ゼニスは視界の隅で笑う~裁きはリングで決する、不条理な監視社会で生き残れるか~

((ホントびっくりするくらい簡単に決まったね~!))

((──はい。))

((引っ越し......?
  引っ越しではないか、ホテルからだし......ふふふ))

((──厳密にいえば引っ越しとは異なります。))

((初めての一人暮らしみたいだね。
  でも、ゼニスいるから一人暮らしともちがうかも......))

((──わたしは人間ではないので、
  厳密に言えば一人暮らしで相違ありません。))

((さっきから、厳密多めだね......ふふ))

そんな他愛ないやり取りをしているうちに、
ヒヨリナの入口が近づいてきた。

自動ドアが開き中へと入る。
外とは違う店内の照明が出迎えてくれた。

((住むところも決まったし、
  安心したらお腹空いてきたね〜......ふふふ))

((──本日は、
  朝食を摂取していないため、空腹になる頃合いです。))

((そういえば、
  朝ごはん食べてなかったね。完全に忘れてたよ......))

((──はい。))

((ゼニスはなにか食べたいものある?))

((──厳密に言えば、食べることはできません。))

「そんな細かいことはいいんだよ〜......あはは!」

最近は、こんなふうに声に出して笑っても、
ゼニスは小言を言わなくなっていた。

もっとも、((──声量にご注意を))と、
言われるのもキライではなかった......
むしろ、楽しんでいたかもしれない。

((ヒヨリナの1階は、ご飯も売ってたよね?))

((──はい。お土産品やデザート類のほかに、
  総菜やお弁当も販売されています。))

((よしっ!なんか美味しいもの食べたいね。
  ま〜......なんでも美味しく感じちゃうけどさ、ふふ))

そう話しながら、
並んだお弁当の棚をゆっくり見て回る。

((そうだ!
  ついでだし、夜ごはんのお弁当も買っておこうかな。))

((──はい。
  ホテルに戻ってから、再度外出する手間が省けます。
  効率的な判断です。))

((うん、じゃ〜お弁当1つはゼニスが選んでいいよ。))

((──はい。))

((どれにしようかな......ハンバーグもいいな......
  パスタかぁ......どれも捨てがたい......))

((──では、ハンバーグ弁当とパスタの両方を購入し、
  その他に気になる総菜があれば追加する方式が、
  最適だと判断されます。))

((......ゼニス、それは全部買えば解決って提案だよね?))

((──はい。否定はしません。))

((OK!じゃ〜食べたいもの全部買っちゃおう......うふふ))

((──はい。遥らしい判断です。))

ハンバーグ弁当、カルボナーラ、
さらに唐揚げやエビフライといった総菜まで追加し、
気づけばカゴはずしりと重たくなっていた。

((......なんか調子に乗って、たくさん買っちゃったな......))

((──はい。遥らしい選択です。))

((でも、ゼニスと一緒に食べるから多くてもいいよね。))

((──結果的に食べるのは遥で......))

ゼニスの言葉を軽く遮るように、

「わかってるよ〜。
 でもさ、一緒に食べてるって感じが好きなんだよ〜♪」

((──はい。非常に良いものです。))

((でしょ〜!))

そんな他愛ないやり取りをしながら、
ヒヨリナを後にした。

お弁当や総菜が入った袋が少し重たいけれど、
その重さすら、どこかうれしく感じる。

ホテルへの道をゆっくり歩きながら、
明日から始まる新しい生活を想像して、
わくわくした気持ちが強くなっていた。

ほどなくしてホテルに着き、
自動ドアが静かな音を立てて開く。
ロビーに入ると、いつもの空気が迎えてくれる。

((帰ってきたね。))

((──はい。
  明日に備えて、本日はゆっくり休息をとりましょう。))

((そだね〜、部屋でゴロゴロしてよう......ふふ))

エレベーターが上昇するわずかな揺れさえ、
どこか心地よく感じられた。

部屋に入り、
お弁当や総菜が入った袋をテーブルの上へそっと置く。

「ご飯食べる前に、シャワー浴びてこよ〜!」

((──はい。))

そのままバスルームの扉を開け、
温かい湯気に包まれながら疲れを癒す。

シャワーを終え、
髪をタオルで押さえながら部屋へ戻ってくる。

「うん、サッパリした〜!」

((──はい。))

ベッドに腰かけ、
テーブルの袋からお弁当や総菜を取り出して並べていく。

「ハンバーグ食べよ!」

((──遥。唐揚げもお忘れなく。))

「はいはい、わかってるよ〜!
 ホント唐揚げ好きだよね、あっはは」

((──はい。非常に良いものです。))

ハンバーグ弁当を中心に食べ進め、
唐揚げやエビフライを少しつまんでいく。

「ごちそう様でした。」

((──良い食事でしたね、遙。))

「うん、美味しかったね。」

空になった容器を重ねてまとめ、
テーブルの端へそっと寄せる。

「ホテルにずっと滞在してたわけじゃないけど、
 なんか......出ていくとなると、名残惜しいよね......」

((──はい。慣れた環境を離れる際には、
  一定の感情変化が生じるのが一般的です。))

「だよね~......」

視線を部屋のあちこちにゆっくり向ける。
ベッド、窓、いつもの壁の白さ——
ほんの少しだけ、さみしさを感じた。

((──遙。名残惜しさは、
  次の環境への適応が順調に進んでいる証拠です。))

「確かに......ゼニスの言う通りだね。」

((──はい。))

そう呟いて、そっと深呼吸をひとつ。
小さな部屋に、穏やかな空気が静かに満ちていく。

明日は、新しい鍵を受け取る日。
そのことを思うと、気持ちが静かに高まっていくのを感じた。

楽しみすぎる気持ちを抱えたまま、
意識は深い闇に沈み込んでいく。

次に意識が戻った時は、
朝の柔らかい光がカーテンの隙間から差し込んでいた。

「......あれ、寝落ちしてたんだね......」

((──おはようございます、遥。))

「ゼニスとおしゃべりしてたような気がしたけど、
 いつの間にか眠ってたね......あはは」

((──昨夜は、睡眠導入が極めて自然でした。))

「うん、よく眠れたし、いい睡眠だったかもね。」

((──はい。良い傾向です。))

「じゃ〜、準備して出ようか!サンクチュアリ27に!」

((──はい。))

シャワーを浴びて身支度を整える。
USA-DE-PPONのバッグに荷物を詰め込み、
ホテルの部屋をそっと振り返ったあと、
静かにドアを閉めた。

フロントで清算を済ませ、
軽く会釈をしてホテルを出た。

「よし! サンクチュアリ27にレッツゴー!」

((──はい。出発しましょう。))

USA-DE-PPONのバッグを肩に掛け、歩き出す。
足取りは自然と軽くなる。

ヒヨリナの中を通りすぎ、
北口へと抜ける。

小さな広場の先に、
黄色い看板のサンクチュアリ27が見えた。

「サンクチュアリ27到着だね!」

((──はい。))

自動ドアが静かに開き、中へ入る。
受付の女性が笑顔で声をかけてきた。

「おはようございます。七瀬様、お待ちしておりました。」

「おはようございます。よろしくお願いします。」

「担当の佐藤を呼んでまいりますので、少々お待ちください。」

そう言って、女性は奥へと姿を消した。
しばらくすると、奥から佐藤さんが姿を現した。

「七瀬様、お待たせいたしました。」

「よろしくお願いします。」

「では、鍵のお渡しと、入居前の簡単なご説明だけさせていただきます。」

佐藤さんはタブレットを軽く操作しながら、
画面をこちらへ向け、鍵を差し出した。

「こちらが玄関の鍵になります。」

「はい、ありがとうございます。」

「タブレットの内容はご確認いただけましたか?」

「はい、大丈夫です。」

タブレットの説明には、
ゴミ捨て場や共有スペースについての
注意事項だけが簡潔に記載されていた。

「それでは、説明の方は以上となります。」

そう言うと、佐藤さんは奥へと戻っていった。

「ありがとうございます。」

佐藤さんの背中に向かって軽く会釈し、
サンクチュアリ27を後にした。

((相変わらず、佐藤さん話聞いてなかったね......ふふっ))

((──はい。佐藤は業務量が多いと推測されます。
  処理速度を優先しているようです。))

((佐藤『さん』ね......ふふ))

鍵を握り直し、道路沿いに少し歩くと、
白い壁に淡いグレーのアクセントが入った建物が見えてくる。

「新居に到着〜!」

((──はい。目的地に到着しました。))

オートロックを解除して中へ入り、
左手にある101号室のドアの前に立つ。

鍵を挿して、ゆっくり回し
ドアを開ける。

「ただいま~っておかしいよね?あはは」

((──はい。帰宅履歴はありません。
  しかし、『ただいま』という表現を使用したこと自体は、
  環境への適応が進んでいる傾向と判断できます。))

「つまり、ただいまでも正解ってことだよね!」

((──はい。))

玄関で靴を脱ぎ、
そのままリビングに向かいバッグを置く。

「ベッドはあるけど......布団は早急になんとかしないとだね。」

((──はい。布団がなければ安眠指数が下がります。))

「そだね〜、安眠は大事だよ〜。」

((──布団を購入しますか?))

「うん、買いにいかなきゃだね。ヒヨリナにあるかな?」

((──ヒヨリナ3階は生活雑貨フロアですが、
  大型寝具の取り扱いは確認できません。))

「そっか~......じゃあ、しもむらは?」

((──しもむらは、大型寝具の取り扱いも豊富です。))

「OK!しもむらだね!」

((──はい。))

「あっ! そうだ! USA-DE-PPONのキーホルダーを鍵につけよう!」

バッグからキーホルダーを取り出し、
部屋の鍵につける。

((──識別性が向上しました。))

「識別性......確かに向上したかもね......うふふ」

財布と部屋の鍵を持ち、
玄関を開けて外へ出た。

「よし!しもむらに行こ~!」

((──はい。))

北口からヒヨリナを抜け南口へと出る。
広場を横切れば、しもむらは目の前に。

((とりあえず、布団セットと枕があればいいよね?))

((──はい。))

店内に入り、布団コーナーを探すと、
リーズナブルでシンプルな布団セットが目に入った。

((こんな感じのでいいね。))

((──はい。))

レジで購入を済ませ、
布団を抱えて外へ出る。

((布団セット......なかなか大きいよね......))

((──はい。))

((ゼニスが持ってくれたらいいのにね......ふふふ))

((──では、実体化をしてみましょうか。))

「それ、ホント好きだね〜、あっはは」

((──はい。実体化は不可能です。))

((知ってるよ〜......ふふ))

くだらないやり取りをしながら歩き、
気づけばヒヨリ北レジデンスに戻っていた。

「ただいま〜!」

((──おかえりなさい、遥。))

「今回は帰宅履歴あるもんね。」

((──はい。))

「ゼニスもおかえり〜!」

((──はい。帰宅を確認しました。))

布団セットをベッドの上に運び、
袋を破って広げていく。

薄いピンク色のシーツが、
新しい部屋の雰囲気にふわっと馴染んでいく。

「よし、これで今日からちゃんと寝れるね〜!」

((──安眠指数の向上が期待できます。))

「でた〜っ! 安眠指数! あはは」

ベッドの上に整えた布団を見つめながら、
静かに息をひとつついた。