人との関わりが少ない俺の生活の中で、桧琉が突如絡んでくるようになったこと以外、何かが大きく変わることはないとかつての俺はどこかで信じていた。それは良い方にも、悪い方にも。
「……何か返さないと」
自室の中、ぽつりと独り言をこぼす。
手の平には一本のアイスの棒。実はこの間の17歳になった誕生日──6月5日、桧琉に半ば無理やり「プレゼント」と言われてコンビニのアイスを受け取ってしまった。断ろうとしたけど「溶けるから今すぐ食べてね」とも釘を刺され、俺に選択権は与えられなかったというわけだ。誕生日を迎えたのは桧琉も同じなのに、一方的に貰ってしまった感が否めない。
だからこの洗って乾かし保管しているアイスの棒は、決して思い出を残すためとかじゃなく、お返しすることを忘れないため……俺は改めてそう振り返って納得し、それを机の引き出しにしまって洗濯へと出掛けた。
下宿の一階には食堂や浴場に加えて、共有のランドリーがある。この時間なら人が少ないはずだと、俺は洗いたい衣類を抱えてそこに足を踏み入れた。
「あ、志田」
しかし、思いがけず他に利用者がいた。同じクラスの竹中だ。桧琉と同じくバスケ部で、声が大きく人を従わせるのが上手なタイプ。
というか、そもそもこの下宿にはスポーツに打ち込むため入ってきた体育会系しかほぼいない。うちの高校は進学校であり強豪校なので、それを魅力に感じて遠方からでも入学を希望する生徒が大勢いるのだ。
「相変わらず幽霊みたいに静かで気付かなかったわ」
竹中は俺を見るなりそう言い捨て、目線を手元の漫画に戻した。洗濯が終わるまでの間の暇つぶしに読んでいたのだろう、それが一瞬邪魔されて、あまり気分がよくないのかもしれない。
それに、俺は元々竹中みたいな奴らからは変な目で見られがちだった。食事するときも周りと明らかに距離をとって座る、声をかけられても返事が最小限すぎる、服装や持ち物の雰囲気も何か違う……ようは彼らからすると協調性がないのだ。十分自覚はしているけれど、3つのルールに従ってしか生きたことのない俺にはどうしようもない。
「……は? なんで戻んの?」
「──っ」
やっぱり洗濯は後でにしよう。そう考えて俺が踵を返した瞬間、いきなり手首を強い力で掴まれた。驚いて「何……」と竹中の顔を見る。すると竹中ははっとしたように掴んでいた手を離し、「お前、洗濯しにきたんじゃねえの」とどういう感情かよく分からない顔で言った。
「……後でにする」
「は? だからなんで? 何個洗濯機あると思ってんだよ」
「じゃあ、行くから」
竹中の言う通り、下宿生同士の洗濯のタイミングが被っても困らないよう、洗濯機はここに複数台ある。もちろん余っているのを使えば済む話だが、その時の俺はなんとなく嫌な空気を察知してその場を立ち去ろうとした。
「──おい、聞けよっ」
そんな俺の態度が、余計に神経を逆撫でしたのかもしれない。苛立ちをにじませた声で、竹中は俺の肩をガっと掴んで引き止めた。
突然のことについ動けないでいると、抱えていた洗濯前の洋服を勝手に漁られる。なんなんだ。こいつは何がしたいんだ。
「…………ガソスタ?」
そのうちの一枚を手にした竹中の言葉に、しまったと思った。
紛れもなくそれは、俺が密かにアルバイトをしているガソリンスタンドの制服だ。そろそろ汚れてきたから洗おうと、偶然持ち帰ってきていたものだった。
「……へえ。女みたいな服ばっかりだからおれの前で洗えないのかと思って見たけど、そういうことか。働いてんのバレたらまずいもんな」
竹中は口角を片方だけ上げ、面白そうに俺の顔色をうかがう。
「どこのガソスタ? 今度見に行くわ」
「……」
「おれ以外は誰か知ってんの?」
「……」
「っ、何か言えよ幽霊。気色悪い」
無言を貫く俺に竹中はしびれを切らし、やがて「どうでもいいわ」と雑に制服を投げ返した。やっと解放された俺は、駆け込むように自室に戻る。
『何か言えよ幽霊。気色悪い』
俺の存在感の薄さを幽霊と形容されたことに、反論はないしむしろ頷ける。でもあの目つきや手首を掴まれたときの力を思い出すと、心より先に身体が怯んだ。
きっとこれはまだ前触れだ。何かが良くない方向へ動き始める予感がした。
「……何か返さないと」
自室の中、ぽつりと独り言をこぼす。
手の平には一本のアイスの棒。実はこの間の17歳になった誕生日──6月5日、桧琉に半ば無理やり「プレゼント」と言われてコンビニのアイスを受け取ってしまった。断ろうとしたけど「溶けるから今すぐ食べてね」とも釘を刺され、俺に選択権は与えられなかったというわけだ。誕生日を迎えたのは桧琉も同じなのに、一方的に貰ってしまった感が否めない。
だからこの洗って乾かし保管しているアイスの棒は、決して思い出を残すためとかじゃなく、お返しすることを忘れないため……俺は改めてそう振り返って納得し、それを机の引き出しにしまって洗濯へと出掛けた。
下宿の一階には食堂や浴場に加えて、共有のランドリーがある。この時間なら人が少ないはずだと、俺は洗いたい衣類を抱えてそこに足を踏み入れた。
「あ、志田」
しかし、思いがけず他に利用者がいた。同じクラスの竹中だ。桧琉と同じくバスケ部で、声が大きく人を従わせるのが上手なタイプ。
というか、そもそもこの下宿にはスポーツに打ち込むため入ってきた体育会系しかほぼいない。うちの高校は進学校であり強豪校なので、それを魅力に感じて遠方からでも入学を希望する生徒が大勢いるのだ。
「相変わらず幽霊みたいに静かで気付かなかったわ」
竹中は俺を見るなりそう言い捨て、目線を手元の漫画に戻した。洗濯が終わるまでの間の暇つぶしに読んでいたのだろう、それが一瞬邪魔されて、あまり気分がよくないのかもしれない。
それに、俺は元々竹中みたいな奴らからは変な目で見られがちだった。食事するときも周りと明らかに距離をとって座る、声をかけられても返事が最小限すぎる、服装や持ち物の雰囲気も何か違う……ようは彼らからすると協調性がないのだ。十分自覚はしているけれど、3つのルールに従ってしか生きたことのない俺にはどうしようもない。
「……は? なんで戻んの?」
「──っ」
やっぱり洗濯は後でにしよう。そう考えて俺が踵を返した瞬間、いきなり手首を強い力で掴まれた。驚いて「何……」と竹中の顔を見る。すると竹中ははっとしたように掴んでいた手を離し、「お前、洗濯しにきたんじゃねえの」とどういう感情かよく分からない顔で言った。
「……後でにする」
「は? だからなんで? 何個洗濯機あると思ってんだよ」
「じゃあ、行くから」
竹中の言う通り、下宿生同士の洗濯のタイミングが被っても困らないよう、洗濯機はここに複数台ある。もちろん余っているのを使えば済む話だが、その時の俺はなんとなく嫌な空気を察知してその場を立ち去ろうとした。
「──おい、聞けよっ」
そんな俺の態度が、余計に神経を逆撫でしたのかもしれない。苛立ちをにじませた声で、竹中は俺の肩をガっと掴んで引き止めた。
突然のことについ動けないでいると、抱えていた洗濯前の洋服を勝手に漁られる。なんなんだ。こいつは何がしたいんだ。
「…………ガソスタ?」
そのうちの一枚を手にした竹中の言葉に、しまったと思った。
紛れもなくそれは、俺が密かにアルバイトをしているガソリンスタンドの制服だ。そろそろ汚れてきたから洗おうと、偶然持ち帰ってきていたものだった。
「……へえ。女みたいな服ばっかりだからおれの前で洗えないのかと思って見たけど、そういうことか。働いてんのバレたらまずいもんな」
竹中は口角を片方だけ上げ、面白そうに俺の顔色をうかがう。
「どこのガソスタ? 今度見に行くわ」
「……」
「おれ以外は誰か知ってんの?」
「……」
「っ、何か言えよ幽霊。気色悪い」
無言を貫く俺に竹中はしびれを切らし、やがて「どうでもいいわ」と雑に制服を投げ返した。やっと解放された俺は、駆け込むように自室に戻る。
『何か言えよ幽霊。気色悪い』
俺の存在感の薄さを幽霊と形容されたことに、反論はないしむしろ頷ける。でもあの目つきや手首を掴まれたときの力を思い出すと、心より先に身体が怯んだ。
きっとこれはまだ前触れだ。何かが良くない方向へ動き始める予感がした。
