子どもの頃から、よく言えば素直、悪く言えばわがままな、遠慮のできない性格だったと両親には表現される。
欲しいものは欲しいと指差した。やりたいことはやりたいと訴えた。何かを諦めたことなんてない。でもオレに初めてできた好きな子は、好きと言ったら消えていなくなってしまいそうな人だった。
「…………あ」
高二の春、美術室。
オレは視線の先に見覚えのある顔を見つけ、デッサンに使っていた鉛筆を手から放した。
「おい。どこ行くんだよ」
「あぁ、うん。皆の絵の出来上がりを偵察に?」
いきなり立ち上がったオレを不審がる周りの奴らを軽く受け流して、その人物のところへ真っ直ぐ向かう。クリーム色のカーディガンを着て壁際で授業を受けているのは、志田文世という隣部屋の物静かな男子だ。
下宿で見かける度に話しかけようとしたけどなかなかタイミングが合わなくて、接点のないまま早一年。この間照夫さんと世間話をしていたときに、何気なく「志田くんってどんな子ですか」と聞いてみたら、生年月日が全く一緒という共通点を教えてもらったのだ。これはかなりの仲良くなるチャンスだと思う。
「……志田くん? 志田文世、くん?」
真剣に手を動かしているその子の目の前まで来て、声を掛けた。恐る恐るといった様子でこちらを見上げたのは、長めの前髪から覗く澄んだ瞳。長いのは前髪だけでなく、伸びた襟足もいつも首の半分くらいまでを隠していて、白い肌と相まり中性的な雰囲気を醸し出している人だった。
その硬い表情からは考えていることを読み取れないので、とりあえず一方的に自己紹介して一方的に喋る。返事は返ってこなかったけど、オレが勝手に喋り出しただけだから別に構わなかった。でも、オレがそろそろ席に戻らなくてはと会話を終わらせようとしていた最後の最後で、
「…………全てのものから、距離をとりたい」
その子は突然声を出してくれた。
嬉しかった。今までは部屋から出る時間が不意に被ったときなんかに、さりげなく「おはよう」と挨拶してみても目を逸らされるだけだったから。他の下宿生たちと話しているところも見たことがないし、これは結構凄いことなんじゃないだろうか。オレは進歩を感じてその子をすぐに「文世」と呼び始め、姿を見つけては遠くからでも手を振るようになった。
「なにお前、志田と仲良いの?」
普通にバスケ部の仲間といるときにもそういうことをしていたから、不思議がられてそう聞かれることもあった。
「いや? 竹中」
「じゃあなんでだよ、おかしいだろ」
「確かに、なんでだろう。でもまあお隣さんだから? 挨拶しといて損はないでしょ」
「ふうん。相変わらずだな」
自分でもよく分からない。どうして文世の存在が、オレの興味を引き付けてしまうのか。
強いて言えば佇まいかもしれない。いつどこにいても元々大きくはない身体を更に縮こまらせ、ひっそりと集団から離れて歩くその動き。それはまるで一人だけ別の世界にいるようで、そんな文世から見えている色をきっと、知りたくなってしまうのだ。
「改めて、黒松桧琉です。オレ、どうしても文世と仲良くなりたい」
オレは心に正直だ。
そうだ、せっかくだから誕生日に何か渡そう。そのためには誕生日が来る前に友達にならないと、そう思い立ったオレは、気付けば文世の部屋の前で帰りを待って頼み込んでいた。
さすがにいきなりで驚かせてしまったようだけど、そこで文世がカバンを落としたことがきっかけで、文世の趣味を知ることができた。スケッチブックの、曖昧で繊細なお菓子の絵だ。美術のデッサンもそうだったけど、やっぱりオレにはない特別な感性を持っていると思った。
「あれ、お前も知ってたっけ? 志田がガソスタで働いてるって話」
「え、それやばくね? 普通にバレたら停学だろ」
だけど少しして、学校でも下宿でも文世の噂話をよく聞くようになった。正直、前から文世は周りと馴染めていなかったので、その雰囲気を面白がって陰で言う奴らはたまにいたけど、バイトの件のような目立つ話題は初めて。オレは文世が気にかかって、でも特に顔を合わせる機会もないまま数週間が過ぎていた。
「おれ見たけど。志田が女みたいに媚び売って金せがんでるとこ」
そして、ある朝だ。少しだけ皆より遅れてオレが食堂へ入ろうとすると、中から聞こえてきた竹中の声。なにやら空気もおかしくて、状況を計ろうと一旦立ち止まってみる。
「おれだってこんなこと言いたくないけどさ、ここは共同生活なんだからそういう奴がいると皆困るんだよ。だから今のうちに認めれば? 同情じゃなくて“誘惑”で稼いでるって」
話を全ては理解できないけど、竹中が文世に向かって威圧的に問い詰めていることに間違いはなさそうだ。しかも、他学年もいる共有の場で。
オレの脳内には周囲の目線を浴びて硬直する文世の姿がありありと浮かび、
「やっべー! まじで寝坊したー……って、あれ? なんでこんなに静かなの?」
考えるより先にそんなベタな仲裁をしていたけど、オレが思うより文世の置かれた環境は単純じゃなかった。
欲しいものは欲しいと指差した。やりたいことはやりたいと訴えた。何かを諦めたことなんてない。でもオレに初めてできた好きな子は、好きと言ったら消えていなくなってしまいそうな人だった。
「…………あ」
高二の春、美術室。
オレは視線の先に見覚えのある顔を見つけ、デッサンに使っていた鉛筆を手から放した。
「おい。どこ行くんだよ」
「あぁ、うん。皆の絵の出来上がりを偵察に?」
いきなり立ち上がったオレを不審がる周りの奴らを軽く受け流して、その人物のところへ真っ直ぐ向かう。クリーム色のカーディガンを着て壁際で授業を受けているのは、志田文世という隣部屋の物静かな男子だ。
下宿で見かける度に話しかけようとしたけどなかなかタイミングが合わなくて、接点のないまま早一年。この間照夫さんと世間話をしていたときに、何気なく「志田くんってどんな子ですか」と聞いてみたら、生年月日が全く一緒という共通点を教えてもらったのだ。これはかなりの仲良くなるチャンスだと思う。
「……志田くん? 志田文世、くん?」
真剣に手を動かしているその子の目の前まで来て、声を掛けた。恐る恐るといった様子でこちらを見上げたのは、長めの前髪から覗く澄んだ瞳。長いのは前髪だけでなく、伸びた襟足もいつも首の半分くらいまでを隠していて、白い肌と相まり中性的な雰囲気を醸し出している人だった。
その硬い表情からは考えていることを読み取れないので、とりあえず一方的に自己紹介して一方的に喋る。返事は返ってこなかったけど、オレが勝手に喋り出しただけだから別に構わなかった。でも、オレがそろそろ席に戻らなくてはと会話を終わらせようとしていた最後の最後で、
「…………全てのものから、距離をとりたい」
その子は突然声を出してくれた。
嬉しかった。今までは部屋から出る時間が不意に被ったときなんかに、さりげなく「おはよう」と挨拶してみても目を逸らされるだけだったから。他の下宿生たちと話しているところも見たことがないし、これは結構凄いことなんじゃないだろうか。オレは進歩を感じてその子をすぐに「文世」と呼び始め、姿を見つけては遠くからでも手を振るようになった。
「なにお前、志田と仲良いの?」
普通にバスケ部の仲間といるときにもそういうことをしていたから、不思議がられてそう聞かれることもあった。
「いや? 竹中」
「じゃあなんでだよ、おかしいだろ」
「確かに、なんでだろう。でもまあお隣さんだから? 挨拶しといて損はないでしょ」
「ふうん。相変わらずだな」
自分でもよく分からない。どうして文世の存在が、オレの興味を引き付けてしまうのか。
強いて言えば佇まいかもしれない。いつどこにいても元々大きくはない身体を更に縮こまらせ、ひっそりと集団から離れて歩くその動き。それはまるで一人だけ別の世界にいるようで、そんな文世から見えている色をきっと、知りたくなってしまうのだ。
「改めて、黒松桧琉です。オレ、どうしても文世と仲良くなりたい」
オレは心に正直だ。
そうだ、せっかくだから誕生日に何か渡そう。そのためには誕生日が来る前に友達にならないと、そう思い立ったオレは、気付けば文世の部屋の前で帰りを待って頼み込んでいた。
さすがにいきなりで驚かせてしまったようだけど、そこで文世がカバンを落としたことがきっかけで、文世の趣味を知ることができた。スケッチブックの、曖昧で繊細なお菓子の絵だ。美術のデッサンもそうだったけど、やっぱりオレにはない特別な感性を持っていると思った。
「あれ、お前も知ってたっけ? 志田がガソスタで働いてるって話」
「え、それやばくね? 普通にバレたら停学だろ」
だけど少しして、学校でも下宿でも文世の噂話をよく聞くようになった。正直、前から文世は周りと馴染めていなかったので、その雰囲気を面白がって陰で言う奴らはたまにいたけど、バイトの件のような目立つ話題は初めて。オレは文世が気にかかって、でも特に顔を合わせる機会もないまま数週間が過ぎていた。
「おれ見たけど。志田が女みたいに媚び売って金せがんでるとこ」
そして、ある朝だ。少しだけ皆より遅れてオレが食堂へ入ろうとすると、中から聞こえてきた竹中の声。なにやら空気もおかしくて、状況を計ろうと一旦立ち止まってみる。
「おれだってこんなこと言いたくないけどさ、ここは共同生活なんだからそういう奴がいると皆困るんだよ。だから今のうちに認めれば? 同情じゃなくて“誘惑”で稼いでるって」
話を全ては理解できないけど、竹中が文世に向かって威圧的に問い詰めていることに間違いはなさそうだ。しかも、他学年もいる共有の場で。
オレの脳内には周囲の目線を浴びて硬直する文世の姿がありありと浮かび、
「やっべー! まじで寝坊したー……って、あれ? なんでこんなに静かなの?」
考えるより先にそんなベタな仲裁をしていたけど、オレが思うより文世の置かれた環境は単純じゃなかった。
