ミッドウェー・バースデー

 それから、文系の俺は文系を、理系の桧琉は理系を教え合ったりして、食堂での勉強会はまあまあ続いた。相変わらず腹も減らないし眠くもならないから、意外と集中力が持つのだ。それは桧琉も同じなようだが、次第に“飽き”がやってきて、問題を解く俺の手元をちょんと(つつ)いてくるようになった。

「……そろそろ休憩する?」
「うーん、疲れてはいないんだけど。なんか別のことがしたい」
「例えば?」
「あ、トランプとか! オレ部屋から持ってくるよ」

 思いついた途端、俺が賛同する間もなくいなくなる桧琉。一人になった俺は久しぶりに伸びをして、勉強道具を片付け始める。
 しかしそのとき、身体に違和感を覚えた。突如経験したことのない強さで、背中にヒリヒリとした痛みが走るのだ。気になりだしたら止まらなくて、試しに搔きむしってみるが良くならない。蕁麻疹(じんましん)でも起こしているのだろうか。

「……あれ? どうした文世」

 トランプを手にして戻ってきた桧琉は、すぐに俺の異変に気付いて駆け寄ってくる。

「どっか辛い?」
「なんか、背中全体が……さっきまで集中してて気付かなかったのか、急に痛くて」
「背中か。ちょっと見てもいい?」

 声色こそ優しいが、俺が答えを渋っている隙に後ろに回り、手早く上の服を捲られた。多分こういうときは大人しく従うのが一番だ。

「あぁ、本当だ。なんか肌が赤いし(ただ)れてるっていうか……痛いって、具体的にどんな感じ?」
「えっと……ヒリヒリ、する。分かんないけど──火傷(やけど)したときみたいな」

 自分で説明しておいて、イスに座ってしばらく勉強していただけでそんなことになるわけはないと冷静になった。けれど思いのほか桧琉は、「なるほど」と納得したような声を出す。

「……確かに、言われてみるとそれが一番近い。酷い火傷っぽくも見える」
「ほ、ほんとに?」
「うん。でもどうしてこんな──」

 そこで急に言葉が途切れたので桧琉の方を振り返った。考えごとでもしているのか、その瞳からふっと光が消えているように見えて、心配になり名前を呼ぶ。

「桧琉?」
「あぁ、うん」
「そんなに酷い? もう見なくていいよ」

 すると桧琉は首を振りながら俺の服をそっと直した。

「いや、オレは平気。とにかくこのままじゃ辛そうだ。冷やせば少しは楽にならないかな」
「……いいよもう」
「駄目だよ、悪化するかもしれないし。そうだ、浴場でシャワーの水を背中に当てたらいいんじゃない?」

 本当に火傷であれば冷やすというのは有効だけど、この場合はどうだろう。俺の身体なのに俺より必死に考える桧琉を「じゃあトランプ終わってもまだ痛かったらそうするから」となだめると、

「何言ってんの。オレしかいないのに我慢する必要ないでしょ」

 と、桧琉は至極真っ当のような顔で言って俺を浴場へ連れ込んだ。





「……も、いいって……自分でやるから……」
「なんで? 気持ちよくない?」
「っ、そういう問題じゃない……」
「お願い。痛くしないからオレにやらせてよ」

 二人で使うには、多すぎるイスと洗面器の数。心なしかいつもよりも広く感じる浴場に、俺たちの声だけが反響する。
 イスに座らされた俺はできるだけ身を屈めて、後ろから桧琉に冷水を当ててもらっていた。ヒリヒリと敏感だった背中の感覚は次第に紛れ、シャワーの冷たさがまるで皮膚をコーティングするかのように落ち着いていく。だけど、本当に桧琉にやってもらう必要はあるのだろうか。服は着たまま、濡れないようにズボンの裾を捲っている桧琉に比べて、俺は辛うじてバスタオルで下半身を隠しただけの姿だから小っ恥ずかしい。
 俺は鏡越しに桧琉に話しかけた。

「……なんでそんなにやりたがるんだよ」

 お湯が出ないから、その鏡は曇ることを知らずにはっきりと俺たちの顔を映しだす。桧琉は「ん?」と目線を上げた。

「だって、文世嫌がってるけど拒否してはいないだろ。今もこうやって話してくれてる」
「それは……」
「本気でオレのことが鬱陶しいなら目を逸らす」

 やっぱり話しかけなきゃよかった。恥ずかしさが更に増しただけじゃないかと、俺は冷たい水に打たれながら後悔する。こいつといると慣れないことだらけだ。

「けどさ、そんなに意識しなくていいよ。オレじろじろ見たりしないから」
「……」

 そう言われて、少し経ってから理解した。俺はさっきからずっと上半身を隠すように、腕を組んで前屈みになっていたのだ。ただ裸を見られることに抵抗があるというわけではない。腹のあたりには痣がある。それを無意識に庇っていた。

「──文世?」

 耳だけではなく、ここにも残る殴られた日々の証。俺は心地よかったはずのシャワーの温度が、すぅっと芯を冷やしていくのを感じた。
 竹中は意外と体裁を気にする奴だから、決まった場所しか殴らなかった。先生の目がある学校では何も仕掛けてこないのと同じで、殴るときも服を着ると隠れる部分だけ。耳介血腫になるくらい側頭部を狙われたのも、髪で自然と隠れて顔の代わりに殴るには最適だからだ。
 大人に知られたら悪影響が及んでしまう、進路だとか推薦だとか、俺には全く関係のない都合のために。

「文世」
「え?」

 名前を呼ばれてはっとした。シャワーの音はもう止まっていて、鏡の中には優しい顔の桧琉がいる。

「あとで髪乾かしてあげるから、オレは先出てるね。もうちょっと冷やしたかったらまだ使ってていいよ」

 意識を引き戻された俺は、気付けばコクリと頷いていた。