6月5日。
本来であればこの下宿から徒歩5分程で着く校舎へと赴き、進学校の名のもとみっちり7時間授業を受けて帰ってくるだけのごくありふれた日。俺が18歳の誕生日を迎えることなんて誰も知らないままで、ただ過ぎればいいだけの無感動な一日。
なのになんで俺は今、正反対な人物と二人きりで非日常の中にいるのだろう。
「あー、でもよく考えたらコンビニとかも行けないのは辛いわあ。せっかく誰もいないんだし、サボるならお菓子と炭酸買ってきて文世と映画観たりしたかったのにな」
「……」
あの後、裏の勝手口や建物中の窓も一つずつ鍵をいじって外に出ようと試みたが失敗。信じがたいけれど、どこも強い接着剤で塞がれているのかと疑う程にびくともしなかった。
どうしようもないないので俺たちは休憩と称して、現在空席しかない食堂のイスに腰掛けている。確かに桧琉の言う通り「誰もいない」からどこに座るも自由だが、さすがに三つをくっつけてソファーのように脚を伸ばすその体勢はくつろぎすぎだと思う。
「……炭酸、ではないけど、水なら多分出ると思うよ。さっき俺の部屋の水道は使えた」
目覚めてすぐの記憶を振り返ってそう言ってみると、桧琉はぱあっと嬉しそうな顔をした。こんな時でも感情豊かな人間だ。「まじ!?」と期待を寄せられてしまったので、俺は立ち上がり普段は入らないキッチンの蛇口を確かめに行く。
キュ、と捻ると案の定水は簡単に出た。シンクに落ちて響く水の音が、俺たちの声以外で聞こえるものとして久しぶりにも感じられる。棚からコップを取って水を汲んでいると「オレにもー」という声がしたため、二つを持ってくつろぐ桧琉の元へと向かった。
「はい」
「ありがとー……って、ちょっと待ってよ」
桧琉の分をテーブルに置いて戻ろうとすると、引き止められた。
「何……」
「何じゃなくて。そんなに離れて座る必要ないじゃん。嫌じゃなかったら向かえきてよ」
そう真っ直ぐに見つめられて、一瞬、キスのときみたいに息が詰まった。違う。これは単なる誘いだ。俺なんかと水飲んでも美味しくないだろとか言いたいことは多々あるけど、とりあえず「嫌じゃなかったら」の保険があるから従って席に着いてみる。
桧琉は満足そうに微笑んだ。
「なんか今日の水、冷たくてすぅーってして美味しく感じる」
それにしても、電気は使えないが水が出るだけよかった。桧琉の感想に耳を傾けつつ、俺もコップに口付ける。
すると、確かにその冷たさは全身に染み渡るように心地よくて……不思議だ。思わず目を瞑りたくなるくらい、ずっと欲していたものを摂取できたような感覚が体を駆け巡った気がした。
「文世もおいしい?」
「……なんか……」
「変だよね。オレ実はそんなに腹減ってなくて、これさえあればどうにかなりそうって今思っちゃってる」
「……それは、俺も」
「やっぱり? じゃあ食料とかは腹が空いたときに考えればいいか」
この状況に大して絶望もせず水の味について語っているなんて、俺たちは少しおかしいのかもしれない。でも少なくとも俺は、これまでの日々と比べたら今の方がずっとましだった。さっきは外へ出る方法はないかと試行錯誤もしていたが、実のところ日常に戻りたいなんてきっと心から願ってはいないのだ。願っていたとしたらもっと恐怖し、目の前の不便を嘆くべきなのだから。
「……着替えてこようかな」
一杯の水を飲み干し、そういえばあまりに寝起きのままだったなと思い出した俺はそう告げた。
「なあ、それいつから?」
「え?」
「そうやって髪、触るクセ」
立ち上がろうとした俺はいきなり指摘され、固まる。ちょうど寝癖を気にして手を頭のところに持っていった瞬間だったが、特別目立つような動きではなかったはずだ。
「……どういう?」
「前は髪を耳にかけるのがクセだっただろ。文世はちょっと髪が長いから。でもいつからか、逆にそうやって耳を隠すみたく髪の毛を引っ張るクセに変わった」
どきりとした。ずっと気になっていたみたいな桧琉の口調は、こちらを捉える黒い瞳と合わさると、なにか見透かされているような気がして胸が騒ぐ。
「──別に、前からこうだよ」
声が震えないよう努めて答え、俺はそのまま自室へと引っ込んだ。
本来であればこの下宿から徒歩5分程で着く校舎へと赴き、進学校の名のもとみっちり7時間授業を受けて帰ってくるだけのごくありふれた日。俺が18歳の誕生日を迎えることなんて誰も知らないままで、ただ過ぎればいいだけの無感動な一日。
なのになんで俺は今、正反対な人物と二人きりで非日常の中にいるのだろう。
「あー、でもよく考えたらコンビニとかも行けないのは辛いわあ。せっかく誰もいないんだし、サボるならお菓子と炭酸買ってきて文世と映画観たりしたかったのにな」
「……」
あの後、裏の勝手口や建物中の窓も一つずつ鍵をいじって外に出ようと試みたが失敗。信じがたいけれど、どこも強い接着剤で塞がれているのかと疑う程にびくともしなかった。
どうしようもないないので俺たちは休憩と称して、現在空席しかない食堂のイスに腰掛けている。確かに桧琉の言う通り「誰もいない」からどこに座るも自由だが、さすがに三つをくっつけてソファーのように脚を伸ばすその体勢はくつろぎすぎだと思う。
「……炭酸、ではないけど、水なら多分出ると思うよ。さっき俺の部屋の水道は使えた」
目覚めてすぐの記憶を振り返ってそう言ってみると、桧琉はぱあっと嬉しそうな顔をした。こんな時でも感情豊かな人間だ。「まじ!?」と期待を寄せられてしまったので、俺は立ち上がり普段は入らないキッチンの蛇口を確かめに行く。
キュ、と捻ると案の定水は簡単に出た。シンクに落ちて響く水の音が、俺たちの声以外で聞こえるものとして久しぶりにも感じられる。棚からコップを取って水を汲んでいると「オレにもー」という声がしたため、二つを持ってくつろぐ桧琉の元へと向かった。
「はい」
「ありがとー……って、ちょっと待ってよ」
桧琉の分をテーブルに置いて戻ろうとすると、引き止められた。
「何……」
「何じゃなくて。そんなに離れて座る必要ないじゃん。嫌じゃなかったら向かえきてよ」
そう真っ直ぐに見つめられて、一瞬、キスのときみたいに息が詰まった。違う。これは単なる誘いだ。俺なんかと水飲んでも美味しくないだろとか言いたいことは多々あるけど、とりあえず「嫌じゃなかったら」の保険があるから従って席に着いてみる。
桧琉は満足そうに微笑んだ。
「なんか今日の水、冷たくてすぅーってして美味しく感じる」
それにしても、電気は使えないが水が出るだけよかった。桧琉の感想に耳を傾けつつ、俺もコップに口付ける。
すると、確かにその冷たさは全身に染み渡るように心地よくて……不思議だ。思わず目を瞑りたくなるくらい、ずっと欲していたものを摂取できたような感覚が体を駆け巡った気がした。
「文世もおいしい?」
「……なんか……」
「変だよね。オレ実はそんなに腹減ってなくて、これさえあればどうにかなりそうって今思っちゃってる」
「……それは、俺も」
「やっぱり? じゃあ食料とかは腹が空いたときに考えればいいか」
この状況に大して絶望もせず水の味について語っているなんて、俺たちは少しおかしいのかもしれない。でも少なくとも俺は、これまでの日々と比べたら今の方がずっとましだった。さっきは外へ出る方法はないかと試行錯誤もしていたが、実のところ日常に戻りたいなんてきっと心から願ってはいないのだ。願っていたとしたらもっと恐怖し、目の前の不便を嘆くべきなのだから。
「……着替えてこようかな」
一杯の水を飲み干し、そういえばあまりに寝起きのままだったなと思い出した俺はそう告げた。
「なあ、それいつから?」
「え?」
「そうやって髪、触るクセ」
立ち上がろうとした俺はいきなり指摘され、固まる。ちょうど寝癖を気にして手を頭のところに持っていった瞬間だったが、特別目立つような動きではなかったはずだ。
「……どういう?」
「前は髪を耳にかけるのがクセだっただろ。文世はちょっと髪が長いから。でもいつからか、逆にそうやって耳を隠すみたく髪の毛を引っ張るクセに変わった」
どきりとした。ずっと気になっていたみたいな桧琉の口調は、こちらを捉える黒い瞳と合わさると、なにか見透かされているような気がして胸が騒ぐ。
「──別に、前からこうだよ」
声が震えないよう努めて答え、俺はそのまま自室へと引っ込んだ。
