ミッドウェー・バースデー

『──なぁ、おれが志田のこと犯すって言ったら、どう思う?』

 そんな脅しのような発言があった日から、オレは竹中と顔を合わせる度に駆け寄っては、「頼むからそれだけはやめてくれ」と懇願しに行くようになった。

「あのさぁ、しつけえよお前」
「分かってるけど、竹中は……」
「ああもう、“先送りにしてやる”って言ってんだろ」

 だけど、何度行っても返ってくる言葉は同じ。“先送りにする”、“今度にする”……とにかく曖昧に濁して撤回してくれない。どれくらい竹中が本気なのかも判断がつかず、オレはだんだん焦り始めた。
 他の誰かに文世を取られるのが嫌だとか、そういう自分本位な理由だけじゃない。暴力に加えて竹中の言うことが本当になったとしたら、文世はとどめを刺されて間違いなく自殺を決行するだろうという焦りだ。6月5日が刻々と迫っていた。

「そういや志田の奴、もうすぐ誕生日らしいな」

 確かそれは、6月1日の夜だった。脱衣場で身体を拭いていると、隣に浴場から出てきた竹中がやってきて、何やら調子よさげに喋りかけてくる。

「……なんで竹中が知ってんの?」
「えー? 別になんでもいいだろ」
「また、勝手に学生証とか見たわけじゃないだろうな」

 オレは呆れたような口調でそう返した。すると竹中は不愉快そうな顔をする。

「…………は? お前、どの口が言ってんだよ」

 オレだってもう、友達だったはずの奴に苛立つのも疲れてきた。「なんでもないって。まあ、オレも同じ日だよ」とため息混ざりに言うと、

「……お前、おれのこと馬鹿にしてんだろ。そういう志田と仲良いみたいなアピール? 勝ち誇った顔で聞かされても」

 と、竹中はオレに突っかかった。もちろんそんな顔はしていない。オレはうんざりして、着替えも終わったことだし立ち去ろうとする。けれど、それが気に入らなかったのか竹中はこう引き止めた。

「……お誕生日プレゼント、今決まったわ。志田がすっごく喜んで、お前がすっごく嫌がるものにする」
「は──?」

 振り返って、竹中の顔を見る。こいつは何を言っているんだ。

「どういうこと……」
「あ、ついでに動画撮りながらやればさ、お前にあげるプレゼントにもなるじゃん。一石二鳥。超いいアイデア」

 動画を撮りながら……それを見たオレが嫌がること……。オレは竹中の言葉の意味を理解して、「お前っ──」と咄嗟に呼びかけた。しかし竹中は既に脱衣場を出て行くところで、丁度他の生徒もこちらに入ってきてしまう。オレは頭に血が上りそうになりながら、きつく(こぶし)を握るしかなかった。



 オレたちの誕生日の前日、6月4日。
 まだオレは、竹中の言うことが冗談だったらいいのにと、期待を捨てきれていなかったのかもしれない。
 竹中だっておそらく家庭のことや自身の性的指向について、悩み苦しんできたのだろう。目を見ていればそれは分かる。だから文世を犯すなんてこと、オレを牽制するための嘘であってくれと、その朝がやってくるまでは思っていた。

「おはよ、明日お誕生日の人。プレゼント用意するから“大人しく”待ってろよ」

 食堂でお盆を持って並んでいると、すれ違いざま、竹中にそう囁かれる。オレは思考が停止した。

 ──噓だろ。あいつ、本気で……。

 はっとして、オレは慌てて食堂の中を見渡した。すぐに目に入ってきたのは、いつもと変わらず隅の席に座り、身体を小さくして食事を摂る文世の姿。紛れもないオレの好きな子だ。孤独を抱えて死にたがっていて、それでも誕生日までは生きようと耐えてきたのに、その当日無理やりな行為に巻き込まれるなんて、黙って見過ごせるわけがない。
 朝食はほとんど喉を通らなかった。学校での昼食も食う気になれなかった。オレは放課後になり、部活を休んだ。
 あんまりよく覚えていないけど、その後一人で下宿に戻ってきたオレは、片手にタンクを持っていた気がする。

「…………下宿(ここ)が丸ごと、なくなってしまえばいいんだ」

 そう、それが様々なことを考えた結果の答え。
 例えば、文世を竹中から守るために、明日の朝どこかへ連れ出すとか。竹中本人が諦めてくれるよう、今日のうちにいくらでも殴って痛い目に遭わせるとか。方法は他にもあるのかもしれない。
 でも、どれもよく考えるとその場しのぎでしかなかった。文世を一時的に連れ出すといっても次の日やその次の日は? また下宿に帰ってきてしまえば、誕生日以降もいつ竹中に狙われるか分からない。竹中を懲らしめたとして、それでも改心しなかったら? いや、そもそも改心したとしても、文世の心には既に竹中に負わされた傷がある。18歳になってもこの日常が変わらない限り、文世は自殺する気でいるのだ。
 下宿がなくなれば、竹中が文世に手を出す場所はなくなる。文世も絶望の日々から解放されて新たな生活を始められる。

「──火事、火事だ!! 皆逃げろ!」

 タンクの中の液体が、オレの部屋の床に染み込んでその火を広げた。オレはあくまで火元の第一発見者として下宿中を駆け回り、そう大声で叫んで中にいた皆を外へ避難させる。それは部活から帰ってきた竹中たちも、管理人の照夫さんも、もちろん文世も、全員だ。
 だって、誰かがいなくなれば解決する話じゃないから。ここに集まった皆をバラバラに引き離すことでしか、きっと文世を救えない。

「うわー、まじでびびった……」
「消防もうすぐ来るって!」
「逃げ遅れはいないから大丈夫そうだな」

 下宿の敷地で、驚きながらも互いの無事を確認してほっとした表情を浮かべる生徒たち。オレはそれを不思議な感覚で眺めた。
 どうしてこんなことになったんだろう。オレはこれからどんな人生を辿るんだろう。

「ここも危ないから、皆向こうの公園に行くよ。ほらこっち!」

 しかし、照夫さんが更に建物から離れようと指示したそのときだ。一人だけ皆と逆方向に、タッと駆け出した人影が視界に映った。

「──志田くん、何してるんだ!!」

 それが文世だと気付いた瞬間、オレは何も考えられなくなった。脚が勝手に動く。皆の制止を振り切り文世を追いかけて、燃焼が大きくなるその下宿の中へと逆戻りしていた。

「文世っ、文世行くな……!」
「──桧琉?」

 文世は煙の中で一瞬だけこちらを振り返り、オレの声に反応する。これ以上は、もう本当に危ない。

「文世、戻ろう。いいから一回……」
「忘れもの、したんだ」

 忘れもの。文世はそう言ったかと思えば、オレに手を掴む暇も与えず奥へと姿を消した。これが最後の会話なのか。そんな想像が頭をよぎる。
 誰のことも頼らずに生きてきた文世。最初から諦めた目で人と距離を取ってきた文世。このままオレのことも置いて、一人どこかへ行くつもりなんだろうけど。

 ──違う。文世、オレは皆と違うよ。無責任に可哀想って思ったりしない。

 文世を好きになったのは、救いたいと思ったのは、きっとその先の笑顔が見たかったからだ。
 迫りくる恐怖の中で脚が前に進む。オレは文世の命を拾いに行かなければならない。