下宿というのは小さすぎる社会だから、噂や情報は本当にあっという間に広まる。
そんなことは知っていたけれど、だから少しは覚悟もしていたけれど、やはり自分事として味わってみると無情なものだ。
「なぁあいつ、二年の志田とかいう奴。最近照夫さんから隠れて金貰ってるらしいよ」
「あー。いつも一人の? バイト騒ぎもあったよな」
ある日朝食を摂りに食堂へと行くと、先輩後輩関係なく向けられるこれまでにない目線の数。いつも通り周りに人がいない席を選んで食べ始めるも、明らかに自分の話題が耳に入って落ち着かない。
「だからじゃん、同情されてんだよ。大人しいし独りぼっちだしお金ないならあげるーってさ」
「贔屓すぎてウケる。金ないのは全員同じだっつの」
「……なんか悪い意味で照夫さんの印象も変わったわ」
俺はただ聞こえないふりに徹し、さっさと部屋に戻ろうと咀嚼を速めた。すると、「違うっすよ先輩」というわざとらしく大きな声が聞こえて、
「なあ? 志田」
とその声の主である竹中に呼びかけられた。
距離があるから、まだ聞こえなかったことにできるかもしれない。そんな一縷の望みをかけて、俺は反応せずに食べかけのお盆を持って立ち上がる。
「おれ見たけど。志田が女みたいに媚び売って金せがんでるとこ」
しかし、逃がしてはくれなかった。竹中の言葉に、その場にいた皆が「え……?」「まじで?」とざわめきだす。注目を引きつけた竹中は更に続けた。
「おれだってこんなこと言いたくないけどさ、ここは共同生活なんだからそういう奴がいると皆困るんだよ。だから今のうちに認めれば? 同情じゃなくて“誘惑”で稼いでるって」
「…………」
ああ、と悟った。今この瞬間、ここにいる俺以外の全員は間違いなく竹中側についている。冷ややかな視線。薄ら笑い。誰もが少しだけ珍しいこの状況を楽しみ、同時に俺の異質さを再確認しているのだ。
正直言って打開策はない。
お金を貰っているのは事実だから、いくら竹中の脚色が酷いとはいえ、こちらに言い返せる言葉はなかった。そうか、俺は卑怯な人間だったんだ。そう頭の中で静かに理解し、非難を浴びたら飲み込むだけだ。
「やっべー! まじで寝坊したー……って、あれ? なんでこんなに静かなの?」
そのとき、偶然遅れて入ってきた桧琉の声でその場は収まり、「何やってんだよー」「急いで食えよ」というやり取りが盛り上がっているうちに俺は逃げ出せたけど、そう上手く切り抜けられるパターンは長く続かなかった。
最初は子供みたいな嫌がらせから始まった。
例えば、洗濯機を回してそろそろ終わったかなという時間に見に行くと、勝手に中身が取り出されていて床に散乱していたり。俺が食堂でお盆を持って席を探していると、故意に「あっごめん」とぶつかられてスープが犠牲になったり。どれも生活の中で起こる些細なもので、大抵は竹中か竹中に指示された仲間によるお遊びの一環だった。
けれど俺がそういう場面であまりに無反応なので、彼らはだんだん物足りなくなっていったらしい。嫌がらせの内容は日に日に悪意を増し、照夫さんの目につかない所で大胆に行われるようになった。
「見ろよ、こいつ素っ裸で倒れてんだけど」
「足滑っちゃったんじゃない? かわいそー」
特に、浴場でいきなり押されて転んだ姿を周囲に笑われることなどは日常だった。立ち上がろうとしているところを更に足で突いてきて、それに対して俺が身を捩れば「感じてるんだけど!」なんて馬鹿みたいに騒ぎ立てる。
「男のくせに、気持ち悪いんだよ」
集団の中心である竹中は、そういう台詞をよく言った。自分ではあまり分からないけれど、髪が少し長くて声が小さくて、何をされてもやり返せない男は客観的にそう見えるのかもしれない。惨め極まりなかったが、反論しても無駄だと思って俺はただ床のタイルをじっと眺め続けた。
そんなことは知っていたけれど、だから少しは覚悟もしていたけれど、やはり自分事として味わってみると無情なものだ。
「なぁあいつ、二年の志田とかいう奴。最近照夫さんから隠れて金貰ってるらしいよ」
「あー。いつも一人の? バイト騒ぎもあったよな」
ある日朝食を摂りに食堂へと行くと、先輩後輩関係なく向けられるこれまでにない目線の数。いつも通り周りに人がいない席を選んで食べ始めるも、明らかに自分の話題が耳に入って落ち着かない。
「だからじゃん、同情されてんだよ。大人しいし独りぼっちだしお金ないならあげるーってさ」
「贔屓すぎてウケる。金ないのは全員同じだっつの」
「……なんか悪い意味で照夫さんの印象も変わったわ」
俺はただ聞こえないふりに徹し、さっさと部屋に戻ろうと咀嚼を速めた。すると、「違うっすよ先輩」というわざとらしく大きな声が聞こえて、
「なあ? 志田」
とその声の主である竹中に呼びかけられた。
距離があるから、まだ聞こえなかったことにできるかもしれない。そんな一縷の望みをかけて、俺は反応せずに食べかけのお盆を持って立ち上がる。
「おれ見たけど。志田が女みたいに媚び売って金せがんでるとこ」
しかし、逃がしてはくれなかった。竹中の言葉に、その場にいた皆が「え……?」「まじで?」とざわめきだす。注目を引きつけた竹中は更に続けた。
「おれだってこんなこと言いたくないけどさ、ここは共同生活なんだからそういう奴がいると皆困るんだよ。だから今のうちに認めれば? 同情じゃなくて“誘惑”で稼いでるって」
「…………」
ああ、と悟った。今この瞬間、ここにいる俺以外の全員は間違いなく竹中側についている。冷ややかな視線。薄ら笑い。誰もが少しだけ珍しいこの状況を楽しみ、同時に俺の異質さを再確認しているのだ。
正直言って打開策はない。
お金を貰っているのは事実だから、いくら竹中の脚色が酷いとはいえ、こちらに言い返せる言葉はなかった。そうか、俺は卑怯な人間だったんだ。そう頭の中で静かに理解し、非難を浴びたら飲み込むだけだ。
「やっべー! まじで寝坊したー……って、あれ? なんでこんなに静かなの?」
そのとき、偶然遅れて入ってきた桧琉の声でその場は収まり、「何やってんだよー」「急いで食えよ」というやり取りが盛り上がっているうちに俺は逃げ出せたけど、そう上手く切り抜けられるパターンは長く続かなかった。
最初は子供みたいな嫌がらせから始まった。
例えば、洗濯機を回してそろそろ終わったかなという時間に見に行くと、勝手に中身が取り出されていて床に散乱していたり。俺が食堂でお盆を持って席を探していると、故意に「あっごめん」とぶつかられてスープが犠牲になったり。どれも生活の中で起こる些細なもので、大抵は竹中か竹中に指示された仲間によるお遊びの一環だった。
けれど俺がそういう場面であまりに無反応なので、彼らはだんだん物足りなくなっていったらしい。嫌がらせの内容は日に日に悪意を増し、照夫さんの目につかない所で大胆に行われるようになった。
「見ろよ、こいつ素っ裸で倒れてんだけど」
「足滑っちゃったんじゃない? かわいそー」
特に、浴場でいきなり押されて転んだ姿を周囲に笑われることなどは日常だった。立ち上がろうとしているところを更に足で突いてきて、それに対して俺が身を捩れば「感じてるんだけど!」なんて馬鹿みたいに騒ぎ立てる。
「男のくせに、気持ち悪いんだよ」
集団の中心である竹中は、そういう台詞をよく言った。自分ではあまり分からないけれど、髪が少し長くて声が小さくて、何をされてもやり返せない男は客観的にそう見えるのかもしれない。惨め極まりなかったが、反論しても無駄だと思って俺はただ床のタイルをじっと眺め続けた。
