高校三年生となり、数週間。教室は午前から暖かな春の陽気に包まれ、窓からは日が差し込んでいた。
窓際の席に座る俺は、なんだかウトウトし始める。そういえば昨夜もほとんど寝ていなかった。なんとか眠気に抗って板書をしようとペンを握り直すが、思うように字が書けない。
「おい、志田!」
だんだんピントが合わなくなっていく視界。前の方から怒鳴るような教師の声がする。俺は居眠りをしそうになっているんだから、注意を受けて当然だ……そう諦めてふっと目を閉じると、ガシャーンと大きな音がした。
「志田! 大丈夫かっ」
やっと気付く。教師のそれは怒鳴り声ではなかった。慌てて駆け寄ってきたその教師に体を揺すられて目を薄っすら開くと、心配に染まった表情で覗き込まれた。どうやら俺はイスに座っていた姿勢から、真横に落ちる形で床に倒れていたらしい。そりゃああんな大きな物音がするわけだ。
「っ、ん……」
「頭打ったんじゃないか? 顔色も悪いし……保健室。誰か保健室連れてって」
しかしイスの倒れた音が派手だっただけで、自分自身にそれほど痛みはなかった。俺は意識がはっきりしてきて、「……いや、大丈夫です」と自力で起き上がりながら声を出す。教室中から視線を感じて、この中の誰かに迷惑をかけるなんて考えただけで億劫だった。
「一人で、行けます」
「本当か?」
「はい」
「けど、その顔色はな……。よし分かった。確か下宿生だったよな? 管理人さんに連絡入れて迎えに来てもらうから、カバンとか全部持って保健室で待ってろ」
とりあえず一人で行かせてくれるならと、俺は教師の言葉に頷いた。
「三年の志田です。少し休ませてください。……あと、下宿の管理人さんに“やっぱり迎えはいらない”とお伝えください」
言う通り荷物を持って保健室に向かった俺は、ドア開けるなりまずそう頼んだ。中にいた養護教諭は「あらあら、貧血かな。電話はしておくからそこで横になって」と快く了承してくれたので、上靴を脱ぎありがたくベッドに上がる。
「でもごめんなさいね、今から用事があるの。いつまでいてくれてもいいんだけど、もし何かあったら職員室にお願い」
けれど何やら忙しそうな養護教諭は、そう言い残してパタパタと去っていった。俺はいきなり一人になる。誰もいないのは気が楽だけど、急に寝られる程リラックスもできない。倒れた直後だから安静にはしつつ、何か暇を潰せるものは……と考えて、俺はカバンからスケッチブックと、古いパステルの箱を取り出した。
──今日は、どれにしよう。
描くモチーフを決めるため、スマートフォンの画面をスクロールする。俺が開いているのは『La fraise bleue(ラ・フレーズ・ブルー)』というケーキ屋のホームページだ。そこでは店舗で販売している商品の一覧が、写真と共に閲覧できる。内容は季節ごとに移り変わっていくが、いつもその中から一つを選んで被らないよう絵にしているのだ。
「……ウィークエンド、シトロン…………」
俺は目にとまった商品名を口に出し、なんとなく響きが気に入ったのでパステルを手に取った。ときどき写真を確認しながら、できるだけ本物に寄せていく。味も食感も分からないけど、こうして紙の上に綺麗なお菓子を浮かび上がらせている間は、嫌な記憶を忘れられる気がした。
別に俺はこのケーキ屋の常連だとか、元々甘いものに目がないとか、決してそういうわけではない。
ただ、『La fraise bleue(ラ・フレーズ・ブルー)』が、五年前から母さんの勤めるパート先だから。それだけだ。
窓際の席に座る俺は、なんだかウトウトし始める。そういえば昨夜もほとんど寝ていなかった。なんとか眠気に抗って板書をしようとペンを握り直すが、思うように字が書けない。
「おい、志田!」
だんだんピントが合わなくなっていく視界。前の方から怒鳴るような教師の声がする。俺は居眠りをしそうになっているんだから、注意を受けて当然だ……そう諦めてふっと目を閉じると、ガシャーンと大きな音がした。
「志田! 大丈夫かっ」
やっと気付く。教師のそれは怒鳴り声ではなかった。慌てて駆け寄ってきたその教師に体を揺すられて目を薄っすら開くと、心配に染まった表情で覗き込まれた。どうやら俺はイスに座っていた姿勢から、真横に落ちる形で床に倒れていたらしい。そりゃああんな大きな物音がするわけだ。
「っ、ん……」
「頭打ったんじゃないか? 顔色も悪いし……保健室。誰か保健室連れてって」
しかしイスの倒れた音が派手だっただけで、自分自身にそれほど痛みはなかった。俺は意識がはっきりしてきて、「……いや、大丈夫です」と自力で起き上がりながら声を出す。教室中から視線を感じて、この中の誰かに迷惑をかけるなんて考えただけで億劫だった。
「一人で、行けます」
「本当か?」
「はい」
「けど、その顔色はな……。よし分かった。確か下宿生だったよな? 管理人さんに連絡入れて迎えに来てもらうから、カバンとか全部持って保健室で待ってろ」
とりあえず一人で行かせてくれるならと、俺は教師の言葉に頷いた。
「三年の志田です。少し休ませてください。……あと、下宿の管理人さんに“やっぱり迎えはいらない”とお伝えください」
言う通り荷物を持って保健室に向かった俺は、ドア開けるなりまずそう頼んだ。中にいた養護教諭は「あらあら、貧血かな。電話はしておくからそこで横になって」と快く了承してくれたので、上靴を脱ぎありがたくベッドに上がる。
「でもごめんなさいね、今から用事があるの。いつまでいてくれてもいいんだけど、もし何かあったら職員室にお願い」
けれど何やら忙しそうな養護教諭は、そう言い残してパタパタと去っていった。俺はいきなり一人になる。誰もいないのは気が楽だけど、急に寝られる程リラックスもできない。倒れた直後だから安静にはしつつ、何か暇を潰せるものは……と考えて、俺はカバンからスケッチブックと、古いパステルの箱を取り出した。
──今日は、どれにしよう。
描くモチーフを決めるため、スマートフォンの画面をスクロールする。俺が開いているのは『La fraise bleue(ラ・フレーズ・ブルー)』というケーキ屋のホームページだ。そこでは店舗で販売している商品の一覧が、写真と共に閲覧できる。内容は季節ごとに移り変わっていくが、いつもその中から一つを選んで被らないよう絵にしているのだ。
「……ウィークエンド、シトロン…………」
俺は目にとまった商品名を口に出し、なんとなく響きが気に入ったのでパステルを手に取った。ときどき写真を確認しながら、できるだけ本物に寄せていく。味も食感も分からないけど、こうして紙の上に綺麗なお菓子を浮かび上がらせている間は、嫌な記憶を忘れられる気がした。
別に俺はこのケーキ屋の常連だとか、元々甘いものに目がないとか、決してそういうわけではない。
ただ、『La fraise bleue(ラ・フレーズ・ブルー)』が、五年前から母さんの勤めるパート先だから。それだけだ。
