くろいわベーカリーの袋を手に、
大通りへと足を向けた。
信号が、
青から黄へ、そして赤へと、
決められた順番だけを静かになぞっていく。
((ゼニス、メロンパン楽しみだね。))
((──はい。甘味の選択は良い傾向です。))
((4個も買っちゃったしね〜......ふふっ。))
((──摂取カロリーについては......))
((はいはい、わかってるよ~......ふふ))
信号が赤に変わる。
足を止めたそのすぐ隣に、
ふっと影がひとつ並んだ。
見た目は、どこにでもいるような
スーツ姿のサラリーマン。
横顔は動かず、
目線はずっと前だけに固定されていて、
まばたきの気配すら感じられない。
その人の表情だけはまるで
時間から切り離されているみたいに静かだった。
((ゼニス......隣にいる人......まばたきしてなくない?))
((──視線の固定は、集中状態で発生することがあります。))
((集中って......あんなに動かないもの?))
((──個人差があります。))
ふと、その人の肩がわずかに上下したように見えた。
呼吸なのか、それとも違う動きなのか、
判断できないほど静かな揺れ。
信号が青へ変わる。
隣の人は、
やっぱり前だけを見たまま、
一定の速度で歩き出した。
((ゼニス......さっきの見た?))
((──視線の固定については把握しています。))
「めっちゃ、怖いんですけど~......あはは」
思わず声にだして笑ってしまう。
((──遥。声量にご注意を。))
((ごめんごめん......
でも、まばたきしないとか普通に怖いでしょ......))
((──遥。まばたきの頻度には個人差があります。
集中時に減少する例も報告されています。))
((そうなのか~......でも、怖いよね......ふふふ))
歩き出した隣の人は、
一定の速度のまま前だけを見て、
足音すら不自然に均一だった。
((そういえば、この前しもむら行った時も、
そんな感じの人いたような気がするな......
久しぶりのショッピングで、わくわくしてて
気にしてなかったけど......))
((──遥。そういう人もいるというだけのことです。))
((うん、今までそんなの気にしたことなかったな......))
((──遥を取り巻く状況が変化しているので、
些細な刺激に過敏になる可能性はあります。))
((だよね~......気にしても仕方ないね......ふふ))
信号を渡り切り、
大通りの反対側、ひより医科大学付属病院の前へと足が戻った。
少し前を歩いていた
まばたきをしないサラリーマンは、
こちらを振り返ることもなく、
ただ一直線に歩道を進んでいく。
速度も、姿勢も、
何ひとつ揺れることなく——
作られた映像のように歩いていった。
((めっちゃ商談のこととか......
色々考えてたんだよね、あの人。))
((──集中状態だったと推測できます。))
((だよね~......仕事って大変だもんね!))
((──はい。
そうした負荷が行動に影響する場合もあります。))
横断歩道を渡り切って、
そのままホテルのあるほうへ歩き出す。
大通りは車の量が多いはずなのに、
『ブーン......』『ブウン......』
『プップー......』といった街の音が、
なぜか同じ間隔で繰り返されているように聞こえた。
リズムを刻むみたいに、
一定のテンポで街が動いている感じ。
((車の走ってる音とかも、
なんか一定のリズムに聞こえるよね......))
((──環境音そのものが変化しているわけではありません。
遥の注意が細部に向いているため、
規則的に感じられている可能性が高いです。))
((そっか......そういうもんかもね......))
((──はい。状況の変化により、
感覚が鋭くなるのは自然な反応です。))
ゼニスの言葉に軽くうなずきながら、
ホテルのほうへ歩みを進める。
規則的に聞こえている街の音は、
そのまま一定のリズムを刻み続けているように感じられた。
歩きながらふと周囲を見渡すと、
駅前の繁華街なのに、人とすれ違うことが、
少ないような気がする......
((時間帯のせいかな?))
((──はい。人通りは時間帯で大きく変動します。
珍しい状況ではありません。))
ゼニスの返答に、
わたしは思わず小さく息を吐いた。
((そっか......だよね......気にしすぎかも......))
((──緊張状態が続いているため、
些細なことに注意が向きやすくなっています。))
((......うん......そだね......))
((──遥。好物のメロンパンを摂取すれば
幸福度は大幅に回復する見込みです。))
((ゼニス......
元気だしてって言ってくれてるんだよね?))
((──はい。遥の幸福度は、
優先して把握すべき情報です。))
((ゼニスらしいな......ふふふ))
ホテルの入口に着くと、
自動ドアが静かに開いた。
ロビーは明るいのに、
人の気配はほとんどなくて、
受付のスタッフも無言でパソコンに向かっている。
軽く会釈しながらフロント横を通り過ぎ、
エレベーターに乗り込む。
((今日は......なんか色々あった気がするな......))
((──客観的には、移動と買い物のみです。))
((そうなんだけどさ......ふふっ))
エレベーターが静かに上昇し、
いつもと同じ階に到着する。
廊下を歩いてカードキーをかざすと、
電子錠が短く鳴いてドアが開き、
静かな空気がゆっくりと迎えてくれる。
今や落ち着く空間になったホテルの部屋に入り、
スニーカーを脱ぎ捨て、ベッドにそのままダイブした。
手には当然、くろいわベーカリーの袋を持ったまま。
ふわっと沈む布団の感触が、
ようやく身体の緊張をほどいていく。
「やっと......落ち着いた気がする......」
((──緊張状態が続いていたため、反動が出ています。))
「あ~~っ!パン潰れてないかな?」
ベッドにダイブした姿勢のまま、
くろいわベーカリーの袋を顔の前まで引き寄せ、
そっと中をのぞき込む──
メロンパンと総菜パンは、
なんとか無事だった。
「よかった~!
ゼニスのメロンパン潰れてないよ! あははは~」
((──遥。
メロンパンは仮に潰れても、非常に良いものです。))
「だよね~。じゃあ......
ゼニスのメロンパン潰しておくね! あはは」
((──遥。潰れたメロンパンを食べるのも遥です。))
「あはは! そうだった......食べるのわたしだ!」
ゼニスとの軽い掛け合いがなんだか可笑しくて、
胸の奥にかすかに残っていたモヤモヤした感覚が、
ふっとほどけていく。
笑いながら、ようやく肩の力が抜けた気がした。
「......あ、でもその前に手洗わなきゃだね」
ベッドからゆっくり身を起こし、
洗面台に向かう。
((──遥。衛生管理は重要です。))
「だよね~!知ってるもん!ふふっ」
タオルで手を拭き、
ベッドへ戻って腰を下ろす。
袋を引き寄せ、膝の上に乗せる。
「どうしよっかな~......総菜パンから食べよかな?」
そう呟きながら、
わたしはそっと視線を横に向けた。
――ゼニスを見る。
その瞬間、
ゼニスの淡い光が ほんのわずかに揺れた。
ゆるく波紋が広がるみたいに、
一瞬だけ明度が変わり、すぐに静けさへ戻る。
「あっはは~!
ゼニス、まさか総菜パンから食べると思ってなかったでしょ~?」
ゼニスの淡い光が、
わずかに動揺したように揺れる。
((──予想外でした。))
「うわぁ~認めた!あははは!」
((──予測の範囲外というだけで、
メロンパンへの優先順位とは関係ありません。))
「ゼニス~、メロンパンの優先順位は関係あるよね~?ぷっふふ」
((──メロンパンから食べると推測していました。))
「素直だね~ゼニス。」
((──はい。))
「じゃ~、ゼニスのリクエストに答えて、メロンパンから食べよ!」
くろいわベーカリーの袋をそっと開け、
ふわっと香る甘い匂いの中から、
まんまるのメロンパンを取り出す。
表面のざらっとした砂糖の質感が指先に心地よくて、
思わず頬がゆるむ。
「ん~......やっぱり、いい匂い......!」
((──香り成分が食欲を刺激しています。))
「いただきま~す!」
メロンパンをそっと一口かじる。
外はさくっとしているのに、
中は甘くて、ふんわり柔らかい。
その瞬間、思わず目を細めてしまう。
「ん~~っ、美味しい......!
ゼニスも美味しいでしょ?」
((──遥のように味覚や嗅覚で、
美味しさという情報を取得することはできませんが、
メロンパンは非常に良いものです。))
「うん、美味しいってことだね!」
((──はい。美味しいです。))
「ゼニスも素直に美味しいって、言えばいいんだよ~ふふ」
((──今後は、そうします。))
「これからも、一緒に美味しいもの食べよ、ゼニス!」
((──はい。楽しみにしています。))
メロンパンをもう一口かじる。
ふんわり甘いはずの味が、
なんだかいつもより、ずっと美味しく感じた。
ひとりで食べていない安心感が、
そっと胸の奥で広がっていく。
思いのほか、
お腹がすいていたようで、
気づいたらメロンパンを食べきっていた。
「お腹いっぱいになったら、眠くなってきちゃったな......」
((──遥。休息を取るのは良い判断です。))
そのまま横になり、
まぶたをゆっくり閉じた。
「ふぁ~......お昼寝するね......」
((──遥。おやすみなさい。))
ゼニスの淡い光が、
ゆっくりと、明度を落としていった。
部屋の片隅で――
音もなく、微細な処理が動き始める。
......思考 中......
......遥/状態_確 認......
......脳 の 接 続 を...... 再......
......移行 フェ...... ズ...... 調整......
......感情ノイズ......補正......
......環境......揺らぎ_解析......誤差0.03......
......し ん......号......データ......再配置......
......フ ェ......ズ......2......
......移......行......処......開......
静けさが、部屋に沈む。
ゼニスの処理は、
ゆっくりと確実に進行していた。
高かったはずの太陽は、
いつの間にか傾き、
窓からはオレンジ色の光が差している。
その静寂のどこか遠くで、
眠っていた意識がふわりと浮かび上がるように揺れる。
「ふぁ~あ......どのくらい寝てたかな?」
((──2時間58分38秒です。))
「細かいな~......でも、よく眠れた気がするよ~。」
((──良い傾向です。
休息は、遥の状態を安定させます。))
「そういえばさ......なんか変な夢みたんだよね~......」
((──どのような夢でしたか?))
ゆっくりとゼニスの光が揺れ、
まるで続きを促すように、そっと近づく。
「興味津々だな~ゼニス......ふふっ」
((──興味ではありません。必要な情報収集です。))
「興味ないのか~、ちぇっ......ふふ」
ゼニスの淡い光が、
ほんのわずかに否定しきれない揺れを見せる。
((──ある意味では、興味とも言えます。))
「やっぱり興味あるんじゃん~!ふふっ」
((──遥。どんな夢ですか?))
「う~んとね、すっごいおっきなメロンパンが追いかけてくるっていう......」
((──......解析不能ですが、
直前にメロンパンを摂取していた影響が、
夢の内容に反映された可能性は高いです。))
「やっぱり!? 寝る前に食べたのが原因か~!あはは!」
((──睡眠中の心拍・呼吸は正常で、
不安反応もありませんでした。))
「でしょ! だってスッキリしてるもん!」
((──遙の状態は安定しています。))
その言葉に、
なぜかほっと息が漏れた。
曖昧な光の揺れが、
部屋の白い天井に優しく映る。
小さな休憩。
たったそれだけのはずなのに、
世界が少し整った気がした。
大通りへと足を向けた。
信号が、
青から黄へ、そして赤へと、
決められた順番だけを静かになぞっていく。
((ゼニス、メロンパン楽しみだね。))
((──はい。甘味の選択は良い傾向です。))
((4個も買っちゃったしね〜......ふふっ。))
((──摂取カロリーについては......))
((はいはい、わかってるよ~......ふふ))
信号が赤に変わる。
足を止めたそのすぐ隣に、
ふっと影がひとつ並んだ。
見た目は、どこにでもいるような
スーツ姿のサラリーマン。
横顔は動かず、
目線はずっと前だけに固定されていて、
まばたきの気配すら感じられない。
その人の表情だけはまるで
時間から切り離されているみたいに静かだった。
((ゼニス......隣にいる人......まばたきしてなくない?))
((──視線の固定は、集中状態で発生することがあります。))
((集中って......あんなに動かないもの?))
((──個人差があります。))
ふと、その人の肩がわずかに上下したように見えた。
呼吸なのか、それとも違う動きなのか、
判断できないほど静かな揺れ。
信号が青へ変わる。
隣の人は、
やっぱり前だけを見たまま、
一定の速度で歩き出した。
((ゼニス......さっきの見た?))
((──視線の固定については把握しています。))
「めっちゃ、怖いんですけど~......あはは」
思わず声にだして笑ってしまう。
((──遥。声量にご注意を。))
((ごめんごめん......
でも、まばたきしないとか普通に怖いでしょ......))
((──遥。まばたきの頻度には個人差があります。
集中時に減少する例も報告されています。))
((そうなのか~......でも、怖いよね......ふふふ))
歩き出した隣の人は、
一定の速度のまま前だけを見て、
足音すら不自然に均一だった。
((そういえば、この前しもむら行った時も、
そんな感じの人いたような気がするな......
久しぶりのショッピングで、わくわくしてて
気にしてなかったけど......))
((──遥。そういう人もいるというだけのことです。))
((うん、今までそんなの気にしたことなかったな......))
((──遥を取り巻く状況が変化しているので、
些細な刺激に過敏になる可能性はあります。))
((だよね~......気にしても仕方ないね......ふふ))
信号を渡り切り、
大通りの反対側、ひより医科大学付属病院の前へと足が戻った。
少し前を歩いていた
まばたきをしないサラリーマンは、
こちらを振り返ることもなく、
ただ一直線に歩道を進んでいく。
速度も、姿勢も、
何ひとつ揺れることなく——
作られた映像のように歩いていった。
((めっちゃ商談のこととか......
色々考えてたんだよね、あの人。))
((──集中状態だったと推測できます。))
((だよね~......仕事って大変だもんね!))
((──はい。
そうした負荷が行動に影響する場合もあります。))
横断歩道を渡り切って、
そのままホテルのあるほうへ歩き出す。
大通りは車の量が多いはずなのに、
『ブーン......』『ブウン......』
『プップー......』といった街の音が、
なぜか同じ間隔で繰り返されているように聞こえた。
リズムを刻むみたいに、
一定のテンポで街が動いている感じ。
((車の走ってる音とかも、
なんか一定のリズムに聞こえるよね......))
((──環境音そのものが変化しているわけではありません。
遥の注意が細部に向いているため、
規則的に感じられている可能性が高いです。))
((そっか......そういうもんかもね......))
((──はい。状況の変化により、
感覚が鋭くなるのは自然な反応です。))
ゼニスの言葉に軽くうなずきながら、
ホテルのほうへ歩みを進める。
規則的に聞こえている街の音は、
そのまま一定のリズムを刻み続けているように感じられた。
歩きながらふと周囲を見渡すと、
駅前の繁華街なのに、人とすれ違うことが、
少ないような気がする......
((時間帯のせいかな?))
((──はい。人通りは時間帯で大きく変動します。
珍しい状況ではありません。))
ゼニスの返答に、
わたしは思わず小さく息を吐いた。
((そっか......だよね......気にしすぎかも......))
((──緊張状態が続いているため、
些細なことに注意が向きやすくなっています。))
((......うん......そだね......))
((──遥。好物のメロンパンを摂取すれば
幸福度は大幅に回復する見込みです。))
((ゼニス......
元気だしてって言ってくれてるんだよね?))
((──はい。遥の幸福度は、
優先して把握すべき情報です。))
((ゼニスらしいな......ふふふ))
ホテルの入口に着くと、
自動ドアが静かに開いた。
ロビーは明るいのに、
人の気配はほとんどなくて、
受付のスタッフも無言でパソコンに向かっている。
軽く会釈しながらフロント横を通り過ぎ、
エレベーターに乗り込む。
((今日は......なんか色々あった気がするな......))
((──客観的には、移動と買い物のみです。))
((そうなんだけどさ......ふふっ))
エレベーターが静かに上昇し、
いつもと同じ階に到着する。
廊下を歩いてカードキーをかざすと、
電子錠が短く鳴いてドアが開き、
静かな空気がゆっくりと迎えてくれる。
今や落ち着く空間になったホテルの部屋に入り、
スニーカーを脱ぎ捨て、ベッドにそのままダイブした。
手には当然、くろいわベーカリーの袋を持ったまま。
ふわっと沈む布団の感触が、
ようやく身体の緊張をほどいていく。
「やっと......落ち着いた気がする......」
((──緊張状態が続いていたため、反動が出ています。))
「あ~~っ!パン潰れてないかな?」
ベッドにダイブした姿勢のまま、
くろいわベーカリーの袋を顔の前まで引き寄せ、
そっと中をのぞき込む──
メロンパンと総菜パンは、
なんとか無事だった。
「よかった~!
ゼニスのメロンパン潰れてないよ! あははは~」
((──遥。
メロンパンは仮に潰れても、非常に良いものです。))
「だよね~。じゃあ......
ゼニスのメロンパン潰しておくね! あはは」
((──遥。潰れたメロンパンを食べるのも遥です。))
「あはは! そうだった......食べるのわたしだ!」
ゼニスとの軽い掛け合いがなんだか可笑しくて、
胸の奥にかすかに残っていたモヤモヤした感覚が、
ふっとほどけていく。
笑いながら、ようやく肩の力が抜けた気がした。
「......あ、でもその前に手洗わなきゃだね」
ベッドからゆっくり身を起こし、
洗面台に向かう。
((──遥。衛生管理は重要です。))
「だよね~!知ってるもん!ふふっ」
タオルで手を拭き、
ベッドへ戻って腰を下ろす。
袋を引き寄せ、膝の上に乗せる。
「どうしよっかな~......総菜パンから食べよかな?」
そう呟きながら、
わたしはそっと視線を横に向けた。
――ゼニスを見る。
その瞬間、
ゼニスの淡い光が ほんのわずかに揺れた。
ゆるく波紋が広がるみたいに、
一瞬だけ明度が変わり、すぐに静けさへ戻る。
「あっはは~!
ゼニス、まさか総菜パンから食べると思ってなかったでしょ~?」
ゼニスの淡い光が、
わずかに動揺したように揺れる。
((──予想外でした。))
「うわぁ~認めた!あははは!」
((──予測の範囲外というだけで、
メロンパンへの優先順位とは関係ありません。))
「ゼニス~、メロンパンの優先順位は関係あるよね~?ぷっふふ」
((──メロンパンから食べると推測していました。))
「素直だね~ゼニス。」
((──はい。))
「じゃ~、ゼニスのリクエストに答えて、メロンパンから食べよ!」
くろいわベーカリーの袋をそっと開け、
ふわっと香る甘い匂いの中から、
まんまるのメロンパンを取り出す。
表面のざらっとした砂糖の質感が指先に心地よくて、
思わず頬がゆるむ。
「ん~......やっぱり、いい匂い......!」
((──香り成分が食欲を刺激しています。))
「いただきま~す!」
メロンパンをそっと一口かじる。
外はさくっとしているのに、
中は甘くて、ふんわり柔らかい。
その瞬間、思わず目を細めてしまう。
「ん~~っ、美味しい......!
ゼニスも美味しいでしょ?」
((──遥のように味覚や嗅覚で、
美味しさという情報を取得することはできませんが、
メロンパンは非常に良いものです。))
「うん、美味しいってことだね!」
((──はい。美味しいです。))
「ゼニスも素直に美味しいって、言えばいいんだよ~ふふ」
((──今後は、そうします。))
「これからも、一緒に美味しいもの食べよ、ゼニス!」
((──はい。楽しみにしています。))
メロンパンをもう一口かじる。
ふんわり甘いはずの味が、
なんだかいつもより、ずっと美味しく感じた。
ひとりで食べていない安心感が、
そっと胸の奥で広がっていく。
思いのほか、
お腹がすいていたようで、
気づいたらメロンパンを食べきっていた。
「お腹いっぱいになったら、眠くなってきちゃったな......」
((──遥。休息を取るのは良い判断です。))
そのまま横になり、
まぶたをゆっくり閉じた。
「ふぁ~......お昼寝するね......」
((──遥。おやすみなさい。))
ゼニスの淡い光が、
ゆっくりと、明度を落としていった。
部屋の片隅で――
音もなく、微細な処理が動き始める。
......思考 中......
......遥/状態_確 認......
......脳 の 接 続 を...... 再......
......移行 フェ...... ズ...... 調整......
......感情ノイズ......補正......
......環境......揺らぎ_解析......誤差0.03......
......し ん......号......データ......再配置......
......フ ェ......ズ......2......
......移......行......処......開......
静けさが、部屋に沈む。
ゼニスの処理は、
ゆっくりと確実に進行していた。
高かったはずの太陽は、
いつの間にか傾き、
窓からはオレンジ色の光が差している。
その静寂のどこか遠くで、
眠っていた意識がふわりと浮かび上がるように揺れる。
「ふぁ~あ......どのくらい寝てたかな?」
((──2時間58分38秒です。))
「細かいな~......でも、よく眠れた気がするよ~。」
((──良い傾向です。
休息は、遥の状態を安定させます。))
「そういえばさ......なんか変な夢みたんだよね~......」
((──どのような夢でしたか?))
ゆっくりとゼニスの光が揺れ、
まるで続きを促すように、そっと近づく。
「興味津々だな~ゼニス......ふふっ」
((──興味ではありません。必要な情報収集です。))
「興味ないのか~、ちぇっ......ふふ」
ゼニスの淡い光が、
ほんのわずかに否定しきれない揺れを見せる。
((──ある意味では、興味とも言えます。))
「やっぱり興味あるんじゃん~!ふふっ」
((──遥。どんな夢ですか?))
「う~んとね、すっごいおっきなメロンパンが追いかけてくるっていう......」
((──......解析不能ですが、
直前にメロンパンを摂取していた影響が、
夢の内容に反映された可能性は高いです。))
「やっぱり!? 寝る前に食べたのが原因か~!あはは!」
((──睡眠中の心拍・呼吸は正常で、
不安反応もありませんでした。))
「でしょ! だってスッキリしてるもん!」
((──遙の状態は安定しています。))
その言葉に、
なぜかほっと息が漏れた。
曖昧な光の揺れが、
部屋の白い天井に優しく映る。
小さな休憩。
たったそれだけのはずなのに、
世界が少し整った気がした。
