「おはよう、真己。起きられなくてごめんね」
「大丈夫。パン焼けたよ」
朝。トースターの完了音と共に、母がダイニングに入ってきた。
築浅のアパートの一室で、中学生から母と二人で暮らしている。母は看護師で夜勤をしている為、顔を合わせない日が続くこともある。
高校生になってバイトを始めたら尚のこと、ひとりの時間が多くなった。いつも忙しい母とこうして一緒に話せる時間は貴重だ。
「学校はどう? もうすぐ修学旅行もあるでしょ」
「あ。俺、修学旅行行かない」
「はぁ!?」
チーズをのせたトーストにかぶりついた瞬間、母はテーブルに手をつき立ち上がった。
「どうして! ま、まさか誰かからいじめられてるの?」
「そんなわけないから」
「じゃあ何で」
「……」
朝から騒がしい母を一瞥し、テレビを点ける。真面目なニュースに切り替えると、横から悲壮感漂うため息が聞こえた。
「もしかして、ひとりも友達いないの? それなら確かに仕方ないけど……」
「いる」
さすがにカチンときて即答した。すると案の定、抗議の声が上がる。
「もう〜……友達がいるなら良いじゃない」
「金が勿体ない。それに、早く帰れるならバイト行って稼ぎたいんだ」
「真己。お金は大丈夫だから、学校を優先して。学校の思い出はお金じゃ買えないのよ」
「母さんだって修学旅行行かなかったんでしょ。昔好きだったアイドルの番組観覧が当たって」
「…………」
人それぞれに事情がある。それをわざわざ訊くのは野暮だ。
干渉するのもされるのも好きじゃない。……と思っていた自分に、いつもと違う風が吹いている。
「泡瀬、この部分わからないから教えてくれ! 昼飯奢るから!」
学校の教室へ向かうと、大抵誰かが声を掛けてくる。結構話しかけづらいオーラを放ってる気がするけど、クラスメイトは気さくな奴が多かった。
「……で、後はこの数字を求めれば終わり」
「おお〜! やっぱお前の説明わかりやすいよ! サンキュー!」
お礼代わりに売店のハムカツサンドをもらった。内容は何であれ、誰かの役に立てることは純粋に嬉しい。愛想笑いは苦手だけど、なにかについて話してる時は自然体になれるから。
外廊下でパンを頬張り、スマホのシフト表を眺める。
( 今日も十六時から奈村さんとか )
学校にいるより、下手したら働く方が性に合ってる。今は大学の入学金を貯める為に働いてるけど、進学した後も働いて、いずれは家を出たい。
早く自立して、母の負担を少しでも軽くしたかった。母は、俺が入院してた時にたくさん迷惑をかけてしまったから。
「……よし」
ビニールを丸め、ゴミ箱に入れる。
とりあえず午後の小テストに集中して、終わったら速攻バイトに向かおう。
今日も、あの綺麗な先輩の隣に立てるように。
「え。……これ全部新商品ですか?」
しかし現実は甘くない。職場に着いて早々、目の前に置かれた大量の荷物に気を失いかけた。
奈村さんは無表情のまま、プリントアウトした明細を俺に手渡し、開封に取り掛かった。
「夏はスマホの新機種がたくさん発売されるから、関連商品も増える。ちなみに各モールで大型セールが重なるから一日の注文数も爆発的に増える」
「と、言うと」
「繁忙期」
ああ……なるほど。
スーパーにいた時も、土曜日の昼は死にかけてたな。でもあれは一日で終わるからまだ良い。
ネットショップのセールは一週間ほどの開催が普通で、会員専用の先行セールを含めるとさらに長かったりする。入庫作業が増えて出荷数まで増えたら地獄を見るのは明らかだ。
現に、大量の荷物の置き場の確保に頭を悩ませている。今日は売れた物から直に取り出していくことになりそうだ。
「……終わりますかね」
「終わらせなきゃいけない。始めるぞ」
奈村さんの切り替えの速さはプロ級だ。でも時間との闘いだから、俺もすぐに作業に取り掛かった。
「……あれ。赤がない」
「ん」
脚立に乗って棚を確認してると、下から赤色のケースを差し出された。
探していた注文品に間違いないことを確認し、すぐに奈村さんに振り返る。
「すみません、ありがとうございます。……あの、ちなみにこのコネクタ、規格正しいか確認お願いできますか」
「あぁ。大丈夫、合ってる」
気まずいとか話しかけづらいとか、そんなことを気にする余裕がないほど忙しい。
ようやく出荷が完了し、入庫作業に入る。俺も奈村さんも床に座り込み、商品を取り出してひたすら検品をしていった。
「タイプC充電ケーブルが百個……スマホリングが各色二十個……USB変換アダプタの仕様違いが全部で六種類、各五十個……」
奈村さんが怖いから本当は静かにしたいんだけど、若干パニクってて声に出さないと数えられない。心配だから結局二回は数え直すし、時間ばかり過ぎていく。
これ、今日はどこで切り上げるつもりだろう。不安になって奈村さんの方を盗み見見ると、彼は胡座をかきながらタブレットで数を打ち込んでいた。
地道な作業が一番の近道。彼を見てるとそう思う。
( 続きやらなきゃ…… )
視線を目の前に戻し、再び商品を取り出す。そのとき、傍に積み上げていたスマホケースの山に肘が当たってしまった。
「わわ!」
慌ててケースを支えようとしたが、バランスを崩して倒れてしまう。でも痛みはなかった。
また背中に手が回り、奈村さんの胸に飛び込んでいたから。
「すっすみません!」
すぐに起き上がろうとしたけど、息が当たりそうな距離に彼の顔があることに気付き、固まった。
( ち……近……っ )
綺麗な瞳と、わずかに開いた薄い唇。
美の暴力だ。視線だけで相手をフリーズさせる力がある。
動かなきゃいけないのに、頭の中が真っ白になってる。
「あ……あの……」
「……」
困惑しながら見上げていると、ようやく起こされた。彼は少しずれた眼鏡を持ち上げ、俺の横に視線をスライドする。
「あ。本当にすみません。傷ついてないか確認します」
倒してしまったのは新商品だ。発注をかけてもまたすぐに来るとは限らない。ひとつひとつ丁寧に見ながら箱に戻していく。
「商品はともかく」
「は、はい」
「……怪我しないように」
彼は方向を変え、再び作業を始めた。
……。
何だ。さっきから胸が苦しい。
隣り合った体勢から、互いに背を向ける。顔が見られずに済むのが救いだったけど、すぐに心臓が跳ねた。
「……っ」
背中合わせで、彼の熱が当たる。
狭い空間だから仕方ない……と言うには、あまりに全身が火照っていた。
何でこんなにどきどきするんだろう。
俺はやっぱ頭がおかしいのかもしれない。同じ男を、異常なほど意識している。
彼は先輩で、同僚で……それ以上のことは何も知らない。
知るべきじゃない。そう思うのに、彼の視線に脳を焼かれる。
「あつ……」
あまりに暑くてジャンバーを脱いだ。すると彼はこちらに少し振り返り、傍にあったハンディファンをくれた。
「それもウチの商品」
「わ。ほんと何でもありますね」
レベルを「強」にして顔にあてる。中々涼しくてホッとした。
「あは。生き返る」
「良かったな」
「奈村さんも、ほら。涼しいですよ」
彼の方にファンを向ける。長めの前髪が持ち上がり、彼の表情がよくわかった。
……何か、彼も顔が赤いような。
不思議に思って身を乗り出す。薄暗い倉庫だから、頬だけ赤く見えることはないはずだ。
熱でもあるんじゃないだろうか。心配になってると、額を手で押し返された。
「こら。近い」
「うっ。すみません……」
自分だって、さっきは鼻先まで顔を近付けてきたくせに。
ちょっと理不尽だと思いながら、床に片手をつく。奈村さんは俺の前髪を手で整えながら、目を細めた。
「今日はここまでにするか」
「え。良いんですか?」
「充分やった。明日のメンバーにも手伝ってもらう」
そうか。確かに、何が何でも俺達だけでやることもないか。
時にはちゃんと助けを求めないと。……彼がそうしてくれたことも少し嬉しくて、頷いた。
「わかりました。お疲れさまです、奈村さん」
「……お疲れ」
彼は先に立ち上がると、手を差し伸べた。
そんなことをするとは思わなかったので、ちょっとビビった。と同時に可愛く思えて、笑ってしまう。
「疲れた?」
「いえ。……回復しました」
彼の手を取り、立ち上がる。急上昇した視界は相変わらず情報過多で、暇しない明日を象っていた。



