雨宿りみたいな、恋でした。



 メダル作りがない日の放課後、舞香と一緒に買い物に出かけた。舞香は新作のコスメ目当て、わたしは新しい交流ノート目当てだ。
 今のノートがなくなったら、すぐ新しいノートに引き継ぎしたい。ノート売り場でどれにするか悩んでいると、買い物を終えた舞香がわたしの背後にやってきた。
「ノート一冊選ぶのに、何時間かけてんの」
 揶揄するように笑って、脇腹を小突かれる。
「今、決めたとこ」
 手にした淡いピンクのノートを舞香に見せた。
「あ、可愛い」
「ちょっと待ってて、買ってくる」
 舞香を売り場に残し、レジに向かう。
 レジの横にバレンタインコーナーがあって、ドキッとした。バレンタインまで後三日だ。
 会計を済ませて舞香の元に戻る。舞香が「なんか飲もうよ」と言ったので、近くのファストフード店に入った。
 オレンジジュースを一口飲んでから、さりげなく舞香に訊ねてみる。
「舞香さ、もうバレンタインのチョコ買った?」
 舞香には二歳年上の彼氏がいる。バイト先で知り合った大学生だ。わたしも何度か顔を合わせたことがある。真面目で礼儀正しい人だ。
「買った買った。去年は気合い入れて手作りしたら大失敗したから、今年は無難に買った」
 舞香が飲み物を飲む手を止めて、わたしを見た。ニヤリ、と口端を上げる。
「美雨は? 買わないの?」
 ギクッと肩を跳ね上げた。すーっと視線を逸らし、「……買わない」と零す。自分でもびっくりするくらい、弱々しい声だった。
「買えばいいじゃん。例の元町先輩だっけ? 受け取ってくれると思うけど」
「だから、そんなんじゃないんだってば」
「はいはい。でもさ、別に本命チョコ以外渡しちゃいけない決まりなんてないじゃん。義理チョコでもいいわけでしょ?」
「ぎり、ちょこ」
 思わず片言になる。義理チョコなんて、考えてもみなかった。
「友チョコだってあるし、自分用に買う人だっているよ? 仲良くしてくれて嬉しいです、の気持ちを込めたチョコでもいいじゃん」
「……確かに……」
 舞香の話術にすっかり納得させられかけている。
「メダル作り、結構手伝ってもらったんでしょ?」
「うん。先輩、すごく器用だから。いろいろ教えてもらったし、いっぱい手伝ってもらった」
「なら、そのお礼、みたいな感じでさ。さらーっと渡しちゃえば?」
 メダル作りはもう終盤に差し掛かっている。あと一回か二回、放課後に残ればそれで作り終えるだろう。
 予定では明日と明明後日に作る予定で、明明後日はバレンタイン当日だ。
「とりあえずさ、見にいくだけ行こうよ。後、あたしと友チョコ交換しよ」
 舞香の提案に、結局頷いていた。
 ファストフード店を出てから、もう一度先ほどの店に戻り、バレンタインコーナーを見て回る。
 色とりどりのチョコレートが棚いっぱいに並んでいた。たくさんの女性たちがあれこれ手に取りながら選んでいる。
「可愛いチョコ、いっぱいある……」
「でしょ? あたしは彼氏用は面白みのない普通のチョコ買ったからさ、美雨用は振り切って可愛いやつ選んじゃお」
 舞香はそう言って、反対側の棚に移動した。
(舞香用のは、わたしも可愛いの選ぼう)
 商品の中にはどう見ても女の子向けでは? と思うような、リボンやフリルがあしらわれた可愛らしいものが結構ある。
 自分で買う人もいる、と舞香が言っていたけれど、なるほどと思った。わたしもこの可愛さなら自分用に買いたい。
(あからさまに本命! みたいなのは避けたい……かと言ってウケ狙いもナシ。可愛すぎるのも先輩困っちゃうかもしれないし……)
 ああでもないこうでもない、と棚を見ながらぐるぐるコーナー内を歩く。
 見ているうちに舞香用のものは決まった。クマの缶にチョコが詰まっていて、すごく可愛い。
 一番左側、真ん中の棚に目が留まった。
 それは、本型の箱の中にチョコレートが並んでいるものだった。わたしの目を引いたのは、その箱の表紙だ。海外の名画が描かれていた。
(素敵……)
 手に取ってみる。チョコレート自体はシンプルなミルクチョコレートだから、人を選ばないはずだ。
 何よりこの箱がいい。綺麗だし、食べ終えた後も取っておける。
(……これに、しようかな)
 値札を確認した。押し付けがましくない絶妙な値段、……だと思う。
 これくらいなら、負担にならないかも。
 これくらいなら、迷惑にならないかも。
 舞香用のチョコと共に、思い切ってレジに向かった。先に選び終えた舞香がレジの近くでピースサインをする。
 わたしもこそっとピースを返した。
 翌日の放課後は、いつも通りにメダル作りに集中した。
 ちょうど五十五個を作り終えたところで、下校の時間になる。
「念のための予備を五個作るとして……後十個か。予定通り、次で無事に終わりそうだな」
 先輩が作ったメダルを数えながら言った。
 次、……つまりバレンタインの日に作り終える計算だ。
(ちゃんと渡せるかな……)
 先輩の言葉に「後少し、頑張りましょうね」と応えながら、チョコレートのことばかり気になった。
 ──とうとう迎えたバレンタイン当日。
 放課後になると、まるで手と足を同時に出しているかのようなギクシャクとした足取りで、別室教室に向かう。
 先輩は既に先に来ていた。軽く手を上げてくれたので、会釈してから近づいていく。
 卓球台を作業台にした、ふたりだけのこの時間も今日で終わりだ。
 顔や声を知らず、文字のやり取りだけだった元町先輩に、初めて会った時はとても緊張した。
 今もまだ緊張はするけれど、それよりも、「この時間が長く続くといいのになあ」と思う気持ちのほうがずっと強い。
 ひとつずつ、ゆっくり、丁寧にメダルを作った。先輩が描いた飾り枠はやっぱりすごく綺麗だった。最後のひとつを、先輩がわたしに差し出す。
「最後。豊里さんが塗ってよ」
「え、わたしがですか? はみ出しちゃいますよ」
 焦って顔の前で手を振った。先輩は「はみ出してもいいよ、大丈夫」と笑う。
 カラーペンを取り、慎重に色を塗った。
 先輩がわたしの手元をじっと見つめているのがわかる。
 ことりことりと心臓が鳴って、先輩に聞こえてしまうんじゃないかと思った。
 案の定、少しはみ出してしまったけれど、何とか塗り終える。先輩は「うん、いい出来だ」と言ってくれた。
「終わったなあ」
「終わりましたね」
 ふたりで息をつく。先輩が両手を上げて伸びをした。
「豊里さん、お疲れ様」
「先輩もお疲れ様でした」
「さて、じゃあ片付けるか」
 先輩の声を合図に材料を片付けていく。頭の中はカバンに忍ばせたチョコレートのことでいっぱいだ。
(どうやって渡そう……、何か自然に渡せるきっかけないかな)
 帰る直前に、お世話になりました、と言って渡すのはどうだろう。
 ああ、さっき「お疲れ様でした」って言った時に、さっと渡せばよかったのかも。
 ばくばくと鼓動が早く脈打つ。指先が冷たい。緊張しすぎているとわかっていても、自分ではどうにもできない。
 ぎゅっと目を閉じてから、顔を上げてカバンに手をかけた時だった。
 教室の扉がガラリと開く。体育の先生だった。
「ご苦労様、そろそろ作り終わったか?」
 先輩がメダルを掲げて「ナイスタイミングです」と応える。
「頼んだのはこっちだけど、すごい量だなあ。ふたりとも、ありがとうな。助かったよ。元町、それ職員室まで持ってきてくれるか」
「わかりました」
 そう言うと先輩は作ったメダルを両手で抱えた。半分を先生が持ち、わたしを振り返る。
「じゃあ豊里さん。気をつけて帰って。またね」
 何も言えないまま、ふたりの背中を見送った。
 わたしのカバンの中には、チョコレートがぽつんと取り残されている。
(……渡せなかったな)
 もっと早く、勇気を出しておけばよかった。
 教室の扉をただぼんやり見つめる。
 小さくない後悔が、徐々に寂しさを連れてくる気がした。