7
別室教室での元町先輩とのメダル作りは、思っていたよりも順調に進んだ。
最初は六十個なんて多すぎると思ったけれど、先輩が器用なのもあってスムーズに作れた。作れてしまった、というべきかもしれない。
一日八個から十個ほど作れるので、七日ほどかかる計算だ。一日置きに作っているので、期間にして二週間くらい。
一回目はわたしが緊張していたせいでほとんど作れなかったけれど、三回目になると作業自体には慣れてきた。
元町先輩はずっと優しかった。些細なことでちょっと揶揄われたりすることもあるけれど、わたしはそれが嫌じゃなかった。
何より、先輩の声がわたしには心地よく聞こえる。
低めで、聞き取りやすい声。それでいてとても澄んでいた。
放課後の作業が始まっても、交流ノートは続いた。
それまでみたいに少しお互い遠慮しながら、ではなく、『好きな食べ物はなんですか』『最近観た映画は?』などなど、知りたい、と思うことを聞けるようになった。
先輩は必ず返事をくれるし、その返事にわたし宛の質問も書いてくれる。ふたりともあれこれ書き込んでしまい、ノートは早いペースで残りが寂しくなった。
四十個を作り終えた放課後、元町先輩が大きく伸びをして「結構進んだなあ」と言った。
「半分以上終わりましたもんね」
「豊里さん、最初は作るの大変そうにしてたけど、すっかり早くなったね」
「コツを掴んだ気がします」
ぐっと小さくガッツポーズを作る。その時、教室の扉が開いた。体育の先生だった。
「おー、やってるな。ありがとうな、二人とも」
卓球台の上に並んだメダルを見て、先生は「上手いなあ」と感嘆の声を上げる。
「差し入れだ」と先生が缶ジュースを手渡してくれた。ありがとうございます、と受け取る。
先生はメダルのひとつを手にして、先輩に視線を移した。
「元町はやっぱり絵が上手いな。美術関連の進学とか考えてるのか?」
「どうですかね……、気持ちはあるけど」
「春からは三年だからな。しっかり考えて、進みたい道を決めたらいい」
先生は微笑んでから、「あんまり遅くならないようにな」と言って教室を出て行った。
少し教室内の空気が変わった。先輩はジュースを一口飲んでから口を開く。
「豊里さんは、進路とか決めてる?」
ちょっとだけギクリとした。漠然と「なれたらいいのに」と思う職業はある。だけどそれはわたしには難しい。
誰にも話したことのない、その話をすべきなのか。それとも当たり障りのないことを言ったほうがいいのか迷う。
(……でもわたし、先輩に嘘は言いたくない。それに、先輩になら話せるかも)
ぐっと顎を引いてから、ぽつりと呟くように声を落とした。
「……本当は、お芝居の勉強をしてみたいって思ってます」
元町先輩が意外そうに目を丸くしたのがわかった。
「中学の時、体育祭でアナウンス係をしたんです。競技には出られないから。緊張したけど楽しかったんです。終わった後、いろんな人から聞き取りやすい声だねって褒めてもらえて、それも嬉しかったです」
子どもの頃から本を読むのが好きだった。普通は親が読み聞かせしてくれるけれど、わたしの場合は声に出して読むのも好きだったから、わたしが音読して、お母さんが聞いてくれる、ということも多かった。
あの時の楽しさを、アナウンス係は思い出させてくれて、それ以来ぼんやりとではあるけれど、「お芝居の勉強をしてみたい」と思うようになった。
勿論、現実的に厳しいことはわかっている。高校には演劇部もあるけれど、部活中にグラウンドを走っているのを見たことがあった。文化部の中でも体力が必要な部なのだと思う。
それに、お芝居の勉強といってもそれが将来に繋がるわけじゃない。進路希望に「芝居の勉強がしたい」と書いたって笑われるだけだ。
元町先輩、呆れたかな。
そんなの進路じゃないって言われちゃうかな。
少し身構えて反応を待っていたら、先輩は「いい夢だなあ」としみじみした声で言った。
「……え、……いい夢、ですか?」
「うん。豊里さんの声、綺麗だもんな。演劇を習うってなったら劇団とか、後は……専門学校とかあるのかな。芸大にも演劇専攻、あるよね」
呆れられるどころか、先輩は目を輝かせて次々選択肢を口にしていく。わたしのほうが面食らってしまった。
だからつい、言葉が漏れた。
「……でも」
「? でも?」
「……でも、わたしには難しいです。演劇って体力がないと駄目だから」
口にしてから、余計なことを言ってしまった、と後悔した。
こんなことを聞かされたら、先輩が嫌な気持ちになってしまうかもしれない。
謝ろうとした時、先輩が「うん、俺もそれよく思う」と言った。
まるで、明日の天気の話をしているような、本当に何でもないことみたいに、あっさり言われたので、今度はわたしが目を丸くする。
「子どもの頃からさ、あれはダメこれはダメって言われてきて、もうそれが身体に染みついてるんだよな。みんなと同じことはできない、それを受け入れて生きていくしかないって」
先輩は窓の外に目を向けながら続けた。
「あんまりこんな言い方はしたくないんだけど、低スペックなのは間違いないわけでしょ? パソコンでいえば、OSが古いというか」
「……すごく、よくわかります」
「だよね。羨ましいし、妬ましいなって気持ちはずっとある。けど、じゃあ古いOSには価値がないかって言われたらそんなことはないって思うんだよ。そのOSにしかできないこともあると思うから」
先輩と目が合った。「できる範囲の中で頑張るってのは、間違ってないと俺は思うよ」と瞳を細める。
「逆にいえば、新しいOSだからって使い方がわかってないならもったいないとも思う。……って偉そうに言ってるよな、俺」
「そんなことないです!」
慌てて首を左右に振った。先輩はそんなわたしを見て、「首取れそう」と笑う。
「俺もさ、悩んでる」
先輩が真剣な眼差しで言葉を紡いだ。
「俺、美大に行きたいなってずっと思ってるんだけど、豊里さんと同じように体力的に難しいかなって思ってる。俺の場合、またいつ手術になるかわからないしね」
手術という言葉に、胸がざわざわと揺れた。わたしは手術の経験がないから、先輩の気持ちをきちんと理解できない気がして歯痒い。
それでも、「同じように」と言ってくれた先輩の気持ちに寄り添いたい、と思った。
「悩みますよね……。でも、わたし、今思い出しました」
「何を?」
「先輩、別室体育のことを雨宿りみたいなものだと思ってるって言ってたじゃないですか。進路もそうなのかもって思ったんです」
真っ直ぐに先輩の瞳の中を見つめて、ゆっくり言葉を伝える。
「人生には雨宿りする場面が誰にでもある。雨宿りの回数がわたしたちみたいに多い人もいる。でも、雨は絶対いつかは止みます。だから、雨宿りして、止んだら外に出て、また雨が降ったら屋根のあるところで一休み。そうやって人生は続いていくのかなって」
大学にしても専門学校にしても、決められた年数で卒業する必要はない。
途中でどうしても離脱することはあるだろう。
だけどそれを理由に最初から諦める必要なんか、本当はどこにもないのかもしれない。
先輩が言うように、古いOSは新しいOSよりも処理に時間はかかる。でも、時間がかかるだけだ。
ゆっくりやってもいい。できないことはできる範囲でやればいい。
先輩はわたしの目を見つめ返すと小さく頷いた。
「本当だなあ……、雨宿りしない人なんていないもんな。俺たちは人より回数は多いけど、雨が止む隙間はゼロじゃない」
澄んだ声でそう呟く。
それは小さな、でも確かな決意のように思えて、わたしは先輩の横顔を見つめて思った。
先輩と出会えてよかった、と。
別室教室での元町先輩とのメダル作りは、思っていたよりも順調に進んだ。
最初は六十個なんて多すぎると思ったけれど、先輩が器用なのもあってスムーズに作れた。作れてしまった、というべきかもしれない。
一日八個から十個ほど作れるので、七日ほどかかる計算だ。一日置きに作っているので、期間にして二週間くらい。
一回目はわたしが緊張していたせいでほとんど作れなかったけれど、三回目になると作業自体には慣れてきた。
元町先輩はずっと優しかった。些細なことでちょっと揶揄われたりすることもあるけれど、わたしはそれが嫌じゃなかった。
何より、先輩の声がわたしには心地よく聞こえる。
低めで、聞き取りやすい声。それでいてとても澄んでいた。
放課後の作業が始まっても、交流ノートは続いた。
それまでみたいに少しお互い遠慮しながら、ではなく、『好きな食べ物はなんですか』『最近観た映画は?』などなど、知りたい、と思うことを聞けるようになった。
先輩は必ず返事をくれるし、その返事にわたし宛の質問も書いてくれる。ふたりともあれこれ書き込んでしまい、ノートは早いペースで残りが寂しくなった。
四十個を作り終えた放課後、元町先輩が大きく伸びをして「結構進んだなあ」と言った。
「半分以上終わりましたもんね」
「豊里さん、最初は作るの大変そうにしてたけど、すっかり早くなったね」
「コツを掴んだ気がします」
ぐっと小さくガッツポーズを作る。その時、教室の扉が開いた。体育の先生だった。
「おー、やってるな。ありがとうな、二人とも」
卓球台の上に並んだメダルを見て、先生は「上手いなあ」と感嘆の声を上げる。
「差し入れだ」と先生が缶ジュースを手渡してくれた。ありがとうございます、と受け取る。
先生はメダルのひとつを手にして、先輩に視線を移した。
「元町はやっぱり絵が上手いな。美術関連の進学とか考えてるのか?」
「どうですかね……、気持ちはあるけど」
「春からは三年だからな。しっかり考えて、進みたい道を決めたらいい」
先生は微笑んでから、「あんまり遅くならないようにな」と言って教室を出て行った。
少し教室内の空気が変わった。先輩はジュースを一口飲んでから口を開く。
「豊里さんは、進路とか決めてる?」
ちょっとだけギクリとした。漠然と「なれたらいいのに」と思う職業はある。だけどそれはわたしには難しい。
誰にも話したことのない、その話をすべきなのか。それとも当たり障りのないことを言ったほうがいいのか迷う。
(……でもわたし、先輩に嘘は言いたくない。それに、先輩になら話せるかも)
ぐっと顎を引いてから、ぽつりと呟くように声を落とした。
「……本当は、お芝居の勉強をしてみたいって思ってます」
元町先輩が意外そうに目を丸くしたのがわかった。
「中学の時、体育祭でアナウンス係をしたんです。競技には出られないから。緊張したけど楽しかったんです。終わった後、いろんな人から聞き取りやすい声だねって褒めてもらえて、それも嬉しかったです」
子どもの頃から本を読むのが好きだった。普通は親が読み聞かせしてくれるけれど、わたしの場合は声に出して読むのも好きだったから、わたしが音読して、お母さんが聞いてくれる、ということも多かった。
あの時の楽しさを、アナウンス係は思い出させてくれて、それ以来ぼんやりとではあるけれど、「お芝居の勉強をしてみたい」と思うようになった。
勿論、現実的に厳しいことはわかっている。高校には演劇部もあるけれど、部活中にグラウンドを走っているのを見たことがあった。文化部の中でも体力が必要な部なのだと思う。
それに、お芝居の勉強といってもそれが将来に繋がるわけじゃない。進路希望に「芝居の勉強がしたい」と書いたって笑われるだけだ。
元町先輩、呆れたかな。
そんなの進路じゃないって言われちゃうかな。
少し身構えて反応を待っていたら、先輩は「いい夢だなあ」としみじみした声で言った。
「……え、……いい夢、ですか?」
「うん。豊里さんの声、綺麗だもんな。演劇を習うってなったら劇団とか、後は……専門学校とかあるのかな。芸大にも演劇専攻、あるよね」
呆れられるどころか、先輩は目を輝かせて次々選択肢を口にしていく。わたしのほうが面食らってしまった。
だからつい、言葉が漏れた。
「……でも」
「? でも?」
「……でも、わたしには難しいです。演劇って体力がないと駄目だから」
口にしてから、余計なことを言ってしまった、と後悔した。
こんなことを聞かされたら、先輩が嫌な気持ちになってしまうかもしれない。
謝ろうとした時、先輩が「うん、俺もそれよく思う」と言った。
まるで、明日の天気の話をしているような、本当に何でもないことみたいに、あっさり言われたので、今度はわたしが目を丸くする。
「子どもの頃からさ、あれはダメこれはダメって言われてきて、もうそれが身体に染みついてるんだよな。みんなと同じことはできない、それを受け入れて生きていくしかないって」
先輩は窓の外に目を向けながら続けた。
「あんまりこんな言い方はしたくないんだけど、低スペックなのは間違いないわけでしょ? パソコンでいえば、OSが古いというか」
「……すごく、よくわかります」
「だよね。羨ましいし、妬ましいなって気持ちはずっとある。けど、じゃあ古いOSには価値がないかって言われたらそんなことはないって思うんだよ。そのOSにしかできないこともあると思うから」
先輩と目が合った。「できる範囲の中で頑張るってのは、間違ってないと俺は思うよ」と瞳を細める。
「逆にいえば、新しいOSだからって使い方がわかってないならもったいないとも思う。……って偉そうに言ってるよな、俺」
「そんなことないです!」
慌てて首を左右に振った。先輩はそんなわたしを見て、「首取れそう」と笑う。
「俺もさ、悩んでる」
先輩が真剣な眼差しで言葉を紡いだ。
「俺、美大に行きたいなってずっと思ってるんだけど、豊里さんと同じように体力的に難しいかなって思ってる。俺の場合、またいつ手術になるかわからないしね」
手術という言葉に、胸がざわざわと揺れた。わたしは手術の経験がないから、先輩の気持ちをきちんと理解できない気がして歯痒い。
それでも、「同じように」と言ってくれた先輩の気持ちに寄り添いたい、と思った。
「悩みますよね……。でも、わたし、今思い出しました」
「何を?」
「先輩、別室体育のことを雨宿りみたいなものだと思ってるって言ってたじゃないですか。進路もそうなのかもって思ったんです」
真っ直ぐに先輩の瞳の中を見つめて、ゆっくり言葉を伝える。
「人生には雨宿りする場面が誰にでもある。雨宿りの回数がわたしたちみたいに多い人もいる。でも、雨は絶対いつかは止みます。だから、雨宿りして、止んだら外に出て、また雨が降ったら屋根のあるところで一休み。そうやって人生は続いていくのかなって」
大学にしても専門学校にしても、決められた年数で卒業する必要はない。
途中でどうしても離脱することはあるだろう。
だけどそれを理由に最初から諦める必要なんか、本当はどこにもないのかもしれない。
先輩が言うように、古いOSは新しいOSよりも処理に時間はかかる。でも、時間がかかるだけだ。
ゆっくりやってもいい。できないことはできる範囲でやればいい。
先輩はわたしの目を見つめ返すと小さく頷いた。
「本当だなあ……、雨宿りしない人なんていないもんな。俺たちは人より回数は多いけど、雨が止む隙間はゼロじゃない」
澄んだ声でそう呟く。
それは小さな、でも確かな決意のように思えて、わたしは先輩の横顔を見つめて思った。
先輩と出会えてよかった、と。

