初恋ストックルーム




「これは洗って返す」
「や、大丈夫です。ていうか」
バッグに入れようとした彼の手を止め、震えそうな声を絞り出す。

「め……迷惑じゃなければ。夏休み中は、俺が弁当作ります」

やばい。
顔が火照って倒れそうだ。自分が今どんな顔をしてるのかわからなくて怖い。
案の定、奈村さんはめちゃくちゃ驚いた顔をしてるし。
「あ。その、母の分もあるから、どの道弁当は毎日作るんです。一個増えたところで、手間も材料費も変わらないから心配しないでください」
言い訳の羅列。いや、事実なんだけど、やたら早口になってしまった。コミュ障丸出しの自分が恥ずかしい。
軽く死にたくなってると、奈村さんは頬にかかった前髪を鬱陶しそうに持ち上げた。

「……お前、ほんとすごいな」
「な、何故」
「俺みたいなのに、そんな必死に関わろうとして」

……。
それは、褒められてると受け取っていいのか?
そんな単純なものではない気がしたから、弁当箱を受け取って鞄に仕舞った。
「……いえ。多分、奈村さんだからです」
俺は以前と確実に変わった。変えてくれたのは、彼だ。
「ひとと上手く付き合うことが苦手で……笑うのも苦手です。前の職場では笑わな過ぎて、感情がないんじゃないかとも言われました」
「……」
陰口を叩かれるより、ミスを押しつけられるよりキツかった言葉。声に出したら、また胸のあたりが熱くなった。

「人見知りで、臆病で……そんな俺と話してくれる、奈村さんも相当すごいんですよ」
「泡瀬」

ソファが軋む。向かい合わせで座っていた奈村さんは、ローテーブルを回って俺の隣にどかっと腰を下ろした。

「ここにはお前を傷つける奴はいない。もしいたとしても、俺が絶対守る」
「奈村さん……」
「大丈夫。だから安心して寄りかかってこい」

優しく髪を梳かれる。俺を撫でる手つきも、俺を見る眼差しも、すごく温かかった。
「う……」
初めて会った頃の冷たい印象を思い出したい。そうしないと、おかしくなってしまう。
これはもしかして……。
左胸を押さえ、彼から顔を逸らす。爆音を鳴らす心臓を鎮めるために、残りのほうじ茶を飲み干した。
本気でまずいかもしれない。

俺、奈村さんのこと好きになってる?
男に……職場の先輩に懸想してるなんて。許されないし、あっちゃいけない。
下手したら、ここまで築き上げた関係を一瞬で壊してしまう。

絶対駄目だ。……気付かれる前に、この気持ちは殺さなきゃ。
「米ついてる」
「あふぁっ!」
しかし早速顔を近付けられ、変な声を上げてしまう。米粒をとった奈村さんは可笑しそうに吹き出した。
「お前、静かなくせに時々すごい大声出すよな。集荷もれした時も、すごく面白かった」
「全然面白くありませんて……!!」
俺は寿命が三年は縮んだ。頬を膨らますと、彼はにやにやしながらソファの背に頬杖をついた。
「今仕事が一番楽しいよ。お前がいるから」
「……っ」
だから、そういう嬉しいことを軽々しく言わないでくれ。
このひと、無自覚で人たらしだ。どんどんわかってきて後悔し始めている。
( やば…… )
惚れちゃいけないタイプに惚れてしまった。

弁当を作る約束をした日。────それは、彼に対し恋心を自覚した日になってしまった。





俺は性別云々の前に、明確な恋愛感情を持ったことがない。
中学までは病院生活だったし……中学に上がってからは遅れを取り戻そうと、勉強に全振りだったし。高校に上がってからはバイト一筋。
恋愛をする暇がなかった、という方が正確かもしれない。だから今、人生史上一番困惑している。
『泡瀬〜。今度夏祭りに行こうって話してんだけど、クラスの女子達がお前を呼んでほしいって言ってんだ。お前告られる確率超高いから、来てくれない?』
「……」
バイトの休憩中、クラスメイトの向井から電話が掛かってきた。正直、苦手な方の誘いだ。ローテンション故、大人数でわいわい騒げない。話を盛り上げるどころか、そもそも話に入れず終わると思う。
そして、それを見越して断れるならいいのに。
「……考えとく」
『サンキュー! それじゃ、時間決まったらまた連絡する!』
通話が切れ、ついため息をついてしまった。傍にいた奈村さんが、珍しく口を開く。
「……遊び?」
「はい。でも、話したことのない子もたくさん来る予定で……俺はそういうの苦手だから、ちょっと憂鬱で」
商品をパウチし、検品シールを貼っていく。奈村さんは今日の出荷数を確認しながら俺に視線を向けた。
「行ったら楽しいかもしれない」
「はは、母にも似たようなこと言われました。思い出はお金じゃ買えないって」
それはもっともだ。けど俺は、思い出より未来を優先した。
「でも、行かなくても大丈夫です。修学旅行も休んだし」
「は?」
簡易包装機からパウチを取り出した瞬間、彼は俺の横にものすごい勢いで手をついた。
「ひっ」
「お前、修学旅行休んでここに来てたのか?」
「そ、そうですけど……危ないから驚かさないでくださいよ」
手元が狂ったら火傷じゃ済まない。どきどきしながら傍に佇む彼を見上げると、露骨に顔を顰めた。
何か怒ってる?
けど、俺が学校のイベントを休んだって、彼には何の関係もないはずだ。

「俺がシフトに穴空けてたら、セール中大変なことになってたでしょう。今でもやっとのことで回してるのに」
「…………」

事実を言ったまで。しかし彼は険しい顔で押し黙ったままだ。
だから怖いって。無心で商品を箱に入れていたが、今度は包装機の電源を落とされてしまった。

「何するんですか! やってる最中に電源切っちゃ駄目でしょ!!」
「次は絶対学校を優先するって約束しろ」
「はぁっ?」

何でそんな食い下がってくるんだ。俺のプライベートなんてどうでもいいだろ。
彼の意図がわからず、電源を入れようとしたが手を掴まれてしまった。
マジで謎過ぎる。意地になるところが。
「進路前でっ……毎日シフトに入ってるひとが言っても説得力ないと思います」
「………………」
俺もかなりの力で押し返そうとしてるんだけど。やはり上から押さえつける力の方が強いのか、中々振りほどけない。
くそ、この一秒一秒が惜しい。忙しいのに何でこんなことで闘わなきゃいけないんだ。

「俺に青春しろって言うなら、奈村さんの方がした方がいいですよ。三年生なんだから」
「青春? って、例えば?」
「例えば……か、彼女つくるとか」

はっ。
自分で言って、頭の中が真っ白になった。
彼女のことなんて言う気はなかった。もし、もう『いる』と答えられたらどうしよう。
心の準備ができてない。まだ、彼を諦めきれてないから。
青ざめながら見上げると、彼はため息をついた。
「俺のことはいい」
「……」
「俺は進路の次に仕事が優先だけど……お前は俺みたいになってほしくない。普通に学校生活を楽しんでほしい」
奈村さんは、恋愛事情については語らなかった。それはホッとしたけど、今度は別の感情に突き動かされる。
「俺は、成績さえキープできれば学校は二の次です。バイトの方がずっと大事だし、ここにいる方が……おっ……落ち着く」
力を抜いて、手をだらんと落とす。
彼から顔を背け、自由な方の手で口元を隠した。

「奈村さんと仕事してる方が、ずっと楽しいんです。それは、そんなにいけないことですか?」
「……お前なぁ……」

奈村さんは頭が痛そうに、自身の額を押さえた。
呆れられてそうで怖いけど、本音だ。やっと彼と一緒にいるのが心地いいと思えたのに、その時間を手放したくない。
彼も俺と同じ気持ちとは限らないから……拒絶されてしまうかもしれないけど。
口端を引き結んで俯くと、彼は近くの椅子に座り、前に屈んだ。
「俺だって……お前といられるのは嬉」
「あ! 奈村君、泡瀬君! お疲れ様〜!!」
奈村さんが話してる途中だったけど、通路の向こうから花村さんが笑顔でやってきた。
「突然ごめんね。前から泡瀬君の歓迎会やりたいねって話してたんだけど、中々できなくて……。やっと仕事も落ち着いたし、良かったら今日皆で行かない?」
「あ……」
歓迎会。何だか新鮮な響きで、学校のイベントよりそそられてしまった。

でも、奈村さんが行かなかったら寂しいかも。
俺達以外学生がいないから、話についていけるかも不安だ。こっそり奈村さんの顔を窺うと、彼は静かに息をついた。
「俺は行けます」
「ほんと! 泡瀬君は?」
「あ。じ、じゃあ俺も」
「ありがとう〜! それじゃ早速お店予約するね。今日は残業しちゃ駄目だよ!」
花村さんはルンルンで去って行った。取り残されて、恐る恐る奈村さんに声を掛ける。
「奈村さん、あの……さっきはごめんなさい。何か意地になっちゃって」
説教とまではいかないけど、反抗心が生まれてしまった。母含め、歳上の言うことは素直に聞くべきだったのに。
膝に両手を乗せて俯くと、頭をぽんぽんと叩かれた。
「……お前の気持ちもわかる。こっちこそ頭ごなしに言ってすまない」
「いえ……とにかくお金貯めることで焦っちゃって」
「だよな」
彼はパソコンに向き直り、薄く笑った。
「俺も、昔はそうだったことを思い出した」
「……そうなんですか?」
「ああ。でも、お前の方が尖ってたかも」
「それは絶対ないです」