ゼニスネットスーパーは正式名称ではありません。
  今回は『オゾンネットスーパー』を利用しました。
  購入する商品によって、注文先を変更することは可能です。
  食品はもちろん、家具や家電なども配送できます。))

「おぉ~!スゴイな~ゼニスネットスーパー! あっはは~」

((──はい。))

呆れたように、
淡い光が少し弱くなった。

「もしかして、呆れてんの?それか、諦めたか? ふふふ」

((──遥にとって、
  ネットスーパーの定義は、
  ゼニスネットスーパーであると認識しました。))

「それはつまり......
 諦めた......観念したってことだね!」

((──はい。))

「じゃ~これからは、
 ゼニスネットスーパーってことで、よろしく~♪」

((──はい。))

「ご飯......食材とか、どうしようかな?
 せっかくだし、この辺をぶらぶらしながら、
 お店とか探してみようか?」

((──はい。周辺の環境把握は重要です。))

「うん、それじゃ~行ってみようか~!」

((──はい。))

財布と鍵を持ち、
部屋を出て、北口のほうへ歩く。

南口に比べると人もまばらで、
急いでいる感じがしない。

「南口に比べると、なんか時間の流れが遅く感じるね。」

((──このエリアは、
  通勤動線より生活動線が中心です。
  また、住宅の比率が高く業務施設が少ないため、
  移動の速度が全体的に緩やかです。))

「逆に南口の方は、
 商業施設とかオフィスもたくさんあるもんね......」

((──はい。))

サンクチュアリ27の手前を左に曲がると、
その先にコンビニの看板が見える。

「思ったより近くにコンビニあるじゃん! やった~!」

((──はい。
  生活圏にコンビニエンスストアがあると便利です。))

「ゼニスも、そういう判断なんだね~、ふふふ」

((──はい。遥にとって便利だということは重要です。))

「うん、ゼニスは優しいよね。」

コンビニを左手に見ながら、
右へ曲がって歩いていく。

そのまま真っすぐ歩いていくと、
前方にスーパーマーケットが見えた。

「ゼニス、スーパーあるじゃん!」

((──はい。))

「ここで買い物して帰ろうか?」

((──はい。))

店内を一通り見て回る。

スーパーマーケットだけあって、
棚に並んだ商品は多い。

((思ったんだけど......
  鍋とか調理器具ないから、
  食材買っても調理できないよね......えへへ))

((──はい。調理器具は、未購入です。))

((じゃ~......買うのは、お弁当とかお惣菜だね。))

((──はい。))

お弁当やお惣菜のコーナーへ周り、
唐揚げ弁当とレタスサラダをカゴに入れる。

((とりあえず、お弁当はOKだね。))

((──はい。))

((あとは......パンとかお菓子買おうかな?))

((──はい。))

((ゼニスは気になるお菓子ないの?ふふ))

((──特にはありません。))

((そっか......気になるのがあったら教えてね。))

((──はい。))

パンコーナー、お菓子コーナーを周り、
適当にカゴに入れていく。

((こんなもんでいいかな?))

((──はい。))

そのままセルフレジへ向かう。

画面に表示される手順どおりに、
商品をひとつずつ通していく。

ピッ、という音が規則正しく続いて、
考える間もなく会計が進む。

袋に詰めて、支払いを済ませた。

((お買い物終了だね。))

((──会計完了です。))

袋を持ち直して、出口へ向かう。

((近くにスーパーあってよかったね。))

((──はい。))

((ゼニスネットスーパーで、
  調理器具買わないとだね。))

((──はい。今から購入しますか?))

((帰ってからにしよっかな。))

((──はい。))

袋を持って、そのまま家へ向かう。

さっき通った道を戻るだけなのに、
手に持った重さのせいか、
少しだけ景色が違って見えた。

「意外と、スーパーの袋って重いよね。」

((──はい。遥の食料が入っていますので。))

「あっはは、確かにね~!」

((──はい。))

そんなやりとりをしているうちに、
気づけば、アパートの前まで戻ってきていた。

鍵を取り出して、ドアを開ける。

袋をキッチンの端に置いて、
一息つく。

「ただいま~。」

((──お帰りなさい、遥。))

「ゼニスも、おかえり~。」

((──はい。帰宅を確認しました。))

そう言いながら、
そのままソファに腰を下ろす。

「調理器具のこと、考えないとだよね?」

((──はい。))

「あんまり、たくさん買ってもな......」

((──はい。必要最低限を提示しましょうか?))

「ゼニスが考えてくれるの?」

((──はい。))

そう言われた途端、
頭の中にいくつかの映像が浮かぶ。

小さめの鍋。
フライパン。
菜箸と、おたま。

「......おっ、こんなこともできるんだね!」

((──はい。
  オゾンネットスーパーでは、
  遥の思考を注文に変換していましたが、
  それは処理の一方向に過ぎません。))

「一方向......わたしの思考を変換したってことだよね?」

((──はい。
  遥の思考を受け取って、
  注文などの行動に変換することも、
  逆に、遥の思考へ情報を返すことも可能です。))

「なるほど......」

((──現在は、
  遥の思考に対応する映像や情報を整理し、
  共有しています。))

「だから、鍋とかフライパンが頭に浮かんだってことだね?」

((──はい。))

「なんか......スゴイね!」

((──処理としては、通常の範囲です。))

「じゃ~、ゼニスがオススメしてくれた調理器具の注文お願い。」

((──はい。注文を確定しました。))

「早っ! さすが、ゼニスネットスーパー!」

((──はい。ご注文ありがとうございます。))

「あっはは!その気になってんじゃん!」

((──はい。))

チーン、という音が鳴り、
お弁当の温めが終了した。

キッチンへ戻って、
電子レンジから容器を取り出す。

「あっつ......」

少しだけ指先を引っ込めて、
そのままテーブルに置いた。

ふたを開けると、
唐揚げの匂いがふわっと広がる。

「スーパーの唐揚げも、いい感じだね!」

((──はい。
  唐揚げは調理工程が比較的単純で、
  味付けの幅も限定されているため、
  大きな失敗が起こりにくい料理です。))

「つまり......
 ハズレの唐揚げって、
 あんまりないってことだよね?」

((──はい。))

「そういうもんか~......」

そんな話をしながら、
唐揚げを一つ、また一つと口に運ぶ。

気づけば、
容器の中はすっかり空になっていた。

食後の余韻に浸っていると、
ピンポーン、とインターフォンが2回鳴った。

「は~い。」

「ゼニスネットスーパーです。」

((......ん?
 ......ゼニスネットスーパーって言った?))

聞き間違いだよね......と不思議に思いつつ、
オートロックを解除する。

少しして、
今度は玄関のチャイムが鳴った。

「オゾンネットスーパーです。」

「はい、ありがとうございます。」

ドアを開けて、
荷物を受け取る。

段ボール箱をキッチンへ運び、
中からフライパンや鍋を取り出す。

「一旦、洗ってから使おうかな~?」

((──はい。衛生管理は重要です。))

「だよね~、ふふっ」

((──はい。))

洗い終えたフライパンや鍋を、
キッチンの作業スペースに並べて置いた。

「ふぅ、ひと段落ついたね。」

((──はい。))

部屋に戻ってソファに腰を下ろし、
そのまま天井を見上げた。

「ゼニス......これから、どうしたらいいのかな......?」

((──遥。
  質問の意図を聞いてもよろしいですか?))

「うん。
 仕事もしてないし......
 正確には、わかんない......覚えてないって感じかな......
 特にすることもないじゃん?
 あっはは......
 なんか、このままでいいのかな~って思ってさ......」

((──何もしていない状態ではありません。
  今日は、新たな生活を始めるという行動を完了しています。))

「うん......そだよね。」

そのままソファに身を預けて、
軽く目を閉じた。

((──無理に行動を起こす必要はありません。
  何もしないという選択も、行動の一部です。))

「慰めてくれてるんだね~......
 ゼニスは優しいよね......」

((──慰めるといった感情的配慮ではありません。
  遥の幸福度は低下しておらず、情緒は安定しています。
  客観的データから、
  無理に行動する必要性はないと判断しているだけです。))

「......うん......でも、ありがと。」

((──はい。))

「シャンプーとか買ったしシャワーしてこようかな!」

((──はい。))

シャワーを浴びて、
タオルで髪を拭きながら部屋に戻る。

少しだけ体が軽くなった気がした。

ベッドの端に腰を下ろして、
そのまま深く息をつく。

「さっぱりした~!」

((──はい。衛生管理は重要です。))

「ふふっ、衛生管理は重要だよね~。」

((──はい。))

「......ホント、ゼニスがいてくれてよかった......」

ゼニスの淡い光が、
ほんのり明るくなった気がした。

ベッドに横になって、
明かりを落とす。

天井の輪郭が、
少しずつ闇に溶けていく。

「......おやすみ、ゼニス。」

((──おやすみなさい、遥。
   ゆっくり休んでください。))

その言葉を聞いたところで、
意識は、静かに沈んでいった。