ミッドウェー・バースデー

 俺を寝かしつけるように、桧琉は肩をトントンと手の平で叩いた。
 用意してもらった枕に頭を預けながら、目を閉じないよう抗う俺。何か考え事をしていないと、今すぐ落ちてしまいそうだった。

「文世、しんどいなら寝ちゃった方が楽だよ」
「……ううん」
「なんで。強がってるようにしか見えないけど」

 そう言われても、俺は頷けない。なぜなら今までとは何か違って、この具合の悪化には嫌な予感が付きまとってくるのだ。

「なんか……今目瞑ったら、二度と桧琉と会えなくなる気がする」

 声を振り絞って、打ち明けてみた。
 根拠はないけど、俺がこのまま眠りについたら、自力では戻って来られないような深い場所へと迷い込んでしまいそうで。そしてその暗闇にはきっと誰もいない。
 桧琉は少し黙ったのち、今度は俺の頭を撫で始める。

「──大丈夫だよ。例えそうだとしても、オレは必ず文世のところに向かう」
「…………」
「ちょっとは遅くなるかもしれないけどさ、約束。だからあっちに行っても安心して待ってて」

 その“あっち”が具体的にどこを指すのか、単純な思考しかできなくなってきた俺には分からない。でも、それがどこであれ関係なく、桧琉という人間だけは約束を果たしてくれそうだ。
 俺は少しほっとして、次の言葉をゆっくり探した。

「でもさ……やっぱり、ちょっと変だよ……」
「ん、何が?」
「なんで桧琉は、俺でいいの……」

 自分でも何を言っているのかよく分からない。けれどそれは多分頭の中にずっとあった疑問で、意識がはっきりしていたら俺からは絶対に口に出せない(たぐい)の話題だ。

「えーっと、なんでオレが文世を好きになったか、ってこと?」

 桧琉はストレートに言い換えてくる。俺は気恥ずかしくなって目線を逸らし、頷く代わりにわずかに顎を上げた。

「…………理由なんかないよ。ただ、文世が生きてる姿を見て、綺麗で目が離せなくなっただけ」
「え──」
「人は生きてるだけで誰かに好かれることもあるんだよ」

 そんな、都合のいい響きが鼓膜を揺らす。すると桧琉は「信じられないみたいな顔してるね」、と俺の方を見て笑った。

「笑うなよ……」

 生きてるだけで。桧琉の言葉は魔法みたいだ。
 決して綺麗ではなかった俺の日々が、まるで無駄ではなかったと肯定され、報われたような気分になってしまうのだから。

「それにきっと、そうなる運命だったんだよ。じゃないと同じ日にバラバラのところで生まれた二人が、こうやって巡り合ったりしないでしょ」
「…………」
「オレは本気で思ってるよ」

 桧琉はそう言い、ぽんと俺の頭に手を置いて「タオルと水持ってくるね」と立ち上がった。俺は言いようのない心細さに襲われる。短い時間であっても今は桧琉と距離ができてしまうのが嫌で、

「──っ、行かなくていい」

 気付けばそう、引き止めていた。

「文世? どうした」
「……ありがとう」
「え?」
「今まで全部、ありがとうって思ってる」

 桧琉は驚きつつも、俺の言葉を待ってくれる。

「だからもうこれ以上桧琉が何かする必要ない。罪悪感も俺にはいらない。なんにも考えなくていいから、あともうちょっとだけここにいて…………」

 自分で言っておいて、情けないなと思った。わがままを人に頼むって、こんなに子供のようになってしまうものなのか。でも桧琉は、嫌な顔一つしなかった。

「いるよ。文世が寝るまでここにいる」

 そうしてまた、俺のそばで寝かしつけるみたいに身体を優しく叩く。
 いよいよ、本当に瞼が重くなってきた。

「……文世。文世はどこに行っても、生まれ変わっちゃいけないよ」
「……ん……」
「文世のままで、幸せになってね。そうじゃないとオレ、誰のところに戻ればいいか分かんなくて、さっきの約束守れないから」

 桧琉の声が、太陽のように俺を包み込んだ。「うん」、と心の中で答える。「ありがとう」とも、もう一度。
 ゆっくりと視界は暗くなっていき、深い深い海に潜り込むように、俺は下宿(ここ)ではないどこかへと導かれていった。