初恋ストックルーム



少なくとも、ここでは俺の方が笑顔を振り撒いてる。低い声で即答すると、彼はまた声もなく笑った。俯き、懐かしそうに目を細める。
「親父が病気してから、部活も恋愛もやめた」
「……お父さん、大丈夫なんですか?」
「あぁ、今年の始めに退院できた。つってもまだ通院生活だから、少しでも稼いで家計の足しにしたい」
訊けば、奈村さんのお父さんは経営者だったそうだ。でも二年前に経営不振で会社を畳み、直後に持病が発覚したらしい。
( 何故か辛いことって重なるよな )
自分も似たような経験があるからわかるけど、奈村さんは想像以上に壮絶な生活を送ってそうだ。
でも彼はどことなく品が良いから、色々納得できる部分もあった。
「ウチの社長には感謝してる。仕事量はイカれてるけど、高校生がもらう給料じゃないから」
「……奈村さんは社員さん同然ですよ。違いなんて、ほとんど社保に入ってないだけじゃないですか」
「お前もだろ。夏休み中なら有給とってる社員より働いてる」
奈村さんの前髪が揺れ、目元に淡い影を落とす。
……やっぱり、彼が強いのは理由があった。
若くても背負ってるものがある。自分が倒れたら、一緒に倒れてしまうひとがいるから。
その背中を支えたいと思ってしまうのは、俺のエゴだろう。

「奈村さんも……寄りかかってください」

パソコンをゆっくり閉じ、彼を正面から見据えた。
「職場だけの関係。って楽ですけど……尊敬してる人の力になれないのは、やっぱちょっと、悲しいんで」
「……」
本当は、近付き過ぎない方が上手くやっていける。
それでも、それじゃ嫌だと叫ぶ自分がいる。初めて出会った、尊敬できる先輩。そして、好きなひとだから。
「脚立と一緒です。支え合えば、大抵のことは乗り切れる」
左右の人さし指をくっつけ、八の字をつくる。それを見て、奈村さんは子どもみたいにあどけない顔で笑った。
「そこは“人”の漢字は〜って言うところじゃないか?」
「あれはほら、左のひとだけ寄りかかって、右のひとが支えてるんで」
「ふはっ」
暗く、音が死んでいた倉庫。そこに今、温かい笑い声が響いている。
入ったばっかの頃の俺に教えてあげたい。絶対信じないと思うけど……あの仏頂面の先輩は、こんなにも表情豊かで、優しいひとなんだって。


職場の最寄り駅は、平日でも仕事帰りのひとで賑わっていた。ビルのワンフロアに入った焼肉店で乾杯し、主役ということで高めの肉を焼いてもらった。
「ほら、高校生組はお酒飲めない分どんどん食べて!」
「あ、ありがとうございます」
今日は社長も参加して、十数人で乾杯した。社長含め皆フレンドリーだから、和気あいあいとしてる。行く前はちょっと不安だったけど、始まってしまえばすごく楽しかった。
仕事って、嫌なことだけじゃないんだ……。
「泡瀬君はほんとすごいよ! もう絶対手放せない!」
「そーそー。パソコンも強いし……奈村君が大事に育てたのかと思ったけど、やっぱ自分で育っていったみたいだね」
「あはは……」
それは合ってる。奈村さんは放任主義だから、皆勝手に育っていきそうだ。
「奈村君も、泡瀬君みたいに仕事できて愛嬌ある後輩は可愛いでしょ〜」
「……そッスね」
「いやっ俺全然愛想よくないんで……」
本当に、彼の隣にいるから何とかなってるだけだ。会話が見つからないし、焼ける肉の面倒を見ることしかできない。縮こまってると、前に座る岡部さんがニヤけながらトングを翳した。
「奈村君は最初から褒めてたよ。泡瀬君は努力家で、向上心があって、ミスも隠さず報告するって」
いや、ミスは報告するって。と思ったら、以前いたバイトは徹底的にミスを隠蔽するタイプだったらしい。おかげでトラブル続きだったとか。
というか、本当に褒めてくれてたのか?
最近はともかく、最初の頃は全然そんな素振りなかったのに……。
「結局誠実で素直なのが一番ってこと! ね、奈村君」
「……ッスね……」
隣からはもう息遣いみたいなものしか聞こえないけど。
地味に嬉しくて、焼けた肉をどんどん奈村さんの小皿に乗せていった。
皆「面倒見いい〜」と笑っていたけど、彼が今日ここに来てくれたことも感謝してる。これぐらいはしてあげたい。
奈村さんはタブレットを取り、社長を一瞥した。
「社長、アイスの盛り合わせ頼んでもいいですか。……泡瀬の分も」
「おー、いくらでも食べな!」
……。
しかし、逞しい。またの名をちゃっかりしてる。肉もデザートもたらふく食べて、全部社長持ちとは有り難い。社長や社員の人達にお礼を言い、駅前の広場で別れた。

が、ここで特大アクシデント。

「うぷ……っ」
「おい、大丈夫か?」

美味しくて限界まで食べたこと。あと普段吸わない煙草の煙とアルコールの匂い。色々なものが重なり、すこぶる気持ち悪くなっていた。
広場のベンチに腰掛け、口元を押さえながら奈村さんを見上げる。
「すみません……俺ちょっと休んでから帰るので、奈村さんは帰ってください」
「あほ。そんな状態で置いてけるか」
奈村さんはため息混じりに俺の隣に座った。大丈夫だと言ってるのに、配車アプリを立ち上げてる。
「最寄り駅教えて」
「いやいや……電車で帰れますから」
「何駅?」
……。
何というか……本当にこのひと、押しが強いな。
普段はあれほど無干渉に努めてるのに、何で俺に対してはこんなに強引なんだろう。
瞼を伏せ、倒れるように前傾する。

「はぁ……っ」

舞い上がりそうになるから、やめてほしい。

闇夜に浮かぶ明かり。街路樹を抜け、閑静な住宅街に降り立つ。
奈村さんがタクシーを呼んでくれたおかげで、無事家の近くに戻ってこられた。この頃にはすっかり気分も良くなっていたけど、そわそわは絶頂に達していた。
「奈村さん、お金」
「いい。弁当もらってるし」
財布を出そうとしたものの、手を止められる。彼は辺りを軽く見回し、踵を鳴らした。
「……ここからはひとりで帰れる?」
「はい……」
でも俺は、奈村さんの最寄り駅を知らない。ここから彼の家までどれぐらいなのか。未成年が歩くには時間も遅いし、本当はまたタクシーを呼んで帰ってほしいぐらいだ。
色々考えて帰ろうとしなかったせいで、奈村さんは神妙な顔で腕を組んだ。
「どうした」
「いや、その……送ってくださってありがとうございます」
恭しく頭を下げると、彼はわずかに微笑んだ。
「じゃあ、気をつけて」
「あ……奈村さんも」
背を向け、歩き出す彼の後ろ姿を見つめる。潮の満ち引きみたいだ。
急速に冷めていく熱と、今にも爆発しそうな燃料がせめぎ合ってる。頭と心の中がぐちゃぐちゃで、その場に蹲ってしまった。
「……っ」
やっぱり変だ。別れただけで、こんなに寂しいなんて。
瞼を強く瞑り、膝に顔をうずめる。不審者だと思われたら困るから、すぐに立ち上がろうとしたけど。
「泡瀬!」
頭上から振りかかった声に驚き、顔を上げる。……まさか。
「奈村さん……どうしたんですか?」
「それはこっちの台詞だ。ったく……やっぱりまだ気持ち悪いんだろ」
彼は呆れながら俺の腕と腰に手を添え、立ち上がらせた。
「家まで送る」
「うえっ。だ、大丈夫ですよ! 奈村さんのお父さんが心配します」
「平気。今日は叔母が来てるから」
……っ。
駄目だ。甘えたら。
今彼に寄りかかってしまったら、自分の足で立てなくなる。
大丈夫だって突き放さなきゃ。
「泡瀬」
彼の手のひらが額にあたる。前髪を持ち上げられ、そのまま顔も上げさせられた。
絶対情けない顔をしてるから、見られたくなかったのに。奈村さんは苦しそうに顔を歪め、俺の頭に手を置いた。

「お前に何かあったら、耐えらんないから。……ちゃんと送らせてくれ」